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言わない、言えない

 見ていてかわいそうなほど、戦の似合わない女。それが薬研藤四郎の抱く審神者への印象だ。
 直接戦うわけではないとはいえ、身体能力は平均以下だろうと誰が見ても察しがつく。性格もおとなしく、気が小さいようだった。そのうえ、この男所帯にありながら、どうも男が怖いらしい。
 当然主に敵意を持つ刀剣などいないのだが、目の前に立つ体格が立派なだけで、審神者の視線は泳ぎ、居心地悪そうにしている。そういったわけでごく妥当に、彼女はずっと少女装の乱藤四郎を近侍にしていた。
 今では本丸の運営も安定して、数多くの所属刀剣がそれぞれ日々の業務を理解している。審神者は必要最低限のときにだけ姿を現し、ほかは部屋へ閉じこもっている有様だ。

 薬研は比較的初期にこの本丸へ顕現した刀剣だった。毎日なにかしら本丸へ変化が起きていた時期で、その頃は審神者もよく部屋の外へ駆り出されていた。
 彼は当時、一週間だけ彼女の近侍を務めていたことがある。


 注意して聞き取らねば、子細を取りこぼしかねない。そのくらい小さな声で、薬研は彼女が自分の名を口にするのを聞いた。
 薬研藤四郎、さん。近侍をお願いしたいのですが……。
 それが鍛刀以来初めての会話だった。

 彼女の初期刀は山姥切国広だ。なぜ彼なのかと推測するならば、恐らく彼もまた対人関係において積極性を欠くタイプだと一目でわかるからだろう。
 男が苦手というだけで本丸の皆が当てはまるが、彼女にはまだ不得意なものがある。がっしりした体格。それが覗く服装。豪奢で高貴な佇まい。明朗快活であること。ぼろ切れをかぶった青少年・山姥切が適任であったのは納得して頂けるであろう。
 しかし彼もまた難儀な性分をしていた。審神者は彼と目も合わせられず、ろくに関わろうともしない。実際男性だというだけで怯えてはいたのだが、それが「彼だから」なのか、ふたりきりの初対面では判別も難しい。山姥切国広の自己紹介へも煮え切らない声を出し、盗み見るように視線をよこしてくる。その様子に、彼はこう言ってしまったのだ。

「なんだその目は。……俺が写しだというのが、気に入らないのか」

 山姥切国広もまだ体を得たばかりで、心のコントロールやコミュニケーション能力が磨かれていなかった。その言いように審神者は更に怯えてしまい、薬研に頼むその日まで、それはもうぎくしゃくとした執務であったらしい。

 次に、なぜ薬研に白羽の矢が立ったのか。それもまた消去法だった。
 刀種が打刀以上の者は体格を理由にまず除外。当時居た脇差は物怖じしない鯰尾のみ。短刀たちの中でも、主と親しもうとする爛漫な幼子に対しては、今度は上手に話せないことへ罪悪感が沸いてしまうらしかった。
 薬研は体格が華奢で、さっぱりとした性格である。気安い性質ではあるが、初対面の引っ込むものに親しくなろうと迫るほど強引でもない。最初の挨拶を済ませたきり、おどおどと近寄らない審神者を「そういう人間なんだろう」と合点し、触らずにおいた。それが審神者にとっては有難かったらしく、近侍を頼むに至ったようだった。

「わかった」「やっておく」「俺っちに任せてくれていい」「伝えておく」薬研が簡潔に答えて終わるやりとりは概ね良好で、審神者は心底助かっている様子だった。室内が無言でも薬研は気に留める素振りがないし、彼女が怯えるほどぶっきらぼうではなかった。彼女に快く思われているのは、薬研にも感じ取ることができた。


 ところが、近侍としての役割は、ある日突然ぶつりと絶たれた。
 第一部隊の隊長でもあった薬研が出陣し、中傷を負いながらも誉を取った。それが恐らくきっかけだ。
 戦の似合わない女は、近侍の薬研が怪我をしたと聞いて、青ざめた顔で手入れ部屋へ駆けつけた。
 薬研は戦装束を派手に破かれてしまったうえ、まとわりつくそれを血の気の昇るに任せて脱ぎ、ひどく荒れた格好をしていた。端々に血も滲んでいる。
 薬研は反射的に、これでは審神者が怯んでしまうと考えた。彼は安心させようと微笑み、戦果を報告する。

「……勝ったぜ。大将」

 すると審神者はぴたりと停止し、青かった顔が見る間に真赤になってしまった。そばで軽傷の手当てを受けていた鶴丸国永が、ひゅうと口笛を吹く。
 それにハッとして、審神者は顔も赤いままどかりと薬研の前に腰をおろした。そのまま急くように薬研の本体を無言で手入れし始める。
 必死さの滲む様子に、薬研はあれこれと気を揉んだのだ。怪我をするのも仕事の内であるとか、こんな格好ですまんな、だとか。
 結局審神者が薬研と目を合わせることはなく、ただずいと着替えを突きつけて、ぼろ切れのようになった戦装束を交換して去っていった。

 その翌日の鍛刀でやってきた乱と審神者が、二人でなにか密談をした。直後、薬研は近侍からお役御免となったのだ。
 これにはさすがの薬研にも、多少もやもやとしたものが残る。

 赤面から察するに、肌を見せてしまったことが原因だろうかとも推測した。しかし、薬研以前にも戦場で服を破いた刀剣はいる。
 いくら乱の外見が少女のようだとはいえ、彼は明るく人懐こい性格で、審神者にあれこれと話しかけている様子である。
 ──なぜ自分では務まらなくなったのか。

 薬研にとってみればほんの娘である、あの審神者を手助けするのは気分がよかった。物である付喪神の性か、主人の役に立つというのは本懐だ。
 更に短刀という性質が、懐刀の地位を求める。最も近くで、身辺を護る。一度任された立場を失うのは、こざっぱりした性格の薬研にとっても気にかかることだった。


 稀に現れる審神者をふと薬研が見つめる。すると大抵視線はかち合い、彼女は顔を赤くしてそそくさと去ってしまう。
 もし自分が、彼女の逃げ場がない場所でその目を見つめ、言葉をかけたらどうなるのか。薬研はそういった空想をするようになった。

 とはいえ、現在彼女は薬研を遠巻きにしている。扱いからして嫌われてしまったようにも思えず、燻るばかりだった。
 まずはなんとか、懐に入り込めないものか。

 乱の楽しげな声ばかりが聞こえる審神者の部屋へ、元近侍だからと彼が進んで茶運びを引き受けた。他の刀剣達も、主の扱いの難しさは承知しているので薬研へ任せる。そのときだけは、乱ではなく審神者が顔を出し、手ずから茶や菓子を受け取った。

 ……これだけでは、審神者と距離を近付けるのに何年かかるかわからない。


 考えあぐねていたところへ、薬研は浴場で乱と出くわした。
 部屋へ引きこもる審神者の近侍になった乱は、他の兄弟と会話をする機会が極端に少なかった。乱は持ち前の明るさで、兄弟たちへ気さくに近況を語る。皆多かれ少なかれ主人のことを知りたがっていたため、会話はとても弾んでいた。

「──お前、ここへ来たばかりで近侍になっただろ。何か困ることはなかったか?」

 薬研は、暗に乱が選ばれた理由を知りたかったのだ。人見知りの審神者が、鍛刀したばかりの乱に鞍替えした理由。また、それがそのまま今日まで続いた理由だ。
 長い髪を頭の上でまとめた乱は、にぃ、といたずらっぽく微笑む。

「来たばっかりでもね、わかることはあるんだ。近侍はボク以外に務まらないと思うなぁ。とくに、薬研は無理だと思うよ」

 他の兄弟がぽかんと口を開ける。わざわざ薬研を名指しで無理だと言う真意は、誰にもわからなかったのだ。
 当の薬研は、問いかけの裏の小さな対抗心を見透かされたようで、口をつぐむ。

「まぁ、薬研が主さんを好きだって言うなら話は別かな?」

 乱はすぐに可愛らしく肩をすくめ、なんちゃって、とおどけた。


 好きかと問われれば、薬研も「この本丸の皆は、刀として同様に主のことを好きである」と真っ先に浮かんだ。口に出さなかったその答えは、彼自身にとってもどこか白々しい。乱にもその認識はあるだろうから、主従愛の話ではないのだ。

 どう考えても庇護対象である、心身ともに弱い女。その主に自分だけ側仕えを許されることが心地よい。
 そのうえで、薬研にだけ頬を赤らめる彼女に、恐らく特別な好意を期待している。
 好意で務めの何が変わるというのか薬研には見当がつかないが、必要ならそういった意味で好意を抱いていると言い切ることに躊躇いはなかった。

 僕は主さんの味方だから、薬研のことも応援してるよ。近付く勇気があるなら、明日一時間早く部屋へおいで──。
 他の兄弟に聞こえないよう、乱が囁く。薬研藤四郎に対して「勇気があるなら」とは、挑戦的な言葉だった。



 いつも訪ねる時間より早くに、薬研は本丸の奥へと向かった。審神者は人の通り道にならないような奥の部屋に私室と執務室を一続きで構えている。審神者に用がある者以外、その辺りへ近づくことはない。奥からやがて聞こえてくる声は、乱のものしかありえなかった。

「主さん、もっと正面からどーんといっちゃえばいいのに。……薬研、近侍になりたそうにしてたよ」

 薬研を呼び出しておいて、乱は聞こえよがしに審神者へそんなことを吹き込んでいる。彼は眉を寄せたが、彼女がなんと答えるのか、気になった。襖越しではかろうじて、ぼそりと短い言葉が返った気配しかしなかった。

「はは、でもこれ全部捨てたくないんだもんね。じゃあムリか」

 捨てたくない。よく聞き取れる乱の声だけを拾っても、話の前後はまるでわからない。

「本物の薬研と仲良くなって、あんなことやそんなことした方が良くなぁい? 恥ずかしい? ふーん……」

 思わず足を止めていた薬研は、もう一度出た自分の名前で我に返った。まさかこのまま立ち聞きをさせるために呼んだわけではないだろう。薬研はすうと息を吸い、襖の向こうへ声を掛けようとした。


「……来てくれて嬉しいよ、薬研。主さんのことをちゃんとスキで、傍に行きたいと思ってるんだよね」

 襖の外、廊下の薬研に言葉が向けられた。
 中から珍しく審神者の困惑する声が響く。足音が畳を歩き、薬研の方へやってくる。彼の眼前の襖をすぱんと一思いに開けたのは、乱藤四郎だった。同時に、薬研はきゃあと大きな、審神者の悲鳴を聞いた。

「ボクはね、主さんにはもう一歩進んでほしい。大丈夫。ボクの兄弟は、簡単に主人を見限ったりはしないんだ」

 空色の瞳が、そうでしょうと薬研に訴えかける。
 廊下から執務室、その隣の審神者の私室まで、襖は全て開かれていた。



 審神者の私室の襖が開かれたのを薬研が見たのは近侍以来、数ヶ月振りだった。まず和室らしからぬ部屋中の暗い色彩に、薬研はぎょっとした。思わず執務室へ入り、私室へ近づく。それが何なのか認識した途端に、彼は意図せず身体が凍るように感じた。

 薬研は詳しくは知らないが、写真という姿を写す紙だった。
 壁中のそれに自分が写っているため、戦装束や髪の色で、部屋を暗い彩りにしていたのである。

 それだけに留まらず、いつか破いた戦装束が、ぼれ切れなりに洗濯をされ、壁に飾られている。見覚えのある干菓子や金平糖が、透明な袋に入れられ留められている。薬研が遠征の報告をしたためた紙が、額に入れられている。
 最初は空同然だった審神者の私室は、薬研に関わるもので埋め尽くされていた。

「薬研のほうから踏み入ったんだ。さ、主さんの懐、入ってみなよ」

 後ろで乱が愉快そうに、高らかに語りかける。いたずらが成功したかのような、無垢な悪意を孕んだ響きだった。彼は主のありようが普通ではないことを、充分に知っている。そのうえで、薬研に忠義を見せろというのだ。

 異様な部屋の中央では、秘密を暴かれた審神者がすすり泣いている。その姿は薬研のよく知る、気の小さな娘そのままだ。
 薬研自身、この部屋に満ちた彼女の気持ちを受け止めきれたとは言えない。正直まだわけもわからず、現実感がない。

 ただ彼女を泣き止ませる方法だけは、薬研にも直感でわかっていた。

「……大将、泣かなくていい」

 部屋へ足を踏み入れると、審神者は怯えたように顔を上げる。その恐れは、薬研に嫌われたくないのだと、そればかりに向けられている。

 彼女が全てを薬研に委ねたとして、そこから逃げる必要がどこにあるのか。
 近侍でなかった間も、間違いなく彼女の関心を一番引いていたのは薬研だったとわかった。それだけじゃないか。

 こんな状況でも、薬研に見つめられれば審神者の頬へ紅が差す。彼女は言い逃れることも、薬研の眼差しから逃げることもできない、気の弱い女だった。

「俺は、あんたを護るための刀だ。好きなだけ側に置いてくれ」

 その許しで、彼女が隠した歪な好意は実を結んだのだ。
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