第三章:魔導兵器と禁忌
シャルへヴェットは一度起き上がり廊下に出ると、付近に人がいないことを確認して、再びベッドに腰を下ろした。
「第一に俺は、俺の意志で日の王と会話することができません。向こうの気まぐれで、会話が成功するような状態です」
彼の中にいるという日の王とは、いつでも話ができる、というわけではないらしい。
言いながら、持っているノートをアディンに手渡す。
「それは日の王に向けた日記なんです」
「日の王に向けた?見てもいいの?」
差し出されたノートを手に、承諾を得て、アディンはぱらぱらとページをめくる。本当に出来事が記されただけの日記である。字も綺麗だ。
いや、日記というよりも何があったかが書かれている報告書にも見える。
「日の王と月の王が体を失って『意識』だけの状態になっていることは、この間話しましたっけ?俺は日の王に力を借りる代わりに、夜の間だけ、体を貸すことを約束しました。
アディンが以前遭遇したのは、ちょうど貸していた時になります」
「か、貸す?って、シャルはその時どうなってるの」
「俺は、ただ眠っているだけですね。日の王が何をしているかは知りませんが、目立つことは絶対にしない約束にもなってます。
日の王は、体を借りている間しか外の状況が把握できず、日記は日の王が、俺の日中の動きを確認できるようにするためのものです」
なら本当に報告書だ。アディンはざっと目を通し切るとそれを返す。
懐にノートを忍ばせながら、シャルへヴェットはため息をついた。
「出来事なんて夢の中で報告できればいいのに。彼は勝手なので、あっちが言いたいことのある時しか現れません。俺から呼びかけることはできなくて。できないのか、聞く耳を持たれていないだけなのか知りませんが」
体の中にいるからといって、仲良しとは限らないようだ。
前にも『取り憑いた』という表現を使っていたし、力と体を貸し合うという、利害が一致している関係に過ぎないのだろうか。
それと一点、気になった部分がある。
「シャルが日の王に借りてる力っていうのは?」
体を貸すなんて簡単に話しているが、アディン自身が同じ約束をするならと考えると、なかなかリスキーな条件だと思う。仲のいいわけではない相手なら余計だ。
それと交換条件の力なのだから、シャルへヴェットにもそれなりの利があるはずだ。
「シャルが紫眼 の長に会いに行くために、日の王の力を借りる……っていうのは違うよね。日の王も、月の王と力を合わせないと紫眼 のいるところに行けないわけだし」
「鋭いですね。というより、その話をしたときはわけが分からなかったでしょうに、ちゃんと覚えていて感心します」
シャルへヴェットは、先ほどアディンが魔力を分けた時と同じように手を差し出した。
「赤眼を祓う力――」
その手をじっと眺め、彼は一層声を押さえて言う。
「俺が赤眼を普通の人より多く祓えるのは、単に紫眼 だからじゃない。日の王の力なんです」
「……えっ?」
「紫の眼が魔力を多く持つことは事実。ですが瞬時に、しかも大量の人間の魔力を浄化する力は、実は別ものなんですよ」
「じゃあ、仮に僕が赤眼を祓えるようになったとしても、シャルほどは一遍に多くの人を治せないってこと?」
彼はこくりと頷く。
「他人の力を使ってこんな地位 にいる。……ずるいでしょう?」
祓い師長・シャルへヴェットは、拳を握るとアディンに皮肉っぽく微笑んだ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「日の王は、俺が紫眼 の企みを阻止するために動いていることは知りません」
彼が阻止しようとしている企みについては、ちゃんと聞き出したいところだが、一旦そのまま話を聞く。
シャルへヴェットはまた、廊下の小窓をちらりと確認した。
「彼にしてみれば俺だって紫眼 ですから、制裁の対象の一人ですし、用が済んだらこの体もろとも消滅する気なのかもしれません。
今は月の王を探すための道具で、かつ動くための物理的な体として必要だから力を貸してくれていますが」
「シャルに体を貸す意思がなければ、日の王が他人の体で自由に動くことはできないんじゃない?」
「いや……」
それがそうでもないのだと、彼は悔しそうにした。
「体内にいる時間が長ければ長いほど、日の王の意識は浸透して、この体に慣れていくようなんです。アディンに接触した時も、目立つことはしないという約束を破った。だから、俺自身が従わなくても、いずれは乗っ取られてしまうのでしょう」
なるほど。アディンは先ほどの条件の意味がわかって、はっと口元に手をやった。
「ひょっとして、あえて友好的な約束した上で体を貸してあげることによって、勝手なことをされるのを防いでるってこと!?」
アディンの推理に、シャルへヴェットはきょとんとすると、ふき出した。
「はは、そう言われるとなんだか策士っぽくてかっこいいですが、当時、体の自由が効かなくなったのが怖かったので、ルールを決めてくれとお願いしただけですよ」
「え、あ、そうなんだ。よくお願い聞いてくれたね」
「死んでやる!って喚いたので……。赤眼を多く祓える力はおまけみたいなもので、死なせないために向こうが機嫌取りでしてきた提案です」
「え」
お願いしただけという言い方にしては、怖いお願いの仕方だ……。
ただ、他に取り憑きやすい相手のいないこの世界で、適合できている体に死なれるのは日の王が最も困ることなのだろう。
完全に乗っ取れないうちに乱暴なことをすれば、本来の持ち主が自身の体に何をするか分からない。
ずっと不思議な話の感覚がどこかにあったが、生死が絡んだ途端、他人事とは言っていられないような焦りを覚えた。
同じく、紫眼 に制裁を与えんとする人間が、自分の中にもいる。
「……僕の中の月の王も、いつかは僕を乗っ取って、制裁のために利用しようとしてるのかな」
「初めから利用する気がなければ、人の体に取り憑くなんてことしませんよ」
シャルへヴェットは冷たく言い放つと、さて、と上着とグローブを着始めた。
「そういうことで、日の王と話してみますか?」
そうだった。
シャルへヴェットと日の王の話を聞いたところで、話題がひとつ前に戻る。
日の王と直接話すことで、未だアクションのない月の王に、なにか影響を与えられるかもしれない。
「俺の目の届かないところで、アディンが日の王と会うのは危ないという理由は、わかっていただけたかと思いますが……」
「……」
「それでもやりますか?」
もし、月の王が自分にアクションを起こせるようになって、ゆくゆくは体を乗っ取ろうとしてきたら……。
ぶるっと身震いがして、アディンは返事をしかけて言い淀んだ。
その恐怖の一方で思うこともある。
いつもの夢で歌っているのが、アディン自身ではなく『月の王』だったら。
燃え盛る世界の中で、言っていた。
『最期まで癒すしかないの』
癒す、とはどういう意味だろうか。
医師を志すアディンにとって、あの状況下でも民を『癒そう』としているその人が酷いことをするとは、どうしても思えなかった。
夢の人物が月の王だとしたら、だが……。
「それでも僕、日の王と話してみたい」
シャルへヴェットは頷くとゆっくり立ち上がる。
裾を整えてから、彼は扉の方に目をやった。
「人の来ない場所に行きましょう。ここでは、誰かが入ってきた時に困りますから」
「うん」
日の王と対面する緊張と、知りたい気持ちが混じり合い、アディンはぎこちない足取りで病室を後にした。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
廊下を少し進んだところに、内鍵の掛けられる個室があった。中は物置にされているのか大きな荷物でかさばっていて、二人入っただけでそこそこ狭い。
イェソド教会に来てからここまで、ずっと動きっぱなしなのを忘れているくらい、アディンは目前の未知に触れたくなっていた。
「シャル」
日記にメモ書きしていたシャルへヴェットが顔を上げる。
「シャルは日の王がいて辛かった?」
話を聞いていて、アディンはずっと気になっていた。
そりゃあ嫌いだろうということは話の端々から伝わってきたが、シャルへヴェットは彼をあまりよく思っていないだけで、現状は実害を与えてくる存在というわけでもない。
気ままに登場されるのは落ち着かないかも知れないが、そういう相手とずっと関わり続けてきたシャルへヴェットが、どう気持ちの折り合いをつけてきたのか聞きたくなった。
「祓い師長 ができているのは、彼の力のおかげでもありますから。俺のやることに口出しすることもないですし、時々腹は立っても、辛いと思ったことはありませんよ」
「でも、日の王がとり憑かなかったら、紫眼 の皆の元で、普通の生活ができてたかもしれないのに」
「無いものを願うと、多分、辛いんでしょう」
独り言のように呟いてから、
「俺は紫眼 の企みを知らず、下の世界がした過ちも知らず、この世界も知らずの人生じゃなくて良かったと思っています」
と、彼はメモ書きを終えた日記を閉じた。
ふと、テフィラーの言っていたことが頭にちらつく。
『仮に本当だったとしても、あなたを利用しようとしているじゃない――』
彼女の心配は、アディンが簡単にシャルへヴェットの駒のひとつになりかねないと、見抜いてのものだろう。
その通りだ。ぼんやりと自分の意思のないまま近づけば、道具として一生を終えてもおかしくない。
目の前のこの人はきっと、紫眼 の企みも王たちの制裁も阻止できてしまう。
自分に降りかかったものを全部、目標を達するための力に変えられる。
そんな予感がしてならないのだ。
「アディン?」
呼びかけられて、慌ててシャルへヴェットの方に目を向ける。
「ごめん、ええと……」
「始めてもいいですか?」
「あ、うん!僕は一旦廊下に出て、呼ばれたら入って、鍵を締めればいいんだよね」
いきなり対面せず、日の王がメモ書きで状況を把握してから、アディンと対面させた方がいいだろうという策だ。
廊下に出て、アディンは大きく深呼吸した。
まだシャルへヴェットの計画に協力すると言い切っていないにせよ、もうすでに、すっぽりと片足を踏み入れてしまっているのだろう。
もう片足で踏ん張って引き返そうにも、一度はまった足にこびりついた泥に、自分は酷く悩まされるのだ。
コンコンと、ドアの内側から合図があった。
「入れ」
声は確かにシャルへヴェットのはずだが、どう聞いても、夢の中で聞いた声と同じなのであった。
「第一に俺は、俺の意志で日の王と会話することができません。向こうの気まぐれで、会話が成功するような状態です」
彼の中にいるという日の王とは、いつでも話ができる、というわけではないらしい。
言いながら、持っているノートをアディンに手渡す。
「それは日の王に向けた日記なんです」
「日の王に向けた?見てもいいの?」
差し出されたノートを手に、承諾を得て、アディンはぱらぱらとページをめくる。本当に出来事が記されただけの日記である。字も綺麗だ。
いや、日記というよりも何があったかが書かれている報告書にも見える。
「日の王と月の王が体を失って『意識』だけの状態になっていることは、この間話しましたっけ?俺は日の王に力を借りる代わりに、夜の間だけ、体を貸すことを約束しました。
アディンが以前遭遇したのは、ちょうど貸していた時になります」
「か、貸す?って、シャルはその時どうなってるの」
「俺は、ただ眠っているだけですね。日の王が何をしているかは知りませんが、目立つことは絶対にしない約束にもなってます。
日の王は、体を借りている間しか外の状況が把握できず、日記は日の王が、俺の日中の動きを確認できるようにするためのものです」
なら本当に報告書だ。アディンはざっと目を通し切るとそれを返す。
懐にノートを忍ばせながら、シャルへヴェットはため息をついた。
「出来事なんて夢の中で報告できればいいのに。彼は勝手なので、あっちが言いたいことのある時しか現れません。俺から呼びかけることはできなくて。できないのか、聞く耳を持たれていないだけなのか知りませんが」
体の中にいるからといって、仲良しとは限らないようだ。
前にも『取り憑いた』という表現を使っていたし、力と体を貸し合うという、利害が一致している関係に過ぎないのだろうか。
それと一点、気になった部分がある。
「シャルが日の王に借りてる力っていうのは?」
体を貸すなんて簡単に話しているが、アディン自身が同じ約束をするならと考えると、なかなかリスキーな条件だと思う。仲のいいわけではない相手なら余計だ。
それと交換条件の力なのだから、シャルへヴェットにもそれなりの利があるはずだ。
「シャルが
「鋭いですね。というより、その話をしたときはわけが分からなかったでしょうに、ちゃんと覚えていて感心します」
シャルへヴェットは、先ほどアディンが魔力を分けた時と同じように手を差し出した。
「赤眼を祓う力――」
その手をじっと眺め、彼は一層声を押さえて言う。
「俺が赤眼を普通の人より多く祓えるのは、単に
「……えっ?」
「紫の眼が魔力を多く持つことは事実。ですが瞬時に、しかも大量の人間の魔力を浄化する力は、実は別ものなんですよ」
「じゃあ、仮に僕が赤眼を祓えるようになったとしても、シャルほどは一遍に多くの人を治せないってこと?」
彼はこくりと頷く。
「他人の力を使ってこんな
祓い師長・シャルへヴェットは、拳を握るとアディンに皮肉っぽく微笑んだ。
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「日の王は、俺が
彼が阻止しようとしている企みについては、ちゃんと聞き出したいところだが、一旦そのまま話を聞く。
シャルへヴェットはまた、廊下の小窓をちらりと確認した。
「彼にしてみれば俺だって
今は月の王を探すための道具で、かつ動くための物理的な体として必要だから力を貸してくれていますが」
「シャルに体を貸す意思がなければ、日の王が他人の体で自由に動くことはできないんじゃない?」
「いや……」
それがそうでもないのだと、彼は悔しそうにした。
「体内にいる時間が長ければ長いほど、日の王の意識は浸透して、この体に慣れていくようなんです。アディンに接触した時も、目立つことはしないという約束を破った。だから、俺自身が従わなくても、いずれは乗っ取られてしまうのでしょう」
なるほど。アディンは先ほどの条件の意味がわかって、はっと口元に手をやった。
「ひょっとして、あえて友好的な約束した上で体を貸してあげることによって、勝手なことをされるのを防いでるってこと!?」
アディンの推理に、シャルへヴェットはきょとんとすると、ふき出した。
「はは、そう言われるとなんだか策士っぽくてかっこいいですが、当時、体の自由が効かなくなったのが怖かったので、ルールを決めてくれとお願いしただけですよ」
「え、あ、そうなんだ。よくお願い聞いてくれたね」
「死んでやる!って喚いたので……。赤眼を多く祓える力はおまけみたいなもので、死なせないために向こうが機嫌取りでしてきた提案です」
「え」
お願いしただけという言い方にしては、怖いお願いの仕方だ……。
ただ、他に取り憑きやすい相手のいないこの世界で、適合できている体に死なれるのは日の王が最も困ることなのだろう。
完全に乗っ取れないうちに乱暴なことをすれば、本来の持ち主が自身の体に何をするか分からない。
ずっと不思議な話の感覚がどこかにあったが、生死が絡んだ途端、他人事とは言っていられないような焦りを覚えた。
同じく、
「……僕の中の月の王も、いつかは僕を乗っ取って、制裁のために利用しようとしてるのかな」
「初めから利用する気がなければ、人の体に取り憑くなんてことしませんよ」
シャルへヴェットは冷たく言い放つと、さて、と上着とグローブを着始めた。
「そういうことで、日の王と話してみますか?」
そうだった。
シャルへヴェットと日の王の話を聞いたところで、話題がひとつ前に戻る。
日の王と直接話すことで、未だアクションのない月の王に、なにか影響を与えられるかもしれない。
「俺の目の届かないところで、アディンが日の王と会うのは危ないという理由は、わかっていただけたかと思いますが……」
「……」
「それでもやりますか?」
もし、月の王が自分にアクションを起こせるようになって、ゆくゆくは体を乗っ取ろうとしてきたら……。
ぶるっと身震いがして、アディンは返事をしかけて言い淀んだ。
その恐怖の一方で思うこともある。
いつもの夢で歌っているのが、アディン自身ではなく『月の王』だったら。
燃え盛る世界の中で、言っていた。
『最期まで癒すしかないの』
癒す、とはどういう意味だろうか。
医師を志すアディンにとって、あの状況下でも民を『癒そう』としているその人が酷いことをするとは、どうしても思えなかった。
夢の人物が月の王だとしたら、だが……。
「それでも僕、日の王と話してみたい」
シャルへヴェットは頷くとゆっくり立ち上がる。
裾を整えてから、彼は扉の方に目をやった。
「人の来ない場所に行きましょう。ここでは、誰かが入ってきた時に困りますから」
「うん」
日の王と対面する緊張と、知りたい気持ちが混じり合い、アディンはぎこちない足取りで病室を後にした。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
廊下を少し進んだところに、内鍵の掛けられる個室があった。中は物置にされているのか大きな荷物でかさばっていて、二人入っただけでそこそこ狭い。
イェソド教会に来てからここまで、ずっと動きっぱなしなのを忘れているくらい、アディンは目前の未知に触れたくなっていた。
「シャル」
日記にメモ書きしていたシャルへヴェットが顔を上げる。
「シャルは日の王がいて辛かった?」
話を聞いていて、アディンはずっと気になっていた。
そりゃあ嫌いだろうということは話の端々から伝わってきたが、シャルへヴェットは彼をあまりよく思っていないだけで、現状は実害を与えてくる存在というわけでもない。
気ままに登場されるのは落ち着かないかも知れないが、そういう相手とずっと関わり続けてきたシャルへヴェットが、どう気持ちの折り合いをつけてきたのか聞きたくなった。
「
「でも、日の王がとり憑かなかったら、
「無いものを願うと、多分、辛いんでしょう」
独り言のように呟いてから、
「俺は
と、彼はメモ書きを終えた日記を閉じた。
ふと、テフィラーの言っていたことが頭にちらつく。
『仮に本当だったとしても、あなたを利用しようとしているじゃない――』
彼女の心配は、アディンが簡単にシャルへヴェットの駒のひとつになりかねないと、見抜いてのものだろう。
その通りだ。ぼんやりと自分の意思のないまま近づけば、道具として一生を終えてもおかしくない。
目の前のこの人はきっと、
自分に降りかかったものを全部、目標を達するための力に変えられる。
そんな予感がしてならないのだ。
「アディン?」
呼びかけられて、慌ててシャルへヴェットの方に目を向ける。
「ごめん、ええと……」
「始めてもいいですか?」
「あ、うん!僕は一旦廊下に出て、呼ばれたら入って、鍵を締めればいいんだよね」
いきなり対面せず、日の王がメモ書きで状況を把握してから、アディンと対面させた方がいいだろうという策だ。
廊下に出て、アディンは大きく深呼吸した。
まだシャルへヴェットの計画に協力すると言い切っていないにせよ、もうすでに、すっぽりと片足を踏み入れてしまっているのだろう。
もう片足で踏ん張って引き返そうにも、一度はまった足にこびりついた泥に、自分は酷く悩まされるのだ。
コンコンと、ドアの内側から合図があった。
「入れ」
声は確かにシャルへヴェットのはずだが、どう聞いても、夢の中で聞いた声と同じなのであった。