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一章.怖めず臆せず

乾いた土の匂い………嫌、それは今来た道の匂いでこの場所の匂いではない。
戦場だと言うのだから、荒れ果てた地かと思えばそのようなことは無く、しっかりと管理され手入れの行き届いた建物。行き交う人々の、笑顔の多さ。
小さな村の祭りに来たかのような賑わいに、シャリテは面食らう。
「本当に、…これが前線基地だというの?」
共に来た令嬢らは、これが当たり前だと言わんばかりに楽しんでいる。
やれ、あそこの店のドレスはいいデザインだとか向こうの宝石は綺麗だとか、首都で買い物を楽しんでいるかのように。
目の前の景色と、伝えられていた情報とが噛み合わず混乱する。
―情報は多少盛るとは言うけれど、こんなにも違うものなのかしら?
何もかもが綺麗過ぎる・・・・・
ここだけ、人為的に切り取られたかのような美しさだ。
戦いに来たはずなのに、この街に連れてこられ「お前は戦力外だ」と明確に示されような気がしてギュッと胸を押さえる。
確かに家門の中で武力を持てず、ただそこに飾られているだけの花のようにしか存在はしていなかった。
けれど、だからといってなんの通告もなくこのような場に連れてこられたことに悲しみを覚えた。
本来なら、喜ぶべきなのかもしれないが
訳が分からず、トランクを傍らに置いたまま立ち尽くしていると山羊の角を生やした少女がこちらへ優雅に歩いてくる。その少女は、この場にいる他の人々・・とは違い歴戦をくぐり抜けてきたかのような貫禄がありながら、目に見える外傷が一つもない。
美しさと底しれぬ恐怖が絶妙なバランスで存在するその少女はシャリテの前で立ち止まると、他とは違った隊服のスカートの裾を摘みお辞儀をする。
シャリテも慌ててそれに習い礼をすると少女はニコリと微笑む。
「シャリテ・エヴァンジル少尉ですね?ワタクシは、インペラトリッツァ・マリーヤと申します。ワタクシに着いてきてくださいね」
喇叭ラッパ手に少尉などと大層な肩書きよね、などと内心突っ込みつつマールス地方を従えてきた己の家門の偉大さを実感する。
「やはり、私の任地はこちらではないのですね」
シャリテがそう答えるとマーリヤは先を歩きながら答える
「はい。コチラは、貴族のごっこ遊びの場・・・・・・・・・・となっておりますので。」
ごっこ遊びの場と言う言葉に、何かが腑に落ちる。
大切な令嬢や嫡男等を何故易々と戦場に送り出すのかと疑問に思った時期があった。
その理由は戦況が逼迫しているせいだ、と思っていたがそれにしては貴族等の戦死報告はとても少なく、都心への被害も全くない。
それらの情報から考えれば、一般市民だけで補える戦況なのに彼・彼女等が戦場に向かう理由は箔付しかないだろう。
家門を如何に彩り、力を広げるか。手っ取り早いのは、戦場に出たと言って適当に戦果をでっち上げることだ。
実際に戦場に出ていなくても、状況は定期的に送られてくるだろうし、気になる戦果があれば賄賂を渡せば自分のモノにできる。
生きるか死ぬかの戦いをする市民らの苦労など知らないのだろう。
寄り添う形を保ってきたエヴァンジル家とは違い、そのように手柄を横取りする奴らも少なくは無いのだ。
とは言っても、エヴァンジル家も現在では寄り添う形が保てなくなってきてしまっているが…
「何故、私だけ違うのですか?」
マリーヤは「どうぞ」と言って、この街には不釣り合いな武骨で如何にも戦場仕様ですと言わんばかりの急拵えの座席の付いたトラックに乗るよう促す。
車内には、この車にはまたもや不釣り合いな黒い四人組とどこかの令嬢と人が入りそうなサイズの黒い布が掛けられた箱が三つ載っていた。
「ご覧の通り、エヴァンジルさんだけではございませんよ。ところで、その犬は連れていかれるのです?」
大人しく後ろを着いてきていたライカを見たマーリヤは不思議そうに言う。
「この子は、狼です。ずっと着いてくるので置いては行けないのです」
マーリヤは反対することも無く、「そうですか」と言うと運転手へ合図を出す。
急いで乗り込み、空いている席に座ろうとすれば、四人組の白髪に兎の耳の若い女がシャリテを睨む。
「貴様…どこの令嬢であるかは知らぬが畜生をこの車に乗せるとは何事か。そもそも………様が乗るにも関わらず相席など…」
―言葉の訛り具合、見た目や喋り方からして極東系か…
ライカを畜生と言われたことに何故だか強い怒りを感じながらも、冷静に言葉を紡ぐ。
「突然失礼ではありませんか。大体、戦場へ征くのに贅沢など言えないでしょうに。常識はお知りになった方がよろしいのでは?」
シャリテの言葉に怒りを顕にしたのは、最初に睨んできた者ではなくその横に控えていた桜の飾りを付けた二人だった。
彼らは、軍帽の下から蜜柑みかん色の瞳をギラつかせながらシャリテに怒鳴りながら近づく。
「娘、隊長に向かい生意気な口を!」
「貴様、隊長とこちらに御座す御方を知らぬのか!!」
どうやら、二人は隊長を敬愛しており身分の高い人物がこの場に居るらしい。
どうしたものか…このようになるのならば、引っ掻き回さず早々に謝罪でもなんでもして平和的解決を目指すべきだったなと後悔する。
はぁ…と溜息を吐けば、今まで傍観していたもう一人が笑う。
「…すまないね。いやぁ…エヴァンジル家は噂通り血気盛んなようだ。僕の所のも大概だが、同じぐらいかな」
何処となく漂う、高貴な雰囲気に極東ではそこまで有名ではない筈のシャリテの家門を知っているという言葉。
若い白髪で兎の耳の女に、桜の飾りを付けた二人組。
それらが当てはまるのは三人だけ。けれど声からして男であるのは確実であるから、一人は除外。
残る二人のうち一人は自由に動くことは出来ないはずであるから、導き出された人物は…
「秋宮秋雪しゅうせつ親王…」
秋雪はニコニコとしながら、「人質件戦闘員と聞いて鬱々としていたけれど、気分が晴れたよ」などと言う。
人質ならば、先程の場所に留まるべきだったのでは?という意見は胸に仕舞い、どうしようと狼狽える。
本当に親王だったとは思わなかったし、たかが連邦の今ではほとんど力のない騎士の娘などが生意気な口を聞いてい相手ではない。
それに、白髪の女は連邦でも有名な❝春日❞だし桜の飾りをした二人はどんな事でもする狂犬 長島兄弟だ。
とてもではないが、適うはずもない。
なぜ初めのうちに気づけなかったのかと己を恨みながらライカを無意識の内に抱き寄せる。
「ほら、明石・常磐謝りなさい。春日も突っかかるのは辞めて」
親王は別段気にした風でもなく、笑う。
その時、春日という言葉に反応したかのように車が激しく揺れる。
「…申し訳ございません」
運転手がやけに低い声で謝ると、春日の黒い兎の耳がピクリと反応する。
顔も名前もまだ知らない運転手と春日の間にただならぬ雰囲気を感じ、背筋に冷たいものを感じた。
その一瞬の空気が読めたのか読めなかったのか、親王は令嬢に話しかける。
「ああ、其方のお嬢さんもお騒がせしてしまい申し訳ないね。これは楽しい旅路になりそうだね~」
急に話を振られた令嬢は慌てたように、頭を下げる
「もっ…申し遅れました…ミリアッ…ム…リン・グライナー…ですっ!わ、わたしの事などお気になさらずっ」
緊張からか、詰まりながらも名乗った令嬢の名は最近貴族に加わったグライナー家だった。
グライナー家といえば、防御に優れた家門としてこの大戦では活躍していると噂には聞いている。
実際に会うのは初めてで、神の御使いだと謳われる噂とは違い野に咲く花のように飾り気のない少女だった。
春のような優しげなピンク色の瞳は、これから戦場へ行くのだという不安から陰っていた。
「皆さんが打ち解けられたようで何よりですよ~ワタクシは嬉しいですわ〜」
この状況を打ち解けられたという一言で表すとは、独特な感性を持っているななどと思いながらライカの頭を撫でてやる。
「おや、その犬はまだ…」
親王が何かを言いかけた時、ライカがシャリテの手からスルリと抜け出したかと思うと、いきなりガブリと彼に噛み付く。
咄嗟のことに動くことが出来ず、親王の手から流れ落ちる血を見ていた。
「主君!!!!!」
そう叫んだ春日は親王の手を握り傷の具合を確かめ、長島兄弟は、ライカを睨みつける。
睨みつけられたライカは、体をブルブルと震わせ呼吸が不規則になり、口から泡を吹き出し倒れ込む。
苦しそうにするライカに、何をすればいいのかが分からず立ち尽くす。
「明石・常磐!それ・・はやり過ぎだ。春日も、噛まれたぐらいで大袈裟だよ。戦場も近い。怪我にも慣れなくては」
長島兄弟が視線をライカから外すと、震えていた体は止まり呼吸が元に戻る。気を失っているようで、動きはしないが生きているのだと安心する。
「重ね重ね…なんとお詫びすればよいか。申し訳ございません!」
深々と頭を下げる。
その様子を見ていたマーリヤがシャリテにそっと「ワタクシがシャリテさんが復員するまで預かりましょう。安全な場所へのツテはございますので」耳打ちする。
私も、それがライカにとって一番いい選択なのではないかと感じた。
戦場まで連れてきたのだから、責任を持って一緒にいなければならないはずなのに私は、ライカを守ることすらできない。
あの状況でライカを引き取ったのは、単なる同情心でしかなくただの自己満足だった。
何もしてやることができない私には、手放すことが最善に思えた。
昔からそうだった。
人一倍正義感だけあって、行動に上手く移せないまま中途半端に場を引っかき回すだけ。
自己嫌悪に陥りながらも震える声で「お願いします」と答えた。
変わりたいという思いもあって此処へ来たのに、まだ私は何も変われていなかった。
マーリヤは「了解致しました」と微笑むとシャリテの背を優しく撫でる。
一度下げてしまった顔を上げるのは暫くは無理そうで、己の情なさから来る涙を必死に堪えるのがやっとだった。
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