第五章:メレッド
飲食店はすでに閉まっている店ばかりで酒場だけが賑わっていたが、食材を扱う露店はまだ活気があったので、そちらで材料を調達することにした。
芋や肉が揃っていたため、アディンは故郷のシチューでも作ろうとパンも揃えて会計を済ませる。
硬い石畳を歩いても違和感のない足の感覚に、改めて魔法が成功していることを実感する。
魔法が使えるように、ずっと気になっていることがあった。
月の王のことだ。
日の王は魔法を使って早く月の王を起こせというようなことを言っていたが、魔法が使えるようになっても相変わらず変化を感じられない。
日の王側からもこれといったアクションはないところを見ると、この程度の魔法では刺激が足りないのだろうか。
起きたら起きたで厄介なことになるのは間違いないはずだ。
ある意味、何も起こらずでほっとしながら、アディンは両腕で抱えた食材に目を落とす。
「あれ、シチュー どこで作ろう……」
肝心の調理場のアテがなかったのを思い出し、アディンは仕方なくマクシムの元へ、どこか借りられる場所はないか聞いてみることにした。
彼女はしっかり総務受付にいた。
初めてイェソド教会に来た際に対応してくれた受付の女性と二人で、世間話をしている。
「師匠〜」
食材を抱えたまま現れたアディンに、マクシムは意外そうな顔をした。
「あれ、アディンくん!」
「お話中のところすみません」
マクシムは隣の受付の彼女に、この子だよ〜とアディンのことを指差しながら向き直った。
「どしたぁ?」
「その……どこか調理場とかって借りられないですか」
「調理場?ああ!」
何か作る気なのねぇ、とマクシムはニコニコとする。
「少しゴハン分けてくれたら、私の部屋の台所使ってもいいよぉ」
「本当ですか!助かります。たくさん分けます!」
可愛いでしょ、とまた隣の女性に言ってから、マクシムはおいでと手招きした。
彼女の部屋はほんのり甘い香りに薄明るいライト、紫調のラグがあり、いかにもマクシムらしいラグジュアリーな空間だった。
調理場は奥に独立していて、意外にも……と言ったら怒られそうだが、それなりに使われているようだった。
「調味料はここでぇ、油はこれね。食器は後で返してくれればいいよぉ。ここで火がつくから」
好きに使ってね、とマクシムは完成したら声をかけるように告げて、部屋を出ていく。
アディンは買ってきた大量の食材を広げると、刻み、火にかけ、ミルクを注ぎ込んで煮込む。
バゲットは切り分け、少し温める。
しばらくしてから火を止めると、コク深いミルクの香りが部屋いっぱいに立ち込めた。
「うん、美味しい」
味見をして、マクシムの分は皿に盛りつける。
こんなに食べるか分からなかったが、二皿分ほど盛ってからまだまだ重たい鍋を持ち上げ、パンと食器は小脇に抱えた。
受付でマクシムに礼を言ってから、アディンは四階の部屋を目指す。
思ったよりも距離があってしんどかったが、何とか祓い師長室まで戻ってこられた。
表からノックをして部屋に入る。
「み、皆お疲れ様!ご飯作ってきたんだけど……良かったら食べて」
「あれ、アディンさんいつの間に!」
美味しい香りに一番に反応したカナフが振り向き、鍋を受け取ってくれ、アディンの肩は軽くなる。
「なんですか!?手料理?」
カナフが興味深そうに鍋の中を覗くと、テヴァもその香りにつられて声を上げた。
「ぐぁ〜!腹減った」
「そうですね、食事にしましょう。ありがとうございます、アディン」
「口に合えばいいんだけど……」
パンも並べながらアディンは借りてきた人数分の皿とスプーンも用意する。
卓を囲んで、四人は温かいシチューをつついた。
「ふあ〜アディンさんお料理できたんですねっ!超美味しいですぅ」
「久々に手料理とか食ったぜ、たしかに美味い」
皆が口を揃えて美味しいと言ってくれ、アディンは照れ臭そうにありがとう、と笑った。
妙に洒落た食器で、アディンがどこで調理をしてきたのかは皆うっすら察しがついたようだ。
こんなに大人数で鍋を囲むのは初めてで、アディンはなんだか嬉しくなってしまった。
それから、レフアーとテフィラーと三人で食べた診療所でのシチューのことも思い出し、今度は一転、胸が締め付けられる。
彼女は今、首都のメレッドの本拠地にいるのだろうか……。
アディンが浮かない顔をしていたのに気づいて、カナフは顔を寄せる。
「アディンさん?どうかしましたか」
「え、あっ。ううん何でも……」
「テフィラー様のことだろ?」
意外にもテヴァがばっちり言い当ててきたので、アディンはかじりかけのパンを口に放りこんで、ん、とだけ答えた。
「あんまり思い詰めんなよな。もうすぐ会えんだろうし、そこで言われたことが全てだろうよ」
「テヴァの割にいいこと言う」
すぐカナフにおちょくられ、テヴァはキッと睨みをきかせる。
「そうだよね……」
「怪我までさせられているのに、アディンは本当に優しいですよ」
「それ俺も言ったんすよ!」
そう言うシャルヘヴェットとテヴァに、カナフは
「わかってても煮え切らないんですよね?」
とアディンの肩を持った。
アディンはどんよりとさせてしまった空気を払拭するために声を張る。
「とにかく、ここ数日はメレッドがなにかして来なくて良かったよね!」
仕掛けられて来なかったのでスムーズに魔法も覚えられたことを考えれば、結果オーライだ。
ちょっと能天気だろうかと思いながらシチューをすする。
スプーンに逆さに移る自分の顔を見て、それが一層呑気な顔だと思えた。
こんなところで皆とシチューを食べているが、この瞬間まで、ぼけっとしていちゃいられない出来事が次々に襲いかかってきている。
診療所から飛ばされて、魔物化の実態を見て、シャルへヴェットたちに出会って、それから、それから……。
一体、どれほど大きな渦に飲み込まれてしまったのか。
その時、意識を現実に呼び戻すかの如く、乱暴なノックの音が耳に飛び込んできた。
「やっほー!」
何事かと目を向けた一同の視線を、目いっぱい受けながら登場したのはマクシムだった。
小一時間ほど前にはきっちりとした受付嬢として対応してくれた彼女が、今は顔を真っ赤に染めて楽しそうにしている。
千鳥足で近づいてくると、シチューの香りにうっとりと目を細めた。
「アディンくん、シチューご馳走さまぁ!もうちょー美味しかったぁ。お酒飲みながら全部食べちゃったよ〜」
お酒とシチューなんて合わせ方、お腹がタプタプにならないのだろうか。
投げキッスをされて、アディンは控えめにぺこりと頭を下げた。
芋や肉が揃っていたため、アディンは故郷のシチューでも作ろうとパンも揃えて会計を済ませる。
硬い石畳を歩いても違和感のない足の感覚に、改めて魔法が成功していることを実感する。
魔法が使えるように、ずっと気になっていることがあった。
月の王のことだ。
日の王は魔法を使って早く月の王を起こせというようなことを言っていたが、魔法が使えるようになっても相変わらず変化を感じられない。
日の王側からもこれといったアクションはないところを見ると、この程度の魔法では刺激が足りないのだろうか。
起きたら起きたで厄介なことになるのは間違いないはずだ。
ある意味、何も起こらずでほっとしながら、アディンは両腕で抱えた食材に目を落とす。
「あれ、
肝心の調理場のアテがなかったのを思い出し、アディンは仕方なくマクシムの元へ、どこか借りられる場所はないか聞いてみることにした。
彼女はしっかり総務受付にいた。
初めてイェソド教会に来た際に対応してくれた受付の女性と二人で、世間話をしている。
「師匠〜」
食材を抱えたまま現れたアディンに、マクシムは意外そうな顔をした。
「あれ、アディンくん!」
「お話中のところすみません」
マクシムは隣の受付の彼女に、この子だよ〜とアディンのことを指差しながら向き直った。
「どしたぁ?」
「その……どこか調理場とかって借りられないですか」
「調理場?ああ!」
何か作る気なのねぇ、とマクシムはニコニコとする。
「少しゴハン分けてくれたら、私の部屋の台所使ってもいいよぉ」
「本当ですか!助かります。たくさん分けます!」
可愛いでしょ、とまた隣の女性に言ってから、マクシムはおいでと手招きした。
彼女の部屋はほんのり甘い香りに薄明るいライト、紫調のラグがあり、いかにもマクシムらしいラグジュアリーな空間だった。
調理場は奥に独立していて、意外にも……と言ったら怒られそうだが、それなりに使われているようだった。
「調味料はここでぇ、油はこれね。食器は後で返してくれればいいよぉ。ここで火がつくから」
好きに使ってね、とマクシムは完成したら声をかけるように告げて、部屋を出ていく。
アディンは買ってきた大量の食材を広げると、刻み、火にかけ、ミルクを注ぎ込んで煮込む。
バゲットは切り分け、少し温める。
しばらくしてから火を止めると、コク深いミルクの香りが部屋いっぱいに立ち込めた。
「うん、美味しい」
味見をして、マクシムの分は皿に盛りつける。
こんなに食べるか分からなかったが、二皿分ほど盛ってからまだまだ重たい鍋を持ち上げ、パンと食器は小脇に抱えた。
受付でマクシムに礼を言ってから、アディンは四階の部屋を目指す。
思ったよりも距離があってしんどかったが、何とか祓い師長室まで戻ってこられた。
表からノックをして部屋に入る。
「み、皆お疲れ様!ご飯作ってきたんだけど……良かったら食べて」
「あれ、アディンさんいつの間に!」
美味しい香りに一番に反応したカナフが振り向き、鍋を受け取ってくれ、アディンの肩は軽くなる。
「なんですか!?手料理?」
カナフが興味深そうに鍋の中を覗くと、テヴァもその香りにつられて声を上げた。
「ぐぁ〜!腹減った」
「そうですね、食事にしましょう。ありがとうございます、アディン」
「口に合えばいいんだけど……」
パンも並べながらアディンは借りてきた人数分の皿とスプーンも用意する。
卓を囲んで、四人は温かいシチューをつついた。
「ふあ〜アディンさんお料理できたんですねっ!超美味しいですぅ」
「久々に手料理とか食ったぜ、たしかに美味い」
皆が口を揃えて美味しいと言ってくれ、アディンは照れ臭そうにありがとう、と笑った。
妙に洒落た食器で、アディンがどこで調理をしてきたのかは皆うっすら察しがついたようだ。
こんなに大人数で鍋を囲むのは初めてで、アディンはなんだか嬉しくなってしまった。
それから、レフアーとテフィラーと三人で食べた診療所でのシチューのことも思い出し、今度は一転、胸が締め付けられる。
彼女は今、首都のメレッドの本拠地にいるのだろうか……。
アディンが浮かない顔をしていたのに気づいて、カナフは顔を寄せる。
「アディンさん?どうかしましたか」
「え、あっ。ううん何でも……」
「テフィラー様のことだろ?」
意外にもテヴァがばっちり言い当ててきたので、アディンはかじりかけのパンを口に放りこんで、ん、とだけ答えた。
「あんまり思い詰めんなよな。もうすぐ会えんだろうし、そこで言われたことが全てだろうよ」
「テヴァの割にいいこと言う」
すぐカナフにおちょくられ、テヴァはキッと睨みをきかせる。
「そうだよね……」
「怪我までさせられているのに、アディンは本当に優しいですよ」
「それ俺も言ったんすよ!」
そう言うシャルヘヴェットとテヴァに、カナフは
「わかってても煮え切らないんですよね?」
とアディンの肩を持った。
アディンはどんよりとさせてしまった空気を払拭するために声を張る。
「とにかく、ここ数日はメレッドがなにかして来なくて良かったよね!」
仕掛けられて来なかったのでスムーズに魔法も覚えられたことを考えれば、結果オーライだ。
ちょっと能天気だろうかと思いながらシチューをすする。
スプーンに逆さに移る自分の顔を見て、それが一層呑気な顔だと思えた。
こんなところで皆とシチューを食べているが、この瞬間まで、ぼけっとしていちゃいられない出来事が次々に襲いかかってきている。
診療所から飛ばされて、魔物化の実態を見て、シャルへヴェットたちに出会って、それから、それから……。
一体、どれほど大きな渦に飲み込まれてしまったのか。
その時、意識を現実に呼び戻すかの如く、乱暴なノックの音が耳に飛び込んできた。
「やっほー!」
何事かと目を向けた一同の視線を、目いっぱい受けながら登場したのはマクシムだった。
小一時間ほど前にはきっちりとした受付嬢として対応してくれた彼女が、今は顔を真っ赤に染めて楽しそうにしている。
千鳥足で近づいてくると、シチューの香りにうっとりと目を細めた。
「アディンくん、シチューご馳走さまぁ!もうちょー美味しかったぁ。お酒飲みながら全部食べちゃったよ〜」
お酒とシチューなんて合わせ方、お腹がタプタプにならないのだろうか。
投げキッスをされて、アディンは控えめにぺこりと頭を下げた。