ジョジョの奇妙な冒険(短編)
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Mercy Killing
夢主は岸部露伴の幼馴染だ。某大学の文学部をを卒業したのち出版関係の仕事に就き、彼の担当編集になってもう数年が経つ。
岸部露伴はこれを奇妙な巡りあわせだと信じてやまなかった。彼の人生には往々にしてそのように都合のいい”奇跡”だとか”怪奇”だとかがまとわりついていたからだ。実際、旧知の仲である彼女が仕事仲間で居てくれることに関しては、別に妙な人見知りや人間嫌いをこじらせた末に漫画家という職を選んだわけではないとはいえ、非常に心地の良いものであった。彼女が自分のことを「露伴ちゃん」と呼び、べたべたと馴れ馴れしくしてくることを除いては。
この日もいつも通り、仕事の用でもない癖に彼の自宅兼職場を訪れた夢主は、ソファに座って勝手に漫画を読み漁ったかと思えば、そのうちうとうとと舟を漕ぎだした。普段の彼女の振る舞いからして今更歯牙にもかけないことだ。岸部露伴は特に気にすることなく普段通りの仕事をしていたけれど、ふと振り向いたときに見えた彼女の、陽光に照らされて色を失ったその頬の輪郭が、今にも消えてしまいそうな気がした。思わず手が止まってしまって、飲み込み切れない違和感の原因を彼女に問いかけるように、呟いた。
「なァ、きみ」
「どうしたの? 露伴ちゃん」
そう言って顔を上げた彼女の瞳は相変わらず底抜けに明るい色をしていた。不思議なくらいに綺麗だ。露伴よりいくつか上で、そろそろ三十路も近いというのに、一向にその若さは衰えない。その辺りの女子高生に混ざって、セーラー服を着ていても違和感がないほどなんだ。
「きみって不思議だよなァ」
「何よ突然」
「いや、よく考えたらぼくと同い年だろう? その割には全然老けないなと思ってさ」
きょとんとした顔をしている彼女に、岸部露伴は畳みかけた。
「それに、きみって冷え性だろう? 出不精で取材には滅多に付いてこないし、出されたお茶もお菓子も食べない」
「何が言いたいの?」
「ぼくには君が幽霊か何かだと思えて仕方ないことがあるんだ」
岸辺露伴がそう言うと、彼女は少しだけ不安げな表情をして、すぐに笑みを浮かべる。
そして、そのままこう言ったのだ。
「わたしは死んでなんかいないわ。だっていま露伴ちゃんと一緒にいるもの」
それから相変わらず怪訝そうな顔をしている露伴に向かって、ひとこと問いかけた。
「そこまで気になるんだったら、スタンドとやらで私のことを調べれば済む話じゃない?」
その言葉を聞いた瞬間、岸部露伴は確かにどうして彼女のことを"読んで"いなかったのだろうという気持ちになった。そもそも、どうして今まで気が付かなかったのか分からないくらいに自然なことだ。
彼女の名前を呼ぶ。返事はない。その代わりに、彼女は目を細めて笑っている。
「見てみて」
ヘブンズドア、と呟いた瞬間に、彼女の顔がばらばらと捲れて一冊の本になる。普段はスタンドを使うことに何の躊躇もない岸部露伴だが、彼女の美しい肌が見るも無残に剝ぎ取られて秘密ごと切り開かれているというのには、不思議なグロテスクさを感じた。ぱらぱらと読み進めても、一向に核心に迫るページはない。
「ねェ、これじゃあ何もわからないじゃないか…」
読んでも読んでも能天気な彼女らしい日常の記述ばかりで、期待外れでがっかりする気持ちより安堵が先立った。強気な言葉を言いかけたところで、突如挟まった朽ちかけたページを手にした岸部露伴は、ついに彼女の正体をその目に焼き付けたのだった。
『20××年 〇月△日 交通事故にて死亡』。その周辺に拙い文字でぐちゃぐちゃに殴り書きがしてある。活字の奥で、彼女は相変わらず真意の読めない笑みを浮かべている。
「ねえ、露伴ちゃん」
例えば永遠に枯れない造花や老いない肉体を、衰えていかないものがあるならばそれは不自然であるという摂理から、なおさら人の手が生み出した儚いものだと扱う陳腐なストーリーを腐るほど見てきた。そんな物に自分が踊らされているなんて、絶対に信じたくなかったんだ。ぐい、と強い力で手首を握られる。冷たい手が静脈を捕らえて離さない。
「露伴ちゃんの手で、消して?」
岸辺露伴はぼんやりと滲み出す意識の中で、七年前の事故のことを鮮明に思い出した。その日は朝からどんよりとした曇天で、小雨が降っていた。その日に彼女は乗用車に撥ねられた。不幸にも岸辺露伴の目の前で。聞いたことのない鈍い音がして、気が付いたら彼女がアスファルトの上に横たわっていた。四肢は歪んで折れ、首があり得ない方向に曲がったまま、じわじわと広がる血の海の中で眠っている彼女は、素人目に見ても即死だとわかるほど酷い姿をしていた。
考えるよりも先に、岸辺露伴はスタンドで呪詛を書き込んだ。夢主は死なない、夢主の身体は腐らない、夢主の傷はすべて消える、そんな滅茶苦茶な筆跡で奇跡を起こそうと躍起になった。痛ましい事故が二人を引き裂かないように、すべてを終わらせてしまう禁忌に触れないように、岸辺露伴は奇跡の中で眠っていたのだ。
消しゴムを持つ端正な指が震えた。ソファに深く沈みこむように座っている彼女の中で蠢く、未熟な魔法を消し去るときがきた。消しゴムを滑らせるたび、身体が煮崩れのようにぐちゃぐちゃに溶けていく。したたる体液がソファに影を染み込ませて、死臭が彼女のお気に入りの香水を上塗りした。いよいよ彼女が消えてしまうというときに、落ち着いた声が聞こえた。
「露伴ちゃん」
「何だよ」
「私、露伴ちゃんの目の前で死にたくなかったよ」
岸辺露伴はがらんとした清潔な部屋の中でひとり呟いた。
「そんなこと言うなよ」
岸辺露伴は数年の間まぼろしと一心同体で生きてきた。悪い夢が夢であることに気が付いたときの、安堵とほんの少しの虚しさが彼を支配した。
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