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第一話

ユーヒの家――…

「帰ってこない!」
ユーヒはいらいらとそこらを歩きまわり、声を荒らげて何度もそう言っていた。
「連絡もないなんて、おかしいよな」
強く唇を噛んで、床を睨みつけるジュン。
先程から外で様子を見続けていたコウとナオは、夜も更けてきて肌寒くなったのか、上着を取りに戻ってきた。
「はぁ…、少し冷えるね、今夜は。それに今日の月はいやな色をしてる」
「…雲もかかってきて…赤茶けてくすんでるな…」
窓から様子を見るリュウがコウに賛同して呟いた。
「不吉な事言わないでください」
ユーヒは思わず声を荒げた。
「…そうだね、ごめん…」
「あぁ、暗いことを考えたら駄目だな…」
「…ごめんなさい、怒って…」
ユーヒが弱々しい声で言い、全員が俯いてしまう。
暫くして、沈黙を破ったのはナオであった。
「コウ、もう一度外へ行こうか」
コウは上着を羽織り、「そうだね、行ってみようか」と、ナオと連れ立って行く。
「…ちょっと水飲んで頭冷やしてきます」
ユーヒは俯いたまま、足取りは重く台所へと向かった。

そして、夜は更けていき、朝日が昇るまでハルキは帰って来なかったのである。



エタン邸――…

「おはようございます」
翌朝ハルキを起こしに来たのはシュウ元帥だった。しかし、シュウが部屋に入ってみるとハルキはすっかり身支度を終えていた。
「おはよう…ございます」
「早いんだね」
「いつもはこれくらいだったもので」
「いつもは何をしていたの?まだ六時半だけど」
シュウはゆっくりと窓に近づいていき、カーテンを開けた。
眩い光が部屋を明るく照らす。
「ジュンさんという仲間がいて、郵便屋をしているから配達を手伝っていました」
「郵便屋、なるほど」
「新聞配達も一応仕事の一つでしたから。その後朝食をとって、午前中はユーヒさんの刀鍛冶を手伝って、午後は資料の整理か医薬品の調達をしていた」
ハルキは楽しそうに答えた。
「そんなにたくさんの仕事をしてたの」
「こなすって言っても、見習いでしたし。届け先を間違えたり、火傷しそうになったり、本棚から本を落としてしまったり、間違えた材料を持って来てしまったり、色々失敗はしました。でも、みんなちゃんと教えてくれて、出来たら褒めてくれたり、お礼を言ってもらえるのが楽しくて…」
「そうか…。あぁ、そうだ。朝食を用意していますよ」
「朝食か、少し早いけど…入れても大丈夫です」
シュウは扉を少し開けて、廊下にいた料理人に声をかけた。
料理人は頷いて部屋に入り、テーブルに料理を並べた。
「ありがとう」
ハルキは料理人に優しく微笑んだ。


「ごちそうさま、おいしかった…」
食事中ずっと後方にいた料理人の方を見てハルキは再び微笑んだ。
「…食器は下げさせてもいいですか?」
「はい。何だか、全てやってもらうと変な気分です」
「すぐに慣れるよ」
「慣れたくなどないけど」
そう言って料理人が片付けるのを少し手伝う。
すると料理人は慌てふためき、
「わわ、申し訳ありません!」
と言った。しかしハルキは不思議そうな顔で答える。
「何でそんなに慌てるんだ?」
「いえ、お気遣いなく!お座りになってください!」
「?」
手伝うのは悪いことじゃないだろう、と呟いたが、仕方が無いのでソファーに座る。
「ハルキくんがが手伝ったりしたら、この人は殺されちゃうかもしれないんだ」
「何で…」
「料理人という立場の人間の仕事を、大切な君にやらせると思う?」
「………」
ハルキはため息をついた。食事の手伝いなんて普通の家庭なら誰でもやっている。金を貰っているからいいとかそう言う問題ではないのだ。立場とか地位とか権力が何だというのか。まあ、そもそもこの男もエタンや自分の食事の手伝いではあるのだが。働かざる者食うべからず、だとハルキはぼんやり考えた。


料理人が去り、シュウとハルキがソファーで暇を持て余していると、ノックの音がした。しかし、返事をする前に扉が開き、エタンが入ってきた。シュウは立ち上がって一礼した。
「あぁ、元帥。食事は終えたようだね」
「はい、先ほど」
「体調は?」
「食事は殆ど食べられましたので、よろしいかと」
「他に何かあるか?」
「いえ」
「では、下がりなさい」
シュウは再び一礼して踵を返すと、天使の間を後にした。
「さて、君には暫くここにいてもらうわけだが、この部屋の中なら好きにしていい」
「好きに、なんて言われても、暇だ」
「そうだろう。だから私に欲しい物を言ってみなさい。異国のものでもすぐに取り寄せよう」
エタンは猫なで声でそう言った。ハルキは少し迷ったが、スケッチブックと画材を頼むことにした。
絵が趣味かと尋ねられたが、「さあな」と適当に返す。
「わかった。それくらいすぐに手に入る」
「…それで、用が済んだなら出て行ってくれ」
「ふっ、冷たいな」
エタンは肩を竦めて部屋を出て行った。


ハルキは取り敢えず着替えようとクローゼットを開いた。昨日見たものから適当に選んで着替え、椅子を窓辺に持って行った。窓の向こうは町があり、その先には砂漠が見えた。今朝もジュンは走り回っていたのだろうか。ユーヒは少し冷たいが本当は優しい。仕事に手がつかないなんてことになっていないだろうか。もしかして、患者を見に行くコウとリュウが見えたりしないだろうか。資料集めに勤しむナオが、近くを通ったりしないだろうか。色んな事が次々と思い出されていく。眼の奥が熱くなって、視界がぼやける。耐え切れなくなり、窓から離れてベットに横になって、腕で両目を覆った。ハルキは初めて泣いた。


泣き疲れてハルキが眠ってしまった後、シュウが入ってきた。もうすぐ昼食が出来ると声をかけようとしたが、静かに寝息を立てているハルキの頬に涙が見えたので、もう少し寝かせることにした。起こさないようにそっと布団をかけ、明かりを消して部屋を去った。

ノックの音がした。それで、ハルキは目を覚ます。ゆっくりと起き上がって目をこすり、寝ぼけた声で「どうぞ」と声をかける。
料理人が扉を開けて入ってきた。
「失礼致します。昼食のご用意が出来ております」
「ありがとう、置いておいて…」
「はい」
料理人は恭しく一礼すると、テーブルの上に料理を並べていく。異国風の料理で、赤いソースがかかっているものであった。
「…これは?」
「はい、ミートソースパスタでございます。小麦粉で作った練り物を茹で上げ、牛肉とトマトのミートソースであえております」
「こういうのは流行っているのか?」
「はい、ご主人様やその他貴族のお方は気に入られておりますが」
料理人の言葉に「つまらない」と冷たく返し、席についた。


食事を終えるとまた暫く暇になってしまった。エタンどころかシュウ元帥も来ない。余りにも退屈だったので、ベッドに横になってごろごろ転がってみた。しかし何の意味もなく心も満たされなかった。そのまま上で思考を切り替える。
(ここをはやく脱出したい。その為には、味方が必要だ…。だが、ここの屋敷にいる者は多分無理だろう。となると、やはりユーヒたちと何とか連絡を取らなければ…)
そこまで考えた時、突然扉が開いた。ハルキは驚いてバッと体を起こし、入り口に立つ男たちを振り返った。
「…な、何だ、突然…」
「ああ、望みのものが手に入ったのでな。これでいいか?」
エタンは後ろにいた男たちに指示して、手に持ったものをテーブルに並べさせた。それは、スケッチブックと、色鉛筆や絵の具だった。しかし、ユキに借りて使っていたものよりも沢山の種類があった。
「…こんなにはやく…」
「僕の権力を甘く見てもらっては困るよ」
「…これでいい、十分すぎるくらいだな。…さっさと出て行け」
「中々懐いてくれないものだな」
「誰がお前に懐くか!」
ハルキはぶっきらぼうに叫んでそっぽを向いた。エタンはそんな姿に苦笑して、「では、また来る」と言い残し部屋を去った。
 再びハルキ一人の、静かな空間になる。興味が持てたので画材に手をかけた。きっとこれも全て一級品なのだろう。スケッチブックを広げてみると、途端に絵を描きたい衝動に駆られた。ハルキは鉛筆を削って、何も考えずにがりがりと描き進めた。

 気がつくと夕日が沈みかけていた。描いた絵に目を落とすと、少し寂しくなった。ユーヒの鍛冶屋の風景だ。何を考えても結論は「帰りたい」にしかならない。ハルキは暫くそんな思いに捕らわれていたが、ふと、リュウについて思い出した。

―――『リュウ先生はこの国では名医ですから安心してください』
―――『そうだなぁ、医者に、料理に、あぁ、あと銃も出来るし』

(比喩かもしれないが、”この国では名医”と言っていた…つまり、有名な医者。色んな噂を聞いたし、腕は本物だ。銃についても、ユーヒさんたちが言ってたな。持っている事自体は違法じゃないとか…。それで、直接見てはいないけど、強盗事件があった時、走って来た男たち全員の足を撃って、動けなくさせたとか…。毎年開かれている大会で、三年連続優勝してた時があるとか…。強盗事件はよく知らないが、皆が知っている事件のようだし、大会はトロフィーを見せてもらった。銃の腕も相当なものだということか…。本当に頼れる人だなあ…。と、言うことは…有名な医者なら、体調が悪ければ来るかもしれないということか!)
ハルキはバッと顔を上げた。逃げ出せるような気がする。いや、逃げ出すんだ、確実に。スケッチブックを捲り、何も描いていないページに作戦を考え書き込んでいく。
(あの町に、あの家に、あの人達の元に、必ず帰る!)
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