第五章:メレッド
朝、荷物を整えた一同は港に出て早々に魚車に乗りこんだ。予めチケットを入手しておいてくれたのがマクシムらしいと聞いて、彼女仕事の早さとともに、深入りしないながらの心配がうかがえた。
首都行きなだけあって、乗り込む人数は早い時間にも関わらず多い。
改めて資料を見返しながら、沈黙を破ったのはアディンだった。
「そもそも、話を聞いてくれるのかな……」
組織の規模の詳細は不明だが、そこまで大人数で構成されているわけではなさそうだ。
長い年月をかけて、薬の研究とともに紫眼 の何かしらの手がかりを得ているのだろうか。
「テフィラーの様子を見る限り、穏やかな場にはならないでしょうね」
同じ資料を横目で見ながら、シャルへヴェットは表情を変えずに言った。
時々揺れる魚車が、アディンたちの気持ちをざわつかせる。
カナフが緊張を押し込むように言った。
「もし、紫眼 のお二人が危ないという事態になれば、できる限り私たちで調査してきますから。何かやられる前に、先手を打たねば!」
「おい、ちゃっかり俺の行動を仕切るなよな。まあ、テフィラー様がアディンに接近してきたのにはなんらかの理由があんだろーし。やらないとは言わねえけど」
従者二人は警戒しつつも、積極的に自ら挑みに行く姿勢だ。
頼って欲しい手前、肩に力が入っているとも言えよう。しかし、そこで空回らないようには弁えてるようだった。
「二人も、絶対無茶はしないでね。テフィラーみたいな魔法が使える相手が攻撃してきたら危ないし」
アディンの心配に、テヴァが力こぶを作ってみせる。
「普段も魔物相手に命張ってんだ。油断はしねぇ」
カナフも、ご心配ありがとうございます!と、力強く頷き敬礼する。
そうだった。和やかなやり取りばかりで、すっかり頭から抜けていたが、アディンと違って彼らは『戦える』のだ。
イェソド都に滞在した最終三日間――最終日はほとんどできていないが――アディンは治癒魔法の調節が効かせられるように練習していた。
指先に針を刺して修復させるのに、どのくらいの威力があれば治るのか。時間はどのくらいか。連続してかけられるか。
とにかく色々と実験してみた。
途中果物ナイフを使って少し大きい傷も治してみようと試していたのだが、想像以上に流血してしまいシャルへヴェットのベッドに染みを作ってしまった時はさすがに怒られた。
汚したことにではなく、手をナイフで切ってみたことに関してだったが。
「結局アディンは、治癒魔法を調節できるようになったんです?」
そのことを彼に尋ねられて、アディンは自信がなさそうに答える。
「正確にはいかないけど、ある程度の感覚は……。ここまで使うと魔力がマズイとか、限界値みたいなのはまだ分からないかも」
「なるほど。万が一治癒魔法を使うことがあって具合が悪くなったら、意識のあるうちに遠慮なく言ってください。すぐに魔力を分けますから」
マクシムにも言われているでしょうけど、と言ってから、シャルへヴェットはしっかりと最後の忠告をした。
「戦場での魔力切れは本当に危険ですから。治癒魔法中は必ず落ち着いて、客観的視点で行うこと」
「……うん!」
改められると緊張がぶり返してしまうが、シャルへヴェットの言葉に、アディンははっきりと返事をした。
魚車は間も無く、首都マルクトに到着した。
一行はぞろぞろとごった返す乗客に揉まれて降車し、到着ゲートを出た。
資料を見返すとマルクト都の細かい地図が書かれているのだが、土地勘がないと読み取るのも一苦労だ。
カナフがくるくると地図を回す。
「む〜……。首都はいつも通りかかるだけで、滞在自体はあまりしたことないんですよねぇ」
そう唸りながら各々が左右の建物を見回していると、聞き覚えのある高い声がした。
「さすがに遅すぎなぁい?」
その声の先に視線を移すと
「ツェル!」
相変わらず黒づくめの彼女が、腕を組み不服そうに壁にもたれていた。
アディンに名を呼ばれて、彼女は少し笑顔になる。
「もー私、待ちくたびれておかしくなるかと思った!」
「出た!お前なあ」
テヴァが早速噛みつきそうな流れを読んで、アディンは突っかかりかけたところをなだめる。
「待ってたって……ツェルはテフィラーを追っていたんだよね」
「そーよ?ね、まだ分かってないようだから、そもっそものコトの流れを教えてあげましょうか」
そもそものと言われて、アディンは首を傾げる。同じような反応を従者たちもしていたので、ツェルは分かりやすく嫌そうな表情をした。
はあ、とため息をついてツェルは語り出す。
「まずね、司教がシャルへヴェット様の魔導兵器での複製計画を始めたのには、メレッドが絡んでんのよぅ。あいつらは自分たちが利用できる紫眼 を得るために、司教のやつにけしかけた」
「え……!?」
直前の事件が今回の件と絡んでくるとは思っておらず、アディンは目を丸くする。
落ち着いて思い返してみれば、その繋がりについて納得できた。
テフィラーがアディンと初めて会った時、ほぼ同時にツェルが現れ、シャルヘヴェットが行方不明になった時にも、彼女は知っていたかのように鍵を準備していた。そしてこの間アディンが怪我をした時も、ツェルは接触を試みて訪れていた。
ツェルの一連の動きは、メレッドを追っていたが故のものだったのだ。
「あの女がアディンくんを狙ったのは、魔力の研究に紫眼 を利用するため。奴らはずっとアディンくんを探してたみたい」
「なんで僕のことを……」
ツェルは首を振る。
「さぁ、理由 までは。世に名が知られてないアディン・ピウスって紫眼 がどこかにいるって情報を、誰かからつかんだんでしょーねぇ。シャルへヴェット様に手を出したらすぐに世間にバレちゃうから、そっちよりやりやすかったんじゃないかしら」
分からない割には滑らかに持論を述べるツェルに、
「ツェル、あなたの目的はなんなのです?」
アディンの後ろからシャルへヴェットが間髪入れずに尋ねた。
ツェルは言葉を詰まらせ、シャルヘヴェットの方を見やる。
「……脅威を見つけてそのままにしておくのは、良くないと思ったから動いただけです。別に私が不利益を被るわけではないので、邪魔なら去りますけど?」
以前カナフが気づいた通り、彼女の口調はシャルヘヴェットに対して丁寧に変わったが、依然強気な態度で構えている。
シャルヘヴェットは肩を張って警戒する彼女の姿を見て、ふっ、と笑った。
「なぜ邪魔なんです?敵か味方かはっきりさせておきたかっただけです。むしろそうとわかって、頼もしいくらいですよ」
「ひ、人のこと笑いました!?今っ!……こ、こほん。はあ、調子狂う」
小声で独り言を吐くと、ツェルはまた渋い顔を作って、顎で左の方を指した。
「その地図の北大通りが向こう。でも奴らが使ってる正規ルートは酒場から入らないといけないから使えない。地下の用水路が繋がっているから、そこから侵入できるわ。本拠地の建物自体は地下よぅ」
「ええっと、正面から堂々と人を招き入れてはくれないんです?」
カナフが眉をひそめて尋ねる。
バカなの、と煽るような一言をつけてからツェルは説明する。
「向こうがターゲットにしてる奴が、こんにちはって来たら、そこでおしまいじゃない」
「それもそっか……」
カナフはぶつぶつと言いつつも納得した様子で唇を尖らせた。
「第一に、外から人を招くような場所じゃないってことよぅ。活動拠点であって、実態は製薬会社じゃないわ」
念入りに偵察していたのだろう。ツェルは聞かれたことをすぐ答えられる程度には情報をかき集めていた。
「んでなんだ?また色々と計画済みなのか?」
以前、魔導兵器製造所に侵入した際にツェルに指示されたことを思い返して、テヴァはあらかじめ確認する。
「内部の構造まではさすがの私でも分からないから、大人数でダラダラ探るより分かれて動いた方がいいわ。あんたたち従者はシャルヘヴェット様との連携が取りやすいだろうから、一緒に動くべき。アディンくんは一人だと危険だから私がついて行ってあげる」
淡々と流れを説明するツェル。
「ボスと話をつけたいの?それともあのテフィラーとかいう女に話を聞きたいの?どうしたいわけ」
「僕はテフィラーと話がしたい」
すぐさまアディンは意志を伝えた。シャルヘヴェットがそれに続ける。
「俺はテフィラー、もといメレッドが紫眼 を狙ってきた大元の理由を探ろうかと。ボスに直接聞くことができるならそれがいいでしょうが、難しいと思います」
ふぅんとツェルは鼻を鳴らした。
「ついてきて」
彼女はそう言って北大通りとは逆の、水路の入口へと歩を進めていった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
柵で囲われたそこは、街中を通っている水路が下へと続く地下水路への階段だった。
「ここ、扉ねぇのか?」
キョロキョロと柵の周りを見回しながらテヴァが腕組みをする。ツェルは試すようにその様子を黙って見ていたが、シャルへヴェットが壁側の印に気づき手を当てた。
「首都の主要な用水路なのに、思ったより単純な術式なんですね」
彼が計算する素振りもなくそれを解くと、柵全体が上に鈍い音を立てて持ち上がった。ツェルが深呼吸をして、ストンと肩を落とす。
「……ホント、敵に回したくない早さだわ」
ぶすっと可愛くない顔をして小声でそう言うと、彼女は先導して用水路を歩き始めた。
一定の間隔で灯りがついてこそいるが、地下はひんやりと湿っぽく不気味な暗さをしていた。
魔導兵器製造場でもそうだったが、地下の嫌な雰囲気は薄暗いせいなのだろうか。
水は比較的綺麗なのか、鼻をつくような匂いはない。
時折、天井の隙間から漏れ出る水が、ぽちゃんと音を立てて流れと一体になる。
「今、北大通りを潜ってるくらいですかね」
方向と距離の間隔を掴むのが上手いカナフは、少しだけ色の変わった天井を見て呟く。地図を回す人は読むのが下手やらなんやらよく聞くが、回しても冴えてる人はいるようだ。
所々に外から流れて来る水路が合流する地点があり、通りの下は特別分岐が多かった。
「もうすぐ目的地」
カツカツと靴音がこだましている。
その音がぴたりと止んだ目先には、小さな排水路の穴があった。
「上が研究施設に繋がってるわ」
そう言って指さされた天井には、人一人が通れるくらいの出入り用の蓋がされている。
「ちょっとどいて」
彼女は真下を開けさせると、壁に同化していた小さな扉を開き、中に隠されていたレバーを回した。天井に収納されていた梯子がばらりと降りてくる。
「この先は、私は覗いてみただけで道も何も知らない」
ツェルはアディンの腕を強引に引っ張って、にこりとした。
「というわけで、私たちは出て右に行くわっ。じゃあ、お先に」
軽快な動きで揺れる梯子を上ると、ツェルは蓋を開け辺りを警戒する。問題ないと分かるとアディンを手招きした。
「そ、それじゃあ先に行くね。三人とも気をつけて」
アディンが振り返りながら言うと、三人はそっちも、と頷いた。
「絶対に、ぜーったいに無茶しないでくださいね……!」
最後にカナフがそう言って、小さくガッツポーズを作ったので、アディンも同じように返してみせた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
施設内は清潔に保たれていたが、建物自体は古めかしい様子だった。壁がところどころ剥がれているし、隅は黒ずんでいる。壁伝いに息を潜めて先に進む。
先にツェルが扉に耳を当てたり匂いを確かめたりして、大丈夫だと判断すると合図をくれる。
その間、アディンも周り――特に背後を警戒し、時々気持ちを落ち着かせるために大きく息を吸った。
「誰か来た」
アディンの方を向いて、ツェルが下がるように身を寄せ壁に隠れる。
コツコツと靴音が通り過ぎていくと、二人はほっと息を吐いて、体を離した。ツェルの体はふんわりとした黒い服で隠れていたが、くっついた時の感触はとても華奢に思えた。
「そこまで人は多くなさそうね。今のは研究員ぽかった」
「テフィラーの居場所なんて分かるのかな……」
先行きの不安さについ弱音を吐いてしまうが、ツェルは自信ありげだった。
「あの女に魔力追跡機を使ってるわ」
ツェルは悪い笑みを浮かべて、ポケットから魔導兵器である魔力追跡機なるものを取り出した。
アディンが分からなそうな顔をしていると、説明してくれる。
「魔力を覚えさせると、一定の距離まで近づいた時に近さを示してくれる魔導兵器 なんだから」
そんなものが。アディンが驚いた顔をしているとツェルは楽しそうにそれを振った。
「私の前でうろちょろしたのが間違いだったわねぇ」
得意げにそう言うと、ツェルは再び歩き出す。
そうしてしばらく廊下を壁伝いに進み、息を潜めながらドアに耳を当て声の確認を続けていると、ようやくその機器が反応を示した。
「キタキタ……」
建物内は意外にも広く、ここまで来るのにかなり時間がかかってしまった。三人の方は大丈夫だろうか……。
アディンが心配そうにしていると、ツェルは扉の前で動きを止めた。
「ここよ」
他人に気を配っている場合ではなさそうだ。
ついに、あれきり別れてしまったテフィラーの居場所を目の前にし、アディンの鼓動は跳ね上がる。
ツェルはまたドアの中の音を確認し、体勢を立て直す。
いい?と尋ねるようにツェルがこちらに目を向けたので、アディンは一度深呼吸してから、首をゆっくり縦に振った。
首都行きなだけあって、乗り込む人数は早い時間にも関わらず多い。
改めて資料を見返しながら、沈黙を破ったのはアディンだった。
「そもそも、話を聞いてくれるのかな……」
組織の規模の詳細は不明だが、そこまで大人数で構成されているわけではなさそうだ。
長い年月をかけて、薬の研究とともに
「テフィラーの様子を見る限り、穏やかな場にはならないでしょうね」
同じ資料を横目で見ながら、シャルへヴェットは表情を変えずに言った。
時々揺れる魚車が、アディンたちの気持ちをざわつかせる。
カナフが緊張を押し込むように言った。
「もし、
「おい、ちゃっかり俺の行動を仕切るなよな。まあ、テフィラー様がアディンに接近してきたのにはなんらかの理由があんだろーし。やらないとは言わねえけど」
従者二人は警戒しつつも、積極的に自ら挑みに行く姿勢だ。
頼って欲しい手前、肩に力が入っているとも言えよう。しかし、そこで空回らないようには弁えてるようだった。
「二人も、絶対無茶はしないでね。テフィラーみたいな魔法が使える相手が攻撃してきたら危ないし」
アディンの心配に、テヴァが力こぶを作ってみせる。
「普段も魔物相手に命張ってんだ。油断はしねぇ」
カナフも、ご心配ありがとうございます!と、力強く頷き敬礼する。
そうだった。和やかなやり取りばかりで、すっかり頭から抜けていたが、アディンと違って彼らは『戦える』のだ。
イェソド都に滞在した最終三日間――最終日はほとんどできていないが――アディンは治癒魔法の調節が効かせられるように練習していた。
指先に針を刺して修復させるのに、どのくらいの威力があれば治るのか。時間はどのくらいか。連続してかけられるか。
とにかく色々と実験してみた。
途中果物ナイフを使って少し大きい傷も治してみようと試していたのだが、想像以上に流血してしまいシャルへヴェットのベッドに染みを作ってしまった時はさすがに怒られた。
汚したことにではなく、手をナイフで切ってみたことに関してだったが。
「結局アディンは、治癒魔法を調節できるようになったんです?」
そのことを彼に尋ねられて、アディンは自信がなさそうに答える。
「正確にはいかないけど、ある程度の感覚は……。ここまで使うと魔力がマズイとか、限界値みたいなのはまだ分からないかも」
「なるほど。万が一治癒魔法を使うことがあって具合が悪くなったら、意識のあるうちに遠慮なく言ってください。すぐに魔力を分けますから」
マクシムにも言われているでしょうけど、と言ってから、シャルへヴェットはしっかりと最後の忠告をした。
「戦場での魔力切れは本当に危険ですから。治癒魔法中は必ず落ち着いて、客観的視点で行うこと」
「……うん!」
改められると緊張がぶり返してしまうが、シャルへヴェットの言葉に、アディンははっきりと返事をした。
魚車は間も無く、首都マルクトに到着した。
一行はぞろぞろとごった返す乗客に揉まれて降車し、到着ゲートを出た。
資料を見返すとマルクト都の細かい地図が書かれているのだが、土地勘がないと読み取るのも一苦労だ。
カナフがくるくると地図を回す。
「む〜……。首都はいつも通りかかるだけで、滞在自体はあまりしたことないんですよねぇ」
そう唸りながら各々が左右の建物を見回していると、聞き覚えのある高い声がした。
「さすがに遅すぎなぁい?」
その声の先に視線を移すと
「ツェル!」
相変わらず黒づくめの彼女が、腕を組み不服そうに壁にもたれていた。
アディンに名を呼ばれて、彼女は少し笑顔になる。
「もー私、待ちくたびれておかしくなるかと思った!」
「出た!お前なあ」
テヴァが早速噛みつきそうな流れを読んで、アディンは突っかかりかけたところをなだめる。
「待ってたって……ツェルはテフィラーを追っていたんだよね」
「そーよ?ね、まだ分かってないようだから、そもっそものコトの流れを教えてあげましょうか」
そもそものと言われて、アディンは首を傾げる。同じような反応を従者たちもしていたので、ツェルは分かりやすく嫌そうな表情をした。
はあ、とため息をついてツェルは語り出す。
「まずね、司教がシャルへヴェット様の魔導兵器での複製計画を始めたのには、メレッドが絡んでんのよぅ。あいつらは自分たちが利用できる
「え……!?」
直前の事件が今回の件と絡んでくるとは思っておらず、アディンは目を丸くする。
落ち着いて思い返してみれば、その繋がりについて納得できた。
テフィラーがアディンと初めて会った時、ほぼ同時にツェルが現れ、シャルヘヴェットが行方不明になった時にも、彼女は知っていたかのように鍵を準備していた。そしてこの間アディンが怪我をした時も、ツェルは接触を試みて訪れていた。
ツェルの一連の動きは、メレッドを追っていたが故のものだったのだ。
「あの女がアディンくんを狙ったのは、魔力の研究に
「なんで僕のことを……」
ツェルは首を振る。
「さぁ、
分からない割には滑らかに持論を述べるツェルに、
「ツェル、あなたの目的はなんなのです?」
アディンの後ろからシャルへヴェットが間髪入れずに尋ねた。
ツェルは言葉を詰まらせ、シャルヘヴェットの方を見やる。
「……脅威を見つけてそのままにしておくのは、良くないと思ったから動いただけです。別に私が不利益を被るわけではないので、邪魔なら去りますけど?」
以前カナフが気づいた通り、彼女の口調はシャルヘヴェットに対して丁寧に変わったが、依然強気な態度で構えている。
シャルヘヴェットは肩を張って警戒する彼女の姿を見て、ふっ、と笑った。
「なぜ邪魔なんです?敵か味方かはっきりさせておきたかっただけです。むしろそうとわかって、頼もしいくらいですよ」
「ひ、人のこと笑いました!?今っ!……こ、こほん。はあ、調子狂う」
小声で独り言を吐くと、ツェルはまた渋い顔を作って、顎で左の方を指した。
「その地図の北大通りが向こう。でも奴らが使ってる正規ルートは酒場から入らないといけないから使えない。地下の用水路が繋がっているから、そこから侵入できるわ。本拠地の建物自体は地下よぅ」
「ええっと、正面から堂々と人を招き入れてはくれないんです?」
カナフが眉をひそめて尋ねる。
バカなの、と煽るような一言をつけてからツェルは説明する。
「向こうがターゲットにしてる奴が、こんにちはって来たら、そこでおしまいじゃない」
「それもそっか……」
カナフはぶつぶつと言いつつも納得した様子で唇を尖らせた。
「第一に、外から人を招くような場所じゃないってことよぅ。活動拠点であって、実態は製薬会社じゃないわ」
念入りに偵察していたのだろう。ツェルは聞かれたことをすぐ答えられる程度には情報をかき集めていた。
「んでなんだ?また色々と計画済みなのか?」
以前、魔導兵器製造所に侵入した際にツェルに指示されたことを思い返して、テヴァはあらかじめ確認する。
「内部の構造まではさすがの私でも分からないから、大人数でダラダラ探るより分かれて動いた方がいいわ。あんたたち従者はシャルヘヴェット様との連携が取りやすいだろうから、一緒に動くべき。アディンくんは一人だと危険だから私がついて行ってあげる」
淡々と流れを説明するツェル。
「ボスと話をつけたいの?それともあのテフィラーとかいう女に話を聞きたいの?どうしたいわけ」
「僕はテフィラーと話がしたい」
すぐさまアディンは意志を伝えた。シャルヘヴェットがそれに続ける。
「俺はテフィラー、もといメレッドが
ふぅんとツェルは鼻を鳴らした。
「ついてきて」
彼女はそう言って北大通りとは逆の、水路の入口へと歩を進めていった。
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柵で囲われたそこは、街中を通っている水路が下へと続く地下水路への階段だった。
「ここ、扉ねぇのか?」
キョロキョロと柵の周りを見回しながらテヴァが腕組みをする。ツェルは試すようにその様子を黙って見ていたが、シャルへヴェットが壁側の印に気づき手を当てた。
「首都の主要な用水路なのに、思ったより単純な術式なんですね」
彼が計算する素振りもなくそれを解くと、柵全体が上に鈍い音を立てて持ち上がった。ツェルが深呼吸をして、ストンと肩を落とす。
「……ホント、敵に回したくない早さだわ」
ぶすっと可愛くない顔をして小声でそう言うと、彼女は先導して用水路を歩き始めた。
一定の間隔で灯りがついてこそいるが、地下はひんやりと湿っぽく不気味な暗さをしていた。
魔導兵器製造場でもそうだったが、地下の嫌な雰囲気は薄暗いせいなのだろうか。
水は比較的綺麗なのか、鼻をつくような匂いはない。
時折、天井の隙間から漏れ出る水が、ぽちゃんと音を立てて流れと一体になる。
「今、北大通りを潜ってるくらいですかね」
方向と距離の間隔を掴むのが上手いカナフは、少しだけ色の変わった天井を見て呟く。地図を回す人は読むのが下手やらなんやらよく聞くが、回しても冴えてる人はいるようだ。
所々に外から流れて来る水路が合流する地点があり、通りの下は特別分岐が多かった。
「もうすぐ目的地」
カツカツと靴音がこだましている。
その音がぴたりと止んだ目先には、小さな排水路の穴があった。
「上が研究施設に繋がってるわ」
そう言って指さされた天井には、人一人が通れるくらいの出入り用の蓋がされている。
「ちょっとどいて」
彼女は真下を開けさせると、壁に同化していた小さな扉を開き、中に隠されていたレバーを回した。天井に収納されていた梯子がばらりと降りてくる。
「この先は、私は覗いてみただけで道も何も知らない」
ツェルはアディンの腕を強引に引っ張って、にこりとした。
「というわけで、私たちは出て右に行くわっ。じゃあ、お先に」
軽快な動きで揺れる梯子を上ると、ツェルは蓋を開け辺りを警戒する。問題ないと分かるとアディンを手招きした。
「そ、それじゃあ先に行くね。三人とも気をつけて」
アディンが振り返りながら言うと、三人はそっちも、と頷いた。
「絶対に、ぜーったいに無茶しないでくださいね……!」
最後にカナフがそう言って、小さくガッツポーズを作ったので、アディンも同じように返してみせた。
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施設内は清潔に保たれていたが、建物自体は古めかしい様子だった。壁がところどころ剥がれているし、隅は黒ずんでいる。壁伝いに息を潜めて先に進む。
先にツェルが扉に耳を当てたり匂いを確かめたりして、大丈夫だと判断すると合図をくれる。
その間、アディンも周り――特に背後を警戒し、時々気持ちを落ち着かせるために大きく息を吸った。
「誰か来た」
アディンの方を向いて、ツェルが下がるように身を寄せ壁に隠れる。
コツコツと靴音が通り過ぎていくと、二人はほっと息を吐いて、体を離した。ツェルの体はふんわりとした黒い服で隠れていたが、くっついた時の感触はとても華奢に思えた。
「そこまで人は多くなさそうね。今のは研究員ぽかった」
「テフィラーの居場所なんて分かるのかな……」
先行きの不安さについ弱音を吐いてしまうが、ツェルは自信ありげだった。
「あの女に魔力追跡機を使ってるわ」
ツェルは悪い笑みを浮かべて、ポケットから魔導兵器である魔力追跡機なるものを取り出した。
アディンが分からなそうな顔をしていると、説明してくれる。
「魔力を覚えさせると、一定の距離まで近づいた時に近さを示してくれる
そんなものが。アディンが驚いた顔をしているとツェルは楽しそうにそれを振った。
「私の前でうろちょろしたのが間違いだったわねぇ」
得意げにそう言うと、ツェルは再び歩き出す。
そうしてしばらく廊下を壁伝いに進み、息を潜めながらドアに耳を当て声の確認を続けていると、ようやくその機器が反応を示した。
「キタキタ……」
建物内は意外にも広く、ここまで来るのにかなり時間がかかってしまった。三人の方は大丈夫だろうか……。
アディンが心配そうにしていると、ツェルは扉の前で動きを止めた。
「ここよ」
他人に気を配っている場合ではなさそうだ。
ついに、あれきり別れてしまったテフィラーの居場所を目の前にし、アディンの鼓動は跳ね上がる。
ツェルはまたドアの中の音を確認し、体勢を立て直す。
いい?と尋ねるようにツェルがこちらに目を向けたので、アディンは一度深呼吸してから、首をゆっくり縦に振った。
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