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ちなみに、翌日彼は覚えていました。

 毎年恒例の忘年会は、年々人数が増えて規模が大きくなっている。料理をする刀も食べる専門もどんどん増え、新しい余興のグループも結成された。出陣の合間に皆で準備をしてきた、一年の最後を締め括る宴会だ。
 今年初の催し・大般若長光マジックショーは、かなり面白かった。リアルMMDと称したダンス披露も、見目麗しい平安刀の集団どじょうすくいで笑い死ぬかと思った。
 楽しい時間に、広間へ追加で届く燭台切のお手製おつまみでお酒がみるみる消えていく。私は多少羽目を外しても人並みの飲酒量だけれど、刀剣のみんなは、文字通り浴びるようにお酒を飲んでいた。曰く、「今年の酒は今年のうちに」だそうだ。

 大人数で酔っ払っていれば、十二月でも室内は暑い。私も熱気で少しくらくらして、外気で涼みに出たところだった。あちこち障子を開け放しているので、大広間前の廊下は明るい。室内を振り返ると、色とりどりの着物や後ろ頭が並んでいる。

 眺めていた部屋からころんと転がり出るように手をついたのは、薬研だった。首をぐらりと傾けて、前髪がめくれておでこが出る。いつもどことなく微笑んでいるけれど、赤い頬でへにゃりと笑われて、妙にドキッとした。

「たぁいしょ、こんな所にいたのか」

 廊下に這い出てきた薬研が、よたよたと私のそばに来る。今日の忘年会だって、最初の方は近くに座っていた時間もあった。私もそれから彼を見失っていたけれど、薬研の方も、私がいないなと思っていたらしい。飲み始めた時にかけていたメガネは、席を移動するうちどこかに置いてきてしまった様子だ。
 右隣にスペースを取って手で招くと、薬研は覚束ない様子でそこに座り直した。内番服のズボンから出ている脚も、シャツの下も火照っていそうだ。隣に来ると、呼気がお酒っぽいのがわかる。日頃から酔っている刀ならともかく、薬研が見てわかるほど飲んでいるのは珍しかった。

「薬研、酔っ払ってるね」
「酔ってない」

 きっぱりと即答する様子も、声色も、どう考えても酔っている。思わず笑ってしまうと、薬研もつられて笑い始めた。

「嘘だぁ」
「うん、酔ってる」

 どっちも大真面目に言っているから、めちゃくちゃだ。彼が低い声で忍び笑いをすると、くくくと響く音がなんとも良い。

 薬研は酔いを覚ますように、隣でぼうっと外を眺めていた。視線の先では、池に宴会の灯りが反射してきらきらと輝いている。私に気付いて部屋を抜け出してきたものの、特に用があったわけではないらしい。
 彼のことをなんとなく意識している身としては、こうしてそばへ来てくれて、無防備な姿を見せてくれる事が嬉しかった。話しかけられれば、それまで黙っていたすまし顔も、ぱぁと輝く。酔っているからか、とにかく構われるのが嬉しい様子だった。

「ご飯、おいしかったね」
「旨かった……」
「薬研は何が好きだった?」
「刺身」

 こういう普通の話すら、うんうんと頷いて、心底おいしかったと感情豊かに訴えてくれる。普段だって無愛想ではないのに、今の薬研と比べるとクールぶっていたのかと思いそうになるほどだ。

「大将は、なに食べた」

 話す途中、小指の先に薬研の手が触れる。……身振り手振りをしそうな勢いのまま、薬研がちょっとずつ寄ってくるせいだった。

「一通り食べたよ。燭……、台切さん手作りのは、早く無くなっちゃうから先にもらうようにしてたし」
「うん、そりゃ良かった」

 それとなく反対に下がってはいるけれど、堂々と向かってくる方のペースが勝つ。
 相手は距離感のバグった酔っ払い。気にしているのは、本当に私だけ。

 そうやって自分に言い聞かせても、姿形は大好きな相手だ。手や体がちょんとぶつかる度、思春期並みにどぎまぎしてしまう。
 無駄に色っぽい酔っ払いの顔が、話すには近い距離で囁く。

「大将は、酒飲んだか」
「……飲んだよ」
「そうか、そうか。息抜きになったか」
「皆が楽しそうだったし……なったよ」
「息抜きは、した方がいい。ただ、ちゃんと、気を付けて飲んでくれ。飲み過ぎないように。いいか」
「……うん」

 たどたどしく、どの口が仰るのか。ふぅと吐かれた息から、日本酒そのものみたいなにおいがする。弱い人なら、これだけで酔いそうだ。

 薬研が目を眇めて、お綺麗な顔を近づけてくる。それから頭を引いて、自分の目蓋のあたりをぺたぺたと触り始める。そうだね、メガネが無いね。
 近付きすぎた薬研の肩を押し返してどうどうと宥めれば、同じように肩をぽんぽん叩いて、神妙に頷いてくる。
 別にそれでもいいんだけど、してくることが頓珍漢で絶妙にいい雰囲気にはならない。

 こっちの気持ちも知らない酔っ払いをじと目で見つめると、何が面白いのかくすくすと笑いだす。素直に笑うと、薬研は外見よりもいっそうあどけない少年に見えた。
 いつもの薬研は、厳しいひとではないのに、こちらの背筋が自然と伸びるような大人っぽさがある。無理をしているわけでもないだろうけど、やはり彼なりにきちんとした態度を心掛けているんだろう。それが、私にも伝わってくる。楽にしてよい瞬間があれば、普段の彼もこうやって笑うのかもしれなかった。

「……んん」

 姿勢もふらついていた薬研が、唸り声をあげて、いよいよ私の肩にもたれてくる。薬研の身体は熱い。覗き見た顔は瞳を閉じていて、今にも眠りそうだ。
 本丸に来てから、このくらい思い切り酔うひとを何度か見てきた。ここでちょっと風に当たったくらいでは、薬研は復活しないだろう。

「……今日はもう、粟田口の部屋に戻って寝る? それとも、広間で少し横になる?」
「……知らん……」
「知らんて」

 広間では既に何人か酔いつぶれていて、前田くんが端から並べて寝かせてあげているスペースがあった。おしぼりを額と目に乗せた男達がのびている様子は、さながら野戦病院だ。体の大きい刀こそ、限界を知らず初めての宴会でこうして潰れてしまう傾向がある。薬研も、どちらかといえば普段は世話をする側だ。
 今年は後輩も増えて、極短刀の中で練度の高い薬研はあちこちの戦場に行っていた。その薬研とお酒を飲みたい刀も多かっただろう。珍しく酔っているわけに思いを巡らせて、うとうとしている薬研をしばらく眺めた。細身だけれどたくましく、今年も戦い抜いてくれたひとだ。

「長谷部呼んでこようか」

 一緒に飲んでいたよしみで、薬研を運んでもらおうか。眠気を散らさないように、なるべく穏やかに話しかけて、軽く身体を揺すった。

 その手の甲に黒手袋の手が重ねられて、ぎゅうと握り込まれる。反射で引っ込めそうになった手を掴んだまま、力の抜けた頭が、くてんと私を見上げる。
 今にも眠りに落ちて蕩けそうな淡い紫色が、私の瞳をじっと見つめて、声が優しく唇から漏れた。

「たいしょう」

 あまりの美しさに釘付けになって、一瞬忘れていた息を吸う。繊細な美少女の微笑みで全てを委ねて、手だけはしっかり握りしめる。
 こんな表情と声を向けられたら、すごく好かれているんだと思ってしまっても、しょうがないような。お酒が入っている頭には、夢のような変換がなされた。

 温まった体に、更に体温の高い彼の掌から熱が移ってくる。すり寄るみたいに薬研が頭を預けてくるのを、今度は避けずに留めておく。
 酔うと自制が弱まるとは聞くから、つまり薬研がこんな風に甘えてくるのは、程度はどうあれ好意なのでは。そういう期待が湧いていたのは確かだ。


 べしゃ、と音がしそうな勢いで、座っている私の腿に薬研の頭が落っこちた。うつ伏せの小さな頭からは、そのうち寝息が聞こえてくる。
 ……甘えるっていうか、これは本当に寝落ちただけだな……。

 生温かくて力の抜けた身体は、大きな猫に乗られているみたいだ。とりあえず運ぼうと両脇の下に腕を入れるけれど、持ち上がりそうで上がらない。

「……いや、薬研見かけより重っ……」

 幸せそうな寝顔からは、よだれが垂れそうになっていた。可愛いのは間違いないが、寝ぼけた薬研は体勢を変えられるのが嫌なのか、手加減なしに胴体を締めてきたりする。ときめく前にマジで私の肋骨が軋む。
 情けない声で長谷部を呼べば、彼も飲んでいるのにすっ飛んできて薬研を回収してくれた。
 本当にみんな、一年お疲れ様だ。
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