第三章:魔導兵器と禁忌
自身の体の感覚を確かめるように、シャルへヴェットは拳を握っては開いてを何度か繰り返して、ゆっくり立ち上がった。
「……アディン、大丈夫でしたか」
何を持って大丈夫というのかは明確ではないが、アディンはその問いにこくりと頷く。
シャルへヴェットは安心した様子で日記を懐にしまうと、鍵を解いてアディンを先に外へ通した。
「その感じだと、月の王を起こせたわけではなさそうですね」
「あっ。う、うん……」
小声でかけられた声に、アディンも自然と小声で返す。
「その、僕が魔法を使ってないせいで、刺激みたいのが足りないっぽい?魔法を使えって言われたよ」
「……アディンは、魔法を使ったことがないんでしたっけ」
「う。うん……」
紫眼 が魔力に長けた一族だと知ってから、なんとなく魔法が使えない自分が恥ずかしくなっている。
どこか気まずそうにしているのが伝わったのか、シャルへヴェットは目を細めて優しくアディンの肩を叩いた。
「魔力量に問題はありませんでしたから、あとはコツをつかめるかどうかの話ですよ。習えば、すぐに使えるようになりますから」
コツか……。
日の王も「赤眼でも祓えば」なんて簡単に言っていたが、そういうものなのだろうか。
元いた部屋の前まで戻ってくると、今度はシャルへヴェットがドアノブに手をかける前に、アディンがすかさず扉を開く。
すると、
「シャルへヴェット様!アディンさん!」
「カナフ!」
病室に似合わない、カナフの満面の笑みと大きな声が飛び込んできた。アディンとシャルへヴェットの声が重なる。
連日の捜索で気を張りっぱなしだったろうに、カナフからはそんな疲れは微塵も感じられない。
「やっと入館証が取れたから慌てて来たのに、お部屋にいらっしゃらないので……。どちらに行ったのかと!」
入館証というのは、おそらく教皇が渡してきた栞のようなあれのことだろう。
シャルへヴェットは、忙しく表情を変えるカナフをまじまじと見つめると、ほっと息を吐いた。
「……カナフは、本当に賑やかで楽しい人ですね。いや、本当にありがとうございました。あなたがいなければ、事態はもっと深刻になっていた」
「えっ、なんです急に!?とんでもないです!従者としての当然の責務を果たしたまでですよぅ」
椅子を差し出しながら、カナフはシャルへヴェットの容体を案じた。
「もう動いて平気なんですか?教皇様も心配してらっしゃいましたよ」
「ありがとうございます。ダメージはありませんし、アディンのおかげもあって回復しています」
「よ、よかったです……!」
心の底からの安心の言葉なんだろう。
一瞬、膝を抱えてうずくまったかと思うと、またシャキッと立ち上がる。
「そういえば、テフィラーさんとはお会いできましたか?」
「えっ、テフィラー?会ってないよ」
「あれ、そうでしたか。私が来た時に帰っていったのか、後ろ姿を見たので。呼んだんですが、聞こえてなかったかもです!」
ちょうど物置部屋に移動していた時に、入れ違ってしまったのかもしれない。後で探しに行かなくては。
ふと見ると、カナフの手には市場で買ってきたであろうたくさんの果物が下げられていた。
視線に気づいたのか、彼女はその中からバナナを取り出してそれぞれ手渡す。
「はいはい!お二人とも、とりあえずこちらをどうぞっ。やはり疲労にはフルーツと言いますから!今、りんごとオレンジ剥きますねっ」
押されるがままに二人は礼を言って受け取ると、カナフは隣でせかせかとナイフで皮を剥き始めた。
さすが、従者という仕事は気の利かせ方が上手いなあと、早速一口かじる。その柔らかい甘さに肩の強張りがほぐれた。
しかしもう二口くらい飲み込んだところで、彼女が突然ぼろぼろと泣き始めた。
「ご、ごめんなさいぃ。泣くつもりはっ、なくてぇ」
ぎょっとして、二人は思わず立ち上がる。
必死に涙を拭うカナフに、シャルへヴェットが寄り添って右手のナイフを机の上に引き取った。
「私全然、お役に立てなくてっ……ごめんなさい」
「カナフ、何を言っているんです。あなたが懸命に動いてくれたから俺は助かったんですから」
シャルへヴェットがハンカチで涙を拭ってやると、彼女は一層顔を赤くして泣き出してしまった。
「シャルへヴェット様はっ、お優しいので、そう言ってくれますが……私は自己嫌悪でぇ。こんなこと言われたら、シャルへヴェット様は困るって、わかってるのに、本当にごめんなさい」
アディンも慌てて、うずくまる彼女の横にかがみ込む。
それから背中をぎこちなくさすってやって、小さな声で「外行こう?」と促した。
カナフは頷いてゆっくり立ち上がると、シャルへヴェットに深々とお辞儀をして部屋を後にする。
シャルへヴェットは、付き添うアディンに「……ありがとう。カナフをよろしくお願いします」と、頭を下げた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
塔の屋上は街を見渡せるようになっていた。
もうすっかり夜も更け込み、灯りのつく家もわずかな町は、遠くの黒い森に飲まれてしまいそうだった。
吹き付ける風が少しだけ肌寒く、あまり長くいると冷えてしまいそうだ。
「アディンさん、ご迷惑を、ごめんなさい。こ、こうなると止まらなくて……」
鼻を啜りながら、彼女は途切れ途切れに謝った。アディンは首を振ると、ベンチの方へ誘導する。
しばらく肩を震わせていたカナフは、ひとしきり泣いて、少し落ち着きを取り戻すと口を開いた。
「そもそもが、私一人の力ではどうしようもできないことだっていうのは、わかっているんです」
シャルへヴェットが渡してくれたハンカチを両手で握りしめて、彼女は空を見上げる。
「それでも、シャルへヴェット様を支えてお守りする従者なのに、全然助けにならなくて……。あの時、あの女に無能と言われて……腹は立ちましたが、内心、図星で焦ってました」
「そんなことないよ!」
「すぐにそう言ってくれるアディンさんはいい人ですね……」
夜風で目を冷ますように上を向いたまま、カナフは続けた。
「私、記憶を失う前はすごく優秀だったみたい。色んな人に話を聞くと、性格はちょっときつかったけど、とにかくできる子だったって、皆おんなじ事言うんですよ。笑っちゃうくらい」
カナフはそう言って、乾いた笑いの後にため息をついた。
「私のヘマで記憶を失って役立たずになって、それでも傍においてくれるシャルへヴェット様に、もっと貢献したいっていつも思っているんです。なのにこんな何もできないことばっかり痛感して、落ち込んで、せめて明るくいないといけないのに今日は泣いちゃいました。最悪です……」
またぐいと顔を上げるカナフは、鼻の頭を冷たそうに真っ赤にしていた。
なんて。
なんて懸命なんだろうか。
僕はここまで、誰かのために何かに一生懸命になれたことはない。明るくないといけないなんて、気丈に振る舞ってまで。
「カナフは」
アディンはそっと、冷え切った彼女の左手を両手で握りしめる。
「カナフはできることを一生懸命やってるじゃない。責めることは何もないよ!僕はカナフと会ってから、同い年なのにすごいって感じてばっかだよ」
カナフは顔を上げたまま、視線だけをアディンに送る。
「それにね、僕は今のカナフしか知らない……けど、十分優秀だと思うな。それに、以前のカナフと今のカナフを比べなくてもいいと思う」
「アディンさん……」
「ご、ごめん!まだ対して知りもしない奴にそんなこと言われてもって感じだよね……。その、カナフに助けられてることも、たくさんあるんだって言いたかったんだ!ほら、初めて会った時も魔物から助けてくれたでしょ……?」
ふぐっ……とカナフはまた熱くなった目頭を堪えるように眉を寄せると、目を合わさずに尋ねた。
「アディンさん、抱きついてもいいですか」
え、という声が出てしまいそうなところを飲み込んで、アディンも目を逸らしつつ、腕を広げる。
そんなこと聞かずに、人目を気にせず抱きついてくるような人だったじゃないか。
「……うん」
カナフは思い切りアディンを抱きしめると、わんわん泣いた。
背中に腕を回すと、震える肩がとても小さいのが分かる。寒さで凍えた体など、忘れてしまうほどに暖かかった。
夜が僅かな星の光を煌めかせて、ゆっくりと流れていった。
「……アディン、大丈夫でしたか」
何を持って大丈夫というのかは明確ではないが、アディンはその問いにこくりと頷く。
シャルへヴェットは安心した様子で日記を懐にしまうと、鍵を解いてアディンを先に外へ通した。
「その感じだと、月の王を起こせたわけではなさそうですね」
「あっ。う、うん……」
小声でかけられた声に、アディンも自然と小声で返す。
「その、僕が魔法を使ってないせいで、刺激みたいのが足りないっぽい?魔法を使えって言われたよ」
「……アディンは、魔法を使ったことがないんでしたっけ」
「う。うん……」
どこか気まずそうにしているのが伝わったのか、シャルへヴェットは目を細めて優しくアディンの肩を叩いた。
「魔力量に問題はありませんでしたから、あとはコツをつかめるかどうかの話ですよ。習えば、すぐに使えるようになりますから」
コツか……。
日の王も「赤眼でも祓えば」なんて簡単に言っていたが、そういうものなのだろうか。
元いた部屋の前まで戻ってくると、今度はシャルへヴェットがドアノブに手をかける前に、アディンがすかさず扉を開く。
すると、
「シャルへヴェット様!アディンさん!」
「カナフ!」
病室に似合わない、カナフの満面の笑みと大きな声が飛び込んできた。アディンとシャルへヴェットの声が重なる。
連日の捜索で気を張りっぱなしだったろうに、カナフからはそんな疲れは微塵も感じられない。
「やっと入館証が取れたから慌てて来たのに、お部屋にいらっしゃらないので……。どちらに行ったのかと!」
入館証というのは、おそらく教皇が渡してきた栞のようなあれのことだろう。
シャルへヴェットは、忙しく表情を変えるカナフをまじまじと見つめると、ほっと息を吐いた。
「……カナフは、本当に賑やかで楽しい人ですね。いや、本当にありがとうございました。あなたがいなければ、事態はもっと深刻になっていた」
「えっ、なんです急に!?とんでもないです!従者としての当然の責務を果たしたまでですよぅ」
椅子を差し出しながら、カナフはシャルへヴェットの容体を案じた。
「もう動いて平気なんですか?教皇様も心配してらっしゃいましたよ」
「ありがとうございます。ダメージはありませんし、アディンのおかげもあって回復しています」
「よ、よかったです……!」
心の底からの安心の言葉なんだろう。
一瞬、膝を抱えてうずくまったかと思うと、またシャキッと立ち上がる。
「そういえば、テフィラーさんとはお会いできましたか?」
「えっ、テフィラー?会ってないよ」
「あれ、そうでしたか。私が来た時に帰っていったのか、後ろ姿を見たので。呼んだんですが、聞こえてなかったかもです!」
ちょうど物置部屋に移動していた時に、入れ違ってしまったのかもしれない。後で探しに行かなくては。
ふと見ると、カナフの手には市場で買ってきたであろうたくさんの果物が下げられていた。
視線に気づいたのか、彼女はその中からバナナを取り出してそれぞれ手渡す。
「はいはい!お二人とも、とりあえずこちらをどうぞっ。やはり疲労にはフルーツと言いますから!今、りんごとオレンジ剥きますねっ」
押されるがままに二人は礼を言って受け取ると、カナフは隣でせかせかとナイフで皮を剥き始めた。
さすが、従者という仕事は気の利かせ方が上手いなあと、早速一口かじる。その柔らかい甘さに肩の強張りがほぐれた。
しかしもう二口くらい飲み込んだところで、彼女が突然ぼろぼろと泣き始めた。
「ご、ごめんなさいぃ。泣くつもりはっ、なくてぇ」
ぎょっとして、二人は思わず立ち上がる。
必死に涙を拭うカナフに、シャルへヴェットが寄り添って右手のナイフを机の上に引き取った。
「私全然、お役に立てなくてっ……ごめんなさい」
「カナフ、何を言っているんです。あなたが懸命に動いてくれたから俺は助かったんですから」
シャルへヴェットがハンカチで涙を拭ってやると、彼女は一層顔を赤くして泣き出してしまった。
「シャルへヴェット様はっ、お優しいので、そう言ってくれますが……私は自己嫌悪でぇ。こんなこと言われたら、シャルへヴェット様は困るって、わかってるのに、本当にごめんなさい」
アディンも慌てて、うずくまる彼女の横にかがみ込む。
それから背中をぎこちなくさすってやって、小さな声で「外行こう?」と促した。
カナフは頷いてゆっくり立ち上がると、シャルへヴェットに深々とお辞儀をして部屋を後にする。
シャルへヴェットは、付き添うアディンに「……ありがとう。カナフをよろしくお願いします」と、頭を下げた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
塔の屋上は街を見渡せるようになっていた。
もうすっかり夜も更け込み、灯りのつく家もわずかな町は、遠くの黒い森に飲まれてしまいそうだった。
吹き付ける風が少しだけ肌寒く、あまり長くいると冷えてしまいそうだ。
「アディンさん、ご迷惑を、ごめんなさい。こ、こうなると止まらなくて……」
鼻を啜りながら、彼女は途切れ途切れに謝った。アディンは首を振ると、ベンチの方へ誘導する。
しばらく肩を震わせていたカナフは、ひとしきり泣いて、少し落ち着きを取り戻すと口を開いた。
「そもそもが、私一人の力ではどうしようもできないことだっていうのは、わかっているんです」
シャルへヴェットが渡してくれたハンカチを両手で握りしめて、彼女は空を見上げる。
「それでも、シャルへヴェット様を支えてお守りする従者なのに、全然助けにならなくて……。あの時、あの女に無能と言われて……腹は立ちましたが、内心、図星で焦ってました」
「そんなことないよ!」
「すぐにそう言ってくれるアディンさんはいい人ですね……」
夜風で目を冷ますように上を向いたまま、カナフは続けた。
「私、記憶を失う前はすごく優秀だったみたい。色んな人に話を聞くと、性格はちょっときつかったけど、とにかくできる子だったって、皆おんなじ事言うんですよ。笑っちゃうくらい」
カナフはそう言って、乾いた笑いの後にため息をついた。
「私のヘマで記憶を失って役立たずになって、それでも傍においてくれるシャルへヴェット様に、もっと貢献したいっていつも思っているんです。なのにこんな何もできないことばっかり痛感して、落ち込んで、せめて明るくいないといけないのに今日は泣いちゃいました。最悪です……」
またぐいと顔を上げるカナフは、鼻の頭を冷たそうに真っ赤にしていた。
なんて。
なんて懸命なんだろうか。
僕はここまで、誰かのために何かに一生懸命になれたことはない。明るくないといけないなんて、気丈に振る舞ってまで。
「カナフは」
アディンはそっと、冷え切った彼女の左手を両手で握りしめる。
「カナフはできることを一生懸命やってるじゃない。責めることは何もないよ!僕はカナフと会ってから、同い年なのにすごいって感じてばっかだよ」
カナフは顔を上げたまま、視線だけをアディンに送る。
「それにね、僕は今のカナフしか知らない……けど、十分優秀だと思うな。それに、以前のカナフと今のカナフを比べなくてもいいと思う」
「アディンさん……」
「ご、ごめん!まだ対して知りもしない奴にそんなこと言われてもって感じだよね……。その、カナフに助けられてることも、たくさんあるんだって言いたかったんだ!ほら、初めて会った時も魔物から助けてくれたでしょ……?」
ふぐっ……とカナフはまた熱くなった目頭を堪えるように眉を寄せると、目を合わさずに尋ねた。
「アディンさん、抱きついてもいいですか」
え、という声が出てしまいそうなところを飲み込んで、アディンも目を逸らしつつ、腕を広げる。
そんなこと聞かずに、人目を気にせず抱きついてくるような人だったじゃないか。
「……うん」
カナフは思い切りアディンを抱きしめると、わんわん泣いた。
背中に腕を回すと、震える肩がとても小さいのが分かる。寒さで凍えた体など、忘れてしまうほどに暖かかった。
夜が僅かな星の光を煌めかせて、ゆっくりと流れていった。