ジョジョの奇妙な冒険(短編)
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昏迷
スタンドだか何だか知らないが、自分は生まれつき異常な能力を宿しているらしく、そのせいで一悶着あってパッショーネに拾われたのが数年前のこと。行き場がなかったとはいえ血なまぐさい仕事なんて向いていないようで、暫くして精神安定剤のお世話になることになった。
安定剤といっても医者の出してくれる正規のものではなく、組織ぐるみで市場に流している麻薬の成分を少し弄ったもので、服用したかと思えば安定以上の安息を、天使が目の前に現れたかのような、うっとりするような多幸感を得ることになる。無論、哀れな恐怖心や愚かな躊躇ともおさらば、という訳で、自分はこれ抜きで仕事なんてできないくらいに安定剤に依存していた。それで全てが上手くいっていたのだ……組織の集まりでブチャラティと再会するまでは。
私とブチャラティは同じ漁村の生まれで、小さい頃から彼のことは兄のように慕っていた。彼の父親が何者かに襲われる事件があってから、彼も行方を眩ませてすっかり疎遠になってしまったけれど。それがこの世界に入ってしばらくして、ブチャラティ、という男が同じ組織に所属しているということを知った。幹部としてのし上がり、組織が流している麻薬を根絶しようとしている、なんて噂も込みで。同姓の別人であることを祈っていたけれど、耳の下で切り揃えられた特徴的な髪型に、黒の模様の入った白いジャケットを見て、ブローノだと確信した。
「Ciao、ブチャラティ」
ブチャラティはこちらに気がつくや否や、どこか悲痛さの垣間見える、ぎこちない笑みを浮かべた。艶のある黒髪の、その毛先がふわりと揺れる。
「Ciao、夢主。まさかこんな所で再会するなんて、思ってもいなかったさ」
こんな組織で幹部手前まで登り詰めたのだから、てっきり血も涙もない性格に成り果てているだろうとばかり思ったけれど、ブチャラティは残酷なほどに優しいままだった。仕事の心配から始まって、ちゃんと食べているか寝ているか、なんて生活の心配まで、あの頃慕っていた兄のような面影を残す言葉の、ひとつひとつが残酷に突き刺さった。自分はといえば彼の嫌っている麻薬を使ってまで、意地汚く生きているというのに。
その日から、自分はブチャラティのことばかり気がかりになった。今となって考えてみれば、村に居た時からずっと抱いていた感情かもしれないけれど、彼の隣に居る時、この上ない信頼感や安心感を覚えるのだ。今となっては薬でしか得られないそれに、触れてはいけないのが余計に苦しくて。それでもその魅力に依存するように、気がついたら溺れていて。彼の存在はただでさえ生きにくいこの世界を、更に窮屈なものにしてしまっていた。周囲から見ても、私の悩み具合は相当なものだったらしい。薬の売人からも心配されてしまうくらいに。
「おお、夢主か……何だかやつれてるじゃあないか。悩み事か? それとも薬が強すぎた? あるいは……恋煩い、だったり! やっぱ夢主も女の子だもんなぁ〜」
「そんな訳ないでしょう。気がかりなことがあるとしたら、将来への不安とか、誰でも抱くような他愛もないことよ」
私は札束を差し出して、早く頂戴、と言わんばかりに目を伏せた。若い売人はというと一人盛り上がった様子で、私に見たことのない薬を手渡してくる。新しい薬を一度使わせて依存させる、というお得意の手段だろうけれど、それは妙に私の興味を引いた。
「そんな恋する乙女にぴったりの薬があるんだぜ。これ、今夢主が飲んでるヤツに幻覚成分が追加されてるんだ。天まで昇る多幸感、そこに好きな奴の幻覚まで見られたら、まるで恋じゃあないか! って感じの。オレは使ったことないからわかんないけど、夢主はお得意様だからな、これ試してみなって」
彼から手渡された薬は淡いピンク色で、ハートの形に成形されていた。ラムネ菓子のようにも見えるそれを無言でポケットに仕舞った後、彼からいつもの薬も受け取る。
「次会ったらオレにだけこっそり教えてくれよ! 誰の幻が見えたかってな!」
………………………………………
「誰の幻が見えるか、ねえ。」
そして今、手のひらの上で例の薬を転がしながら、ぼんやりと考えていた。仮に彼の幻が見られるなら、と考えるだけで心が揺らぐけれど、薬に頼ろうとしているのを知られたらきっと幻滅されるな、と思うだけで自己嫌悪。暫く悶々としていたけれど、そもそも今更気にしたところでとっくに自分は薬物依存性だろうと気がついて、好奇心には勝てなかった。
大きめの錠剤を嚥下してしばらくソファに身体を投げ出す。時間がゆっくりと流れていく気がする。一時間ほどで妙な吐き気が出てきた。水を飲もうと思って立ち上がるけれど、操り人形のようにひとつひとつの関節を意識して動かさないとまるで動けなくて、キッチンまで30分以上かかった気がする。瞬きをする度に遠近感がすり変わる。掴んでいるはずのコップが握りこぶしの少し先にあったり、遠くにあるはずの壁に頬がぶつかったり、結局ソファには戻れなくて、身体が床に投げ出された。考えていることが音になって耳から聞こえてくるというか、きっと自分が考えた瞬間に喋ってしまっているのだろうけれど、発声しようという意識は全くない。時計を見たのに今が何時なのかさっぱりわからない。何回も朝までの残り時間を計算して、何故か逆戻りしている時間に驚いて、真夜中なのに仕事に行かなければならない気がして。好きな人の幻なんて見えない、ただの粗悪な幻覚剤だと思うと絶望して、でもどこか遠くに希望があって。遠く、遠くの電話が鳴って、電話を掴む前にがちゃんと音がして、息苦しくなる静寂の終わりに天使のラッパが聞こえて、今更迎えに来るのかと思った矢先、ドアが開いて、最愛の、ブローノが目の前にいた。
………………………………………
仕事の連絡も兼ねて夢主に電話をしたけれど、電話口から聞こえてくるのは荒い吐息と支離滅裂な言葉だけで、胸騒ぎがして彼女の家に向かった。インターホンを押しても一向に出てくる気配はないけれど、中から物にぶつかる音や彼女がぶつぶつと呟く声がして、耐えきれなくなってドアをスタンドで破ってしまった。
「わ、ぶろーの、ぶろーの! 生きてる、わたしのangelo」
彼女は床に転がった姿勢のまま、オレを見るや否やずるずると這いずるように近付いて、幸福そうな表情を浮かべていた。オレの存在を確かめるかのように頬に触れて、甘く蕩けた目をしている。アルコールで酔ったにしては酒臭さもないし、あまりに突飛な言動ばかり繰り返すものだから、最悪の状況が脳裏を過った。案の定それは間違いではなくて、机の上には大量の錠剤が散乱していた。
「ここにいる、ぶろーの、やっと見えた」
甘く蕩けた目を向けてくれる夢主の姿を見て、最愛の彼女が両腕にすっぽり収まって震えているのを感じて、罪悪感でいっぱいになった。何も言わずに村を出ていってしまったこと、結果としてこんな組織に関わらせてしまったこと、薬に溺れているのに気が付けなかったこと。それから、正気を失っているとはいえ、自分の名を呼んでくれた彼女を、一瞬でも愛らしいと思ってしまったこと。
「……夢主。何をやってるんだ……」
そんな問い掛けに、薬で朦朧としている彼女が答えられるわけもなかった。ぼーっと宙を見つめたり、意味不明なことばかり呟いたりする合間に、たた悲しげな表情を浮かべていたであろうオレの顔に触れて、不思議そうに首を傾げて。
「わたしのこと、きらいになった……?」
そう弱々しく聞くものだから、何も言えなくて。嗚呼、いちばん近しい彼女のことを、もっと気にかけてやればよかった、と後悔する自分を嘲笑うかのように、時折正気を取り戻した風に、「ぶろーの、ごめんなさい」なんて、理由も知らない癖に謝るから。胸の内に秘めた恋心を暴く資格もないまま、彼女を恋人のように抱きしめて、涙だけは見せないようにするしかなかった。
夜は、まだ明けそうにない。
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