第五章:メレッド
「ごちそうさん。そんじゃ、俺はこれから酒場うろつくんで!」
空になった鍋と皿をひとまとめにすると、テヴァはしびれを切らした様子でせっせと上着を羽織った。
机の上の食べかすをまとめて、アディンは目を丸くする。
「えっ、テヴァまだお酒飲めないでしょ?」
「飲めないし、飲まねー」
意味のわからない返答だ。
シャルへヴェットは暗くなった窓の外を一目してから、裾の埃をはたいているテヴァに釘を刺した。
「今からですか?」
「酒場はむしろ今からが本番じゃないすか!それにそのなんつうか、ルーティン的なのやってねえと落ち着かねんすよ……」
「『お姉さん方』とのお遊びは程々にして帰ってきてくださいよ」
「うーっす」
適当な返事をして、おやすみなさい、と交わすと彼は部屋を出ていく。
酒場の用事はお姉さんか……とアディンも白い目で見送りながら、ひと塊になった鍋を持ち上げる。
「僕も、食器を洗いがてらお風呂入ってこようかな」
「ありがとうございます。帰ってくるまでベッドお借りしていいですか」
少し疲れた様子でシャルヘヴェットはアディンの返事を仰ぐ。
借りるも何も!彼の断りに、アディンは思わずふっと笑ってしまった。
「もちろん!シャルの部屋借りてるの僕の方だし!ゆっくり入ってくるね」
「ありがとうございます。明日からしっかり動けるように、真面目に寝ますね」
「うん!」
アディンはタオルを引っ張り出すと、慣れた足取りで風呂場へ向かった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
大柄の女は、テフィラーの浮かない表情を眺めて面白くなさそうに言った。
「いつまでそんな顔してんだい、可愛い顔が台無しだろ」
「別に……いつも通りじゃない」
「よく言うよ」
女はハンと笑って椅子を回転させると、大きく殺風景な机に肘を立てた。
机を挟んで暗い部屋の中、女とテフィラーは少し離れてじっと向かい合う。
「暇なら研究を手伝ってくれたっていいんだよ?」
「研究なんて……」
「ああ悪かった、悪かった。あんたに言っていいことじゃなかったな」
女にそう言われると、テフィラーは顔を歪める。
「思ったより役に立たなかったでしょ、私」
悲しいこと言うなよ、と女は立ち上がってテフィラーに歩み寄ると、優しく両手で頭を撫でた。
「アタシの可愛いテフィラー。娘に薬を飲ませるようなクソ親のせいで、こーんなに悲しそうだ」
テフィラーは、その手を鬱陶しそうに止めながら女を睨みつける。
「あなたも紫眼 を実験体に使ってるじゃない」
「そうそう紫眼 !あいつらのことを紫眼 って呼ぶなんて、アタシはおろか誰も知らなかったんだ。それを知れただけでもお手柄じゃあないか、テフィラー」
「そんなことないわ。いずれ知れるようなことでしょう」
女はテフィラーの反抗的な態度にやや反感を抱いたが、それでもにこりと笑って答えた。
「いいのさ。先に手を出してきたのは奴らなんだから」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
――風呂から上がって部屋に戻ると、アディンは寝ているシャルヘヴェットを起こさないよう、そっとベッドの傍の魔法の教科書を持ち上げた。
すうすう寝息を立てるシャルヘヴェットにちらと目をやってから、そういえば彼が眠っているところは初めて見るとつい二度見してから目をそらす。
そもそも人の寝顔なんて見る機会などないが、診療所で入院患者――頻繁にいるわけじゃない――を夜に見回っていたことが思い出された。
「……スさん、イマさん」
気のせいかどうかギリギリの大きさで、アディンの耳に寝言がかする。
誰かの名前かな、と思って何とはなしに振り向くと、
彼の閉じた瞳からぽろっと涙が零れた。
「え!?」
仰天して、アディンは上着のポケットからハンカチを取りだしそっとあてがう。
「……大丈夫だよ。大丈夫」
何が大丈夫なのかは分からないが、アディンはそう言ってなだめるように何度か繰り返す。
大人相手に何だか失礼なことを……とは思ったが、なんとなく昔から、根拠はなくてもそう言われると少しだけ安心できるのだ。
「……イマさん?」
シャルヘヴェットは薄目を開いて、アディンに声をかけた。すぐにアディンだと気づいた瞳が大きくなる。
「ア、ディン」
「ご、ごめん!起こしちゃって……」
あ、夢か、と彼は一人で納得したように呟いて上体を起こす。
「怖い夢でも見てた?」
アディンの言っていることの意味がわからず、シャルヘヴェットは一瞬戸惑っていたが、彼の手に握られていたハンカチを見つけると左手でパッと顔を覆った。
「もしかして、泣いてました?」
「えっと、その……」
はーっとため息をついて、シャルヘヴェットは顔を覆ったまま言った。
「アディンのご両親が夢に出てきて」
両親?
そういえば、両親と彼は面識があったようなことを前に言っていた気がする。
「じゃあ、もしかしてさっきの名前、僕の両親の?」
寝言まで言っていたことに、シャルヘヴェットは顔を赤らめる。
「た、多分そうかと。ピウスさんと、奥さんのイマさん。あ、ピウスさんは姓で呼んでますけど、お名前はアバさんですね」
その名だ。アディンは頷く。
「お二人の家によく本を読みにお邪魔していたので、よくしてはもらってましたけど……。急に珍しい……」
「悲しい内容だったの?」
アディンに尋ねられて、シャルヘヴェットは唸る。
「いや。でもどこか遠くへ行ってしまいそうな……。もう既に、十分遠くにいるはずなんですけどね。懐かしい割に、顔は鮮明だったな」
彼は両親のことは顔見知り程度の仲かと思いこんでいたが、家に行くくらい親しかったのか、とアディンは目をぱちくりとさせる。
シャルヘヴェットは自身のベッドだというのに配慮して被せていた枕カバーを外して、ごゆっくり、と立ち上がる。
アディンはそのベッドの上に座り込み、布団を腰まで引っ張った。まだ暖かい。
布団を撫でて笑うアディンに、シャルヘヴェットも笑いかけて扉に手をかける。
「おやすみなさい」
「おやすみ!」
ぱたりと閉められた扉を見つめて、アディンはとうとう明日に迫る出発を意識し始めた。
改めてテフィラーのこと考える。
彼女はなぜ街を焼いて逃亡したんだろうか。
それほどに強力な魔法を唱えられたのは、薬のおかげなのか。
「焼いた?」
アディンはそう呟いて、倒しかけていた体を勢いよく起こした。
(シャルはたしか火の魔法が得意だって……)
カナフが話してた魔法属性占いの話を、何となく覚えていたのが頭をよぎる。
布団を剥ぐと、閉められた扉を勢いよく開けたアディンに、シャルヘヴェットはびくりと肩を上げて振り返った。
「ど、どうしました?」
「シャルッ。シャルの得意な魔法って火の魔法?」
急な質問に首を傾げつつも、シャルヘヴェットはそうです、と頷く。
やはり。アディンは続けて気になる点を尋ねる。
「シャルも、氷の魔法とか使えたりする?」
まだ意図が理解しきれない様子だったが、シャルヘヴェットは丁寧に教えてくれた。
「いえ、氷または水は、火とは相対するものなので、どちらかしか強力な魔法は放てませんよ。いくら魔法が得意であっても、バランスが存在するんです」
やはりそうだ。マクシムにも習ったが、得意ジャンルは偏るのだ。
「じゃあテフィラーはやっぱり、火を起こしてなんかない」
そう、あの時見せてくれた魔法は繊細な氷の花。
「テフィラーが放つ魔法は、氷魔法なんだ」
そう言い放ったアディンに、シャルヘヴェットは目を見開いた。
アディンは口元を押さえ、ごくりと唾を飲む。
「街を一夜で焼失させるような火の魔法は、打てないはず」
「……氷魔法の使い手だとしたら、あの容疑は成り立ちませんね」
真実は明日、彼女に直接聞けるはずだ。
しかしその罪を被ったままメレッドにいる理由を、本当の理由を、聞き出さなくてはいけない。
イェソド教会での、長くもあっという間の一週間は、こうして過ぎ去っていった。
空になった鍋と皿をひとまとめにすると、テヴァはしびれを切らした様子でせっせと上着を羽織った。
机の上の食べかすをまとめて、アディンは目を丸くする。
「えっ、テヴァまだお酒飲めないでしょ?」
「飲めないし、飲まねー」
意味のわからない返答だ。
シャルへヴェットは暗くなった窓の外を一目してから、裾の埃をはたいているテヴァに釘を刺した。
「今からですか?」
「酒場はむしろ今からが本番じゃないすか!それにそのなんつうか、ルーティン的なのやってねえと落ち着かねんすよ……」
「『お姉さん方』とのお遊びは程々にして帰ってきてくださいよ」
「うーっす」
適当な返事をして、おやすみなさい、と交わすと彼は部屋を出ていく。
酒場の用事はお姉さんか……とアディンも白い目で見送りながら、ひと塊になった鍋を持ち上げる。
「僕も、食器を洗いがてらお風呂入ってこようかな」
「ありがとうございます。帰ってくるまでベッドお借りしていいですか」
少し疲れた様子でシャルヘヴェットはアディンの返事を仰ぐ。
借りるも何も!彼の断りに、アディンは思わずふっと笑ってしまった。
「もちろん!シャルの部屋借りてるの僕の方だし!ゆっくり入ってくるね」
「ありがとうございます。明日からしっかり動けるように、真面目に寝ますね」
「うん!」
アディンはタオルを引っ張り出すと、慣れた足取りで風呂場へ向かった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
大柄の女は、テフィラーの浮かない表情を眺めて面白くなさそうに言った。
「いつまでそんな顔してんだい、可愛い顔が台無しだろ」
「別に……いつも通りじゃない」
「よく言うよ」
女はハンと笑って椅子を回転させると、大きく殺風景な机に肘を立てた。
机を挟んで暗い部屋の中、女とテフィラーは少し離れてじっと向かい合う。
「暇なら研究を手伝ってくれたっていいんだよ?」
「研究なんて……」
「ああ悪かった、悪かった。あんたに言っていいことじゃなかったな」
女にそう言われると、テフィラーは顔を歪める。
「思ったより役に立たなかったでしょ、私」
悲しいこと言うなよ、と女は立ち上がってテフィラーに歩み寄ると、優しく両手で頭を撫でた。
「アタシの可愛いテフィラー。娘に薬を飲ませるようなクソ親のせいで、こーんなに悲しそうだ」
テフィラーは、その手を鬱陶しそうに止めながら女を睨みつける。
「あなたも
「そうそう
「そんなことないわ。いずれ知れるようなことでしょう」
女はテフィラーの反抗的な態度にやや反感を抱いたが、それでもにこりと笑って答えた。
「いいのさ。先に手を出してきたのは奴らなんだから」
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――風呂から上がって部屋に戻ると、アディンは寝ているシャルヘヴェットを起こさないよう、そっとベッドの傍の魔法の教科書を持ち上げた。
すうすう寝息を立てるシャルヘヴェットにちらと目をやってから、そういえば彼が眠っているところは初めて見るとつい二度見してから目をそらす。
そもそも人の寝顔なんて見る機会などないが、診療所で入院患者――頻繁にいるわけじゃない――を夜に見回っていたことが思い出された。
「……スさん、イマさん」
気のせいかどうかギリギリの大きさで、アディンの耳に寝言がかする。
誰かの名前かな、と思って何とはなしに振り向くと、
彼の閉じた瞳からぽろっと涙が零れた。
「え!?」
仰天して、アディンは上着のポケットからハンカチを取りだしそっとあてがう。
「……大丈夫だよ。大丈夫」
何が大丈夫なのかは分からないが、アディンはそう言ってなだめるように何度か繰り返す。
大人相手に何だか失礼なことを……とは思ったが、なんとなく昔から、根拠はなくてもそう言われると少しだけ安心できるのだ。
「……イマさん?」
シャルヘヴェットは薄目を開いて、アディンに声をかけた。すぐにアディンだと気づいた瞳が大きくなる。
「ア、ディン」
「ご、ごめん!起こしちゃって……」
あ、夢か、と彼は一人で納得したように呟いて上体を起こす。
「怖い夢でも見てた?」
アディンの言っていることの意味がわからず、シャルヘヴェットは一瞬戸惑っていたが、彼の手に握られていたハンカチを見つけると左手でパッと顔を覆った。
「もしかして、泣いてました?」
「えっと、その……」
はーっとため息をついて、シャルヘヴェットは顔を覆ったまま言った。
「アディンのご両親が夢に出てきて」
両親?
そういえば、両親と彼は面識があったようなことを前に言っていた気がする。
「じゃあ、もしかしてさっきの名前、僕の両親の?」
寝言まで言っていたことに、シャルヘヴェットは顔を赤らめる。
「た、多分そうかと。ピウスさんと、奥さんのイマさん。あ、ピウスさんは姓で呼んでますけど、お名前はアバさんですね」
その名だ。アディンは頷く。
「お二人の家によく本を読みにお邪魔していたので、よくしてはもらってましたけど……。急に珍しい……」
「悲しい内容だったの?」
アディンに尋ねられて、シャルヘヴェットは唸る。
「いや。でもどこか遠くへ行ってしまいそうな……。もう既に、十分遠くにいるはずなんですけどね。懐かしい割に、顔は鮮明だったな」
彼は両親のことは顔見知り程度の仲かと思いこんでいたが、家に行くくらい親しかったのか、とアディンは目をぱちくりとさせる。
シャルヘヴェットは自身のベッドだというのに配慮して被せていた枕カバーを外して、ごゆっくり、と立ち上がる。
アディンはそのベッドの上に座り込み、布団を腰まで引っ張った。まだ暖かい。
布団を撫でて笑うアディンに、シャルヘヴェットも笑いかけて扉に手をかける。
「おやすみなさい」
「おやすみ!」
ぱたりと閉められた扉を見つめて、アディンはとうとう明日に迫る出発を意識し始めた。
改めてテフィラーのこと考える。
彼女はなぜ街を焼いて逃亡したんだろうか。
それほどに強力な魔法を唱えられたのは、薬のおかげなのか。
「焼いた?」
アディンはそう呟いて、倒しかけていた体を勢いよく起こした。
(シャルはたしか火の魔法が得意だって……)
カナフが話してた魔法属性占いの話を、何となく覚えていたのが頭をよぎる。
布団を剥ぐと、閉められた扉を勢いよく開けたアディンに、シャルヘヴェットはびくりと肩を上げて振り返った。
「ど、どうしました?」
「シャルッ。シャルの得意な魔法って火の魔法?」
急な質問に首を傾げつつも、シャルヘヴェットはそうです、と頷く。
やはり。アディンは続けて気になる点を尋ねる。
「シャルも、氷の魔法とか使えたりする?」
まだ意図が理解しきれない様子だったが、シャルヘヴェットは丁寧に教えてくれた。
「いえ、氷または水は、火とは相対するものなので、どちらかしか強力な魔法は放てませんよ。いくら魔法が得意であっても、バランスが存在するんです」
やはりそうだ。マクシムにも習ったが、得意ジャンルは偏るのだ。
「じゃあテフィラーはやっぱり、火を起こしてなんかない」
そう、あの時見せてくれた魔法は繊細な氷の花。
「テフィラーが放つ魔法は、氷魔法なんだ」
そう言い放ったアディンに、シャルヘヴェットは目を見開いた。
アディンは口元を押さえ、ごくりと唾を飲む。
「街を一夜で焼失させるような火の魔法は、打てないはず」
「……氷魔法の使い手だとしたら、あの容疑は成り立ちませんね」
真実は明日、彼女に直接聞けるはずだ。
しかしその罪を被ったままメレッドにいる理由を、本当の理由を、聞き出さなくてはいけない。
イェソド教会での、長くもあっという間の一週間は、こうして過ぎ去っていった。