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序.前線へ

拝啓 厳しい寒さも和らぎ、暖かな春がやってきました。
お母様、リヒカイト、お変わりありませんか。
相変わらず、仕事が忙しく手紙一つ送ることができずごめんなさい。ですが、私は必ずやお父様の仇を討ちたいのです。まだ、前線へは出ておりませんので心配しないで下さい。詳しいことは書けませんが、この度昇進致しました。ですから、お母様とリヒカイトの生活が以前のように…お父様が生きていらっしゃった頃の状態に戻せると思います。
領地はどうでしょうか。戦火は其方そちらには行かないとは思いますが、何かあったら屋敷など捨てて領民と共に逃げてください。
私の事を許してはくれないとは思いますが、何卒宜しくお願い致します。私はもう二度と家族を失いたくは有りません。お母様も私と同じ気持ちであったからこそ、出征を止められたのでしょうが、次期領主であるリヒカイトが軍に入ってしまえばエヴァンジル家は取り潰されてしまうのは回避出来なかったでしょう。
今は、女性兵士の方も沢山いらっしゃいます。私の所属する所にもいらっしゃいます。令嬢の軍属入りは珍しい事ではないようです。
これから進む道は酷く険しいと思います。けれど、連邦一の軍事力を持つマールスを支えるエヴァンジル家の娘に恥じぬよう戦います。
帰ったら、また一緒に演奏致しましょう。
お身体にはお気おつけて。 敬具
彗歴 1940年 3月26日
シャリテ・エヴァンジル
マリーナ・ルゥナー・エヴァンジル様
リヒカイト・エヴァンジル様

手紙を締めくくり、溜息が口の端から漏れる。
あまりにも音沙汰なく過ごすものだから、勘当寸前で出てきた生家の弟から心配の手紙が。
電報の方が早く送ることが出来るが、短く味気ない文になってしまう。そう考えると、長くとも手書きの手紙の方がいいだろうという考えの元、ペンを手にして1週間。やっと書き終えることができた。
「これで大丈夫かしら」
不安交じりに呟くが、誰も答えはしないし聞きやしない。皆が皆、忙しく駆け回る。
何故なら、今日新たに一個師団分の戦死者名簿が届いたから。恐らく、実際にはもっと居るのだろうけど。
生きて帰れないかもしれない可能性の高い、切符が配布されたのだ。行かなければならない者は皆、昇進した。その者達の中には、恐怖で眠れなくなった者もいるらしいがシャリテはそんな事はなかった。
手にしたペンを机に置くと蜜蝋を押し、たまたま通りかかった伝書使へ手渡し、トランクを閉じる。
エヴァンジル家に生まれたのにも関わらず、武力を持たない彼女が与えられたのは喇叭ラッパ手としての仕事だった。幼い頃より母の影響で音楽に親しんできた彼女にとっては嬉しい事であったし、何より自身の手を汚さなくていいという安心感があった。
トランクを預ける為に廊下へと出ると少し遠くから、カンカンと金属同士をぶつける音が。
なんだろう、と立ち止まり音の方を見ていれば真っ黒でありながら靴下を履いたように足だけが白い狼がシャリテに飛び掛る。いきなりのことで、受け身の体勢すら取れずそのまま床に後頭部を打ち付ける。だが、狼はお構い無しに、飼い主を見つけたと言わんばかりに頭を擦り付けてくる。
その狼を追ってきたと思わしき兵士がゾロゾロとやって来た。彼らは、「よくぞ捕まえてくれました!」「流石さすがエヴァンジル家のお嬢さん!」と口々に褒める。
単純に受け取れば褒めてはいるが、若干の侮蔑が含まれていた。いつもの事だからと、別段気にした様な素振りを見せずに「ええ、そうですね」と起き上がりながら答える。
それが気に食わないのか、多少イライラとした様な声音で「その狼を捕まえてはくれませんかねー。人的被害が出てしまえば面倒ですので」と。
狼は暴れはしないが、ブルブルと怯えた様子でシャリテの顔を見ていた。よく見てみれば体には様々な真新しい傷があり、恐らくは追われて出来た傷だろうな、と安易に想像が出来るものばかりだった。
けれど、こちらとしても戦場に出る以上構っていられる余裕もなく「ほら、お行き」と言うしか無かった。
狼は悲しげにキュンキュン泣いており、良心は傷んだが致し方のない事であった。
嗚呼、可哀想だと心の中で思いながら部屋へ戻ろうとすると小さく「お母さん・・・・…」と呟く幼い声が。
そのれは聞いたことのない声の筈なのに、体の奥底からこのままでは駄目だと囁く声。面倒ごとは御免なのに。
わけも分からぬまま、シャリテの口は言葉を紡ぐ。
「…私が…その子を引き取ります。」
狼から発された言葉だと確信が持てた訳では無い。
それでも、気づけば言葉を放っていた。
「そーですかい。くれぐれも、こっちに迷惑を掛けんとってくださいよ」
先程と寸分変わらぬ侮蔑の色を見せたまま、兵士は狼の尻を蹴飛ばす。
狼はキュンと鳴きながら、シャリテの影に隠れ震えるのみ。
なんて野蛮な奴らなんだと、怒りを顕にしようものならきっと彼等は喜んで食いつくだろう。
戦いに飢えた劣等種。
限りなく昔話の古代人らに近い奴ら。
ただただ、冷めた目で彼等が歩いていくのを見ているだけでなんとも言えない不快感に襲われる。
別に古代人のことを嫌っては居ない。けれど、目先の事にばかり囚われているから破滅に向かうのだと昔話にもあるのに。
「学習しないなんて」
そう言ってから、嗚呼私も同じだなと思う。目先のことに囚われて、こんなにも怒りを持っている。
まだ、行動に現していないだけマシかと己を落ち着かせながらそっと狼を撫でた。
「よく分からないけれど、よろしくね」
狼は嬉しげにキャンと吠えた。
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