寝惚けて薬研に好意をぶつけてしまう話
寝惚けていた。完全に、夢との区別がついていなかった。
夢の中では、私は気持ちを隠すことなんてせず、へらへらと日々を謳歌していた。
大好きな薬研。審神者として正式に本丸を持つ前から、私は彼らのファンだった。政府の歴史維持省が審神者へのイメージアップ、及び関心を高めるために、彼ら刀剣男士が公共の電波に出演することがある。そこで私を骨抜きにしたのが、短刀・薬研藤四郎だった。
審神者になった理由の一つとして、彼に会えるという邪な思いも抱えてはいた。だが、彼らと私の命にも関わる仕事だ。ましてや、実際の薬研は私がテレビで見た薬研とも別人であるし、私と彼は初対面から関係を築いていくのだ。さして言葉を交わす前から、でれでれと好意を垂れ流すわけにはいかない。
顕現した薬研は、私の知る薬研そのものであり、またそれ以上に素敵で眩しかった。
抑える反動と、実際の薬研を前にする感動。この二つがあわさって、私は時折夢を見た。
薬研にみっともなく甘えて、言いたい放題すきだ愛していると本人にぶつける。それに慣れきっている夢の中の薬研は、応えるでもなく呆れるように笑って、そんな主も許してくれる。……ここで、両想いの夢を見ないだけ、わきまえている方だと思ってもらいたい。
そういった夢を今日も見ていたはずだ。やがて目の前に見えた白衣の裾を確認して、嬉しくてだらしなく笑った。きちんとした黒いシャツ、ネクタイ、サスペンダー。伸び上がって目の前のそれに頭をうずめ、思い切り息を吸い込む。薬研の香りがした。
「ちょっ、おい、大将」
好きでたまらない、薬研が私を大将と呼ぶ声がする。こんなのよくあることなのに、うろたえるなんて可愛い。逃げられないように背に手を回して、薬研の腹へぐりぐりと頬ずりをする。
「薬研~~~しゅきぃ……今日もだいすきぃ~~」
びく、と何やら硬直した気配を肌で感じた。同時に、自分の口から出た言葉に違和感を持つ。まるで目覚める間際、夢の中で言おうとしたことを本当に口走って、喉を使ったときの違和感……。
本当に、夢のつもりで、私は何か大変なことを言ってしまったのではないか?
急激に頭が冷えていく感覚になり、指先も冷や汗をかき始める。
いま、抱きついている薬研は、現実の薬研なのか……?
スキとかかっこいいとか言ってはいけない、職場の近侍の、薬研藤四郎かもしれない……!
頭を起動しているだけで、数秒経過した。双方無言のまま、私は本物の薬研に抱きついたまま、固まっている。
このままで、いるわけにも、いかない……。
恐る恐る、まずは顔をシャツから離す。身体もちょっと引いて、それから肝心の薬研の方を見上げる。
薬研も薬研で、どうしたものかとばつが悪そうな顔をしていた。
現実だ。やってしまった。というか、ついさっきまで抱きついていたせいで、めちゃくちゃ近い。顔中熱くなっていくのが止められない。
私は無意識で「寝惚けていました」アピールをした方が得策だと思ったのかもしれない。わざとらしくも「え、薬研。あれ?」とごにょごにょ言いながら、もう少し距離を取った。薬研は私の布団の傍らに膝をついたままの体勢で、じっと停止している。
「……いや、今朝は遅いから、起こそうと思ってだな……」
表情こそ真面目くさっているが、白く皮膚の薄そうな頬は微かに赤くなっていた。突然抱きついて匂いを嗅いで、あまつさえ告白したのは、誤魔化しがきかないほど事実だった。
薬研を人の少年にカウントするなら犯罪。神様ととるなら不敬である。
「……ごめんなさい……。あの、まさかこんなことをするとは、自分でも」
「まぁ、なんだ。あんたも寝惚けることがあるんだな。久々に驚いた」
居たたまれなさでとりあえず謝る私に、薬研は平静らしく振舞ってくれる。
鯰尾あたりに同じことをやっていたら、今この瞬間から、からかわれ倒して本丸中に広まりそうなものだ。私の好きな人はその点落ち着いていた。
「気をつけます……」
「そうだな。起こすと抱きついてくるなんて、あんまり知れない方がいい。威厳ってのがあるからな」
「すみません……」
うなだれた頭をますます下げるしかなくなる。最近滅多になくなった、主としての佇まいに対するちょっとしたお説教だ。慣れてきて、主としてそつなく振舞えるようになってきた矢先の失敗がこれとは、情けない。
私の後悔と反省の空気を察して、薬研は和ませようとしたのだと思う。
「……にしても、よくもまぁ『薬研好き』なんて咄嗟に名が出たもんだ。なぁ、夢の中で俺っち何かあんたの助けになったのか」
わりと有耶無耶にしたい台詞について言及され、寝起きの私はうまい返しが思いつかなかった。好きどころではない。いい歳をして幼児語じみた言い方で、べろんべろんに甘えてしまったのだ。
笑うような声色で、薬研は持ってきたらしい手拭いを手渡してくれる。ひやりとしたそれを、私は広げて思い切り顔にあてた。
なるほど。私が夢で薬研に助けられ、感謝のあまり抱きついたというのが彼の推測する筋書きか。
……今までひた隠していたとはいえ、そんな特別な場面でないと薬研を好きなどと口走らない。そう思われているとしたら、それはなんだか心外だった。私の命を救った直後でなくとも、薬研は頼りになってかっこいい。
「助けなんて、夢じゃなくてもいつもしてもらってるし……。だからいつも、思ってることだし……。あ、でも気をつけるから、さっきの物凄い失態は忘れて……」
手拭いにむけてもごもごと答える。ろくに脳の精査を受けず出てくる言葉を、遅れて反芻した。
これ告白みたいに思われないだろうか。いや、実際お世話になってるし感謝してるし、変な意味じゃなくても薬研のことは好きだし、間違ってない。
顔を冷やすのに使った手拭いはあっという間に生ぬるくなって、私はそれを空気で冷まそうと一度手に取る。会話に妙に間があいた薬研のほうをちらっと見ると、目が合った。彼はなんだか、普通に嬉しそうにしてくれていた。
「……なんだ、そこを寝惚けてないなら、忘れるかどうかは俺の自由だな。大将」
「うん……、うん?」
「褒め言葉だ、有難く頂戴しておこうか」
快活に笑う姿は彼の気風そのままで見ていて心地良いが、こうして静かに微笑むのも、いちファンとしてドキドキさせられる。
……そうか、好きという言葉にも「いつもお世話になっている」という枕詞がつけば、邪念の薄いただの褒め言葉と取られるのか。そして薬研は、それが嫌ではないのか。
けがの功名、なかなかいい事を聞けた。
ライブで好きなアイドルの名を思い切り呼べるのが爽快なのと同様、スキを言葉に出来ることは稀で素晴らしいことだ。現実で薬研が気軽に好きと言わせてくれるなら、私はあんな夢を見て寝惚けずに済むかもしれない。少なくとも、しゅきなどと口走る肝の冷える思いはもうしたくない。
「うん。いつもお世話になってます。薬研本当に好き! 大好き!」
調子に乗ってフレンドライクな好意を発散する。薬研はそれを軽快に笑い飛ばした。
「こんなに見返りがあるとは、近侍ってのは役得だな」
「戦功の誉と近い効果でもあるのかな。薬研、褒められるの意外と好きなんだね」
薬研が一度、きょとんとした様子で私を見る。それから目を伏せると、口元だけは意味深に笑みを作った。
「ん? ああ、そうだなぁ。明日も寝惚けてくれていいぜ、大将」
そうして、硬く薄い自らの腹をぺしぺし、と二回叩く。今朝私が寝惚けてすがりついた部位だ。
寝惚けてもいい、とは、まるで抱きついても構わないと言っているように聞こえてしまう。いや、あの理知的で頼りになる男らしい薬研が、そんなことを言うはずない。
そんなはずはない、と頭で繰り返してしまう私は、薬研の冗談を受け止め損ねてしまったのではないか? 慌てて何かを言おうとした私に、薬研が言葉を続ける。
「悪くなかった」
何を意味するのか私のなかで繋がった瞬間、顔から火が出そうだった。
夢の中では、私は気持ちを隠すことなんてせず、へらへらと日々を謳歌していた。
大好きな薬研。審神者として正式に本丸を持つ前から、私は彼らのファンだった。政府の歴史維持省が審神者へのイメージアップ、及び関心を高めるために、彼ら刀剣男士が公共の電波に出演することがある。そこで私を骨抜きにしたのが、短刀・薬研藤四郎だった。
審神者になった理由の一つとして、彼に会えるという邪な思いも抱えてはいた。だが、彼らと私の命にも関わる仕事だ。ましてや、実際の薬研は私がテレビで見た薬研とも別人であるし、私と彼は初対面から関係を築いていくのだ。さして言葉を交わす前から、でれでれと好意を垂れ流すわけにはいかない。
顕現した薬研は、私の知る薬研そのものであり、またそれ以上に素敵で眩しかった。
抑える反動と、実際の薬研を前にする感動。この二つがあわさって、私は時折夢を見た。
薬研にみっともなく甘えて、言いたい放題すきだ愛していると本人にぶつける。それに慣れきっている夢の中の薬研は、応えるでもなく呆れるように笑って、そんな主も許してくれる。……ここで、両想いの夢を見ないだけ、わきまえている方だと思ってもらいたい。
そういった夢を今日も見ていたはずだ。やがて目の前に見えた白衣の裾を確認して、嬉しくてだらしなく笑った。きちんとした黒いシャツ、ネクタイ、サスペンダー。伸び上がって目の前のそれに頭をうずめ、思い切り息を吸い込む。薬研の香りがした。
「ちょっ、おい、大将」
好きでたまらない、薬研が私を大将と呼ぶ声がする。こんなのよくあることなのに、うろたえるなんて可愛い。逃げられないように背に手を回して、薬研の腹へぐりぐりと頬ずりをする。
「薬研~~~しゅきぃ……今日もだいすきぃ~~」
びく、と何やら硬直した気配を肌で感じた。同時に、自分の口から出た言葉に違和感を持つ。まるで目覚める間際、夢の中で言おうとしたことを本当に口走って、喉を使ったときの違和感……。
本当に、夢のつもりで、私は何か大変なことを言ってしまったのではないか?
急激に頭が冷えていく感覚になり、指先も冷や汗をかき始める。
いま、抱きついている薬研は、現実の薬研なのか……?
スキとかかっこいいとか言ってはいけない、職場の近侍の、薬研藤四郎かもしれない……!
頭を起動しているだけで、数秒経過した。双方無言のまま、私は本物の薬研に抱きついたまま、固まっている。
このままで、いるわけにも、いかない……。
恐る恐る、まずは顔をシャツから離す。身体もちょっと引いて、それから肝心の薬研の方を見上げる。
薬研も薬研で、どうしたものかとばつが悪そうな顔をしていた。
現実だ。やってしまった。というか、ついさっきまで抱きついていたせいで、めちゃくちゃ近い。顔中熱くなっていくのが止められない。
私は無意識で「寝惚けていました」アピールをした方が得策だと思ったのかもしれない。わざとらしくも「え、薬研。あれ?」とごにょごにょ言いながら、もう少し距離を取った。薬研は私の布団の傍らに膝をついたままの体勢で、じっと停止している。
「……いや、今朝は遅いから、起こそうと思ってだな……」
表情こそ真面目くさっているが、白く皮膚の薄そうな頬は微かに赤くなっていた。突然抱きついて匂いを嗅いで、あまつさえ告白したのは、誤魔化しがきかないほど事実だった。
薬研を人の少年にカウントするなら犯罪。神様ととるなら不敬である。
「……ごめんなさい……。あの、まさかこんなことをするとは、自分でも」
「まぁ、なんだ。あんたも寝惚けることがあるんだな。久々に驚いた」
居たたまれなさでとりあえず謝る私に、薬研は平静らしく振舞ってくれる。
鯰尾あたりに同じことをやっていたら、今この瞬間から、からかわれ倒して本丸中に広まりそうなものだ。私の好きな人はその点落ち着いていた。
「気をつけます……」
「そうだな。起こすと抱きついてくるなんて、あんまり知れない方がいい。威厳ってのがあるからな」
「すみません……」
うなだれた頭をますます下げるしかなくなる。最近滅多になくなった、主としての佇まいに対するちょっとしたお説教だ。慣れてきて、主としてそつなく振舞えるようになってきた矢先の失敗がこれとは、情けない。
私の後悔と反省の空気を察して、薬研は和ませようとしたのだと思う。
「……にしても、よくもまぁ『薬研好き』なんて咄嗟に名が出たもんだ。なぁ、夢の中で俺っち何かあんたの助けになったのか」
わりと有耶無耶にしたい台詞について言及され、寝起きの私はうまい返しが思いつかなかった。好きどころではない。いい歳をして幼児語じみた言い方で、べろんべろんに甘えてしまったのだ。
笑うような声色で、薬研は持ってきたらしい手拭いを手渡してくれる。ひやりとしたそれを、私は広げて思い切り顔にあてた。
なるほど。私が夢で薬研に助けられ、感謝のあまり抱きついたというのが彼の推測する筋書きか。
……今までひた隠していたとはいえ、そんな特別な場面でないと薬研を好きなどと口走らない。そう思われているとしたら、それはなんだか心外だった。私の命を救った直後でなくとも、薬研は頼りになってかっこいい。
「助けなんて、夢じゃなくてもいつもしてもらってるし……。だからいつも、思ってることだし……。あ、でも気をつけるから、さっきの物凄い失態は忘れて……」
手拭いにむけてもごもごと答える。ろくに脳の精査を受けず出てくる言葉を、遅れて反芻した。
これ告白みたいに思われないだろうか。いや、実際お世話になってるし感謝してるし、変な意味じゃなくても薬研のことは好きだし、間違ってない。
顔を冷やすのに使った手拭いはあっという間に生ぬるくなって、私はそれを空気で冷まそうと一度手に取る。会話に妙に間があいた薬研のほうをちらっと見ると、目が合った。彼はなんだか、普通に嬉しそうにしてくれていた。
「……なんだ、そこを寝惚けてないなら、忘れるかどうかは俺の自由だな。大将」
「うん……、うん?」
「褒め言葉だ、有難く頂戴しておこうか」
快活に笑う姿は彼の気風そのままで見ていて心地良いが、こうして静かに微笑むのも、いちファンとしてドキドキさせられる。
……そうか、好きという言葉にも「いつもお世話になっている」という枕詞がつけば、邪念の薄いただの褒め言葉と取られるのか。そして薬研は、それが嫌ではないのか。
けがの功名、なかなかいい事を聞けた。
ライブで好きなアイドルの名を思い切り呼べるのが爽快なのと同様、スキを言葉に出来ることは稀で素晴らしいことだ。現実で薬研が気軽に好きと言わせてくれるなら、私はあんな夢を見て寝惚けずに済むかもしれない。少なくとも、しゅきなどと口走る肝の冷える思いはもうしたくない。
「うん。いつもお世話になってます。薬研本当に好き! 大好き!」
調子に乗ってフレンドライクな好意を発散する。薬研はそれを軽快に笑い飛ばした。
「こんなに見返りがあるとは、近侍ってのは役得だな」
「戦功の誉と近い効果でもあるのかな。薬研、褒められるの意外と好きなんだね」
薬研が一度、きょとんとした様子で私を見る。それから目を伏せると、口元だけは意味深に笑みを作った。
「ん? ああ、そうだなぁ。明日も寝惚けてくれていいぜ、大将」
そうして、硬く薄い自らの腹をぺしぺし、と二回叩く。今朝私が寝惚けてすがりついた部位だ。
寝惚けてもいい、とは、まるで抱きついても構わないと言っているように聞こえてしまう。いや、あの理知的で頼りになる男らしい薬研が、そんなことを言うはずない。
そんなはずはない、と頭で繰り返してしまう私は、薬研の冗談を受け止め損ねてしまったのではないか? 慌てて何かを言おうとした私に、薬研が言葉を続ける。
「悪くなかった」
何を意味するのか私のなかで繋がった瞬間、顔から火が出そうだった。
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