第五章:メレッド

――隣町に向かう馬車の中、テフィラーとシャルヘヴェットは向かいに座って黙り込んでいた。
 同じように二人掛けが向き合う隣の四人席には、合流後も無言を貫くツェルが座っている。彼女はアディンが魔法をかけている最中、テヴァたちと細かな確認を取り合った後、シャルへヴェットと同じく用水路の方へ戻ってきた。
 倒れこんでしまったアディンはというと、シャルヘヴェットが膝に頭をのせる形で支えていた。馬車が揺れる度にアディンの体を押さえる。

「テフィラー」

 気まずそうに俯いたままの彼女に、シャルヘヴェットは声をかけた。
 彼女の肩がびくりと揺れる。

「あなたは何のきっかけがあって紫眼クリファに恨みを?」

 ブディードゥートに激しい怨嗟の声を突き付けられ、シャルへヴェットはテフィラーにも一個人として、紫眼クリファに対する思いを聞いておきたかったのだ。
 テフィラーは目を丸くして、すぐにふるふると首を振った。
 
「あっ……違うの。私は少しも紫眼クリファに負の感情はなくて」

 隣で聞いているツェルが、ふんと窓の外に視線を移す。

「メレッドはたしかに紫眼クリファに恨みを持った人たち……というより、ほとんどが家族を魔物化で失ったり、魔導兵器や魔法で嫌な思いをした人々を集めた組織だわ。でも……」

 アディンたちにした過去の話を、テフィラーはぽつりぽつりとシャルヘヴェットにも明かした。
 話を聞きながら、シャルヘヴェットは口元に手を当て、険しい表情で何度も小さく頷いた。

「それは……お辛かったでしょう」

 話し終わって、テフィラーは一瞬ツェルの方を伺うと、彼女に言われた言葉を思い返しながら自分の考えを吐露した。

「だからといって、誰かを傷つけることに加担するのは間違っているわ。そうどこかで思っていても、現状から動くことができなかった。それは私の責任。本当に、申し訳なかった……」

 シャルヘヴェットはちらりと膝で眠るアディンを見てから、首を振る。

「俺はあなたの計画を見破れなかった。勝手に騙されていたようなものです。許す許さないもありません。謝るなら、アディンに」
「……」

 それに、とシャルヘヴェットは続ける。

「間違っていると思っていてもメレッドに居続けたのは、そこから離れられない理由もあったのでしょう?」
「シャルへヴェット様は、甘すぎますよ」

 ツェルが横槍を入れる。
 彼女はまだ、シャルへヴェットに対して複製の事実を明かしていない。しかし、聡明な彼であれば大方読めてはいるだろうと踏んでいた。

「そうかもしれません。ただ、俺がやろうとしていることも、誰かにとってうまくない話なのは事実です。だから、他人を許すことで免罪符にしているのかも」

 その理由に彼女は納得したのか、また窓の方へ視線を戻す。
 シャルへヴェットは、再びテフィラーに話を続けた。

「なんであれ、アディンはあなたときちんと話がしたいと言っていましたから。あなたが向き合ってくれたことは、嬉しいんじゃないかと思います」
「けれど、私……」

 言おうとして一度止めかけたが、一呼吸おいてテフィラーは口を開いた。

「彼のご両親……最後にやっぱり会わせなくちゃいけないと思って……」
「会わせたんですか」

 目を見開き、シャルヘヴェットは顔を上げる。
 用水路から逃げた後で、少し近くでピウスも逃げてくることを願って待っていたのだが、一向に姿を現さない状況に、現実を飲み込むしかなかった。

「ピウスさんはやっぱり……」
「……ええ。でも、少しだけ話せたの。ほんの少しだけど」
「……」

 ピウスがあの場でどういう決断をしたか、シャルヘヴェットは理解していた。
 その上で、彼とアディンが出会えたことをよかったと言っていいのか複雑だった。
 会えたといっても、状況は悪かっただろう……。

 もぞ、とシャルヘヴェットの膝の上でアディンが動いた。

「会わせてくれてありがとう、テフィラー」

 視線を向けると、テフィラーは驚いた顔をした後、アディンを直視できずに目をそらす。
 シャルヘヴェットがアディンの顔を覗き込んで声をかけた。

「起きていたんですか」
「ご、ごめん。タイミングがわからなくて」

 慌てて起き上がろうとしたアディンの肩を、シャルヘヴェットは優しく押さえて止める。

「すぐ起き上がらない方がいいですよ。魔力は分けましたが、疲労も重なってまだ安定していないでしょうから」
「う、うん。重くない……?」

 アディンの心配に、シャルヘヴェットはふふ、と笑って大丈夫だと答えた。
 アディンはすぐにでも、治癒魔法中の不思議な声について話したかったが、頭も回らないし、ちゃんと覚えているかも曖昧だったので落ち着いてから話すことにした。
 しっかりと覚えていないのだが、気がついた時にはテフィラーの話し声がしたので、胸をなで下ろして、もう少し目を閉じてぼうっとしていたいと思い揺られていたのだった。

 ゴトゴトと馬車の揺れる音だけが響く。
 夜中なのもあり、そこまで小さな馬車ではないが他の乗客はいなかった。
 こんな状態で寝かしてもらっているので、誰もいなくて良かった、と内心アディンはほっとする。

「お父さんたちは、他の紫眼クリファの皆と一緒にいるんだと思ってた……」

 俺もです、とシャルヘヴェットは返す。
 テフィラーは手元に視線を落としたまま、初めにごめんなさいと謝った。

「アディンのご両親が捕まっていたことは知っていたの。というよりもむしろその逆で、ご両親からアディンの情報を得たの。私に、アディンって息子の存在を話してくれたことがあったから……」
「お母さんは……」

 アディンが尋ねると、テフィラーは重苦しく言葉を繋ぐ。

「私が十三で組織に入った年に、ご病気がわかって……。その時ボスが試薬を与えたけれど、紫眼クリファの強い魔力には悪影響があったみたいで……魔物に。ずっと檻の中にいて……」
「え――」

 父の姿しか見ていなかったが、『両親』とまとめられていたので、母もなにかしらの被害には遭っているのだろうと覚悟はしていたが……。

「アディン……」

 今度はシャルヘヴェットが口を開いた。

「ピウスさんは、イマさん……あなたのお母さんの魔物化を治す研究をずっとしていたそうです。あの実験室で、俺たちはボスとやり合う事になって」

 眉をひそめてシャルヘヴェットは続きを話す。

「閉じ込められていた魔物化したイマさんが、檻から放たれてしまった」

 思い返すのも辛そうな表情なのが、見ていてひしひしと伝わってきた。

「俺は……」

 言い淀むシャルヘヴェットの手を握って、アディンは
「うん、大丈夫。……わかったよ」
 と、頷いた。
 彼らがどういう仕事を、いや、使命を果たしてきたのか知っていれば、その先は聞かずとも決まっている。
 祓い師として苦渋の決断を強いられる彼らに、その言葉は言わせてはいけない。

「実は、ね」

 窓から見える星空を眺めながら、アディンは皆に明かした。

「さっき眠ってた間、夢を見たんだ。きっとお父さんとお母さんだったと思う。はっきりと姿は見えなかったけど、多分そうだった」

 空を見上げるアディンの瞳がじわりと滲む。

「本当は……欲を、言えば、もっとちゃんと話したかったけど、僕はそれでも会えたことが嬉しい」

 泣いてはいけない。僕は『幸せになって』と言われたのだから。
 こぼれそうなところをぐっと堪えた。
 のに、アディンの傍に、ぽたりと上から滴が落ちた。

 はたと、すぐ上を見やる。手で顔を覆っていたが、それは紛れもなくシャルヘヴェットの涙だった。

 彼は悔やんでいた。
 自分にもっと力があれば救えたかもしれない命があったことを。自分がアディンを渦中に引き込んでいること。自分が肝心なところで無力であることが、たまらなく悔しい。

「ごめんなさい」

 そう思えば思うほど止まらないシャルヘヴェットの涙をアディンは見上げ、そっと彼の腕のあたりに手を添える。

「シャルがいなかったら、僕とお父さんが会えなかったのはほんとだよ。自分を責めないで」

 シャルヘヴェットは僅かに首を振った。

「本当に……ごめんなさい。俺が反対に慰められて……」

 情けない、と彼は指の間から微かに漏らす。
 深呼吸をして唾を飲みこむと、なんとか気持ちを落ち着けて口を開く。

「イマさんが、昔、言っていたんです」

 顔を覆ったまま、シャルへヴェットは今も鮮明に覚えている子供の頃の記憶を語った。

「アディンを身籠った時、イマさんたちがずっと子供に恵まれずに苦労してきたことを話してくれました。ピウスさんは、魔法を開発する仕事をしていて……どうにか子どもを授かれないか、魔法をたくさん編み出したと」

 アディンの脳裏に、一時の対面であった父の顔が過る。

「滞りなければ、アディンは俺と同じくらいの年齢になるはずだったと、笑っていました」
「……そんなに長い間、諦めなかったんだ」

 ぽつりと、アディンは独り言をこぼす。

「だから、その時は本当に幸せそうで、俺はよく覚えているんです。イマさんが、『この子は、魔法に祝福された子だ』って言ってたのを」

 魔法に祝福された子。

「……」

 彼が、両親とどれほど親しい関係だったのかはわからない。
 けれどそんな話をするほどの間柄だったなら、アディンの思う以上に、彼と両親は仲が良かったのかもしれない。
 シャルへヴェットはかすれた吐息とともに、微かな声で、ひとつ悔いを落とした。

「会わせたかったな……」

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 久々に珍しい人たちの夢を見た。
 きっと夢なのだが、そう思ったのも最初だけで、記憶やら意識やらがごちゃ混ぜになっている場所でその真偽は重要ではない。

「おお、どうしたシャル?」

 いつものように家から抜け出して決まった場所に向かうと、やはりここにピウスさんはいた。
 彼の家は魔法に関する本でいっぱいで、壁一面が本棚みたいになっていて。指先で術式を描くと棚が動き、現れた狭い屋内はまるで秘密基地のようなのだ。
 当たり前のように入ってくるシャルへヴェットを、ピウスはかけていた眼鏡をひょいと上げて見やった。

「ちょっとお茶でもしようか」

 ばつの悪そうなシャルへヴェットにそう笑いかけると、ピウスは別の壁……いや本棚を動かして、隣の部屋から菓子とポットを手に戻ってくる。

「シャル、無理に嫌いな魔法を使おうとしなくたっていい。魔法は楽しくて便利なものだ。私の家にある魔法の本はね、すべて笑顔になるためのものだよ」
「なんで俺が怒られてここに来たって、わかったんですか」
「え、はは。いや、何となく言ってみただけさ」

 魔法は嫌いだけど、同じ魔法でも、面白くて優しい魔法をたくさん考えているピウスさんのことは好きだった。

「たとえば業火を放てる親の子が、繊細な蝋燭のような火を辺り一面に灯すのが得意だったりする」
「じゃあ俺は、父さんみたいにはなれない……?」

 顔を曇らせたシャルヘヴェットに、明るい声が壁の向こうから聞こえてきた。

「シャルは、お父さんそっくりにならなくたっていいのよ」

 ゴトゴトと棚を動かして、イマさんが会話に混ざってきた。イマさんは術式を描くのを面倒くさがって、棚を腕力のみで動かしているらしい。
 床が擦れるからやめてと、ピウスさんが自業自得を招いたカラクリに嘆いている。

「一度、業火を放とうとするのは中断して、小さな火を灯すのを練習してみたらどうだい」
「うん……」

 納得いってない返事は、すぐにイマさんにバレてしまう。

「お母さんはシャルに期待してるのよ。今は、お父さんみたいなすごい魔法の使い手にしなきゃって、きっと焦ってるだけ」
「……皆、父さんの生き写しみたいだって言うけど。そんなの俺は知りません」
「まったくよねぇ」

 困った笑みを浮かべながら、イマさんは頭を撫でてくれた。

「大丈夫よ。シャルが頑張り屋さんなの、知ってるからね」
「そうだよ。あとちょっと泣き虫さんなのも私たちは知ってるから。我慢しなくたっていいよ」
「な、泣き虫なんかじゃ……」

 言いかけた時、目の前にいる二人が突然ぼんやりと霞み始めた。
 えっ、と驚いて手を伸ばす。

「そうかい?じゃあ、私たちがずっと遠くに行くことになっても泣いちゃダメだよ」
「ダメだなんてあなた……我慢しなくていいって言ったばっかりでひどいわ」
「え?ははは、ごめん、ごめん。泣きたい時には泣くべきだね」

 待って。
 ピウスさん、イマさん!
 声を出そうとしても、その声は発せられているのか、頭の中に響いているだけなのか判別がつかない。
 待って。
 和やかに言葉を交わす二人の姿が、光になって、消えていく。
 俺の、暖かくて、大切な場所。
 行かないで……!

「……大丈夫だよ。大丈夫」

 優しい声がした。
 さっきみたいに頭を撫でてくれるような、そんな穏やかで落ち着く声。

「……イマさん?」

 薄く開けた瞼の隙間から、微笑むイマの顔が映った気がして――

「ア、ディン」

 それが彼であり、さっきまでのは夢であったことがすっと理解の枠に収まる。

「ご、ごめん!起こしちゃって……」

 あたふたとするアディンの様子が、なんだかイマさんに小突かれるピウスさんのようで。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 今思い返せば、そんな夢を再会前夜に見たのは、ただの偶然ではなかったのだろう。
 泣いてしまうことまで、見破られていたとは。

 馬のいななきが隣町に到着したことを、皆に知らせる。
 一同は下車し、部屋を取ってもらっている予定の宿に向かった。
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