第五章:メレッド
マクシムがこの調子で祓い師長室に現れるのは珍しいことではないのだろう。カナフは彼女の登場もお構いなしに、三杯目のシチューをおかわりしている。
シャルへヴェットは時間差で閉まったドアを眺めてため息をついた。
「ドア、もう少し静かに叩いてくれませんか?」
シャルへヴェットの小言にはこれっぽっちも返答せずに、マクシムは彼の座るソファの縁に腰かける。
「誰かさんが全然飲みに付き合ってくれないから、一人寂しく飲まないとだったんですけど?カワイソーだなぁ私」
「あなたなら、誘える相手いくらでもいるでしょう」
何をしに来たのか尋ねようとしたシャルへヴェットのスプーンを奪うと、マクシムはそれで指示棒のようにくるりと円を描いて見せた。
「私は説教しに来たんですぅー」
スプーンの先を向けられると、シャルへヴェットは呆れた表情でそれを取り上げる。
「付き合いの悪さを?」
「んへへぇ、それもある!」
ふにゃりと口角を上げるマクシムに、テヴァは水の入ったグラスを差しだす。
「マクシムお姉様がこんなに酔ったとこ見んの、初めてかもっす」
受け取ってほんの少し飲んだ素振りを見せて、マクシムはそれをシャルへヴェットに押し付けると立ち上がった。
「ふっふっふ。お酒の勢いって、何言っても許されるところがあるからね~!」
ちゃんと迷惑だ!と、カナフが逃げるようにアディンの方にソファを詰める。
同じ言葉がシャルへヴェットの顔にも書いてあるのが見て取れた。
「何か言うためにわざわざこんなに酔っぱらってきたんですか?大した人だな……」
「え〜なぁに?賢いってこと?もっと褒めていいよん」
「小狡いってことです」
「ッバーカ!」
シャルヘヴェットの胸を強めに小突いて、マクシムは返却された水を一気に飲み干した。
「シャルるんは、も〜っと私を頼ってきていいんだって言いに来たの!おこなの!」
突然そんな話を切り出されたので、シャルヘヴェットは何のことか分からず首を傾げる。
マクシムは不機嫌そうにグラスの淵に指を滑らせた。
「今回アディンくんに魔法教えてって頼んでくれたの、すっごく嬉しかったんだからさぁ」
「マクシムには昔から頼りっぱなしですよ」
「嘘!それは嘘だね!」
ソファにもたれかけていた体を起こして、マクシムは正面でシャルヘヴェットに向き合う。
「すーぐシャルるんは、何か悪いかな〜みたいな顔して言おうとしてたこと言わなくなるでしょ」
「そんなことは」
「出てる!ってかバレバレ!せっかく美形 なんだから使えばいいのに。その顔で頼めば、皆いうこと聞いてくれるでしょー」
それはちょっと否定できない。と、従者二人は顔をそらしていた。
言おうとしていたことを飲み込む仕草をよくするのは、付き合いの短いアディンでも感じてはいたが。
「もしかして、長期休暇申請の……理由をぼかしたのを怒ってますか?」
「えーいやぁ?ま、いつもの事だなぁって諦めてますよ~だ」
「すみません……」
謝んなし、とマクシムは彼の足にコツンとつま先をぶつけた。
「多分あれでしょ。テフィラーちゃん絡みのことじゃん?あの子、アディン君と一緒にいるのかと思ったらいないし」
一度しか面識のないテフィラーの、名前を覚えているどころか状況までをも察しているマクシムに、アディンはぎょっとする。
仕事はできる人だとシャルへヴェットに太鼓判を押される理由がわかった。
黙ったまま、シャルヘヴェットは膨れたマクシムの方に目を向けた。
彼女は大きなため息とともに言葉を吐く。
「私はさ、今更遠慮するなって言いたいの!いーい?皆シャルるんのこと信頼してんだから、シャルるんも躊躇せずに周りを頼んなよって言ってんの!わかる!?」
「それは俺も同意っすよ」
言葉を重ねてきたのはテヴァだ。
「アディンを探してた個人的な目的とか、ちゃんと知らねえっすけど、俺はもっと振り回して欲しいす。……くそ、ここに酒があったら俺もいろいろ言って許されてえ」
「飲んじゃえ、飲んじゃえ!」
「……マクシムお姉様、これはシチューっす」
酔っぱらいの差し出すグラスシチューを掬って、テヴァはじっとシャルへヴェットを見やった。
「その……ずっと他人のために命かけてるシャルへヴェット様に憧れてここに来たし、今も憧れてるからここにいるのは変わらないっすよ」
一息にそう言うと、彼はまどろっこしいスプーンを引き抜いてグラスのシチューを一気に煽る。
シャルへヴェットはすぐには何も言わなかったが、うつむいて言葉を探しているようだった。
食事の手を止めて様子を見ていたアディンの横から、カナフも身を乗り出して口を開いた。
「でもそのっ。言いづらいことを無理に言わなくてもと、私は思います!多分、全部つながっているんですよね?祓い師の活動も、アディンさんを探してやろうとしていることも、この間の魔導兵器の事件も、テフィラーさんの件も……」
カナフ洞察は見事だった。彼女はシャルへヴェットが『個人的なこと』として黙っている部分が、これまでの流れをすべて説明できるキーとなっていることを見抜いている。
ただの偶然に起こった慌ただしい出来事の連続ではない。
起こるべくして起こった、何かを引き金とした一連の出来事なのだ。
「けど、頼ってほしいのは私も同じです!」
カナフはそう大きな声で締めた。
一間、広い祓い師長室に静寂が広がる。
シャルへヴェットは顔を上げると、「そうだな……」と小さく漏らして続けた。
「遠ざけるのは、一番簡単な方法ですもんね」
空の皿を置くと、シャルへヴェットは意を決したように一人ずつに目を向けながら言った。
「そしたら早速ですが……信頼のおける皆さんにひとつ、お願いをさせてください」
声の柔らかさとは裏腹に、目には一切の緩みがなかったので、真正面から言われてつい身構えてしまう。
彼のお願いはこうだった。
「もし俺が判断に迷って動けなくなった時は、代わりに『決断』してくれませんか」
はっきりとしていそうで、どこか具体に欠けるお願いにストレートな返事が遅れてしまった。
彼は、なにかを思い浮かべてそう言ったのだろうか。
皆、頷いてはいたが、恐らく同じようにその光景が想像できなかったようだ。
「いやぁ、判断に迷うことなんてないっしょ……」
思わずテヴァがそう独り言を漏らしたが、シャルヘヴェットは
「それが、そうでもないんです」
と苦笑していた。
妙に素直な態度だったのがむず痒がったのか、マクシムはシャルヘヴェットの肩にチョップをお見舞すると、ぷりぷりと扉の方へ戻る。
「とにかく!ちゃんと皆を頼るよぉに!」
「はい」
シャルヘヴェットの潔い返事に、マクシムは言い返す勢いも削がれて去っていった。
「私、お部屋まで送ってきますっ!」
居残るのが気まずいのか、カナフがいち早く振り返りマクシムを追う。
勢い任せの説教は、これにて閉幕。
彼女なりの『しかけてみる』はこうだったんだなと、見えなくなるマクシムの後ろ姿を、アディンはぼんやりと見つめていた。
シャルへヴェットは時間差で閉まったドアを眺めてため息をついた。
「ドア、もう少し静かに叩いてくれませんか?」
シャルへヴェットの小言にはこれっぽっちも返答せずに、マクシムは彼の座るソファの縁に腰かける。
「誰かさんが全然飲みに付き合ってくれないから、一人寂しく飲まないとだったんですけど?カワイソーだなぁ私」
「あなたなら、誘える相手いくらでもいるでしょう」
何をしに来たのか尋ねようとしたシャルへヴェットのスプーンを奪うと、マクシムはそれで指示棒のようにくるりと円を描いて見せた。
「私は説教しに来たんですぅー」
スプーンの先を向けられると、シャルへヴェットは呆れた表情でそれを取り上げる。
「付き合いの悪さを?」
「んへへぇ、それもある!」
ふにゃりと口角を上げるマクシムに、テヴァは水の入ったグラスを差しだす。
「マクシムお姉様がこんなに酔ったとこ見んの、初めてかもっす」
受け取ってほんの少し飲んだ素振りを見せて、マクシムはそれをシャルへヴェットに押し付けると立ち上がった。
「ふっふっふ。お酒の勢いって、何言っても許されるところがあるからね~!」
ちゃんと迷惑だ!と、カナフが逃げるようにアディンの方にソファを詰める。
同じ言葉がシャルへヴェットの顔にも書いてあるのが見て取れた。
「何か言うためにわざわざこんなに酔っぱらってきたんですか?大した人だな……」
「え〜なぁに?賢いってこと?もっと褒めていいよん」
「小狡いってことです」
「ッバーカ!」
シャルヘヴェットの胸を強めに小突いて、マクシムは返却された水を一気に飲み干した。
「シャルるんは、も〜っと私を頼ってきていいんだって言いに来たの!おこなの!」
突然そんな話を切り出されたので、シャルヘヴェットは何のことか分からず首を傾げる。
マクシムは不機嫌そうにグラスの淵に指を滑らせた。
「今回アディンくんに魔法教えてって頼んでくれたの、すっごく嬉しかったんだからさぁ」
「マクシムには昔から頼りっぱなしですよ」
「嘘!それは嘘だね!」
ソファにもたれかけていた体を起こして、マクシムは正面でシャルヘヴェットに向き合う。
「すーぐシャルるんは、何か悪いかな〜みたいな顔して言おうとしてたこと言わなくなるでしょ」
「そんなことは」
「出てる!ってかバレバレ!せっかく
それはちょっと否定できない。と、従者二人は顔をそらしていた。
言おうとしていたことを飲み込む仕草をよくするのは、付き合いの短いアディンでも感じてはいたが。
「もしかして、長期休暇申請の……理由をぼかしたのを怒ってますか?」
「えーいやぁ?ま、いつもの事だなぁって諦めてますよ~だ」
「すみません……」
謝んなし、とマクシムは彼の足にコツンとつま先をぶつけた。
「多分あれでしょ。テフィラーちゃん絡みのことじゃん?あの子、アディン君と一緒にいるのかと思ったらいないし」
一度しか面識のないテフィラーの、名前を覚えているどころか状況までをも察しているマクシムに、アディンはぎょっとする。
仕事はできる人だとシャルへヴェットに太鼓判を押される理由がわかった。
黙ったまま、シャルヘヴェットは膨れたマクシムの方に目を向けた。
彼女は大きなため息とともに言葉を吐く。
「私はさ、今更遠慮するなって言いたいの!いーい?皆シャルるんのこと信頼してんだから、シャルるんも躊躇せずに周りを頼んなよって言ってんの!わかる!?」
「それは俺も同意っすよ」
言葉を重ねてきたのはテヴァだ。
「アディンを探してた個人的な目的とか、ちゃんと知らねえっすけど、俺はもっと振り回して欲しいす。……くそ、ここに酒があったら俺もいろいろ言って許されてえ」
「飲んじゃえ、飲んじゃえ!」
「……マクシムお姉様、これはシチューっす」
酔っぱらいの差し出すグラスシチューを掬って、テヴァはじっとシャルへヴェットを見やった。
「その……ずっと他人のために命かけてるシャルへヴェット様に憧れてここに来たし、今も憧れてるからここにいるのは変わらないっすよ」
一息にそう言うと、彼はまどろっこしいスプーンを引き抜いてグラスのシチューを一気に煽る。
シャルへヴェットはすぐには何も言わなかったが、うつむいて言葉を探しているようだった。
食事の手を止めて様子を見ていたアディンの横から、カナフも身を乗り出して口を開いた。
「でもそのっ。言いづらいことを無理に言わなくてもと、私は思います!多分、全部つながっているんですよね?祓い師の活動も、アディンさんを探してやろうとしていることも、この間の魔導兵器の事件も、テフィラーさんの件も……」
カナフ洞察は見事だった。彼女はシャルへヴェットが『個人的なこと』として黙っている部分が、これまでの流れをすべて説明できるキーとなっていることを見抜いている。
ただの偶然に起こった慌ただしい出来事の連続ではない。
起こるべくして起こった、何かを引き金とした一連の出来事なのだ。
「けど、頼ってほしいのは私も同じです!」
カナフはそう大きな声で締めた。
一間、広い祓い師長室に静寂が広がる。
シャルへヴェットは顔を上げると、「そうだな……」と小さく漏らして続けた。
「遠ざけるのは、一番簡単な方法ですもんね」
空の皿を置くと、シャルへヴェットは意を決したように一人ずつに目を向けながら言った。
「そしたら早速ですが……信頼のおける皆さんにひとつ、お願いをさせてください」
声の柔らかさとは裏腹に、目には一切の緩みがなかったので、真正面から言われてつい身構えてしまう。
彼のお願いはこうだった。
「もし俺が判断に迷って動けなくなった時は、代わりに『決断』してくれませんか」
はっきりとしていそうで、どこか具体に欠けるお願いにストレートな返事が遅れてしまった。
彼は、なにかを思い浮かべてそう言ったのだろうか。
皆、頷いてはいたが、恐らく同じようにその光景が想像できなかったようだ。
「いやぁ、判断に迷うことなんてないっしょ……」
思わずテヴァがそう独り言を漏らしたが、シャルヘヴェットは
「それが、そうでもないんです」
と苦笑していた。
妙に素直な態度だったのがむず痒がったのか、マクシムはシャルヘヴェットの肩にチョップをお見舞すると、ぷりぷりと扉の方へ戻る。
「とにかく!ちゃんと皆を頼るよぉに!」
「はい」
シャルヘヴェットの潔い返事に、マクシムは言い返す勢いも削がれて去っていった。
「私、お部屋まで送ってきますっ!」
居残るのが気まずいのか、カナフがいち早く振り返りマクシムを追う。
勢い任せの説教は、これにて閉幕。
彼女なりの『しかけてみる』はこうだったんだなと、見えなくなるマクシムの後ろ姿を、アディンはぼんやりと見つめていた。