第五章:メレッド
アディンは言われた時間に制御室のスイッチを押すと、廊下に出てテフィラーの向かった『第一実験室』の方へ走り出した。
テフィラーが偽装するように渡してきた研究員の白衣を羽織っていると、周りから怪しまれることもなかった。
実験室までのルートは聞いた内容では至極単純なものだ。来た道を戻り、シャルへヴェットたちが進んでいった左の方向にまっすぐ向かえばたどり着く。
ここまで来るのにそれなりに距離を進んできたので、用水路までが意外に時間がかかる。
走りながらテフィラーのこと、ツェルのことがアディンの頭の中をぐるぐると駆け巡った。
(僕は、自分でやりたいことを決められてるのかな……)
テフィラーは自身を生かしてくれた組織を裏切ってまで、アディンに手を貸してくれた。
そんな価値が自分にあるのか、いや、それに値する人間になれるか正直自信がない。
それに、先ほどから胸の辺りがざわざわと居心地の悪い感じがしていた。
「アディン!」
遠くから名を呼ばれて目を凝らすと、テフィラーがこちらに向かっているのがわかった。
「テフィラー!皆は……!」
合流してアディンは息を切らしながら尋ねる。
「先に用水路から戻ってもらってるわ。私たちも……」
そうテフィラーが言いかけて顔を見合わせた時、アディンの顔に彼の父親が重なった。
アディンにつきたい最大の嘘、そして明かすべきでもある最大の嘘は『彼の両親は紫眼 たちの元ではなく、メレッド にいた』のに知らないふりをしていたことだ。
恐らくピウスは、このまま怒りに身を任せたブディードゥートに殺される……。いや、生かしてもらえたとしても、もうここにアディンが来ることはない。
ピウス自身もそうなるだろうとわかっていて、アディンのことを思い、テフィラーを行かせたのだろう。
それでも……。
「アディン」
アディンの両肩に手を添え、テフィラーはまっすぐに瞳を見つめた。
さっきの自分が情けないくらい、彼はじっと視線をそらさずに言葉を待っている。言おう。言うと決めた。
「あなたに会わせたい人がいるの。来てくれる?」
「会わせたい人……?」
全く予想もつかないが、テフィラーは真剣な眼差しを向けていた。
彼女は肩に添えた手を、そのままアディンの両手に移して、ぎゅっと力を込めて包み込む。
「どうしても今、会わせなきゃいけないの……!」
その両手に込められた力に、アディンはただならぬ決意を感じ取った。
「わかった」
アディンが頷く。
テフィラーはそのまま彼の手を引くと、再び実験室に向かって全力で走った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
カツカツカツと廊下に小刻みな靴音が反響する。
お願い、間に合って。
心の中で何度も願いながら、実験室の並ぶ廊下を抜けていく。
腕を掴まれながら、アディンは彼女の焦りがひしひしと伝わってくるのを感じていた。
実験室で一体何が……?
並ぶ扉を見ると、第十八実験室、第十七実験室……とまるでカウントダウンのように数字が刻まれていた。
早る鼓動が苦しくて、アディンはぐっと胸を掴んだ。
第二実験室を過ぎると、曲がり角があった。
「アディン」
テフィラーが足を止めて、心配そうにこちらを見る。アディンは気を引き締めるともう一度頷く。
二人は同時に角を曲がった。
「――!」
部屋の手前には、何人もの血塗れの人間が無造作に転がっていた。
「なに……これ」
アディンはその光景に思わず後ずさる。
テフィラーは反対に、状況を見渡すために身を乗り出した。
(相打ち……!)
テフィラーは息を呑んだ。
まさか、いくら紫眼 が魔法に優れているとはいえ、ここまでの強さがあるとは。
檻の中で魔物と対峙して、彼は相当魔力を消耗していたはずなのに。
すぐ近くで血を流して倒れている男に、テフィラーは急いで駆け寄る。
「……君」
まだ息がある。
ただ、どう見てもこの傷の出血量は致命傷だった。
「なんで……戻ってきて……」
会わせたい人とはこの人なのか?と、テフィラーの元へアディンも近づく。
テフィラーはぎゅっと拳を握りしめ、呼びかけた。
「――ピウスさん」
テフィラーが呼んだ男の名に、アディンの心臓がきゅっと縮む音がした。
ピウスって……。
男――ピウスは彼女の他にもう一つ足元が見えると、頭をゆっくり上に向け、その姿に目を見開く。
目の前に立つ少年は、最愛の妻と同じ髪色、紫の瞳、そして曖昧にだが認識できる表情も、また彼女を彷彿とさせた。
「まさか……君は……」
ピウスと呼ばれた男の顔を正面から見て、アディンはすぐにそれが父なのだと理解した。
自分とそっくりな目元をしていたから。
「アディン・ピウス……です」
するりと出てこない声は、戸惑いで震えていた。
なんで父親がメレッド に?
テフィラーはそっとその場を離れると、曲がり角で敵を見張る。
抉られた腹を押さえて、ピウスは苦しそうに、しかし嬉しさを含んだ笑みを浮かべた。
「ああ、やっぱりそうなんだね……。目が霞んで、はっきり見えないのが悔しい、な。でも、分かるよ。ぼんやりでも、君はイマの――母親のような、優しい顔をしてる」
「お父、さん」
しゃがみ込むアディンに、彼は微かに首を振る。
「君の父親は、君を、育ててくれた……あの医師にほかならない、よ」
アディンはレフアーのことを頭に浮かべ、少し寂しげに笑い返した。
「レフアーさんはね、『お父さん』って呼ぶのは、血の繋がった本当の父親にしろって。ずっと、呼ばせてもらえなかった」
そう言ってから、アディンの胸に急に熱い何かが込み上げてきて、息が詰まった。
自分のことを捨てたと思っていた本当の両親。
でもそれは違っていたのだとレフアーに聞かされてから、一層、会ってみたい気持ちが募っていた父と母。
「だから、ずっと、ずっと本当の父親に会って、お父さんって呼びたかったんだ」
「そうか……。そう、だったのか……。お母さんにも、会わせたかったなぁ」
ピウスは完全に魔力が切れて動けなくなった体を、なんとか最後の一心で動くように震わせ、その手をそっとアディンの頬に添えた。
はっきりとは知らない相手のはずなのに、あたたかくて、それは涙が溢れてしまいそうなくらい優しい手だった。
「アディン」
初めて彼の口から呼ばれた名前に、アディンは上手く返事もできずに、その頬の手の緩む感触に焦燥する。
「……イマと、ずっと見守っている」
頬を撫でていた手がずるりと落ちた。
微かな声で、ピウスは祈った。
「私たちの大切な……」
笑いかけていた彼が目を閉じると、辺りはしんと、一切の音を無くして静まり返った。
まだ頬に残る温もりに手を添えて、アディンは唇を噛み締める。
「お父さん……」
何も知らない、父親。
あまりに急に目の前に現れるから、何も言えなかった。
もう、会うことはできない父親……。
もっと、いろんな話をしてみたかった。
自分のことを、離れていても想っていてくれたことが、嬉しかったと言いたかった。
「紫眼 ……」
突然、しゃがみ込むアディンを大きな影が覆った。
「私の可愛いテフィラーを、よくもっ、たぶらかしやがって!」
「アディン――!」
それは一瞬だった。
見上げた視界には、大きな女が突き刺しにきた大剣があった。
そして、一面の赤。
突き飛ばされた衝撃と、ばしゃりと足元に散る血液がアディンの目に次々飛び込む。
「あっ……!」
アディンに向けられた一太刀を、テフィラーの背中が受け止めていた。
ぼたぼたと血を流して、テフィラーはふらつくブディードゥートを見上げる。
「アディンはっ……殺させ、ないわ!」
痛む体でできる精一杯の魔法を唱えると、ブディードゥートの足元が氷でぎっちりと固まる。
「はっ……ア、アディン!逃げるわよ」
真っ赤に染まるテフィラーを前に、アディンは体が動かない。
「テ、テフィ……」
「大丈……夫!」
大きな声を上げアディンの肩を叩くと、テフィラーはよろめきながらも起き上がる。
「はっ……大丈夫よ、走れる、から」
彼女に手を引かれ、アディンは再び追いかけるように走り出す。動揺して、頭が真っ白だ。
薄暗い地下は視界も悪く、それが相まってテフィラーの姿がよく見えない。
走っている感覚も、激しく呼吸する感覚もない。
ひたすら頭を殴られたような衝撃が響いたまま、アディンはただただテフィラーに手を引かれていた。
テフィラーが偽装するように渡してきた研究員の白衣を羽織っていると、周りから怪しまれることもなかった。
実験室までのルートは聞いた内容では至極単純なものだ。来た道を戻り、シャルへヴェットたちが進んでいった左の方向にまっすぐ向かえばたどり着く。
ここまで来るのにそれなりに距離を進んできたので、用水路までが意外に時間がかかる。
走りながらテフィラーのこと、ツェルのことがアディンの頭の中をぐるぐると駆け巡った。
(僕は、自分でやりたいことを決められてるのかな……)
テフィラーは自身を生かしてくれた組織を裏切ってまで、アディンに手を貸してくれた。
そんな価値が自分にあるのか、いや、それに値する人間になれるか正直自信がない。
それに、先ほどから胸の辺りがざわざわと居心地の悪い感じがしていた。
「アディン!」
遠くから名を呼ばれて目を凝らすと、テフィラーがこちらに向かっているのがわかった。
「テフィラー!皆は……!」
合流してアディンは息を切らしながら尋ねる。
「先に用水路から戻ってもらってるわ。私たちも……」
そうテフィラーが言いかけて顔を見合わせた時、アディンの顔に彼の父親が重なった。
アディンにつきたい最大の嘘、そして明かすべきでもある最大の嘘は『彼の両親は
恐らくピウスは、このまま怒りに身を任せたブディードゥートに殺される……。いや、生かしてもらえたとしても、もうここにアディンが来ることはない。
ピウス自身もそうなるだろうとわかっていて、アディンのことを思い、テフィラーを行かせたのだろう。
それでも……。
「アディン」
アディンの両肩に手を添え、テフィラーはまっすぐに瞳を見つめた。
さっきの自分が情けないくらい、彼はじっと視線をそらさずに言葉を待っている。言おう。言うと決めた。
「あなたに会わせたい人がいるの。来てくれる?」
「会わせたい人……?」
全く予想もつかないが、テフィラーは真剣な眼差しを向けていた。
彼女は肩に添えた手を、そのままアディンの両手に移して、ぎゅっと力を込めて包み込む。
「どうしても今、会わせなきゃいけないの……!」
その両手に込められた力に、アディンはただならぬ決意を感じ取った。
「わかった」
アディンが頷く。
テフィラーはそのまま彼の手を引くと、再び実験室に向かって全力で走った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
カツカツカツと廊下に小刻みな靴音が反響する。
お願い、間に合って。
心の中で何度も願いながら、実験室の並ぶ廊下を抜けていく。
腕を掴まれながら、アディンは彼女の焦りがひしひしと伝わってくるのを感じていた。
実験室で一体何が……?
並ぶ扉を見ると、第十八実験室、第十七実験室……とまるでカウントダウンのように数字が刻まれていた。
早る鼓動が苦しくて、アディンはぐっと胸を掴んだ。
第二実験室を過ぎると、曲がり角があった。
「アディン」
テフィラーが足を止めて、心配そうにこちらを見る。アディンは気を引き締めるともう一度頷く。
二人は同時に角を曲がった。
「――!」
部屋の手前には、何人もの血塗れの人間が無造作に転がっていた。
「なに……これ」
アディンはその光景に思わず後ずさる。
テフィラーは反対に、状況を見渡すために身を乗り出した。
(相打ち……!)
テフィラーは息を呑んだ。
まさか、いくら
檻の中で魔物と対峙して、彼は相当魔力を消耗していたはずなのに。
すぐ近くで血を流して倒れている男に、テフィラーは急いで駆け寄る。
「……君」
まだ息がある。
ただ、どう見てもこの傷の出血量は致命傷だった。
「なんで……戻ってきて……」
会わせたい人とはこの人なのか?と、テフィラーの元へアディンも近づく。
テフィラーはぎゅっと拳を握りしめ、呼びかけた。
「――ピウスさん」
テフィラーが呼んだ男の名に、アディンの心臓がきゅっと縮む音がした。
ピウスって……。
男――ピウスは彼女の他にもう一つ足元が見えると、頭をゆっくり上に向け、その姿に目を見開く。
目の前に立つ少年は、最愛の妻と同じ髪色、紫の瞳、そして曖昧にだが認識できる表情も、また彼女を彷彿とさせた。
「まさか……君は……」
ピウスと呼ばれた男の顔を正面から見て、アディンはすぐにそれが父なのだと理解した。
自分とそっくりな目元をしていたから。
「アディン・ピウス……です」
するりと出てこない声は、戸惑いで震えていた。
なんで父親が
テフィラーはそっとその場を離れると、曲がり角で敵を見張る。
抉られた腹を押さえて、ピウスは苦しそうに、しかし嬉しさを含んだ笑みを浮かべた。
「ああ、やっぱりそうなんだね……。目が霞んで、はっきり見えないのが悔しい、な。でも、分かるよ。ぼんやりでも、君はイマの――母親のような、優しい顔をしてる」
「お父、さん」
しゃがみ込むアディンに、彼は微かに首を振る。
「君の父親は、君を、育ててくれた……あの医師にほかならない、よ」
アディンはレフアーのことを頭に浮かべ、少し寂しげに笑い返した。
「レフアーさんはね、『お父さん』って呼ぶのは、血の繋がった本当の父親にしろって。ずっと、呼ばせてもらえなかった」
そう言ってから、アディンの胸に急に熱い何かが込み上げてきて、息が詰まった。
自分のことを捨てたと思っていた本当の両親。
でもそれは違っていたのだとレフアーに聞かされてから、一層、会ってみたい気持ちが募っていた父と母。
「だから、ずっと、ずっと本当の父親に会って、お父さんって呼びたかったんだ」
「そうか……。そう、だったのか……。お母さんにも、会わせたかったなぁ」
ピウスは完全に魔力が切れて動けなくなった体を、なんとか最後の一心で動くように震わせ、その手をそっとアディンの頬に添えた。
はっきりとは知らない相手のはずなのに、あたたかくて、それは涙が溢れてしまいそうなくらい優しい手だった。
「アディン」
初めて彼の口から呼ばれた名前に、アディンは上手く返事もできずに、その頬の手の緩む感触に焦燥する。
「……イマと、ずっと見守っている」
頬を撫でていた手がずるりと落ちた。
微かな声で、ピウスは祈った。
「私たちの大切な……」
笑いかけていた彼が目を閉じると、辺りはしんと、一切の音を無くして静まり返った。
まだ頬に残る温もりに手を添えて、アディンは唇を噛み締める。
「お父さん……」
何も知らない、父親。
あまりに急に目の前に現れるから、何も言えなかった。
もう、会うことはできない父親……。
もっと、いろんな話をしてみたかった。
自分のことを、離れていても想っていてくれたことが、嬉しかったと言いたかった。
「
突然、しゃがみ込むアディンを大きな影が覆った。
「私の可愛いテフィラーを、よくもっ、たぶらかしやがって!」
「アディン――!」
それは一瞬だった。
見上げた視界には、大きな女が突き刺しにきた大剣があった。
そして、一面の赤。
突き飛ばされた衝撃と、ばしゃりと足元に散る血液がアディンの目に次々飛び込む。
「あっ……!」
アディンに向けられた一太刀を、テフィラーの背中が受け止めていた。
ぼたぼたと血を流して、テフィラーはふらつくブディードゥートを見上げる。
「アディンはっ……殺させ、ないわ!」
痛む体でできる精一杯の魔法を唱えると、ブディードゥートの足元が氷でぎっちりと固まる。
「はっ……ア、アディン!逃げるわよ」
真っ赤に染まるテフィラーを前に、アディンは体が動かない。
「テ、テフィ……」
「大丈……夫!」
大きな声を上げアディンの肩を叩くと、テフィラーはよろめきながらも起き上がる。
「はっ……大丈夫よ、走れる、から」
彼女に手を引かれ、アディンは再び追いかけるように走り出す。動揺して、頭が真っ白だ。
薄暗い地下は視界も悪く、それが相まってテフィラーの姿がよく見えない。
走っている感覚も、激しく呼吸する感覚もない。
ひたすら頭を殴られたような衝撃が響いたまま、アディンはただただテフィラーに手を引かれていた。