第五章:メレッド
ピウスと呼ばれた男は膝から崩れ落ち、シャルへヴェットを見上げながら震える。
「本当に……ごほっ、シャル、なんだね」
「ピ、ピウスさん、なんでここに……」
声色だけで、身を隠している二人でもシャルへヴェットが珍しく狼狽えているのがわかった。
「ああ……大きくなったな、シャル。はは、やっぱり両親に似て、綺麗な顔立ちに成長した。君は……嫌がるかもしれないけれど」
声を絞り出してピウスは笑った。シャルへヴェットは言葉を失いその場に立ち尽くす。
ピウスが苦しそうに喉を押さえるのでシャルへヴェットも身をかがめると、彼は笑顔を曇らせて話し始めた。
「もう何年前か……ごほっ、わからなくなってしまったけど。あの後 すぐ、謎の人たちに捕まってね……。妻も一緒だった。ここの研究所で魔法について調べるように指示されたんだ。魔物化について究明できたら、解放してやる、と」
辿々しく言葉を繋ぐピウスに、シャルへヴェットは正面からしっかりと向き合って言った。
「……十六年です」
「え」
「あなたの息子は今年で十六歳だ」
ピウスは口を開けたまま、またゆっくり下を向く。
「十……六。そんなに経っていたのか」
そう言ってから、彼は大切なことに気づいた様子で勢いよく顔を上げた。
「十六歳って……彼は、ごほっ、ちゃんと生きてるんだね!?シャルとも会えたのか、そう……か」
瞳を潤ませて安堵の表情を浮かべるピウス。
「じゃあ君は、もう二十六か。はは、これだけ大人なわけだよ」
「それじゃあピウスさんたちは、ずっとここで研究をさせられていたってことですか?こんな地下にずっと……」
机に隠れていた二人は、シャルへヴェットが話し込んでいる内容が安全そうだと判断し、そっと身を起こすと様子を伺う。
「ピウスって」
テヴァが檻の方を向いたままカナフに囁くと、彼女も同じことを考えていた。
「アディンさんの姓ですね……」
ピウスが二人に気づき視線を向けたので、シャルへヴェットもそれがわかって、来ても大丈夫だと合図をする。
シャルへヴェットは二人のことを自身の部下だと簡単に説明すると、一度、扉の方を注視する。
「ここに人が来る時間は決まってますか」
「うん、さっきみたいに一日一回……ごほっ、誰かが記録をつけに来るよ。進行状況だとか、体調だとか。食事もその時に持ってくる」
「食事も……」
「食事にベッドに風呂まで、研究させるために……ごほごほ、最低限のものは与えてくれるんだ。ただ、あの女の、紫眼 をモノのように見ている態度には腹が立つ」
ピウスはそう言って顔を歪ませた。
「あの女……?」
「恐らく、首領じゃないかな。……夫婦で生活させてやっているのだから、ごほ、紫眼 の子供にも期待する、と。いくらでも歓迎するなんて笑っていたよ」
声こそ滲んでいるが、彼の言葉は怒りに満ちていた。
テヴァが改めて本人に確認する。
「おっさん、アディンの父親なのか?」
ピウスはごほっと咳き込んで喉を押さえた。
「ごめんね、人と話したのが久しぶりで声を出すのが苦しい。……そう、うん、そうだ。父親だよ。何もしてあげられていないけれど」
しっかりと顔を見ると、目元や輪郭がたしかに親子らしい似た形をしていた。
寂しげな表情を浮かべるピウスに、シャルへヴェットは気になっていたことを躊躇いながら尋ねる。
「ピウスさん。その、イマさんも一緒だったって……」
動きを止めたピウスはうずくまるようにして、しばらく黙った。
すうと息を吸うとシャル……と、彼は悲痛な声を漏らした。
「イマは――」
「イマは……魔物にされた。ここの奴らに……!」
魔物?
唐突な告白に、シャルへヴェットは絶句した。
後ろで聞いていた従者二人も言葉はおろか、足の先まで身を固める。
ピウスは丸く体を抱えたまま、涙するのを必死に堪えているようだった。
「す、数年前に、彼女は病気になったんだ……。外には出せないから、医者は無理だと。だからせめて、薬がほしいと懇願したんだ」
製薬会社の皮を被った組織だと知ってのことなのか、ピウスはそう願ったらしい。
だが。
「与えられた薬は、まだ正規のルートを通れるようなものではなくて……。結果的に、彼女の体内魔力を一瞬で濁らせた」
思い出しただけでも込み上げてくる何かに、ピウスは、うっと口元を抑える。
状況を飲み込みきれないまま、しかし、そうした事実を前に、シャルヘヴェットはただただ呆然と立ち尽くす。
「そんな……」
「魔物化を治すには、実際に魔物を前に試行錯誤した方がいい……なんてことを、首領は言っていた。私はそんなものに従う気はないが、ごほっ、ただ妻を戻したい一心でずっと魔法を試案している」
ピウスは、後ろにもう一つ見える檻を見据えた。
「私は彼女を戻すことができていない……。彼女も魔物化してから何も与えられていないせいか、以前に比べて弱っている。もう、何年も考えているのに大した進展もないんだ。私の力では無理かもしれない……」
ハッとして、ピウスはよろめきながら立ち上がる。
「シャル……君ならいつか編み出せるかもしれない。これは私の研究成果だ。奴らに報告するためにまとめているから、ほら、そんなにかさばらないだろう」
彼はそう言いながら、柵の隙間から震える手で数冊の冊子を手渡す。
シャルへヴェットは受け取りながら、引っ込めようとしたピウスの腕を掴んだ。
「ここから逃げましょう」
ピウスは目を見張った。
「あなたはアディンに会わないとダメだ」
でも、とピウスは首を振る。
「魔物だったとしても、イマを置いてはいけない」
唇を噛み締め目をつぶる彼に、シャルへヴェットは緩みかけた腕に咄嗟に力を入れる。
祓い師として、魔物化からいくつも街を救って来た。
しかし、すでに魔物になってしまった人々のことは、切って来たのだ。
何人も。
心を痛め、時に壊しながらも、そうするしかないと懸命に続けてきた。
それがあってか返せないシャルヘヴェットの様子を汲んで、俯くままのピウスにテヴァが言った。
「魔物になっちまったらもう言葉も通じねぇし、意志だって……人間を襲う頭しかなくなる。俺の親父も最後は俺とお袋を襲って来た。何かあったら躊躇わずに自分のことを斬れって言ってた親父が、魔物になったら、もう魔物以外の何にでもなくなっちまったんだよ」
テヴァが、かつての自身がした経験を、そこで得た思いを、苦虫を噛み潰したような表情で綴る。
「けどだからって、仲間が魔物になって自分だけ逃げるかって聞かれたら、多分『はい』とは言えねえ。おっさんの気持ちもわかる。ただ俺は、ここでずっと捕まってるくらいなら、あんたに会いたがってるアディンの奴に会ってやってほしいと思う」
テヴァたちも、アディンが再びイェソドの地を訪れた理由として、両親のことも知りたいからと言っていたことを後に聞いていた。
隣のカナフも同調するように大きく頷いて、前に出ると柵に手をあてた。
「アディンさんは、すごく優しい人なんです。もし、私たちがアディンさんのお父さんと会ったのにそのまま置いて来たと言っても、きっと怒りません。怒らずに、一人で悩み続けるような人です」
カナフもそう必死に、アディンのことをピウスに訴える。
ピウスは頭に手を添えて、苦悩しているようだった。
しばしの沈黙が流れた。
決められるわけがない。答えが出せないことは、誰もがわかっていた。
シャルへヴェットは意を決して、掴んでいるピウスの腕を引くと顔を近づけた。
「ピウスさん、俺はあなたを逃がします。ここの柵もどこかに術式が…」
そう言って手を離すと、檻にかかっている術式を探し始める。
「無理だ、シャル!」
離された手をさするようにして、ピウスは掠れる喉で声を上げる。
「この部屋は、この檻の中以外、魔法は使えない造りになっている」
そう言って、ピウスは風の魔法を起こして見せた。柵を通り過ぎるとそれは、弾かれたように消えて無くなる。
たしかに、シャルヘヴェットたちのいる檻の外側は魔法が使えない構造だった。テヴァが、自身の魔導兵器の剣で風を起こそうとしたが、ただの素振りになってしまう。
この部屋の入口自体は術式で封じられていたが、柵は単純に鍵が必要であるということだ。
力ずくでこじ開けるにはあまりに頑丈な扉で、物理的攻撃でも歯が立ちそうにない。
「やっぱりそういう重要な鍵はボスんとこっすかね」
「行きましょう」
「ダメだ……!」
檻からピウスが必死に訴える。
「危険なことはしないでくれ……!アディンが生きていることが知れたんだ。それで私は十分だよ!」
叫ぶピウスに、シャルへヴェットは耳を貸さなかった。
彼の中には、たとえ手を出してきたメレッドに対しても、初めからいがみ合ってはいけないという考えが存在していたが、ピウスに与えてきた数々の非道な仕打ちを耳にして、それも覆ろうとしていた。
何より、かつて平穏な日常を共に過ごしていた相手を、このような目に遭わせたままで見過ごすことなど、できない。
シャルへヴェットたちが、再び廊下に続く扉に向かい始めたその時だった。
開けようとしていた扉が外から解錠され、地面を擦って重たく開く。
「よぉ。探しに行こうとしてたのはこれだろ?」
扉の先で、大柄な女が指先に鍵を引っかけてじゃらじゃらと回して笑っていた。
ピウスの言う首領は、彼女のことであった。
「本当に……ごほっ、シャル、なんだね」
「ピ、ピウスさん、なんでここに……」
声色だけで、身を隠している二人でもシャルへヴェットが珍しく狼狽えているのがわかった。
「ああ……大きくなったな、シャル。はは、やっぱり両親に似て、綺麗な顔立ちに成長した。君は……嫌がるかもしれないけれど」
声を絞り出してピウスは笑った。シャルへヴェットは言葉を失いその場に立ち尽くす。
ピウスが苦しそうに喉を押さえるのでシャルへヴェットも身をかがめると、彼は笑顔を曇らせて話し始めた。
「もう何年前か……ごほっ、わからなくなってしまったけど。
辿々しく言葉を繋ぐピウスに、シャルへヴェットは正面からしっかりと向き合って言った。
「……十六年です」
「え」
「あなたの息子は今年で十六歳だ」
ピウスは口を開けたまま、またゆっくり下を向く。
「十……六。そんなに経っていたのか」
そう言ってから、彼は大切なことに気づいた様子で勢いよく顔を上げた。
「十六歳って……彼は、ごほっ、ちゃんと生きてるんだね!?シャルとも会えたのか、そう……か」
瞳を潤ませて安堵の表情を浮かべるピウス。
「じゃあ君は、もう二十六か。はは、これだけ大人なわけだよ」
「それじゃあピウスさんたちは、ずっとここで研究をさせられていたってことですか?こんな地下にずっと……」
机に隠れていた二人は、シャルへヴェットが話し込んでいる内容が安全そうだと判断し、そっと身を起こすと様子を伺う。
「ピウスって」
テヴァが檻の方を向いたままカナフに囁くと、彼女も同じことを考えていた。
「アディンさんの姓ですね……」
ピウスが二人に気づき視線を向けたので、シャルへヴェットもそれがわかって、来ても大丈夫だと合図をする。
シャルへヴェットは二人のことを自身の部下だと簡単に説明すると、一度、扉の方を注視する。
「ここに人が来る時間は決まってますか」
「うん、さっきみたいに一日一回……ごほっ、誰かが記録をつけに来るよ。進行状況だとか、体調だとか。食事もその時に持ってくる」
「食事も……」
「食事にベッドに風呂まで、研究させるために……ごほごほ、最低限のものは与えてくれるんだ。ただ、あの女の、
ピウスはそう言って顔を歪ませた。
「あの女……?」
「恐らく、首領じゃないかな。……夫婦で生活させてやっているのだから、ごほ、
声こそ滲んでいるが、彼の言葉は怒りに満ちていた。
テヴァが改めて本人に確認する。
「おっさん、アディンの父親なのか?」
ピウスはごほっと咳き込んで喉を押さえた。
「ごめんね、人と話したのが久しぶりで声を出すのが苦しい。……そう、うん、そうだ。父親だよ。何もしてあげられていないけれど」
しっかりと顔を見ると、目元や輪郭がたしかに親子らしい似た形をしていた。
寂しげな表情を浮かべるピウスに、シャルへヴェットは気になっていたことを躊躇いながら尋ねる。
「ピウスさん。その、イマさんも一緒だったって……」
動きを止めたピウスはうずくまるようにして、しばらく黙った。
すうと息を吸うとシャル……と、彼は悲痛な声を漏らした。
「イマは――」
「イマは……魔物にされた。ここの奴らに……!」
魔物?
唐突な告白に、シャルへヴェットは絶句した。
後ろで聞いていた従者二人も言葉はおろか、足の先まで身を固める。
ピウスは丸く体を抱えたまま、涙するのを必死に堪えているようだった。
「す、数年前に、彼女は病気になったんだ……。外には出せないから、医者は無理だと。だからせめて、薬がほしいと懇願したんだ」
製薬会社の皮を被った組織だと知ってのことなのか、ピウスはそう願ったらしい。
だが。
「与えられた薬は、まだ正規のルートを通れるようなものではなくて……。結果的に、彼女の体内魔力を一瞬で濁らせた」
思い出しただけでも込み上げてくる何かに、ピウスは、うっと口元を抑える。
状況を飲み込みきれないまま、しかし、そうした事実を前に、シャルヘヴェットはただただ呆然と立ち尽くす。
「そんな……」
「魔物化を治すには、実際に魔物を前に試行錯誤した方がいい……なんてことを、首領は言っていた。私はそんなものに従う気はないが、ごほっ、ただ妻を戻したい一心でずっと魔法を試案している」
ピウスは、後ろにもう一つ見える檻を見据えた。
「私は彼女を戻すことができていない……。彼女も魔物化してから何も与えられていないせいか、以前に比べて弱っている。もう、何年も考えているのに大した進展もないんだ。私の力では無理かもしれない……」
ハッとして、ピウスはよろめきながら立ち上がる。
「シャル……君ならいつか編み出せるかもしれない。これは私の研究成果だ。奴らに報告するためにまとめているから、ほら、そんなにかさばらないだろう」
彼はそう言いながら、柵の隙間から震える手で数冊の冊子を手渡す。
シャルへヴェットは受け取りながら、引っ込めようとしたピウスの腕を掴んだ。
「ここから逃げましょう」
ピウスは目を見張った。
「あなたはアディンに会わないとダメだ」
でも、とピウスは首を振る。
「魔物だったとしても、イマを置いてはいけない」
唇を噛み締め目をつぶる彼に、シャルへヴェットは緩みかけた腕に咄嗟に力を入れる。
祓い師として、魔物化からいくつも街を救って来た。
しかし、すでに魔物になってしまった人々のことは、切って来たのだ。
何人も。
心を痛め、時に壊しながらも、そうするしかないと懸命に続けてきた。
それがあってか返せないシャルヘヴェットの様子を汲んで、俯くままのピウスにテヴァが言った。
「魔物になっちまったらもう言葉も通じねぇし、意志だって……人間を襲う頭しかなくなる。俺の親父も最後は俺とお袋を襲って来た。何かあったら躊躇わずに自分のことを斬れって言ってた親父が、魔物になったら、もう魔物以外の何にでもなくなっちまったんだよ」
テヴァが、かつての自身がした経験を、そこで得た思いを、苦虫を噛み潰したような表情で綴る。
「けどだからって、仲間が魔物になって自分だけ逃げるかって聞かれたら、多分『はい』とは言えねえ。おっさんの気持ちもわかる。ただ俺は、ここでずっと捕まってるくらいなら、あんたに会いたがってるアディンの奴に会ってやってほしいと思う」
テヴァたちも、アディンが再びイェソドの地を訪れた理由として、両親のことも知りたいからと言っていたことを後に聞いていた。
隣のカナフも同調するように大きく頷いて、前に出ると柵に手をあてた。
「アディンさんは、すごく優しい人なんです。もし、私たちがアディンさんのお父さんと会ったのにそのまま置いて来たと言っても、きっと怒りません。怒らずに、一人で悩み続けるような人です」
カナフもそう必死に、アディンのことをピウスに訴える。
ピウスは頭に手を添えて、苦悩しているようだった。
しばしの沈黙が流れた。
決められるわけがない。答えが出せないことは、誰もがわかっていた。
シャルへヴェットは意を決して、掴んでいるピウスの腕を引くと顔を近づけた。
「ピウスさん、俺はあなたを逃がします。ここの柵もどこかに術式が…」
そう言って手を離すと、檻にかかっている術式を探し始める。
「無理だ、シャル!」
離された手をさするようにして、ピウスは掠れる喉で声を上げる。
「この部屋は、この檻の中以外、魔法は使えない造りになっている」
そう言って、ピウスは風の魔法を起こして見せた。柵を通り過ぎるとそれは、弾かれたように消えて無くなる。
たしかに、シャルヘヴェットたちのいる檻の外側は魔法が使えない構造だった。テヴァが、自身の魔導兵器の剣で風を起こそうとしたが、ただの素振りになってしまう。
この部屋の入口自体は術式で封じられていたが、柵は単純に鍵が必要であるということだ。
力ずくでこじ開けるにはあまりに頑丈な扉で、物理的攻撃でも歯が立ちそうにない。
「やっぱりそういう重要な鍵はボスんとこっすかね」
「行きましょう」
「ダメだ……!」
檻からピウスが必死に訴える。
「危険なことはしないでくれ……!アディンが生きていることが知れたんだ。それで私は十分だよ!」
叫ぶピウスに、シャルへヴェットは耳を貸さなかった。
彼の中には、たとえ手を出してきたメレッドに対しても、初めからいがみ合ってはいけないという考えが存在していたが、ピウスに与えてきた数々の非道な仕打ちを耳にして、それも覆ろうとしていた。
何より、かつて平穏な日常を共に過ごしていた相手を、このような目に遭わせたままで見過ごすことなど、できない。
シャルへヴェットたちが、再び廊下に続く扉に向かい始めたその時だった。
開けようとしていた扉が外から解錠され、地面を擦って重たく開く。
「よぉ。探しに行こうとしてたのはこれだろ?」
扉の先で、大柄な女が指先に鍵を引っかけてじゃらじゃらと回して笑っていた。
ピウスの言う首領は、彼女のことであった。