第一章:魔物化現象
「おや、テフィラー」
魚車のチケット売り場で、彼女が近づいて来たのがわかったシャルヘヴェットは、人混みを抜けて歩み寄る。
「すごい人ね」
「ええ、ティファレト都付近の天気が荒れているらしく、一部の魚車が止まっているそうです」
「それはタイミングの悪い……」
時間帯によっては、欠航の札が立っている。
「テヴァが今、頑張って取ろうとしてくれてはいるんですが」
そう言って肩をすくめたシャルヘヴェットに、なるほど、と一向に進まない列を見たテフィラーも、短くため息をつく。
魚車は馬車に比べて大人数を運ぶことができるが、天候によって海の状態が左右されるため、そういった影響も受けやすい。
この人の量からして、かなりの時間立ち往生を食らってる人がいるようだ。
「シャルヘヴェット様〜!」
人混みに揉まれながら、テヴァがへろへろと五枚のチケットを高く掲げて戻ってきた。
「うお、テフィラー様も!これ、一応最速の取ったんすけど……」
そう言ってテヴァが見せてきたのは、明日の昼の便だった。
「夜を越えたら天候も落ち着く予報らしいんで、この便は影響受けねぇと思うっす。イェソド港もネツァク港も、どっちもティファレト港の乗り換え便になっちまいました」
直行は売り切れてました!とテヴァは無念がる。
「十分ですよ。ありがとうございます、テヴァ。そしたら早めに宿を取らないと……」
「皆、考えることは一緒よね」
テヴァははっとして曲がった腰をぴんと伸ばした。
「そうだやべぇ!部屋埋まる!」
すかさず駆け出すテヴァに、行かせてしまった、と申し訳なさそうに呟いて、シャルヘヴェットは受け取ったチケットうちの二枚をテフィラーに手渡す。
「ありがとう、助かったわ。これ……チケット代、おつりは結構よ」
「ああ、すみません。返って気を遣わせましたね」
代金とチケットを懐にしまうと、シャルヘヴェットは改めて彼女に視線を向ける。
「そういえば。テフィラーはどういうお仕事をなさってるんですか?差し支えなければでいいんですが……」
「あ、ええ。そうね、製薬会社の営業をしているの」
テフィラーはそう言うと、胸ポケットから名刺を取り出した。
「主に魔法薬を開発している会社よ。有名なのだと魔法着火薬とか」
「魔法薬の。そうでしたか、では魔法にもお詳しい?」
「魔法は……そう、ね。一般人よりは知識があるかもしれないわ」
ふむ、とシャルヘヴェットは意味ありげに頷いた。
「あなたの体内魔力量はとても多いから、魔導兵器を使わなくても、魔法を唱えられるんじゃないですか?」
「え。なぜ……多いとわかるの?」
驚いた様子のテフィラーに、少し申し訳なさそうに彼は視線を外して言った。
「目を合わせている時間が長いと、まあまあその人の魔力量も透けて見えるんです。ほら、魔力は目に宿るでしょう?」
「えっ、そんな目を合わせる程度の接触で、覗くことができるの?」
「い、意図的に覗き見しようとしていたわけではないんです!たまたま……魔法職関連に携わっていてもおかしくない魔力量が見えたので、ちょっと気になったというか。興味本位ですみません」
両手を振って誤解されないようにするシャルヘヴェットに対して、テフィラーは目を丸くしつつも、口調は冷静だった。
「赤眼を祓う時も目を見てらしたものね、あなた。体内の魔力を入れ替える時も、似たようなプロセスを踏むのかしら」
じっと視線を送られて、シャルヘヴェットもそれに応えるように、今度はしっかりと目を合わせた。
「鋭いですね。目を覗くのは一種の職業病ということで許してください。少し辿っていくと、体を巡る魔力の粒子のようなものが見えるんです……とても、感覚的な話ですが」
面白そうに目を合わせたまま話を聞くテフィラーは、シャルヘヴェットの美しい紫の瞳に対しても、一切それを泳がせることはしなかった。
「魔法――」
彼女は表情を変えることなく、まっすぐにシャルヘヴェットに問いかけた。
「ちゃんと唱えられたら、楽しいって思えるのかしらね」
「……」
どこか物悲しそうなテフィラーの後ろで、海に落ちた陽がきらきらと眩しく反射する。
逆光で暗くなった彼女の姿は、今にも影に消え入りそうで、シャルヘヴェットはその問いに「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「ほんっとうに、この濃厚なチーズがたまりませんね!」
串焼きになった肉を引き抜く度に、香ばしく焼かれたチーズがみょんと伸びる。
アディンとカナフは、ゲブラー都の名産チーズを堪能しながら、アツアツの肉に食らいついた。
「アディンさんの好物はなんですか?」
「好物?な、なんだろう……シチューとか好きだよ」
「シチュー!私も好きです!」
いちいち大きなリアクションを取られるので、そのコロコロと変わる表情が、なんだか面白く見えてしまう。
「僕の住んでるところは寒いから、シチューを火にかけたままパンを浸して食べるんだ。部屋も暖かくなるし、パンも柔らかくなって美味しいんだよ」
「ほー!寒いところで食べるシチューはきっと格別なんでしょうねぇ」
口元をおさえて羨ましそうに話を聞くカナフに、思わずアディンは笑ってしまった。
「こんなにお腹いっぱいなのに、まだ食べ物の話してる!」
「あは!たしかに〜」
つられて笑うカナフは、まだいけますけどね!と謎のアピールをしてきた。
「アディンさんのこと、会う前は全く知らなかったので、嫌な奴だったらどうしようかと思ってました」
「い、嫌な奴?」
「ほら、テヴァみたいな!なのにもう、全然そんなことないですし、むしろ想像より百倍いい人でめっちゃラッキーです!ちゃんとお名前どおり『優しいもの』って感じで」
唐突な褒めにアディンは頬を赤くする。
そしてふと気づく。
「カナフ、古代語わかるの?」
「や!えと、まあこれでもシャルヘヴェット様の従者ですからねっ。それなりの知識がないと、やらせてもらえないんじゃないでしょーか!」
そう言いながら照れ隠しにジュースをすするカナフ。
「頭いいんだね……」
「ち、ちなみに!私のカナフって名前は『翼』を意味するんですよぅ。どこまでも〜羽ばたける〜」
彼女は誤魔化すように歌って、またジュースを口につける。
相当自慢できるようなことなのに、褒められ慣れていないのだろうか。
「すごいなぁ。カナフとかテヴァとか、歳もあんまり離れてないのに、ちゃんと仕事してて。僕ももっと役に立てるようにならなきゃ」
しんみりとするアディンをそっと覗くように見て、カナフはゆっくりと尋ねた。
「アディンさんは、シャルヘヴェット様の紫眼 のお話聞いて、協力したいって思いましたか……?」
すぐに返答が見つからず、言葉を詰まらせるアディン。
「それ、は、僕しかいないのなら協力しなきゃなのかなとは思う……」
「……そうですよね、アディンさんに無理に同意させることになってしまうんじゃって、シャルヘヴェット様も気にしてました」
読まれているかのような言葉に、アディンはぎくりとする。
カナフはもじもじとしてから、一呼吸おいて向き直った。
「実は私も、従者の仕事は自分の意志ではなくて」
どういうこと?とアディンは目を見張る。
「昨日テフィラーさんには話したんですけど。私、三年前の任務中の事故で頭を打ってから、それ以前の記憶がないんです」
「えっ。記憶喪失?」
「はい〜。気づいたら教会のベッドで寝てました。言葉は話せても、名前も、自分のしていたことも覚えてませんでした」
元々、と彼女は話を繋げる。
「従者は私一人が務めていたんです。感染地での魔物との応戦中に、シャルヘヴェット様を庇った私は、崖から足を滑らせた……らしいです。シャルヘヴェット様が言うにはですが」
そういうことがあって、それからは従者は二人編成になったらしい。
「シャルヘヴェット様、初めは記憶を思い出してもらおうと、色々昔の話とかしてくれたんです。けど多分、何を聞かされても困ってしまう私を気遣ってか、だんだんとあまり言わないようになりました」
「カナフは結局、全く思い出せないんだ……?」
アディンの問いかけに、カナフは困りと呆れを含んだ笑顔を作ってみせた。
「ま!私自身あんまり気にしてないんですっ。引き続き務めさせていただいてる従者の仕事も大好きですし、記憶がなくて問題が起こることもありません!こんな状態でも従者を続けさせてくださる、恩返しのつもりでっ」
「そっか……」
ジュースを飲み干すと、カナフは大きく伸びをしてから続けた。
「私はきっと、教会できちんとお勤めができるように必死に勉強したと思うんです。でもそんなに努力した理由が、今の私にはわからなくて。けど今はもう、記憶喪失の不安なんてどっか行っちゃって、楽しくやってます!」
カナフは早口に喋りきると、両手でアディンの右手を包み込んだ。
「えっとつまり何が言いたいかというとっ。やってみたら色々見えてくるというか、まずはトライ精神もアリかなぁと、私は!私はそう思ってます!」
「カナフ……」
彼女が彼女なりに元気づけようとしてくれていたことがわかって、アディンは握られているカナフの両手にそっと左手を被せた。
「ありがとう。僕ちゃんと考えてみるよ」
アディンの答えに、カナフの顔はみるみる明るくなる。
「はい!」
そんな二人の背後から、大きな影がぬっと伸びた。
「なにこんな出店通りのド真ん中でイチャついてんだ、お前ら」
「いちゃ……!?」
「うわ、テヴァだ!げえ」
また舌を出すカナフに、てめぇ……と怪訝そうな顔をしてから、テヴァは大きなため息をついた。
「くそ、宿、全然空いてねぇ」
「宿?なんで宿?」
状況がわかっていない二人に、テヴァはチケットの話をしてやる。まさかの足止めに、早めに手紙を書いてよかったと、不幸中の幸いにアディンは胸をなでおろした。
ただ不幸なのは変わりない。
「で、なに?部屋が見つからないってこと?」
「いや、一部屋は取れたんだけどよぉ」
走り回っていたようで、彼の鍛えられた首筋には汗が滴っていた。
「五人で一部屋は、なかなか問題でしょ」
カナフの小さな呟きにテヴァが食らいつく。
「五人で一部屋なわけあるか!俺がなんとかテフィラー様と同室になろうと企んでる、小っせぇ奴みたいだろーが!」
「実際そうでは?」
「ちげーわ!モラルくらいあるっつの!」
また喧嘩が始まりそうなので、アディンは慌てて割って入った。
「ぼ、僕も一緒に探すよ!」
睨むような目がこちらに向いたので一瞬たじろいでしまうが、アディンはそこをグッとこらえて頷く。
しかしテヴァは応戦することなく、燃え尽きたかのように膝をついた。
「もうこの街の宿、全部回ったっつーの……」
絶望を体現したかのような有り様なので、アディンとカナフは仕方なく彼を連れて事情を説明しに、船着き場に向かった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「あら、それは災難ね」
事情を知ったテフィラーの第一声は凪だった。
「まあ、最悪私は寝なくてもいいわ。都心は夜も明るいだろうから、散歩でもして……」
「や!変な輩がいるかもしんねぇんで、それは危険っす!」
「あんたが変な輩だから」
テヴァの心配する声にツッコミながら、カナフは上司に指示を仰いだ。
「我々は近くの街まで行ってみますかっ?」
「うーん、そうですね。狭い部屋にお二人をご一緒させてしまうのは少し気が引けますし、俺たちは隣町まで行ってみましょうか」
シャルヘヴェットの決定を、アディンは急いで却下する。
「宿はそもそもテヴァが取ってくれたんだし、僕は……ご、五人一部屋でもいいよ!」
「え」
意外なところからの思い切った一声に、皆は驚きながらも顔を合わせる。テヴァがため息をつきながら首を振った。
「これだから、旅の宿事情を知らないお子様はよー」
「う。で、でも隣町だって空いてるかわからないんだよね?」
怖気ずに正論パンチを打ってきたアディンに、テヴァは「そりゃそうだけどよ!」と反論しきれない。
「それに、結構楽しいかもしれないし……」
「アディン、あなた……。本当に心配」
そう言いつつも、テフィラーは最終判断を教会メンバーたちに委ねた。もごもごと似たようなやり取りを繰り返したが――日が暮れてきたのもあり――最終的に、合意に落ち着くのだった。
部屋の広さはそこまで狭くはなかったが、二、三人部屋なのか、ベッドは二つと、簡易的なものが一つしかなかった。
それでも、部屋に入った途端に一時的な豪雨が襲ってきて、取れたのがラッキーだと言ってもいい結果だった。
「私、誰かと一緒のベッドでもいいですよっ」
はーい、と手挙げながらカナフは冗談交じりに言ったが、さすがに、ぜひと返す人はいない。
「私しかいなくない……?」
「テフィラーさんが狭くて嫌じゃなければ!」
まあそれは全然……と歯切れ悪くもテフィラーが乗ってやる。
シャルヘヴェットは机を見つけるとそこに荷を下ろし、
「俺は書き物がしたいので、今晩はここの机借りますね」
と、さり気なく残りのベッドを譲る。
「じゃあ僕はこっちに……」
「お前ちゃんとしたの使えよ。旅慣れてねぇんだから疲れてるだろ」
簡易ベッドに行きかけたアディンをテヴァが止めた。彼の気遣いの一面に少し驚きながら、アディンは礼をして、広いベッドを使わせてもらうこととなった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
皆が寝静まった頃、アディンはふと目が覚めて、窓の外の月明かりを見やった。まだ夜だとわかると、布団の中で二、三度寝返りを打つ。
すぐに寝直せない予感にまいって体を起こすと、机にいたはずのシャルヘヴェットの姿が消えていることに気がついた。机上には、ノートだけが残されている。
そっと近づいてみると、何冊かあるポケットサイズのノートをまとめていたようだった。感染地記録、魔力量記録、教会職務予定……今開いているノートは日付と四、五行の文が書いてある。どうやら日記のようだ。
堅実な人だと思い、つい整った字の頭の文をちらりと盗み見たら、内容が気になってしまった。
だが、いけない、いけないと首を振り、立ち上がりがてら、せっかくなので夜の街をちょっとだけ散策してみることにする。
音を立てぬよう、そろりとドアに手をかけ部屋から出たところで、
「あっ、シャル」
廊下から戻ってきたシャルへヴェットと目が合い、体が固まった。覗きかけた日記のことと、暗い廊下が相まって驚いてしまった。
「……」
対してシャルへヴェットはだんまりで、じっとこちらを見つめていた。
アディンと鉢合わせしたことにびっくりして声が出ないのかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。
なんか。
変な感じがする。
「シャルじゃ、ない?」
ぽろりと出た言葉に、自分でも意味がわからなかったが、
「ほう」
と、その一言にシャルへヴェットは笑みを浮かべた。
「魔力が読めるのか」
「え、いや……本当に、シャルじゃ……?」
「なんだ偶然か。まあいい、彼女を出せ。貴様に用はない」
誰だ……!?
目の前にいるのは姿も声も間違いなくシャルへヴェットだが、
これは別人――。
「彼女って、誰のこと」
「しらばっくれるな」
シャルへヴェットは鋭くアディンを睨むと、逃がさないとでも言うかのごとく、壁に手を回し、道を塞いだ。その体格差と勢いに、アディンはこれっぽっちも身動きが取れない。
どくどく鳴る心臓の音を飲み込んで、アディンはシャルへヴェットではないそれを見上げて、返す。
「な、何を言ってるのかわからないよ……!」
「小賢しいな。貴様に いることはわかって――」
言いながら、それ は突然頭を強く打たれたかのようによろめくと、顔を歪め、額を押さえた。
「……っ勝手な、ことを、するな!」
彼はそう言ってずるりと膝を崩し、うずくまる。
数秒、微動だにしなかったが、直に大きく肩で息をしながら、彼はゆっくり立ち上がった。
「アディン……すみません」
顔を上げたのは、今度は疑いなく、シャルへヴェットだった。
なぜかはわからないけれど、僕は、わかったんだ。
魚車のチケット売り場で、彼女が近づいて来たのがわかったシャルヘヴェットは、人混みを抜けて歩み寄る。
「すごい人ね」
「ええ、ティファレト都付近の天気が荒れているらしく、一部の魚車が止まっているそうです」
「それはタイミングの悪い……」
時間帯によっては、欠航の札が立っている。
「テヴァが今、頑張って取ろうとしてくれてはいるんですが」
そう言って肩をすくめたシャルヘヴェットに、なるほど、と一向に進まない列を見たテフィラーも、短くため息をつく。
魚車は馬車に比べて大人数を運ぶことができるが、天候によって海の状態が左右されるため、そういった影響も受けやすい。
この人の量からして、かなりの時間立ち往生を食らってる人がいるようだ。
「シャルヘヴェット様〜!」
人混みに揉まれながら、テヴァがへろへろと五枚のチケットを高く掲げて戻ってきた。
「うお、テフィラー様も!これ、一応最速の取ったんすけど……」
そう言ってテヴァが見せてきたのは、明日の昼の便だった。
「夜を越えたら天候も落ち着く予報らしいんで、この便は影響受けねぇと思うっす。イェソド港もネツァク港も、どっちもティファレト港の乗り換え便になっちまいました」
直行は売り切れてました!とテヴァは無念がる。
「十分ですよ。ありがとうございます、テヴァ。そしたら早めに宿を取らないと……」
「皆、考えることは一緒よね」
テヴァははっとして曲がった腰をぴんと伸ばした。
「そうだやべぇ!部屋埋まる!」
すかさず駆け出すテヴァに、行かせてしまった、と申し訳なさそうに呟いて、シャルヘヴェットは受け取ったチケットうちの二枚をテフィラーに手渡す。
「ありがとう、助かったわ。これ……チケット代、おつりは結構よ」
「ああ、すみません。返って気を遣わせましたね」
代金とチケットを懐にしまうと、シャルヘヴェットは改めて彼女に視線を向ける。
「そういえば。テフィラーはどういうお仕事をなさってるんですか?差し支えなければでいいんですが……」
「あ、ええ。そうね、製薬会社の営業をしているの」
テフィラーはそう言うと、胸ポケットから名刺を取り出した。
「主に魔法薬を開発している会社よ。有名なのだと魔法着火薬とか」
「魔法薬の。そうでしたか、では魔法にもお詳しい?」
「魔法は……そう、ね。一般人よりは知識があるかもしれないわ」
ふむ、とシャルヘヴェットは意味ありげに頷いた。
「あなたの体内魔力量はとても多いから、魔導兵器を使わなくても、魔法を唱えられるんじゃないですか?」
「え。なぜ……多いとわかるの?」
驚いた様子のテフィラーに、少し申し訳なさそうに彼は視線を外して言った。
「目を合わせている時間が長いと、まあまあその人の魔力量も透けて見えるんです。ほら、魔力は目に宿るでしょう?」
「えっ、そんな目を合わせる程度の接触で、覗くことができるの?」
「い、意図的に覗き見しようとしていたわけではないんです!たまたま……魔法職関連に携わっていてもおかしくない魔力量が見えたので、ちょっと気になったというか。興味本位ですみません」
両手を振って誤解されないようにするシャルヘヴェットに対して、テフィラーは目を丸くしつつも、口調は冷静だった。
「赤眼を祓う時も目を見てらしたものね、あなた。体内の魔力を入れ替える時も、似たようなプロセスを踏むのかしら」
じっと視線を送られて、シャルヘヴェットもそれに応えるように、今度はしっかりと目を合わせた。
「鋭いですね。目を覗くのは一種の職業病ということで許してください。少し辿っていくと、体を巡る魔力の粒子のようなものが見えるんです……とても、感覚的な話ですが」
面白そうに目を合わせたまま話を聞くテフィラーは、シャルヘヴェットの美しい紫の瞳に対しても、一切それを泳がせることはしなかった。
「魔法――」
彼女は表情を変えることなく、まっすぐにシャルヘヴェットに問いかけた。
「ちゃんと唱えられたら、楽しいって思えるのかしらね」
「……」
どこか物悲しそうなテフィラーの後ろで、海に落ちた陽がきらきらと眩しく反射する。
逆光で暗くなった彼女の姿は、今にも影に消え入りそうで、シャルヘヴェットはその問いに「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。
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「ほんっとうに、この濃厚なチーズがたまりませんね!」
串焼きになった肉を引き抜く度に、香ばしく焼かれたチーズがみょんと伸びる。
アディンとカナフは、ゲブラー都の名産チーズを堪能しながら、アツアツの肉に食らいついた。
「アディンさんの好物はなんですか?」
「好物?な、なんだろう……シチューとか好きだよ」
「シチュー!私も好きです!」
いちいち大きなリアクションを取られるので、そのコロコロと変わる表情が、なんだか面白く見えてしまう。
「僕の住んでるところは寒いから、シチューを火にかけたままパンを浸して食べるんだ。部屋も暖かくなるし、パンも柔らかくなって美味しいんだよ」
「ほー!寒いところで食べるシチューはきっと格別なんでしょうねぇ」
口元をおさえて羨ましそうに話を聞くカナフに、思わずアディンは笑ってしまった。
「こんなにお腹いっぱいなのに、まだ食べ物の話してる!」
「あは!たしかに〜」
つられて笑うカナフは、まだいけますけどね!と謎のアピールをしてきた。
「アディンさんのこと、会う前は全く知らなかったので、嫌な奴だったらどうしようかと思ってました」
「い、嫌な奴?」
「ほら、テヴァみたいな!なのにもう、全然そんなことないですし、むしろ想像より百倍いい人でめっちゃラッキーです!ちゃんとお名前どおり『優しいもの』って感じで」
唐突な褒めにアディンは頬を赤くする。
そしてふと気づく。
「カナフ、古代語わかるの?」
「や!えと、まあこれでもシャルヘヴェット様の従者ですからねっ。それなりの知識がないと、やらせてもらえないんじゃないでしょーか!」
そう言いながら照れ隠しにジュースをすするカナフ。
「頭いいんだね……」
「ち、ちなみに!私のカナフって名前は『翼』を意味するんですよぅ。どこまでも〜羽ばたける〜」
彼女は誤魔化すように歌って、またジュースを口につける。
相当自慢できるようなことなのに、褒められ慣れていないのだろうか。
「すごいなぁ。カナフとかテヴァとか、歳もあんまり離れてないのに、ちゃんと仕事してて。僕ももっと役に立てるようにならなきゃ」
しんみりとするアディンをそっと覗くように見て、カナフはゆっくりと尋ねた。
「アディンさんは、シャルヘヴェット様の
すぐに返答が見つからず、言葉を詰まらせるアディン。
「それ、は、僕しかいないのなら協力しなきゃなのかなとは思う……」
「……そうですよね、アディンさんに無理に同意させることになってしまうんじゃって、シャルヘヴェット様も気にしてました」
読まれているかのような言葉に、アディンはぎくりとする。
カナフはもじもじとしてから、一呼吸おいて向き直った。
「実は私も、従者の仕事は自分の意志ではなくて」
どういうこと?とアディンは目を見張る。
「昨日テフィラーさんには話したんですけど。私、三年前の任務中の事故で頭を打ってから、それ以前の記憶がないんです」
「えっ。記憶喪失?」
「はい〜。気づいたら教会のベッドで寝てました。言葉は話せても、名前も、自分のしていたことも覚えてませんでした」
元々、と彼女は話を繋げる。
「従者は私一人が務めていたんです。感染地での魔物との応戦中に、シャルヘヴェット様を庇った私は、崖から足を滑らせた……らしいです。シャルヘヴェット様が言うにはですが」
そういうことがあって、それからは従者は二人編成になったらしい。
「シャルヘヴェット様、初めは記憶を思い出してもらおうと、色々昔の話とかしてくれたんです。けど多分、何を聞かされても困ってしまう私を気遣ってか、だんだんとあまり言わないようになりました」
「カナフは結局、全く思い出せないんだ……?」
アディンの問いかけに、カナフは困りと呆れを含んだ笑顔を作ってみせた。
「ま!私自身あんまり気にしてないんですっ。引き続き務めさせていただいてる従者の仕事も大好きですし、記憶がなくて問題が起こることもありません!こんな状態でも従者を続けさせてくださる、恩返しのつもりでっ」
「そっか……」
ジュースを飲み干すと、カナフは大きく伸びをしてから続けた。
「私はきっと、教会できちんとお勤めができるように必死に勉強したと思うんです。でもそんなに努力した理由が、今の私にはわからなくて。けど今はもう、記憶喪失の不安なんてどっか行っちゃって、楽しくやってます!」
カナフは早口に喋りきると、両手でアディンの右手を包み込んだ。
「えっとつまり何が言いたいかというとっ。やってみたら色々見えてくるというか、まずはトライ精神もアリかなぁと、私は!私はそう思ってます!」
「カナフ……」
彼女が彼女なりに元気づけようとしてくれていたことがわかって、アディンは握られているカナフの両手にそっと左手を被せた。
「ありがとう。僕ちゃんと考えてみるよ」
アディンの答えに、カナフの顔はみるみる明るくなる。
「はい!」
そんな二人の背後から、大きな影がぬっと伸びた。
「なにこんな出店通りのド真ん中でイチャついてんだ、お前ら」
「いちゃ……!?」
「うわ、テヴァだ!げえ」
また舌を出すカナフに、てめぇ……と怪訝そうな顔をしてから、テヴァは大きなため息をついた。
「くそ、宿、全然空いてねぇ」
「宿?なんで宿?」
状況がわかっていない二人に、テヴァはチケットの話をしてやる。まさかの足止めに、早めに手紙を書いてよかったと、不幸中の幸いにアディンは胸をなでおろした。
ただ不幸なのは変わりない。
「で、なに?部屋が見つからないってこと?」
「いや、一部屋は取れたんだけどよぉ」
走り回っていたようで、彼の鍛えられた首筋には汗が滴っていた。
「五人で一部屋は、なかなか問題でしょ」
カナフの小さな呟きにテヴァが食らいつく。
「五人で一部屋なわけあるか!俺がなんとかテフィラー様と同室になろうと企んでる、小っせぇ奴みたいだろーが!」
「実際そうでは?」
「ちげーわ!モラルくらいあるっつの!」
また喧嘩が始まりそうなので、アディンは慌てて割って入った。
「ぼ、僕も一緒に探すよ!」
睨むような目がこちらに向いたので一瞬たじろいでしまうが、アディンはそこをグッとこらえて頷く。
しかしテヴァは応戦することなく、燃え尽きたかのように膝をついた。
「もうこの街の宿、全部回ったっつーの……」
絶望を体現したかのような有り様なので、アディンとカナフは仕方なく彼を連れて事情を説明しに、船着き場に向かった。
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「あら、それは災難ね」
事情を知ったテフィラーの第一声は凪だった。
「まあ、最悪私は寝なくてもいいわ。都心は夜も明るいだろうから、散歩でもして……」
「や!変な輩がいるかもしんねぇんで、それは危険っす!」
「あんたが変な輩だから」
テヴァの心配する声にツッコミながら、カナフは上司に指示を仰いだ。
「我々は近くの街まで行ってみますかっ?」
「うーん、そうですね。狭い部屋にお二人をご一緒させてしまうのは少し気が引けますし、俺たちは隣町まで行ってみましょうか」
シャルヘヴェットの決定を、アディンは急いで却下する。
「宿はそもそもテヴァが取ってくれたんだし、僕は……ご、五人一部屋でもいいよ!」
「え」
意外なところからの思い切った一声に、皆は驚きながらも顔を合わせる。テヴァがため息をつきながら首を振った。
「これだから、旅の宿事情を知らないお子様はよー」
「う。で、でも隣町だって空いてるかわからないんだよね?」
怖気ずに正論パンチを打ってきたアディンに、テヴァは「そりゃそうだけどよ!」と反論しきれない。
「それに、結構楽しいかもしれないし……」
「アディン、あなた……。本当に心配」
そう言いつつも、テフィラーは最終判断を教会メンバーたちに委ねた。もごもごと似たようなやり取りを繰り返したが――日が暮れてきたのもあり――最終的に、合意に落ち着くのだった。
部屋の広さはそこまで狭くはなかったが、二、三人部屋なのか、ベッドは二つと、簡易的なものが一つしかなかった。
それでも、部屋に入った途端に一時的な豪雨が襲ってきて、取れたのがラッキーだと言ってもいい結果だった。
「私、誰かと一緒のベッドでもいいですよっ」
はーい、と手挙げながらカナフは冗談交じりに言ったが、さすがに、ぜひと返す人はいない。
「私しかいなくない……?」
「テフィラーさんが狭くて嫌じゃなければ!」
まあそれは全然……と歯切れ悪くもテフィラーが乗ってやる。
シャルヘヴェットは机を見つけるとそこに荷を下ろし、
「俺は書き物がしたいので、今晩はここの机借りますね」
と、さり気なく残りのベッドを譲る。
「じゃあ僕はこっちに……」
「お前ちゃんとしたの使えよ。旅慣れてねぇんだから疲れてるだろ」
簡易ベッドに行きかけたアディンをテヴァが止めた。彼の気遣いの一面に少し驚きながら、アディンは礼をして、広いベッドを使わせてもらうこととなった。
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皆が寝静まった頃、アディンはふと目が覚めて、窓の外の月明かりを見やった。まだ夜だとわかると、布団の中で二、三度寝返りを打つ。
すぐに寝直せない予感にまいって体を起こすと、机にいたはずのシャルヘヴェットの姿が消えていることに気がついた。机上には、ノートだけが残されている。
そっと近づいてみると、何冊かあるポケットサイズのノートをまとめていたようだった。感染地記録、魔力量記録、教会職務予定……今開いているノートは日付と四、五行の文が書いてある。どうやら日記のようだ。
堅実な人だと思い、つい整った字の頭の文をちらりと盗み見たら、内容が気になってしまった。
だが、いけない、いけないと首を振り、立ち上がりがてら、せっかくなので夜の街をちょっとだけ散策してみることにする。
音を立てぬよう、そろりとドアに手をかけ部屋から出たところで、
「あっ、シャル」
廊下から戻ってきたシャルへヴェットと目が合い、体が固まった。覗きかけた日記のことと、暗い廊下が相まって驚いてしまった。
「……」
対してシャルへヴェットはだんまりで、じっとこちらを見つめていた。
アディンと鉢合わせしたことにびっくりして声が出ないのかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。
なんか。
変な感じがする。
「シャルじゃ、ない?」
ぽろりと出た言葉に、自分でも意味がわからなかったが、
「ほう」
と、その一言にシャルへヴェットは笑みを浮かべた。
「魔力が読めるのか」
「え、いや……本当に、シャルじゃ……?」
「なんだ偶然か。まあいい、彼女を出せ。貴様に用はない」
誰だ……!?
目の前にいるのは姿も声も間違いなくシャルへヴェットだが、
これは別人――。
「彼女って、誰のこと」
「しらばっくれるな」
シャルへヴェットは鋭くアディンを睨むと、逃がさないとでも言うかのごとく、壁に手を回し、道を塞いだ。その体格差と勢いに、アディンはこれっぽっちも身動きが取れない。
どくどく鳴る心臓の音を飲み込んで、アディンはシャルへヴェットではないそれを見上げて、返す。
「な、何を言ってるのかわからないよ……!」
「小賢しいな。貴様
言いながら、
「……っ勝手な、ことを、するな!」
彼はそう言ってずるりと膝を崩し、うずくまる。
数秒、微動だにしなかったが、直に大きく肩で息をしながら、彼はゆっくり立ち上がった。
「アディン……すみません」
顔を上げたのは、今度は疑いなく、シャルへヴェットだった。
なぜかはわからないけれど、僕は、わかったんだ。