第二章:紫眼の目的

 テヴァが生まれたのは、首都マルクトから一番離れた都市・ケセドの最も端、6−2地区だった。
 ここまで来ると馬車も一週間に一度、二つ先の街に来るレベルで、街というよりも村、集落のようなところだった。

 テヴァはそこに数十年ぶりに生まれた子供で、五十人足らずの村民、皆に可愛がられていた。が、その一方で、面倒なことは大人の話だとはぐらかされていたため、子供扱いされるのは大嫌いだった。

 日々長老に剣の稽古をつけてもらうのが一番の楽しみだった少年・テヴァは、体を鍛えると「強くなったね」と皆に褒められるのが嬉しくて、毎日トレーニングを重ねていた。


 そんなある時、テヴァの父の目が突然赤く変化し、村のあちらこちらで同じ症状が見られるようになる。

 長老はこれはよくないと言って、ケセド都の中央まで手紙を出しに、片道三日かけて出て行った。
 何が危険なのか、大人たちはテヴァにはちゃんと教えてくれなかったが、何かあったら得意な剣を握りなさいと、父がやたら口癖のように言うようになった。

 テヴァには詳しい状況がよくわからなかったが、赤い目になる現象が「よくないことだ」というのは、子供ながら村の空気でわかった。
 長老がほぼ一週間かけて戻ってきた頃、テヴァの瞳も、赤く染まっていることに気がついた。

 なにか嫌な予感に、テヴァの心臓は嫌に音を立てて鳴り響いた。母は、毎日神に祈るようになった。


「母ちゃん、最近父ちゃんの帰り遅くない?」
「仕事が忙しいんだって。寝る時には戻ってくるけ。んだから、何かあったらそん時に話しんさいね」

 後になって、この父の行動の意味が理解できた。
 父は、家の中で万が一魔物化したら家族を傷つけるから、家にいる時間を極力短くしていたのだと。


 長老が帰ってきて数日、村の赤い目の人が増えてきたその日は、朝からべっとりと肌に張り付くような雨が降り続いていた。
 昼過ぎ、雷混じりに強くなっていく雨の中、
 事件は起きた。

 外から三軒先のおばさんの叫び声が聞こえたのが地獄の始まりだったのを、まだ鮮明に覚えている。テヴァは甲高い声に驚いて、剣を手に家を出た。

――そこには、見たこともない禍々しい魔物の姿があったのだ。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 悲鳴をあげていたおばさんの姿はなかった。テヴァを見つけた魔物は、こちらに向かってものすごい速さで襲いかかってきた。
 赤い魔物の瞳と目が合い、テヴァは叫びながら反射的に手にしていた剣を振るった。
 剣先は見事に魔物の頭を捉え、魔物は光に溶けるように散っていく。

「きっ、消えた……」

 突然の出来事に混乱しているのもおかまいなしに、他の家からも扉を蹴破って次々に魔物が現れる。
 雷の光で照らされたその光景は、言葉にしきれない程に、おぞましいものだった。

 その光景に圧倒された刹那、魔物の大きな腕の一振に、テヴァは大きく体を弾かれる。
 強い衝撃を受けたテヴァは一時、このまま死んでしまうかもしれないと震えたが、魔物の次の攻撃が飛んでくると、すぐさま現実に引き戻された。

 何度も何度も剣を振る。
 四、五体葬っただろうか、周囲に魔物の気配がなくなった隙を見て、テヴァは急いで両親の元へ戻った。


 しかし。

「テヴァ……逃げんさい」

 ぬた、と水溜まりとは違う感触がテヴァの足裏から伝わる。

 玄関に、血の海が広がっていた。

 そこには背中に大きな傷を作って倒れる母。
 と、その後ろにいたのは

「父……ちゃん!?」

 テヴァにはわかった。
 後ろの魔物は、父だ。

 ぞわぞわと、背中から虫が這い上がるような気持ちの悪い感覚に、耳の先までもがジンとする。

 動けなくなるテヴァに、父――魔物の鋭い爪が振り下ろされた時、
 最後の力を振り絞って立ち上がった母が、身を呈して息子を守った。

 背後から胸を一突きされた母は、テヴァをわずかな力で抱きしめると、その場に崩れ落ちた。

「母……ちゃん!?あっ……い、嫌だ!」

 父に向かって叫ぶが、その声はただの一音も届くことはなかった。

「テヴァ逃げろ!」

 外から隣の家のおじさんの声がした。
 父であったものに追われながら、テヴァは村を走った。すれ違う人か魔物か、もう何が何だかわからなかったが、何度も名前を呼ばれた気がした。

 テヴァ、逃げて、テヴァ!

 後ろからずっと追ってくる魔物の攻撃が繰り返しテヴァを襲うが、テヴァはそれに対して剣を振ることができなかった。

「なんでだよ父ちゃん!」

 靴が水を吸ってぬかるみにはまると、たちまち体勢は崩れ、その場に思い切り転んでしまう。
 口に泥が入ったのか、苦い味が舌にへばりつく。

 もうだめだ。そう思った。

 でも最後に、父に元の姿に戻って欲しかった。テヴァは振り向くと、大きく息を吸って叫んだ。


「目ぇ覚ませよ!父ちゃん!!」

 声と共に。

 目の前に人影と鮮血が映った。
 そして魔物だったそれは、一間置いて光となり、消えていった。

「え――」

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 青い髪の青年が、脇腹から血を流して立っていた。
 彼は剣を納めて、水溜まりを気にせず近づいてくると、テヴァを覗き込みそっと手を差し伸べた。

「立てますか」

 息を切らしてこちらを伺うその体は、重たい雨を吸い込んで冷え切り、ずぶ濡れの状態だった。
 村人以外の人間を見たのはいつぶりだろうか。ぼーっとする中、テヴァは頭の遠くの方でそう思った。

 目が合った時、青年はハッとしてテヴァの手を無理矢理に引き出して握った。

「私の目を見て」

 言われるまま、テヴァは焦点が定まらない視界でその青年の瞳を見つめた。今にも吸い込まれてしまうんじゃないかと思えたくらいに、深い紫だった。

 何かが吸われていくような感覚と同時に、オーバーヒートしていた頭が元に戻ってきて

「やめろ!」

 思わずテヴァは立ち上がり、その手を振り解く。

 青年は驚いた様子でテヴァを見やるが、テヴァは今度は、恐怖より怒りで頭がいっぱいだった。

「この人殺し!」

 青年はすぐに、テヴァの怒りを理解したようだった。

「父ちゃんを返せよ!!」
「ああなったらもう、あなたの父親ではありません」

 降り続く雨のように冷たい声色に、テヴァの目から勝手に涙が溢れ出す。

「クソ、なんなんだよ!誰が決めた、そんなこと!」

 嗚咽と共に必死に訴えるテヴァに、青年は片膝をついて頭を下げた。

「……間に合いませんでした。私たちがもっと早く来れたらよかった。本当に、申し訳ありません」

 冷たい、冷たい、自分を包み込む全てに訴えかけるかのごとく、テヴァは青年の胸を何度も叩いた。
 父ちゃんを殺した!お前が父ちゃんを殺したんだ!と叫んで。

「ごめんなさい」

 青年はいく度目かの拳を受け止めてそう言うと、まだ他にも治さないといけない人がいるようなことを言って、その場を去ってしまった。

 なんだよそれ……。
 やるせない気持ちで、テヴァはよろよろと家に戻った。
 そこには赤黒く染まり転がった、母の姿しかなかった。嫌でも目に飛び込んでくるその光景に、テヴァは泣きながら何度も吐いた。
 その背をさすってくれる手は、もうない。

 長い夜がじっとりと過ぎていった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

――翌朝、テヴァは全ての出来事を改めて確認すると、長老の家へ急いだ。
 まだ気持ちの整理は少しもついていない。
 長老は無事か、焦る気持ちがテヴァの背中を押した。

 ぬかるみを避け、長老宅にたどり着くと、テヴァは意を決してボロの扉を勢いよく開けた。

「長老!」

 そこには驚いた表情の長老と、テヴァの知らない、金髪を高く両サイドに括った少女がいた。
 十一歳のテヴァより、幼く見える。

「ああ、テヴァ……!」

 長老がよろよろと駆け寄ってきて、汚れたテヴァの肩をしっかりと掴んで抱きしめた。

「生きていてくれたか……!よかった、本当に!」

 初めて見る長老の涙に、テヴァは戸惑って、なんと声をかけたらいいのか困ってしまう。

「お父さんとお母さんは……」

 長老にそっと尋ねられ、テヴァの頭の中を走馬灯のように、昨日の記憶が巡って行った。

「し、死んだ」

 両肩を支えていた長老の腕が強ばる。

「そうだ、殺されたんだ!父ちゃんは!男だ、青い髪の、紫の目の……!」

 喉から絞り出した声に、真っ先に反応したのは長老ではなく、奥に座る金髪の少女だった。

「シャルヘヴェット様は、人間を殺したりなんかしないわ」

 彼女は立ち上がって、すたすたとこちらに寄ってくる。よく見ると昨日の雨にうたれたのか、服があちこち汚れていた。

「あんたでしょ、魔物から逃げてた子供って」
「は……」

 突然睨みつけられて、テヴァは思わず睨み返した。
 長老がやめなさいと言うが、相手が睨んでくる限り、こっちだって目は逸らせない。

「目の前で、消えた!父ちゃんはあいつに切られたんだ!」
「ふざけないで!」

 甲高い叫びに、テヴァはたじろいだ。

「あんたを庇ったせいで、シャルヘヴェット様は傷を負ったわ!しかも雨の中ずっと動きっぱなしで、酷い熱なのに……!助けて貰ったあんたが、何で恩人を人殺し呼ばわりすんのよ!」

 彼女はそう言うとテヴァの胸ぐらを勢いよくつかんだ。

「もう一度殺されたなんて言ってみなさい。その口、喋れないようにしてやる」
「カナフ!やめなさい!」

 低い叱責の言葉に、カナフと呼ばれたその少女はあっさりとその手を離した。拍子抜けして、テヴァはよろめく。
 彼女を叱ったのは、あの男だった。

「ああ、フラムマ殿!無理に起き上がってはならん」

 長老はテヴァの肩をぽんと叩いて離れると、男の体を支えるように駆け寄った。
 男は、見るからに大怪我をしており、赤く火照った額はぐっしょりと濡れていた。
 彼はテヴァの元まで歩いてくると、昨日と同じように片膝を地面につけてテヴァを見上げた。

「イェソド教会のシャルへヴェット・フラムマです。あなたのご家族とこの街を治しきれず……申し訳ありませんでした。
 また、彼女はまだ経験が浅く、慣れない責務を必死にこなしている状態です。どうか部下の非礼をお許しください」

 そう言って深々と下げられた頭に、テヴァは言葉を失った。
 怒りに溢れていれば、怒鳴りつけられたかもしれない。もしくはこの男がもっと偉そうにしていれば……。

 さすがに弱っている相手に怒りをぶつけることは、テヴァにはできなかった。

「テヴァや……」

 シャルへヴェットが頭を下げたままなのを見て、代わりに長老がテヴァに向かって口を開いた。

「わしはこの方に、皆の赤い目を治してほしいと手紙を出したんだ。こんな遠い土地まで遥々お越しくださった。しかも、こんなに体を張って村の病気を治してくれたんだよ」
「……」

 たしかにあの時、この男が父を切らなかったら、今頃自分は死んでいたことだろう。
 治した・・・の意味はわからなかったが、この男が来たことで魔物騒ぎが収束したことも明らかだった。

「フラムマ殿、この子は村で唯一の子供だ。我々大人は都合の悪いことを隠して育てて来た。この子は何も知らないんだ。
 こちらこそ、恩人方に働いた無礼な態度を代表して詫びさせてほしい」

「無礼だなんて、とんでもない」と顔を伏せたまま返したシャルへヴェットの足元には、高熱によってぽたぽたと汗がこぼれていた。

 長老はテヴァの名を呼ぶと、また両肩に手をかけ、家の外へ連れていった。

「テヴァ、すぐに分かれとはわしも言えた立場じゃないが、きっとお前なら、あの方々のありがたさがわかる時が来る。今は理解できなくてもいい」

 長老の見たことのないくらい弱々しい表情に、テヴァはなんと言ったらいいかわからない。

「皆いっぱいいっぱいでな。お前が顔を見せたら救われる人がたくさんいるだろうから、少し、村の皆の様子を見てきてくれんか」
「……わかったよ。長老は無事でよかった」

 俯きながらそう答えると、長老はぼろぼろと涙を流して泣いているようだった。その顔を見てしまったらきっと苦しくなる。
 テヴァは長老に背を向け、村の中央へ戻った。
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