このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

政府指示「口付けを推奨する」

 審神者が何者かに操られる事案が二件出た。どちらも大事に至る前に収束したらしいが、あやうく三日月宗近が刀解されるところだったという。審神者ほどの権限を持つ者が操られるというのは、短時間でも被害規模が侮れない。現在、対処法を模索中とのことだ。
 それに対する上からの当面の指示は「手っ取り早いので、刀剣の誰かに口付けをしてもらえ」というひどく雑なものだった。

 審神者を操ったのは、荒霊とはいえ神である。現代の量産型神職の端くれでも、相手が神では分が悪い。神気のバリアのようなもので、頭部に近い体の入り口を守れというのだ。
 どうしても嫌だと言うなら、事件が落ち着くまで誰かに四六時中ついていてもらう等の回避策もある。風呂も例外でないそれは私も気を張るし、刀剣の皆にしてみれば、キスの一回で済むほうがよほど楽らしいのだ。
 人間の小娘と違って、彼らはそれに深い思い入れを持たないようだ。現に、この書状を朝会で読んだところ「へぇ、それで誰にする?」と内番の話でもするかのような気負いの無さだった。つまり、気にしているのは私だけ。ちくしょう。

 朝食のために全員が揃った広間を見渡す。言うまでも無く、見た目が大人の刀剣はダメだ。幼いほうが問題だという考え方もあるだろうが、生まれが数百年前の神様に児童なんたらは適用されない。だったら、私が心穏やかでいられることの方が重要だ。三日月が人差し指を唇にあててウインクを飛ばしてきたが、見なかったことにする。
 中高生くらいの見た目の子達も、本人が気にしなかろうが、私が申し訳ないから却下。目が合った鯰尾が、美少女顔を崩して唇をんーっと突き出す。私が目を細めると、けらけらと笑っていた。

「……短刀! 短刀の誰かに頼みます!」

 仲良く並ぶ粟田口をはじめとした短刀たちを眺める。みんな連絡は聞いていたが動じず、次の指示を待ってお行儀よくしていた。短刀ちゃんが軽くちゅっとするくらいなら、親戚の子にされた感じで、私のメンタルに優しい気がする。
 ばっちり目が合ってしまったのは、薬研藤四郎だった。

 薬研はムリ。絶対に絶対にムリ。短刀のなかでも見た目年齢が少しお兄さんだからとか、そういうのはこの際小さなことだ。正直に言ってその、薬研のことが好きなので、逆にムリなのだ。
 こういう場面で、どうせなら好きな相手と……、好きな人以外とキスはできない! と思うタイプもいるだろうが、私はムリだ。なにせ、気持ちを伝えていない。それで命令にかこつけて唇を奪うのは、ずるいことをしているような気分になってしまう。
 あと単純に、想像してみてほしい。薬研が私の肩に手を添えて、あの顔が近づいて、唇が……ほらムリだ。心臓止まって死ぬ。私はまだ薬研を眺めて生きていたいので、ここで早死にするわけにいかない。

 かち合った視線を慌てて外し、短刀のみんなを再度検討する。なるべく幼い方がいい。その方が恋愛関係ない感じがするから。前田くん、平野くんに一度目が留まるが、彼らは幼いながらに従者然りとしている。小さい子を命令でどうにかしている感が出そうだ。秋田くん……もなんだか無理強いしてる感がある。難しい。
 ふと岩融の脚の間で座る、赤い瞳を見つける。三条の今剣。爛漫だがどこか落ち着いた空気もあって、見た目は幼い。

「今剣ちゃん、お願いしてもいい……?」
「ん、かまいませんよー」

 ぴょんと畳へ降りて、たたたと私のほうへ駆けてくる。可愛い。
 座っている私の顔を小さな両手が捉え、首を振って前髪を横へ払う。そのまま瞳が閉じられて、冷たい唇がちょんと触れた。
 油断しきっていた唇の間へ、舌が滑り込む。

「ん!?」

 びっくりして後ろへ退いた体を、今剣ちゃんは顔を捉えた手で簡単に支えている。数秒私の口の中をいいようにしていたが、ぷはぁと口を離す姿は子どもそのものだ。私は、呆気に取られたように固まっていた。

「さぁ、これであんしんですね」
「う、え? うん、ありがとう……?」
「いえいえー」

 やるなぁ今剣、と誰かが野次を飛ばす。男神連中め、面白がってるな……。
 各自すんなり勤めに戻っていくあたり、私のキスの価値の軽さにちょっと悲しくなりそうだ。でも直後に、他の子が何人か僕もお守りします、とほっぺに天使の口付けをくれた。粟田口は最高ですな。

 廊下を歩きながら、そう忘れられないさっきの出来事を思い出す。
 まさか今剣ちゃんに深いキスをお見舞いされるとは思っていなかった。そういや実年齢最年長の部類だ。ああいうのに怖気づかないのも当然のことかもしれない。特別な意味はなかったみたいだし、ああまでしたのは今剣ちゃんのほうだから、私が罪悪感を持つ必要はないだろう。


 遠征部隊を見送ってから、私の仕事は始まる。それから執務室へ行けば、近侍の薬研が先に来て待っていた。

「薬研、今日もよろしくね」
「……ああ、よろしく頼む」

 今日も薬研は背筋がしゃんとして、いつにもまして真面目な面持ちもかっこいい。
 隣へ腰を下ろすと、机に何も出ていなかったことに気がついた。私もこれから仕事をするんだけど、薬研がただ私を待っていたというのは珍しい。今日使う書類と二人分の筆記具を手に取り、並べる。隣で押し黙っていた薬研が、静かに声をあげた。

「大将」

 ご機嫌とは言えない声色に、すぐさま振り返る。既に隣に座っているのに、身を寄せられてぎょっとするほど近かった。薬研の左手が私の頬をすべり、手袋をした親指で私の唇をキュッと拭う。藤色の瞳は不穏に燃えていた。

「短刀なら俺でもよかったろ。……目ぇ逸らしやがって」

 薬研は、今朝のアレの話をしている。どぎまぎするのは、その声が恐ろしく低いせいもあるはずだ。
 俺でもよくないです、っていうか、この状況はときめいてもいいのか判断に困る。目の前の薬研からは、まず不機嫌だというのが伝わってくる。日頃の行いもあって、こういう声色の薬研を前にすると萎縮してしまうのだ。お説教を連想する。

「なぁ。俺は大将を一番に守る、近侍だよな」

 仰る通りだ。事務作業だけでなく、その間の身辺警護は近侍の仕事である。

「……はい」
「じゃあ、遠慮なく」

 薬研の顔がすいと近づいて、唇同士が合わさった。
 私が固まっているのかと思ったけど、違った。押し当てるだけのそれはたっぷり数秒続いて、離れるときに少しだけ、ちゅ、と音がした。目の前に薬研の顔があるせいもあって、私は息を止めっぱなしだ。
 長いまつげに縁取られた瞼が、ゆっくり持ち上がる。私と視線を合わせると、険しかった表情は目元が色づくように、嬉しげに変わった。

「大将あんた、真っ赤だなぁ」

 指摘されて気がついたが、顔がめちゃくちゃに熱い。当たり前だ。だって私は、薬研のことが好きなんだから。
 でも、私の顔が赤いからって薬研が喜ぶのは、近侍だからじゃ説明がつかない。
 にじむ期待を隠さず、私はその場からじっと動かずにいる。

「まだ今剣の神気の方が濃い。たいしょ、口開けてくれるか……?」

 気持ちを伝える前に、もっともらしい理由で唇を奪うのはずるい気がする。……まぁでも、したのが薬研のほうなら、私が罪悪感を感じることはないなぁ。
 さっき心臓が止まらなかったおかげで、私は薬研のずるい顔を見ることができた。
1/1ページ
    スキ