第一章:魔物化現象

 翌朝、起きたら絶対に部屋に呼びに来るようテヴァに言われたため、アディンはしぶしぶ彼の部屋を訪れた。
 まだ外は少し薄暗く、廊下は灯りがついている。
 時計を見ればいつもどおりの起床時間なのだが、いつもより早く感じた。ここが遠く離れた地であることを思い出させる。
 シャルへヴェットに変に気を遣わせたら申し訳ないので、トイレに行くと言って飛び出してきたわけだが……。
 
「アディンです――。テヴァ、起きてる……?」
 
 ノックしたが、返答がない。もう少し強めに叩くべきだろうか。
 すると廊下の先からカナフが現れた。
 
「あれっ、アディンさん!おはようございまぁす」
「あ、カナフ。おはよう」
 
 朝食を買ってきたところのようだった。テフィラーと二人分……にしては多い気がする。
 
「どうしたんです?部屋の前で」
 
 アディンは、昨日テヴァと出会ってここに来るまでの流れを、ざっとカナフに話した。
 カナフはテヴァという名を聞いてから、顔を渋くしていたが……。
 
「うわー!アイツと合流しちゃったかー……」
「カナフも、知り合いなんだね?」
「はい、知り合いというか同僚というか……。シャルヘヴェット様の従者は、私とそのテヴァの、二人で担当しているので」

 仕事仲間じゃないか、なぜそんな反応を、と思ったが口にはしなかった。

「いいんですよぅ、あいつの言うことなんか聞かなくて!」

 カナフはアディンの背中を優しく押し、ドアの前から遠ざけようとする。
 でも怒られそうだと困っていたタイミングで、そのテヴァが部屋の中から眠たげに出てきた。まだ起きたてと言わんばかりの、手でくしくしと整えただけの髪だ。

「朝から部屋の前でうっせぇ声がすると思ったら……てめーかカナフ!」
「ふん、いつまでも寝てんな、ポンコツ遅刻野郎!アディンさんに変な命令までして!もう朝から気分最っ悪!」

 カナフの突然の口の悪さに、アディンは心なしか仰け反った。どうやら二人はあまり仲良くなさそうだ。あ、いや、喧嘩するほど仲が良いというやつなのだろうか。

「あの、じゃあ、僕は戻るね」

 言い合っているうちに逃げようとしたが、そうは問屋が卸さない。テヴァに肩をつかまれ、引き戻されてしまう。

「おい待て、この後の予定を教えろよ」

 むっとしたままカナフはアディンの横にぴたりとついて、
「今アディンさんに、馬車の時間をお伝えしようと思ってたところですけど?」
 と言って、べえと舌を出す。

 テヴァが言い返そうとしたところで、後ろからコツコツとヒールの音が割り込んだ。
 その音の主が目に入るや、アディンの肩に置かれていたテヴァの手が、たらんと解けた。
 カナフがぴょこんと一括りの髪を揺らして、お辞儀をする。

「あっ!テフィラーさん、すみません!遅くなっちゃって」
「いえ、別に遅くは……ってそんなに食べるの?貸して、私もいくつか持つわ」

 近づいてきたのは、カナフの戻りが気になって迎えにきた、テフィラーであった。
 アディンがおはようと声をかけようとした時、押しのけるようにしてテヴァが前に現れた。

「はじめまして!俺、テヴァ・ナートゥーラって言います!」

 ぴっと右手を差し出すテヴァ。見るからに、急に元気だ。
 ぱちくりとするテフィラーに、「従者が、実はもう一人いまして……」とカナフが嫌そうに補足する。

「よろしくおねしゃっす、テフィラーお姉様!」
「テ、テヴァね、よろしく。テフィラー・オーラーティオーよ」
 
 テフィラーが差し出された手を握り返すと、テヴァは、その感覚を噛み締めるように唸った。

「こんな美女と一緒に行動してたなんて、ずりぃ……俺は一体何日、いや、何呼吸分の損をしてたんだ」

 横でカナフが構わず聞こえる声量で、気持ち悪い、と言っている。
 テフィラーの顔は明らかに迷惑そうだったが、それは彼の呼び方に問題があったらしい。
 
「とりあえず、そのテフィラーお姉様っていうのやめてちょうだい」
「うす、じゃあテフィラー様で!」
「変わらないじゃない……!」

 珍しく狼狽えるテフィラーを見たところで、カナフが助け舟を出そうと、話題を戻した。
 
「次の馬車は一時間後みたいなので!各自準備を済ませて、それに乗りましょうっ」
「都心に戻んだろ?着いたらアディンこいつどうすんだ?」

 テヴァの問いに、アディンはテフィラーをちらりと見てから答える。

「僕はとりあえず手紙屋に行きたくて……。テフィラーも仕事の連絡取らないと困るよね?」
「そうね。まずは手紙屋で報告するかしら。引き続き、あなたを元の場所に戻すまでは同行するわよ」
「え!ほ、本当?心強いよ」

 まさか診療所まで着いてきてくれるとは思っておらず、アディンは思わず安堵のため息をついた。 
 馬車や魚車にほとんど乗ったことの無いアディンは、ちゃんと一人で診療所に帰れる自信がなかったのだ。
 その点、仕事で各地に飛び回っているであろう彼女が傍にいれば安心だ。

 一同は支度を済ませ、予定通り昼前出発の、ゲブラー都心行きの馬車に乗ったのだった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 都心はさすが、中心地なだけあって賑わっていた。
 完全におのぼりさんと化したアディンは、あちらこちらに展開される出店や、三階建ての高い建物が立ち並ぶ路地を見上げたりなど、激しく首を回転させていた。
 お祭りでもやっているかのような出店の多さに、自分がいかに田舎の景色しか見てこなかったのかを、思い知らされる。

「俺、魚車のチケット取ってくるっす」

 魚車乗り場の近くに来たところで、テヴァが手をひらひらとさせてその場を離れた。シャルヘヴェットがにこりと笑いかける。

「お二人はネツァク都に行くと言ってましたよね。ついでに取ってきますよ」
「そんな、宿も出してもらったのに悪いよ」

 止めかけたアディンの腕に、カナフが急に抱きついてきた。うわ、と体勢を崩しかけて持ち直す。

「アディンさんっ、ちょっとお店回りません?テフィラーさんも、手紙屋さん行きますもんね!?終わったら一緒に街ブラしませんか!」
「うーん……ちょっと長時間の馬車で疲れちゃったから、回るのは遠慮させてもらうわ」

 そっと断るテフィラーに、カナフは敬礼のポーズを取ってみせた。

「ラジャです!じゃあアディンさん、一緒に美味しいもの食べに行きましょうねっ」
「う、うん」

 アディンが申し訳なさそうにシャルヘヴェットに視線を送ると、彼は変わらず笑顔だった。

「いってらっしゃい。イェソド都もネツァク都も、どちらもティファレト都経由の便です。そこまでは同じ経路になるでしょうから、もう少しだけ仲良くしましょう」

 もう少しだけという言葉が少し寂しく聞こえたが、これは絶対、もう少しでは終わらない縁だ。
 アディンは紫眼クリファの話を思い浮かべながら、眉をひそめた。


 手紙屋で、アディンは取り急ぎレフアーに手紙を書いた。自身が帰るのと手紙とでは、手紙の方が圧倒的に到着が早い。
 手紙は住所を記録させた伝書鳩に一斉に運ばせるため、人の移動よりスムーズなのだ。この伝書鳩も魔導兵器であることに、アディンは改めて考えさせられる。
 まずは無事だということ、それから詳しくは帰ったら話すがひとまず心配無用、というカルテのような、実に淡白な内容になってしまった。

 仕切りで手元は見えないが、隣でテフィラーもサラサラと筆を執っていた。
 その様子を見つめられているのに気づき、テフィラーは優しげに声をかけてきた。

「私は港でシャルヘヴェットたちと合流するから、二人は好きなところ行っていていいわよ」

 了解です!とカナフはまた敬礼すると、アディンの右手を勢いよくぎゅっと握る。

「いきましょ、アディンさんっ。時間は限られてますからね!」

 突然、手を握られた驚きと共に、アディンはそのままぐんぐんと引っ張られていった。


 街は昼間なのもあり、どこもかしこも賑わっていた。
 カナフは嗅覚を頼りに出店を転々とし、様々な食を堪能している。
 今持っているのは小麦粉を薄焼きにし、甘いフルーツやクリームを包んだ、片手で食べられるようなスイーツだ。

「美味しい〜!」

 幸せそうに頬張るカナフを見て、なんだか自分も気分が良くなっている気がする。

「アディンさんも食べますか?はいっ、あ!ここ口つけてないですよ」

 あまりお金を持っていないアディンへの気遣いなのか、はたまたシェアするのが好きな性格なのか、カナフはさっきから買ったものをちぎったり飲ませたりしてアディンにも勧めてくる。
 どれも間違いなく美味しいのだが、ちりも積もれば、なかなかお腹がたまってきた。

「ん……うわぁ美味しい!こんなの初めて食べたよ」
「マジですか!?これ今すっごく流行ってるお菓子ですよぅ!とくにイチゴが美味しいんです」

 もしかすると同世代とこうして食べ歩くようなことが少なくて、彼女もテンションが上がっているのかもしれない。
 それから、感染地での悲しい思いを思い出させないようにしてくれている、というのもあるだろう。

「あ!あの串焼きもいい香りですねぇ」
「お菓子の後まだいくの!?」
「もちろんです!甘いのの後はしょっぱいのだと、どっかの偉い人が言ってたとおりっ」

 知らない名言だ……。
 カナフはいつの間にかデザートを平らげると、タッと駆けていき、串を手にして戻ってくる。
 
「そこのベンチに座って食べましょうか!」

 その手にはしっかりと、アディンの分の串も握られていた。
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