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思い出なしで生きられない

 刀剣男士に夏の和服が支給されることになった。まだ全員分の用意はないらしいが、出ただけ一通り発注するつもりだ。ひとまず、今日届いた品のお披露目会も兼ねて、庭で花火をすることになった。
 浴衣や甚平も含めれば、全員私物として一着は持っている。和服ならなんでも、着たいものを着てもらった。私も、昔お祭に行く時に買った浴衣を引っ張り出した。

 今回政府に専用の着物を仕立ててもらった刀剣男士の中には、特別な関係の刀がいた。どうとは上手く言えないけれど、好きと言ってもよくて、いくらか触れてもいい関係だ。彼のよそ行き浴衣姿もさぞ魅力的だろうと思い浮かべ、どうにか隣に居られるように、自分も身綺麗にした。
 彼はやたらと脚に注目されることが多いから、お上もそれを踏まえて甚平を用意したかもしれない。それも可愛い。浴衣だとしたら、一体何色を着てくるんだろう。今日は、皆と合流する前に、彼に迎えに来てもらう約束をしていた。

 日が落ちても、真昼間の蒸した熱が少し残っている。久しぶりの浴衣は、ただ木綿の長袖としてじっとりと熱気をこもらせた。縁側からおろした足先で、浮いた下駄のかかとが鳴る。

「大将」

 恐らくわざと音を立てて、廊下から彼がやってきた。私が振り向くまでに声も掛けてくれ、声色通りに微笑んでいた。
 雪駄片手に立つ姿は、墨のようなまっすぐのシルエットだった。あちこち黒だ。薄暗がりでもニュアンスは違うけれど、着物も帯も黒。手袋も変わらずしているし、黒い足袋まで履いていた。そうしてそこに、すうっと白い肌だけが浮き上がる。何を着てもどこか品があって、清廉な感じがする人だ。文句なしの和服美人だった。

 彼がきれいなひとだということなんて、ずっと前からわかっていた。なのに、少しだけ隠れたいような気持ちになって、自分のつま先へ目を向ける。それ浴衣じゃないよねと、どうにか普通に話しかける。素人目にも、彼の着こなしは浴衣には見えなかった。

「まぁ、襦袢は着てるな」

 薬研が左隣に腰をおろして、雪駄を庭へ置く。今日は鞘を提げていないけど、いつもの癖だろう。
 こどものように肌を見せている時ですら、大人びたところがあったのだ。こういった格好のほうが、かえって色っぽかったりする。まして、彼の場合は仕草や声色、会話の間合いがその本質だ。私の言葉の後いつも一息待ってから話し始める、その落ち着きが年上らしい。

「軽装なのに、他の子より多く着てるの? 素足じゃないし」
「大将、軽装っつうのは別に薄着って意味じゃない」

 言われてみれば、そうなのかもしれない。ハイキング用の軽装とか、絶対に薄着ではないはずだし。

「軽装備の略……装備してる?」
「薬研藤四郎が選んだものだが、俺が決めたわけじゃないからな。定義まではなんとも」
「暑くない?」
「人並みに」

 人並みに暑いと言うその顔は冷えた陶器みたいで、髪もさらさら揺れていた。さっきまで私が見ていたほう、みんなが遠くで焚き火をしている方向を見ている。これだけ距離があると、火があること、複数の人が立っていることしかわからない。
 きれいな横顔の目がぱちりと瞬いて、私を見た。わたしの心臓が跳ねるのにもきっと気付かず、一巡、いつもと違う髪型や、浴衣の柄の上に視線を滑らせていく。もう一度私と目を合わせる彼は、最初から同じ温度の微笑みを続けていた。
 黒い手袋が、板張りの床につかれる。それを見ている間に、ぐんと気配が近づいて、あっという間に引き寄せられていた。

「でも別に、厚着でもないだろ」

 唐突だ。急になに。そう思う間に聞こえた声が近くて、心地よく響く。
 抱き寄せられた右肩のほうから、肌の熱がすぐに伝わってくる。すぐ目の前の着物の肩をよく見れば、腕に力を込めるのに合わせ、中の襦袢が僅かに動くのがわかる。戦装束の上着をまとっている時は、たしかに、もっと隔たれていた。夏の生地のなんと薄いこと。……わざわざ腕の中に迎えて教えてくれるのなら、それは布をつまむんじゃなく、彼との間で確認していいということだ。

 恐る恐る彼の背中を撫でた手に、薬研は何も言わない。力をこめてみて、首の辺りで彼に擦り寄ると、かすかな笑い声が肩に降ってきた。ちょっとだけ重心を変えようと思った体が、ぴくりとも動かない。軽い抱擁のようなそぶりで、全然離れる気がないらしかった。

「かわいいな。毎年着てくれ」
「え、いや、私より薬研のほうが、よっぽど」

 思った以上に嬉しそうに、薬研の声が弾んでいる。薬研の格好のほうが、よほど一大事なのに。私は、みんなのついでに少し色の褪せたものを着ただけなのに。
 それは誰もが感じるだろう事実だけど、薬研の薄い胸が熱いのも本当だ。本心で心躍らせてくれているのが伝わってきて、私なんかと言い続けるほど野暮でもない。

「……薬研のと、合うのを買おうかな」
「そりゃいい」

 遠くから時々、主様はまだですかと幼い声がする。まだ、行けない。あと少しだけ、真新しい着物の匂いを感じていたい。
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