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「未亡人」(にっかり青江)

 約束通り、都合のあった平日に青江さんの家を訪ねた。玄関扉は、模様の入ったガラスがはまった引き戸だ。現れた青江さんは、黒いポロシャツに部屋着らしいふくらはぎ丈のズボンをはいていた。昼間の玄関には電気をつけておらず、入り口から自然光が少し入るだけの、ひんやりとした光景だ。

「いらっしゃい。待ってたよ」
「お邪魔します……。あ、これおやつにどうぞ」
「これはまた、立派だね。一緒に食べようか」

 結局なにか手土産になるものはないかと家族に聞いて、親戚からもらった小ぶりのスイカを提げてきた。小ぶりといっても、青江さんの顔くらいはある。玄関には、私の脱いだサンダルと青江さんの下駄だけだった。お祖母さんは外出しているんだろう。

 玄関と同じく、昼間は電気をつけない主義らしい。薄暗い廊下を抜けて通された先は、本棚が二つある和室だった。壁向きの仕事用デスクと、部屋の中央にちゃぶ台、座布団がある。ちゃぶ台には、彼の著書が積まれていた。本棚にはそれを抜き取った分の穴が空いている。

「スイカ冷やしてくるから、本棚を見ていてもいいよ」
「ありがとうございます」

 スイカのことも、本棚への興味のことも。まさかこの本棚の全てが著書なんだろうか。視線を滑らせると、さすがにそうではないようだった。擦り切れるほど古い、難しそうな歴史ものがほとんどだ。資料だろう。彼の見た目の若々しさに合うようなものは、彼の著書くらいしかない。漫画なども見当たらず、ぱっと見て世代がわかるようなものがなかった。
 ちょうど戻ってきた青江さんが、氷がたっぷり入った麦茶ボトルをちゃぶ台に置く。満タンのボトルが重いのか、よっこいしょと言っているのが聞こえた。

「……青江さんって、年齢いくつなんですか」
「知りたがりだねぇ。内緒」

 わざわざ人差し指を唇の前で立てる仕草が様になっている。自分が別に言ってもいいと思っているから、つい聞いてしまった。すみませんと簡単に謝罪する。青江さんは微笑んでから、そのまま二人分のお茶をコップに注いで置いてくれた。

「僕の書いた本は、そこに出してある短編集とシリーズものだけ。まだ新人なんだ」
「五冊。すごいですね」

 私にそう説明しながら、デスクのノートパソコンを起動して、メガネを取り出す。ブルーライトカットのものだけど、雰囲気がさらに繊細な感じになって、ちょっとどきっとする。新鮮だ。知り合って日が浅いのに、新鮮もなにもないが。
「それ、好きに飲んでね」と言ったのが合図だった。彼はそのまま静かに執筆作業に入った。昔の日本家屋はつくりが小さくて、どちらかといえば華奢な青江さんが座っているのでも、存在感がある。人が家で集中しているところに居させてもらうのって、不思議な感じだ。私は彼が休憩をとるまで、ここで読書をする。今日はそういう話だった。

 読書は、嫌いではない。学生の頃は本を読んでいたほうだと思う。社会人になってから、ぐっと読まなくなってしまったけれど。
 すぐに読み終われそうで、感想も言えそうな短編集を手に取る。裏側のあらすじを見ると、どうも怪奇譚の詰め合わせらしい。怖いものはあまり得意ではない。仕方なく、長編の第一巻を開いた。

 物語は、人間ではないものたちが、人の姿になって怪物と戦う話だった。語り口がもっと軽かったら、アニメかなにかみたいな印象だったかもしれない。実際の作品はどこか鬱々としていて、登場人物の会話も最低限だ。ホラーも書く作家さんだしな、と思うと妙な納得感があった。
 戦っているひと達は、強いられているわけではなく、それが使命なのだと確信している。すべきことだから、文句も言わずに戦いに明け暮れる。それでも、彼らにはどう読んでも心があった。誰かの視点で心情を書かなくとも、わずかなセリフや行動に混じる情や未練、苦悩でそれがわかった。やわらかい感情を持っていながら、戦って誰かの志を手折ることが彼らの使命なのだ。

『僕ら自身が、こうして身体を得てはいけなかったのかもしれない』

 思慮深い人物が、そう言う場面では複雑な気持ちになった。彼らが人の形になったのは、彼らの選択なのか。そもそも、他の存在がそうさせたように読める。
 美丈夫たち(と書いてあった)を束ねているのは、人間の女性だった。進軍の最終判断は彼女にあり、治療や新しい仲間の手配も彼女がしている。大所帯の美形男性のなかに平凡な女性が一人。こういう経緯で読んでいたのでなければ、女性作家が恋愛のいざこざを書くために作った設定なのかと思っただろう。いや、ロマンはあるし羨ましい。……ううん、本当にそんな立場だったら、緊張で身体を壊すかもしれない。一緒に暮らしていくのに、恋愛トラブルなんて無責任すぎる。
 ともかく、青江さんが書く物語の中で、彼女は主人として尊重され、女性は身体的に弱いからと労りを向けられているだけだった。恋愛要素なし。
 しかし、刀の化身であるという美形たちは、とにかく人間ができていた。嫌な人が一人もいないまま物語がちゃんと転がるので、ストレスフリーだ。青江さんの人柄が窺える。強くて、かわいそうになるほど優しいひと達。そんな彼らが、使命に苦しみながらも自ら進んでいく話だった。

「ああ、シリーズもののほうを読んでくれたんだね。今書いてるのも、それの続きだよ」

 声をかけられて、顔を上げる。青江さんがメガネを外して、ちゃぶ台の向かいに腰をおろした。休憩だ。ちょうど三分の一くらい読んだ文庫本に、置いてあったしおりを挟む。

「短編にしようと思ったんですけど、実は怖いのがあんまり。あ、もしかしてシリーズのほうも怖いですか?」
「怪物は出るけど、お化けは出ないよ。たぶん」
「たぶん」
「世界観としてはいても、本筋に関係ないから書かないんじゃないかな」

 怖いの、だめかぁ。そう呟く顔が、少し微笑んでいて嬉しそうだ。怖いものが好きな人って、他人が怖がっていることが楽しいイメージがある。とんでもない話だ。じと目で見ると、気をつけるね、と笑いかけられる。気をつけないと怖くなっちゃうの? というツッコミは飲み込んでおいた。

 どこまで読んだのかと聞かれ、大まかに伝えた。シリアスな部分は喋ると薄っぺらいことを言ってしまいそうで怖かったので、ついさっき気になったところに言及する。彼らの主様についてなんですけど、と口を開けば、彼は私のほうを静かに、じっと見つめた。

「こんなに立派な人たちの主様をやってて……それを抜きにしても、大事にされてるみたいで。その理由みたいなのが、わからなくて。すごい人なんですか?」
「同じ役職の人間を集めたなら、ごく普通の人間なんじゃない」
「この後活躍するシーンがあったり……」
「……どうかな」

 ネタバレしないように伏せたというより、なんだか活躍しなさそうである。ずっと、彼らの世話をしつつ、悩みながら時に命令をする人間の女性。ときどき物語の焦点が当たるが、ヒロインにしては普通でぱっとしない気もする。
 考えが横道に逸れて唇を尖らせる私に、作者さまが解説を入れてくれる。

「彼らは人間じゃない。そのうえ、彼らはヒトに作られ、ヒトに使われるために生まれた。人間のために存在したいのさ」
「じゃあ、この主様がっていうより、人間みんなを大事にしてるんですね」

 なるほどと頷く。
 彼のほうは、肯定することもなかった。それどころか、私にぽつりと疑問を投げかけてくる。

「彼らは、主人と他の人間を同じように……同じくらい愛してると思う? そうあるべきかな?」
「私、まだ一巻のここまでしか読んでないですよ。……さっきの青江さんの言い方だと、そうなのかなって思いましたけど」

 そうあるべきか、とまで言われると難しい。同じところで暮らして接点があるのだから、どうしたって、他の人より特別になってしまうんじゃないかな。誰も、これくらいの能力だから、この役割だからと人を好きになるわけではないだろうし。彼らに限らず、その主人の人間だってそうだ。
 今読んでいるところまででは、彼らが主人との関係に悩んでいるようには見えない。なので、今後どうなるかわかるのは、まだ先だろう。
 パッと雰囲気を明るくするように、彼が笑顔を見せる。

「僕も、これからよく考えてみるよ。あ、スイカ切ってくるね」
「決まってないんですか!」

 そういうものなの……? 連載って最後まで決まってなくてもいいの?
 立ち去る背中を見てから、積まれた続刊を眺める。いま四巻まで出てて……、いや、ほんと、そういうものなの?
 青江さん本人の印象と同じで、作品も全容がつかみきれず、彼が優しいことだけはわかる。どうして彼がこのお話を書いたのか。作家になりたいと思ったのは、なぜなのか。ページをめくるみたいに、穏やかに好奇心が広がっていった。
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