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薬研、極まる。

 薬研が修行から帰ってきた。
 修行というのは最近できた制度で、彼らを根幹から高めるためのものだ。希望者がいつでもすぐに行えるというわけではなく、政府の方でも支度に手がかかる。刀剣ごとにふさわしい縁の時代・場所を決め、擬似的にそれを作る必要があるからだ。
 歴史に変化を生まないため、名刀の主である重要人物に万が一でも関わることはあってはならない。だから慎重に、政府はその空間や人物の写しをこしらえる。鍛錬のために時間遡行軍と架空の街を作ってしまえるのだから、そのあたりはどうにかなっているのだろう。
 そこで付喪神の力たる、己のあり方の自覚を促す。政府が彼らを高めるために、都合の良いものを見せてはいないかとちょっと心配にはなるが、帰ってきた刀剣達は皆足場が固まったようだった。意識は、顕現される容貌にまで影響を与える。

 薬研から届く手紙を読んだとき、ああ彼は私たちが知る薬研藤四郎の最後の主のところへ行ったのだと思った。主の自刃、そして焼失。それが現在有力な彼の最後の消息で、人々がそう信じて形作られたのが、彼という付喪神だ。

 手紙のなかで、普段あまり語らってはこなかったことを知った。主の腹を切らないという逸話の例外を知っている薬研にとって、縁起の良さなどは信仰に過ぎないこと。
 ただ刀としてそばにあるだけでは主を守れない。手足のある今この身で、逸話にふさわしい存在になってみせる。そういった強い意志を感じさせる手紙からは、薬研の修行も成功だったのだとよく伝わってきた。


 この本丸の近侍は、基本的には薬研である。私が一番過ごしやすく、個人的に好ましく思っているからだ。
 薬研のいない四日間、時間にして九十六時間、落ち着かないことといったらなかった。文字通り指折り数えた。待ちに待った今日という日を、やっと迎えたのである。

 帰還したら即近侍になってもらうから、部屋まで来るように。そう言いつけてあった薬研は、出迎えた兄弟たちとの会話もそこそこに、執務室へやって来た。障子ごしの影だけで、なにやら衣服の装飾が変わっていると窺える。さすが極。極といったら、衣装替えである。
 大将、帰ったぞ。その声に喜び勇んで、どうぞと返した。

 障子を開けて現れた薬研は、期待通り装備を一新していた。動きづらそうな装飾が増えてもなお強くなっているのだから、極はすごい。腕から腰周りを眺め、一通り衣装を確認してから、本人と目を合わせる。そこで違和感を覚えた。

 遠目に、全体的には間違いなく薬研なのだ。だけど見つめれば、馴染みない感覚がじわじわと湧き出す。
 真っ先に気付いたのは、髪だ。修行の間に伸びたと彼はけろりと言ったが、これはなかなか一大事のはずだ。例えばの話だが、髪の長い刀剣男子が戦場でうっかり髪を切られようものなら、手入れで元通り直ってしまう。きっと、罰当たりにもバリカンで刈ろうが同じだろう。顕現したときの姿こそが、その刀剣の標準になる。
 だから、ただ伸びてしまったという言い分は通らない。極で本人の体に変化があるとは、私は思っていなかったのだ。
 面食らった顔の私に構わず、執務室に足を踏み入れた薬研の第一声は「この武具は、屋内だと邪魔だな」だった。


 我が本丸のプロ近侍・薬研が戻ったからには事務仕事は安泰である。このところ溜まっていた仕事を、薬研のアシストを受け次々に片付ける。これだけやってしまえば、時間にも思ったより余裕が出来そうだ。

 現在、政府に提供された一時的な訓練場の攻略に勤しんでいた私は、この数日地味に寝不足だった。私の扱いを心得た近侍がいないし、同時に第一部隊に入れる短刀もひとりいない。いつもと勝手が違うのも相まって、手こずっていたのだ。
 夕食も終えて夜の十時に事務仕事を完遂。これはまだまだ、二十回くらいは出陣出来そうだ。

「薬研、戦力拡充計画の攻略、再開しよう! 皆の所へ行……痛っ」

 立ち上がろうとしてすぐに膝を強打して、悶絶する。薬研は慌ててこちらへ来ると、私の袴をたくし上げ赤くなった膝を見てため息をついた。

「……今日の演習場攻略は、もう休むんだな。大将、ずっと舟を漕いでただろ」
「え、いやだ」

 今回の演習では、戦闘の回数にも報酬が出る。今日のノルマをまだ達成していない以上、こんな健やかな時間には寝ていられない。
 私の即答を受けて、あのな大将、と薬研は説得を続ける。

「出陣を繰り返せば、手入れも休む暇がないだろ。軽いやつなら俺も診てやれるが、大将にしかできないこともある」
「期間が限られてるんだよ? それにレア褒賞の太鼓鐘くんもまだ来てないし……」
「とにかく、大将の体が優先だ。歴史維持のお役目でもないのに、そう酷使してやるなよ」

 帰って早々、薬研の気遣いが有難くも困る。多少の寝不足で死ぬわけではなし、私がまだ頑張れると言うのだからいいじゃないか。

「平気だよ」

 本丸の皆、特に太鼓鐘貞宗と縁のある者が今回の件にやる気を出している。疲労度分散のための、出陣編成のローテーションをさせなければ。薬研が反対なら、仕方ないから打刀の誰かに入ってもらおう。踵を返す。

 目の前を黒いものが遮って、たん、と真横の襖が鳴った。薬研の腕で通せんぼをされたのだ。なにをするんだと彼の方へ顔を向けたら、ずいと顔を寄せられて、思わずその分首をひく。笑っているのは口元だけで、その目はまるで容赦をする気がなさそうだ。

「大将のことを護るのが、俺っちの務めでな。大将に無茶をさせるやつを見過ごすわけには、いかんなぁ」

 声も低いし、凄まれている感がありありだ。守ってくれるとは頼もしい限りだが、無茶をさせるやつとは、それも私のことでは。
 守られると同時に脅されるとはこれ如何に。気圧されて下がってしまった背中が襖に当たって、左には薬研の腕、正面には彼の麗しいお顔がある。イケメンにだけ許された伝説の技、壁ドン!? とあほらしいことを考えた一瞬後、私は今やっと、あることに気が付いたのだ。

 薬研の顔が、目の前にある。前に私が薬研に勢いで抱きついたときは、たしかうっかり額に口付けそうになったと思う。それが、普通に立っていて顔の高さが合う……いや、薬研の方が少し高いかもしれない。今まで座ってばかりだったから、気が付かなかった。

「薬研、背、伸びてない?」

 そういやあ、と薬研がこぼす。彼の方も私をまじまじと眺めて、その差で自分が大きくなったことを理解したようだ。
 私にとっては三日間だったけれど、薬研にとってはそうではなかったのだろう。背が伸びても、髪が伸びても気が付かないくらいには、彼の体感時間は長かったのかもしれない。
 それより話を逸らしちゃいないか、と目を眇める本人は背丈の変化へまるで関心がないようだった。

「失礼するぜ」

 ──胴に手が回されたものだから、一瞬抱きつかれるのかと思ってぎょっとした。視界がぐるんと動いて、畳や薬研の尻が目に入った。
 そうだ、この人お祝いに鯛の尾掴んで持ってくる人だった。抱きつくなんていう、可愛らしいことをする人ではなかったじゃないか。
 薬研は私を担いで、さっさと言うことを聞かせるつもりのようである。そりゃ、不眠を患っているわけでもないから、寝不足で布団に放り込まれたならイチコロだ。

「ぐ、うえ。薬研! わかったから、休むから俵担ぎは勘弁して! お腹苦しいよ」

 苦しい、の一言で薬研はやっと足を止め、すまんと言って私を抱え直す。降ろしてくれればいいものを、次の持ち方は姫抱きだった。
 あ、これ恥ずかしいやつだ。薬研の横顔を見上げながら、口を引き結ぶ。
 俵担ぎならまだしも、あの細腕で体重を支えさせるとは、酷なことを言ってしまったかもしれない。でも苦しかったし、だいたい降ろしてくれないのは薬研の方だし。
 照れ隠しにあれこれと考える。勿論私の頭のなかのことは薬研には影響がなく、涼しい顔をしていた。
 不満だ。私は結構恥ずかしいのに、思春期の見た目をした薬研は、私を抱き上げようが何とも思わないらしい。小さく息をついて、とにかくこの少年に何か言ってやろうと思った。

「薬研、ちょっとだけ強引になったね。壁ドンするしさ」
「かべどん……妖怪か?」

 案の定通じなかった少女漫画用語は、物の怪にされてしまった。哀れかべどん。ぬりかべと仲良くやっていってくれ。
 こういう部分では、薬研は昔と変わらない。でも確かに、極になってから少し印象が違うのだ。
 たぶん、自信だ。成長した彼の力は間違いなく増しているし、このうえまだ伸びしろもある。それが彼に、眩しいほどの意志の強さを与えている。

 まるで人間の少年が、大人になっていくみたいだ。いいことだけど、急だったので私は少し置いていかれている。
 刀剣男子は、短刀は大きくなったりはしない。ずっとそう思っていたから。

「……あんたのためになると思うことを、貫き通したいと思ってるだけだ」

 遅れて、薬研が言葉を返す。
 元々薬研は、自分の意見というものをはっきり持っている方だった。ただ、兄気質のためかどこか優しくて、強い主張には合わせてやることも多かった。
 今の薬研は、兄であるとかそういう副次的なものに左右されない、独り立ちした強さがある。主を守ることを至上に置いた、純粋なまでの守り刀。何が自分にとって最も大事なのか、決めた者の目をしている。

「どんな傑物も明日は知れない。人は儚いな、大将」

 多くの死を見てきたはずの彼に、私から言えることはない。彼の逸話が本物になれるように、私は往生しなくちゃな、と感慨にふけるだけだ。
 薬研が私を抱え直す。重かったのだろうかとハッとして見上げると、彼は、穏やかに微笑んでいた。

「そう思ったら、あんたみたいな柔っこい女、うんと気を付けていてやらねぇと」

 綺麗な顔立ちに、長くなった髪がかかって中性的な魅力が溢れている。しかしその唇から出る言葉は男としか言いようがなかった。
 私を抱える背中の腕が、膝の手がたくましく感じる。そのうえそんな慈しむような表情をされたら、自分が守られる存在だと肌で知らされてしまうようだ。
 柄まで通る、という審神者内での隠語が頭をかすめた。
 すっかりおとなしくなって、薬研に部屋まで運ばれる。なんだか眠気が覚めてしまって寝付くのが遅れ、結局私は翌日昼近くまで布団の中だった。
 本丸の皆も私の寝不足を心配していたようで、薬研が昨晩出陣の中止を伝えても、何か言う者はいなかったらしい。

 なお、私の本丸に太鼓鐘貞宗は来なかった。
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