第一話
じりじりと焦げるような熱い日光を背に感じながら、青年は砂の中を歩いていた。乾いた口内を潤すものも、空っぽの腹を満たすものも底をついてしまい、約2日が経っているようだ。足も動かせないほどの疲労感。長い前髪が汗で顔に付いて視界の邪魔をする。ふと顔を上げると町が見えたが、青年にはもう力はない。どうせ蜃気楼だろうとぼんやり思って、砂の上に倒れこむ。
もう、死ぬのだな。そんなことを考えて、青年は意識を手放した。
駱駝を連れた四人の集団が砂漠を進む。
「買い出しも大変だ」
「うん。でも町はもうすぐだよ」
そう励ました物腰の柔らかい男が足を止めた。
「あそこに何か見えない…」
すっと指で示された先には、何か塊が見える。四人が近づくと、それが小柄な青年であるのが判った。
「人だ!おーい、生きてますか!?」
長身痩躯の男が鋭く声をかけるが、青年はぴくりとも動かない。抱き上げて息を確認するが、荒い。肌も熱く、口内も乾いてしまっている。
「生きてる。はやく町へ!」
青年の口に少し水を含ませて駱駝に乗せると、集団は町へと急いだ。
『大神に示されし青年よ』
その声に青年が目を開くと、辺りは真っ黒だった。暗いのではなく、黒い。
『我は―――の神だ』
その瞬間、視界は真っ白になる。
『お前は神に示されし者。別の地にいる仲間たちを探せ』
その声はだんだん小さくなっていき、辺りも白が黒に変わってゆく。青年が「待ってください!どういうことなんですか!」と叫んだ刹那―――
その目に飛び込んできたのは白い天井だった。
青年は「え?」と思わず言ってしまう。状況が飲み込めず戸惑う青年に、横から柔らかな声がかかる。
「大丈夫?」
見上げると、声に見合った静かな笑みを浮かべる男が一人立っていた。青年は起き上がろうとして、しかし、頭痛でそれもままならない。
「まだ駄目だね、起き上がるのは。でも良かった。少し待っていてね」
男は青年の布団を治すと、一つある扉を少し開けて、「目を覚ましましたよ」と、少し明るい声で言った。途端に部屋の向こうが騒がしくなり、大量の人が部屋に入ってくる。「おおー!起きとるなぁ」と言われて悪い人ではないことが分かった。しかし「にしても、可愛い嬢ちゃんだ」と言われ、「え?嬢ちゃんって」と掠れる声でそう言うと、更に声が増す。どうやら青年のことを女性だと思っているらしい。
「僕は男、ですけど?」
そう言うと、辺りは静まり返った。
「あれ、そうだったの?」
穏やかな声が少し引きつって聞こえる。
「何なら、調べますか?」
「いえ、そんな手荒な真似は…」
先ほどの男も苦笑いを浮かべていたが、やがて、部屋に入ってきた者たちを追い返した。そして、残ったのは四人と青年だけ。
「ほら、男だった」
と痩躯の男が言った。
「でも、それもそうだよ。あの身長で、体格もそれらしかったし」
ちょっと残念、と髪を逆立てた男が言った。柔らかな男がごめんねぇ、と微笑み
「あの人達は、まぁ、ああいう人達だよ。僕は、コウといいます」
と名乗った。すると痩身長駆が
「僕は、ユーヒと言います」
とベッドの傍に来て言う。コウは笑い
「ジュンくん、ナオくんも挨拶どうですか?」
と残りの二人にも挨拶を促した。髪を逆立てた男が少し離れた位置から
「俺は、ジュン。よろしくね」
と微笑んだ。優しそうに微笑む男も
「俺はナオ。よろしく」
と近づいてきて微笑んだ。
「それで、君は?」
コウかベッドの傍にしゃがみ込み、青年と目を合わせて尋ねた。記憶している名前は一つだけ。それは
「ハルキ」
そう言った時、頭痛が激しくなった。思わず顔をしかめると、四人は心配そうにハルキを覗きこむ。
「大丈夫か?」
ハルキが頭が痛いだけですと言い、手を左目を覆うように乗せると、更に表情を歪ませる四人。コウが「薬、持ってきますから」と部屋を出て行った。
何か食べるかとか、暑くないかとか、他に痛いところはないかとか、三人に色々言われて、戸惑ってしまうハルキ。
「ほら、困ってるみたいだから離れな」
室内に入ってきた、白衣の男が若者たちを分け入って、ハルキを見下ろした。
「リュウ先生!」
三人は声を揃えて言った。その後に、一旦部屋を出ていたコウがついてきている。俺は医者なので心配しなくていいから、とリュウは優しく声をかけた。そして、コウに対して、処置は完璧だと褒めた。コウは「ありがとうございます。ハルキくん、リュウ先生はこの国では名医だから安心してね。僕はその助手なんだ」と説明した。
「砂漠で倒れてたようなんだけど何か覚えてる?」
ベッド横の机で医者カバンを開きながら、リュウが尋ねた。ハルキは不思議そうな表情を浮かべ、どうしてそんなところに、と呟くように言った。リュウはそれも聞き逃さず「んー、思い出せないか…。そうだな、じゃあ、名前は?」と質問を変えた。先ほどと同じように「ハルキです」と答えると、相変わらず頭痛がしたが、先程よりは楽だった。更にリュウは「年齢は?血液型と、アレルギーなんかも」とカルテを書きながら尋ねる。それも覚えていて「16歳、AB型。アレルギーは特にはないです」とすらすら答えた。リュウは「うん、よく覚えてる」とハルキの頭を撫で、診察を始めた。
「さぁ、じゃあちょっと起き上がってみようか」
リュウが優しく言うが、コウが困った表情で「先程は頭痛で起き上がるのも大変そうで」と報告した。しかしリュウはいや、と言い、
「大丈夫。起き上がれるでしょ」
とハルキの肩に触れた。それに少し力をもらったような気がして、ハルキは頭痛に顔をしかめながら何とか身を起こし、ベッドの縁に座る。ほら、大丈夫だろうとコウにリュウは呼びかける。ハルキは我慢も出来るし素直だからと、リュウはハルキの正面でしゃがんで、カバンから出した青紫の小さな玉を渡した。ハルキはよくわからず「これは何ですか?」と尋ねた。ああこれは、とリュウは笑って、それを電灯にかざすように言い「サファイアって言うんだけど、宝石だから食べれないよ」と言った。ハルキが「サファイアって、高いやつですよね?」と聞くと「あぁ、それもそれなりに値段すると思うけどなあ」とリュウはさらりと言い放った。もらえないですと断ろうとしたが「いいからもらっとけ」と、無理やり小さなサファイアをしっかりと握らせて、聴診器を耳にかける。心配になって「いいんですか?」と言うと、大丈夫だとリュウはまた笑って、「ユーヒくん、これくらいのサファイアならその辺にあるよね」と、ユーヒに向けて話を振った。
「そうですね。この大きさならよく見かけます。刀の装飾とかにも使うしなぁ…」
「刀の装飾ですか?」
ハルキが不思議そうな顔をすると、ユーヒは満面の笑みを浮かべ、僕は鍛冶師やってるからさと言った。何かほしい武器があったら作りますよとも言いながら、ユーヒの傍らにある短剣を見せた。
「それを作ったんですか?」
そうなんです、とユーヒが笑みを深くし埋め込まれた石を指さした。ここに入ってる赤い石はルビーだよと説明する。ハルキが短剣を覗くと、赤いルビーに反射して自分の姿が映る。それに夢中になっている間にリュウは聴診器を外し、他の診察も続けていった。
「そうだ、そのサファイアを埋め込んだ短刀でも作ってもらえば?ユーヒの腕はピカイチだしな」
リュウは喉を見てからそう言った。ハルキはまた戸惑って「でも、自分は何も無い。お金も、それの代わりになるものも」と言った。初回無料ですよ、とユーヒが返事する。ハルキは「いや、そんな、いいですよ」と少し強めに言うが、また頭痛が激しくなって、小さくうめいた。それにユーヒは優しく「ほら、無理しないで。じゃあ、回復するまでに作って、回復したらあげる。回復祝ってことで」と言い頭をなでた。
「よし、診察終わり。熱中症みたいだったけど、取り敢えずは頭痛か。薬はこれでいいと思うけど、体に合わなかったら言って」
ありがとうございます、と弱くハルキが言うと「じゃ、しっかり休みなさい」とリュウはハルキを寝かせ、布団を掛け直す。そして、また頭をぽんぽんと撫でて、部屋を出ていった。
その時だ。
「ちょっとー!!いつまでそこにいるつもり!?」
外から甲高い女性の声が響いた。それに対して反応したのはジュンで
「ハイハイ、ごめん母さん」
と叫び返した。更に「もう、仕事だよ!!」と言われ「だって、あの子目を覚ましたから!」とジュンはハルキを言い訳にする。すると「しょうが無いね、やっといてあげるから、面倒見てあげなさい」と返事があって、ジュンは外に向かってありがとうと叫び返し、ハルキを見た。
「ごめん、うるさくて。郵便屋の仕事してるんだ、これでも」
郵便帽をかぶってニコニコするジュンにつられてハルキも微笑んだ。
「今は思い出せないから手紙とか無いかもしれないけど、もし誰かに送りたかったら、俺に渡して」
ベッドの縁に頬杖をつくナオがふと何かを思い立ったらしく、少しそわそわしだした。
「ナオ、どうした?」
「俺のトコの情報でハルキのこと調べられるかもしれないなと」
「情報…?」
ハルキは細い声で尋ねる。
「あぁ、俺は情報屋でさ。世界中の情報を取り扱ってるから、調べたら何かわかるかも」
「すごい……でも…俺…眠いです…薬、飲んで…」
「あっ、そうか。じゃあカーテン閉めるよ」
ジュンがベッド横のカーテンを閉じ、布団を少し治して頭をなでる。
「皆…頭撫でる…子供じゃないです…おやすみなさい」
「おやすみ、ハルキ」
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