第二章:紫眼の目的

 辺り一面、火の海だった。
 焦げついた空気が喉を焼き、声が出ているのかもわからぬまま『私』は歌う。

 ――あ、夢だ。

 最近、これが夢だということに、夢の中で気がつくようになってきた。
 同じ風景、同じ匂い、同じ旋律。
 自分が歌を歌っているあたりで、夢だとわかる。

 歌っているのか、それを遠くで見ているのか。
 どちらが正解かは曖昧で確かめようがないのだが、何度も見るこの夢の内容はいつも同じなので、この後どちらに目線を移動させるのかはわかっている。

 地面が大きく揺れ、身をかがめる。

「ここにいたのか」

 声がして、やはり思った方向に目をやると
 は、ぴりっと全身を駆ける衝撃と共に、反射的に言葉を漏らした。

「日の王――!」

 王と呼ぶに相応しい身なりは、もうあちこちが焦げて、見るも無惨な姿であった。
 見たことのないはず、いや、その人がそうだと知らないはずなのに、
 僕には誰だかわかる。

 突如、胸が――いや心臓と言った方が近しいか――ぎゅうっと握られるような感覚に襲われた。

 苦しさに身をよじると、ちかちかとする視界が吐き気を誘い、額を地面に押し付ける。
 私は、違う、僕は誰だ。
 僕は――……!

『私の夢を見るのは誰?』


 ――小刻みに継続する椅子の揺れに驚いて、アディンは目を覚ました。立ち上がると、振動が停止する。

「大丈夫?」

 まだどくどくと大きく音を立てる心臓に手を当てて、短く何度も繰り返す呼吸に意識を向ける。
 心配そうに覗き込む隣の人がテフィラーだとわかると、アディンは急に安堵感を覚え、目を滲ませた。

「ご、ごめん。大丈夫……ちょっと怖い夢見ただけ」
「やだ、泣いてる?着いたわよ。ゆっくり立って」

 テフィラーに肩を支えてもらいながら、席を離れる。
 硬貨を入れると馬車の扉が開き、二人は街に降り立った。

「寒い……この空気だぁ」

 やっと深呼吸をして、戻ってきた実感を噛み締める。指先は冷え切っていたが、心地よかった。

 さっきの夢はなんだったのか。
 いや、夢の内容はわかっているのだが、問題はあの、日の王らしき人物と、最後の声……だ。
 私の夢を見るのは誰。

 あの声は、夢の中でいつも聞こえる歌声と、そっくりだったのだ。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 ここから診療所までは、歩いて三十分ほどだ。なぜ街から離れたところに建っているのか、理由は不明だが、何度も不便だと思ったのは間違いない。

 夢のことは、アディンは引き続き誰にも言わず黙っておくことにした。
 おかしい奴だと思われそうで、昔から他人に話すことはしなかったのだが、もう一つ理由ができたのだ。
 シャルヘヴェットの話に出てきた『日の王』と『月の王』のこと。これらについては、二人の間だけでの話題にするよう、実は彼から釘を刺されていた。

 シャルヘヴェットの中にいる(というのがどういう状態なのかまだよくわからない)日の王の存在は、彼が最も信頼をおくイェソドの教皇や、従者たちにも話していないらしい。
 自分が余計なことを口走ったせいで、彼の長年の計画をおじゃんにしてしまったら、さすがに申し訳が立たない。固く、固く口を結ぶ。


 テフィラーが診療所まで送ってくれるというので、ありがたく同行してもらうことにした。

「なんだか、長い旅をした気分だったな」
「そうね。一週間も経ってないはずだけど」

 相変わらず雪国で見るテフィラーの服装が寒そうで、アディンは少し心配になる。

「う、上着貸そうか?」
「え?ふふ、大丈夫よ。寒いのは暑いのより得意なの」

 アディンが上着を脱ぎかけて返って寒そうにしているのが、テフィラーは可笑しかったようだ。
 いそいそと上着を気直しながらアディンが大きなくしゃみを放つと、その背中をテフィラーは反射的にさすってくれる。

 改めて、しっかりした人が一緒にいてくれて、本当に助かったと思う。

 テフィラーと関わるのは今日までなのだろうか。彼女が堂々と歩く姿を見ていると、急に寂しくなってしまった。
 歩みが遅くなったアディンを、またテフィラーは心配する。

「具合悪い?」
「う、ううん。今まで誰かと会えなくなるってことがなかったから、もうこれきりなんだなって思うとちょっと寂しくて」
「あら、奇遇ね。私もなんだか名残惜しい気持ちになってたわ」
「テフィラーはこの後仕事に戻るんでしょ?」
「それなんだけど……」

 テフィラーが言いかけた時、遠くの方から籠を背負った白衣の男が、大きく手を振りながらこちらに走ってきた。

「アーディーンー!」
「えっ、レフアーさん!?」

 白衣の男――レフアーは歳に見合わない走りをしたせいか、豪快に息を切らしながら、へろへろとアディンの元へたどり着いた。

「全く!お前がいなくて、診察忙しかったんだぞ!」

 怒られたかと思ったら、彼は満面の笑みだった。はー、と長く息を吐き呼吸を整えると、レフアーは膝に手をつきながら、アディンを見上げる。

「おかえり」
「たっ、ただいま」

 やっと、突拍子もなく訪れた旅の終わりが顔を覗かせる。
 しかしこの帰還は、アディンの目まぐるしい旅の始まりの一節に過ぎなかった。
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