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わからないひと

 出陣要請もない平和な昼下がり、近侍の薬研と本丸内を散歩することにした。執務室からは、いつも見事な庭園が見える。あの景色の、屋敷を挟んだ反対側だ。庭園は景趣ごとにがらりと変わる。こちら側は、天候以外さほど変わらず、大勢に踏み固められた土の道があった。

 遠目に「何かあるな」と思ったものの正体は、土へ描かれたたくさんのマルだった。一個、一個、二個……と並んで、それもまた道のように続いている。
 ひとつのマルを片足だけで踏み、「けん」。ふたつ並んだマルで両足をついて「ぱ」。そうしてマルの上だけを踏むように跳ねていく。けんけんぱと呼んでいた、子どもの外遊びだ。

「なっつかし……。小学生の頃にやったきりだよ」
「なんだ、大将の時代も同じように遊んだのか」

 誰の知識にこれがあったのか知らないが、刀たちが遊んだ跡のようだった。彼らは大人っぽくもあるけれど、なにせ人の身を得て数年だ。なんでも楽しい盛りで、たぶん打刀や太刀でも、誘われればここで遊んだだろう。
 ふらりと私の横を離れて、薬研がマルの道へ向かう。運動神経抜群の刀剣男士が片足を浮かせても、少しもよろめかないのでなんだか不思議な感じだ。

「けん、けん、ほい」
「薬研、アレンジが早い」

 声をかけると、薬研は私の方を少しだけ振り返って、はにかんだように微笑む。ぱ、と低音の訂正。こうしてると、見た目通りの短パン小中学生なんだけど。
 短いコースを跳び終え、薬研がくるりとこちらに向き直る。じっと私を見てくるので、大将もと言われている気がして、コースへ立ち寄った。

「けん、けん、ぱ」

 バランスをとりながら跳ねる。さっきの薬研を見た後だと、私が跳んだ時の音は、どう聞いても重そうだった。当たり前に片足立ちの危なっかしさがある。
 自分でもちょっとびっくりした。普通の人が動いてるところなんてほとんど見ないから、いつのまにか、自分がどれくらい動けるかのハードルも上げていたらしい。
 私が跳ねるのに合わせて、薬研が「おお、おお」と首を上下に動かす。

「こりゃ随分とまた、かわいいな」

 笑い声がこぼれる。
 薬研のこの言葉は、けして嘘ではないだろう。太った野良猫がひっくり返ったようなニュアンスだけど。というか、薬研に関しては過去の例がある。それを踏まえると、どうもそのまま受け取れなかった。

「私知ってるんだからね。同じようなこと、道で干からびてるカエルにも言ってたの……!」

 かわいそうではあるけれど、影絵のようにぺたんこになったシルエットを見て、薬研は目を細めていた。趣味悪いよと乱くんに言われながら、もう踏まれるなよとつまみ上げて、草むらに放り入れた。薬研の「かわいい」は複雑な何かで出てくる言葉なのだ。
 きょとん、とそれこそかわいい顔をして、薬研は唇をとがらせる。

「いや、カエルよりかわいい」
「そう言ってくれるのはいいけど……なんか、なんか嬉しくない……!」

 かわいいとは、たぶん親しみの感情から湧く。この少年の姿をした刀にかわいいと思われるのは、本当だったら嬉しいことなのに。当人のせいでなんか嬉しくない。
 薬研はそれ以上は気にせず、道の先の方を指し示す。

「あっちにもあるぞ。大将、やってみたらどうだ」

 さっきのは入門編とばかり、熱心に作られた本気のコースが描かれていた。
 いや、マルちいさいな。直径が私の靴ぴったりくらいだ。それに、両足をつけないところばっかり。これが短刀たちの遊ぶ、エクストリームけんけんぱ……。

「さぁ、来な。大将」

 薬研自身は跳ぶ気はないようで、コーチのように構えて待っている。また私がどんと跳ぶのを見て、嬉しそうにニコニコするんだろうな。そう予想できたのに、私は素直にスタート地点についていた。

 私が跳ねる。薬研も一歩一歩、こちらを向いて後ろ歩きに、近付くだけ離れていく。歩くようになったばかりの赤ちゃんを、膝立ちで迎えているみたいだった。
 でもちょっと、難易度の割に薬研がさがるのが速い。私は意地になって、薬研の向こう、どこまで続くかわからないマルを片足で駆ける。脚に疲れが溜まっていって、跳ねる高さは跳ぶたび低くなった。

「けん、けん……、けん、けん……! うわ!」

 ほとんど座り仕事の人間が、久しぶりの散歩でこんなにはしゃいだらどうなるか。もちろんよろける。

 何年ぶりかの、ぐらりと頭が傾く感覚だった。倒れなかったけれど、万一があっても大丈夫なようにと薬研が進み出る。どんとぶつかったのを、そのまま受け止められる。

 ごめん! そう言いかけている間に、薬研の華奢な体が、ぐんと反った。
 ――まさか、受け止め損ねた? 思った以上に重かった? その一瞬で、ジェットコースターの頂点みたいな、ひやりとした感覚が走る。咄嗟に、薬研のからだへしがみつく。

 薬研はそのまま、二本足でしっかりと立ち、笑っていた。

「残念だったなぁ」

 はは、とあげた笑い声が、すぐ近くで、胴体から伝う。私は薬研に乗り上げてしまったみたいに、足元が不確かでしがみついたまま。
 どっ、どっ、と、驚きとなにかが私の胸を鳴らしていた。

 薬研は、一言でこういうひとだと言い難い。明るい、優しい。物静か、冷静、おおらか。よく笑うけど、大きい声で笑うポイントはちょっと変。
 私の何かが、いま彼の琴線に触れた。それで薬研は満足そうに笑い、桜を舞わせていたのだった。


 ……いつまで、私を抱っこしているつもりだろう……。つっこむところかどうか迷うけれど、薬研はずっとご機嫌なのだ。景趣はずれの桜の花びらが、また一枚視界を横切る。だから、本人がやめるまでこのままでいいかななんて、私も思ってしまった。
 遠征メンバーも生活当番もみんな通る道のど真ん中。傍目には完全に、ただの熱烈なハグだ。

「あー! 薬研ばっかり主さんとべったり! ずるい!」

 後ろから、薬研への糾弾が飛んでくる。茶化すように、幼い見た目の刀たちが、薬研、薬研と口々に声をあげる。薬研は言われる前に姿が見えていたはずなのに、いまさら私から離れて降参の手ぶり。私まで、一緒に責められたみたいに、そわそわ目が泳いでしまった。

 ……たぶん、ちょっと、やましい気持ちがあったんだろうと思う。
 だって、薬研は何を考えているのかわからない。その一挙手一投足に、このひとは私をどう思っているんだろうと、見出そうとしてしまうから。
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