第一章:魔物化現象
集まった人たちはあちらこちらで勢いよく言葉を交わし、騒々しくごった返していた。
二、三十人ほどだろうか。皆、赤い眼をしている。
外部から来たアディンたちには、見向きもしない。
静かにしていればさほど集まっているといった感覚にはならない人数な気もするが、これほど個々が動き回りざわざわとしていると、小さなバノット一人探すのも少し手間だ。
「よかったねぇ……私たちも助かるねぇ」「終わったら端の方の人も呼ばなくちゃ」
話している内容から、やはり人々の中央にいるのは祓い師で間違いないらしい。
早くどんな人物なのか見てみたいと、アディンはつま先立ちで様子を伺おうとするが、同じように背を伸ばしている人に塞がれてしまう。
「きゃあ――!」
そんなざわめきを、一人の女性の悲鳴が一瞬で静めた。
声の先に一斉に注目が集まる。
「うわあ!」「嫌!」すぐそばにいた人が這うように退けると、悲鳴を上げた女性の肩が、気味悪く黒くゴツゴツとした形に変形しているのが見えた。
魔物化だ――!
さっと血の気が引く。
その悍ましい光景に、離れた場所にいるはずのアディンまでもが、硬直してしまう。
「逃げろ!」それが目に入った人々は、先ほどとは打って変わって叫ぶように騒ぎ始めた。
アディンは恐怖のあまり、視線を逸らすことができなかった。
すぐ向こうにいる女性の肩が、腕が、足が、徐々に変形していく……!
「道を開けてください!」
そのざわめきを掻っ切るように、一つの声がその場を静止させる。
人々をくぐり抜け、声の主は姿を現した。
微かに肩にかかる深い青の髪、
白を基調とした衣服によって、首より下の肌は一切見えないが、すらりとした男だった。
しかしそれでいて堂々とした佇まいで、その人が祓い師なのだと、アディンはすぐにわかった。
「手を取って。私の目を見てください」
彼は、変形していく体を拒否するように泣き叫ぶ女性の手を力強く握り、「大丈夫」と告げると赤い瞳と視線を合わせる。
アディンはその時、空気のような風のような、何か温かいものがそこに流れているような感覚を覚えた。
目には何も特別なものは映らなかったが、女性が徐々に元の姿を取り戻していく様子を見て、祓い師が彼女に処置を施していると理解できた。
「もう大丈夫ですよ」
彼の落ち着いた声に、女性は安堵の涙をぼろぼろとこぼして頷いた。
「間に合ってよかった」と祓い師はそっと手を離すと、彼女の少々破けてしまった衣服を覆うように上着をかけてやる。
祓い師は少し退いた群衆を振り返ると、真剣な眼差しで呼びかけた。
「赤眼を取り除けた方は、まだここに来ていない町人への呼びかけにご協力ください!引き続き順番に対応します。緊急時も今のように治すことができますから、慌てないでください」
慣れた様子でテキパキと指示をし、彼はまた人だかりの中心に戻っていく。
本当に同じだった。
その眼は、遠くからでもよくわかる、吸い込まれるような紫色をしていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
一刻を争う状況なのだとようやく実感できたアディンは、隣できょろきょろとバノットを探すテフィラーに提案する。
「テフィラーはバノットを探してもらって、僕は祓い師が来たことを、街の人に知らせに行っていいかな」
「待って、それなら――」
テフィラーはアディンの帽子のツバを深く被らせてから、耳元に顔を寄せる。
「あなたの眼は隠しておいた方がいいわ。ややこしいことになると面倒だから。私もバノットを見つけたら、呼びかけに向かうわね」
「あ、ありがとう」
こんなに顔を近くして話すのは診療所に来たおばあちゃんくらいしか経験のないアディンは、テフィラーの囁きに一瞬身を強ばらせた。
すぐに気を張り直すと、街の端に向かって駆け出す。既に元の瞳を取り戻した人たちが声を上げて回っているので、できるだけ人のいなそうな方へ大声で呼びかけながら走った。
気づいた町人が少しずつ街の中央に向かっていく。ドアを叩いて呼びかけてみるが、すでにほとんどは知らせを聞いて外にいるようだ。
「祓い師が来ました!街の中央に向かってください!」
一番端の家のドアを叩くと、足を悪くした老人が怯えながら出てくる。よかった、まだこっちにも人が残っていた。
「おじいさん、よかったら僕が背負って行きます」
「す、すまんねぇ……」赤眼の老人は深々と礼をすると、アディンにゆっくりとおぶさる。
彼を背負って中央まで行くと、テフィラーがまだ一人で必死にバノットを探していた。
「だめ、どこにもいない。人は増える一方だし……」
そんな、とアディンは嫌な予感に蓋をする。
「何人か中央に来ていない人がいるみたいなの。あの方が町人を把握してくれているみたいなんだけど……」
恰幅のいい女性が、励ますように肩を叩いている。バノットのことを聞いてみたが見ていないらしい。
赤眼の処置はあらかた済んできたようで、街の空気は歓喜に変わっている。
祓い師の隣にいた女性――どちらかといえば少女が、町人たちに向かって声を上げた。
「皆さん、呼びかけのご協力ありがとうございます!おかげさまでほぼ処置は完了してますっ。ですので――」
だが、彼女の顔色が変わったことで、歓喜の空気が一瞬で塗り変わった。
「今度は避難してください!丘の上の集会所を一時避難所としました。今晩中に一軒ずつ魔物化を確認します。鍵の開いていない家は壊して確認するので、なにか問題があれば今のうちにお知らせください!」
「もう一度バノットの家に行ってみよう……!」
アディンの呼びかけに、テフィラーが頷いたその時だった。
町人の叫び声のする方に、それは明らかに人であった、しかし既に人ではない、
魔物の姿があった――。
「逃げろ!逃げろー!」
バタバタと逃げ惑う人々。群衆に押されながら、アディンは声の方を一生懸命見やった。
叫びながら、赤眼で町に残されていた警備兵が、魔物に応戦するために武器を持ち飛び出す。
すると、人だかりになっているこちらに向かって来る魔物が、次から次へと増え始めたのだ。
どよめきと悲鳴。
向かってくる魔物の中の一人を見て、アディンは背筋が凍っていくのがわかった。
嘘だ。
「バノット――」
「えっ!?」
アディンの手を引いてくれていたテフィラーも、足を止める。
間違いなかった。
あの手の処置は、僕が施したものだ。
何か声をかけようと口を開くが、さっきはあれだけ叫べたはずなのに、ひゅっと息が漏れるだけ。頭が真っ白になって言葉が浮かんでこない。
立ち尽くすアディンの横を、一瞬で金髪の少女が追い抜いていく。
「ごめんなさい。どうか安らかに」
彼女は魔物の大ぶりな一撃を軽快にかわし、拳に力を込めると、鋭く一突きした。
魔物は腹に強い衝撃を食らいよろめくと、
空気中に溶けだすように、光の粒となって……
消えた。
二、三十人ほどだろうか。皆、赤い眼をしている。
外部から来たアディンたちには、見向きもしない。
静かにしていればさほど集まっているといった感覚にはならない人数な気もするが、これほど個々が動き回りざわざわとしていると、小さなバノット一人探すのも少し手間だ。
「よかったねぇ……私たちも助かるねぇ」「終わったら端の方の人も呼ばなくちゃ」
話している内容から、やはり人々の中央にいるのは祓い師で間違いないらしい。
早くどんな人物なのか見てみたいと、アディンはつま先立ちで様子を伺おうとするが、同じように背を伸ばしている人に塞がれてしまう。
「きゃあ――!」
そんなざわめきを、一人の女性の悲鳴が一瞬で静めた。
声の先に一斉に注目が集まる。
「うわあ!」「嫌!」すぐそばにいた人が這うように退けると、悲鳴を上げた女性の肩が、気味悪く黒くゴツゴツとした形に変形しているのが見えた。
魔物化だ――!
さっと血の気が引く。
その悍ましい光景に、離れた場所にいるはずのアディンまでもが、硬直してしまう。
「逃げろ!」それが目に入った人々は、先ほどとは打って変わって叫ぶように騒ぎ始めた。
アディンは恐怖のあまり、視線を逸らすことができなかった。
すぐ向こうにいる女性の肩が、腕が、足が、徐々に変形していく……!
「道を開けてください!」
そのざわめきを掻っ切るように、一つの声がその場を静止させる。
人々をくぐり抜け、声の主は姿を現した。
微かに肩にかかる深い青の髪、
白を基調とした衣服によって、首より下の肌は一切見えないが、すらりとした男だった。
しかしそれでいて堂々とした佇まいで、その人が祓い師なのだと、アディンはすぐにわかった。
「手を取って。私の目を見てください」
彼は、変形していく体を拒否するように泣き叫ぶ女性の手を力強く握り、「大丈夫」と告げると赤い瞳と視線を合わせる。
アディンはその時、空気のような風のような、何か温かいものがそこに流れているような感覚を覚えた。
目には何も特別なものは映らなかったが、女性が徐々に元の姿を取り戻していく様子を見て、祓い師が彼女に処置を施していると理解できた。
「もう大丈夫ですよ」
彼の落ち着いた声に、女性は安堵の涙をぼろぼろとこぼして頷いた。
「間に合ってよかった」と祓い師はそっと手を離すと、彼女の少々破けてしまった衣服を覆うように上着をかけてやる。
祓い師は少し退いた群衆を振り返ると、真剣な眼差しで呼びかけた。
「赤眼を取り除けた方は、まだここに来ていない町人への呼びかけにご協力ください!引き続き順番に対応します。緊急時も今のように治すことができますから、慌てないでください」
慣れた様子でテキパキと指示をし、彼はまた人だかりの中心に戻っていく。
本当に同じだった。
その眼は、遠くからでもよくわかる、吸い込まれるような紫色をしていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
一刻を争う状況なのだとようやく実感できたアディンは、隣できょろきょろとバノットを探すテフィラーに提案する。
「テフィラーはバノットを探してもらって、僕は祓い師が来たことを、街の人に知らせに行っていいかな」
「待って、それなら――」
テフィラーはアディンの帽子のツバを深く被らせてから、耳元に顔を寄せる。
「あなたの眼は隠しておいた方がいいわ。ややこしいことになると面倒だから。私もバノットを見つけたら、呼びかけに向かうわね」
「あ、ありがとう」
こんなに顔を近くして話すのは診療所に来たおばあちゃんくらいしか経験のないアディンは、テフィラーの囁きに一瞬身を強ばらせた。
すぐに気を張り直すと、街の端に向かって駆け出す。既に元の瞳を取り戻した人たちが声を上げて回っているので、できるだけ人のいなそうな方へ大声で呼びかけながら走った。
気づいた町人が少しずつ街の中央に向かっていく。ドアを叩いて呼びかけてみるが、すでにほとんどは知らせを聞いて外にいるようだ。
「祓い師が来ました!街の中央に向かってください!」
一番端の家のドアを叩くと、足を悪くした老人が怯えながら出てくる。よかった、まだこっちにも人が残っていた。
「おじいさん、よかったら僕が背負って行きます」
「す、すまんねぇ……」赤眼の老人は深々と礼をすると、アディンにゆっくりとおぶさる。
彼を背負って中央まで行くと、テフィラーがまだ一人で必死にバノットを探していた。
「だめ、どこにもいない。人は増える一方だし……」
そんな、とアディンは嫌な予感に蓋をする。
「何人か中央に来ていない人がいるみたいなの。あの方が町人を把握してくれているみたいなんだけど……」
恰幅のいい女性が、励ますように肩を叩いている。バノットのことを聞いてみたが見ていないらしい。
赤眼の処置はあらかた済んできたようで、街の空気は歓喜に変わっている。
祓い師の隣にいた女性――どちらかといえば少女が、町人たちに向かって声を上げた。
「皆さん、呼びかけのご協力ありがとうございます!おかげさまでほぼ処置は完了してますっ。ですので――」
だが、彼女の顔色が変わったことで、歓喜の空気が一瞬で塗り変わった。
「今度は避難してください!丘の上の集会所を一時避難所としました。今晩中に一軒ずつ魔物化を確認します。鍵の開いていない家は壊して確認するので、なにか問題があれば今のうちにお知らせください!」
「もう一度バノットの家に行ってみよう……!」
アディンの呼びかけに、テフィラーが頷いたその時だった。
町人の叫び声のする方に、それは明らかに人であった、しかし既に人ではない、
魔物の姿があった――。
「逃げろ!逃げろー!」
バタバタと逃げ惑う人々。群衆に押されながら、アディンは声の方を一生懸命見やった。
叫びながら、赤眼で町に残されていた警備兵が、魔物に応戦するために武器を持ち飛び出す。
すると、人だかりになっているこちらに向かって来る魔物が、次から次へと増え始めたのだ。
どよめきと悲鳴。
向かってくる魔物の中の一人を見て、アディンは背筋が凍っていくのがわかった。
嘘だ。
「バノット――」
「えっ!?」
アディンの手を引いてくれていたテフィラーも、足を止める。
間違いなかった。
あの手の処置は、僕が施したものだ。
何か声をかけようと口を開くが、さっきはあれだけ叫べたはずなのに、ひゅっと息が漏れるだけ。頭が真っ白になって言葉が浮かんでこない。
立ち尽くすアディンの横を、一瞬で金髪の少女が追い抜いていく。
「ごめんなさい。どうか安らかに」
彼女は魔物の大ぶりな一撃を軽快にかわし、拳に力を込めると、鋭く一突きした。
魔物は腹に強い衝撃を食らいよろめくと、
空気中に溶けだすように、光の粒となって……
消えた。