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燭台切ブートキャンプ

 私はついに、現実を受け入れ、立ち向かう覚悟をした。必ずこの壁を越えて、想い人に恥ずかしくない自分であろうと、決意した。
 それで呼び出したのが、この長身イケメンの太刀である。燭台切光忠。誰が見てもいい男なのは間違いない容姿に声、抜群のスタイル。歩くセックス・シンボル刀と名高い燭台切光忠だ。
 まず、用件は政府の仕事ではないこと、休暇に個人的な依頼をしたいということを伝えた。もちろんお給料は私の懐から出す。燭台切はそんなのいいのに、と言いながらも、少し聞く態度を楽にした。

「好きな人が、私より細いんですよね」

 この本丸で一年中過ごす私の好きな人だ。誰と言わずとも、刀剣男士だとわかる。更に私より細いとなれば、目の前の燭台切含む、筋肉ががっしりついた男士達は除外される。そこで私がよく話している相手……とまで考えれば、誰でも私の想い人を当てられるだろう。燭台切も思い当って「薬研くんか」と呟いた。私は、うなずく。

「だから、わたし身体をしぼるって決めたんです。薬研レベルは無理でも、今よりは痩せたい」
「でも、君べつに太ってはいないよね」
「太っては、って言い方が正直でいいと思います。お肉ついてますよね」
「筋肉はないなって思っただけだよ」

 この美意識の高そうなひとに、私のダイエットを手伝ってもらいたいのだ。比較的現代の美容文化にも詳しいし、台所での権力もある。外から内からしごいてほしい。
 燭台切は、眼帯の紐に軽く触れてから、首をかしげる。

「構わないけど……。どうして僕なの? 君から相談されるのも初めてだよ」

 仕事上ではもちろん何度も話しているけれど、それ以外となると配膳時に台所で少し話す程度の間柄だ。美容のことなら、乱くんだっていいという意見も頷ける。でも、私の好きな相手は粟田口の短刀だ。その兄弟に頼るのは、どうも気がひけた。
 それに、今は戦装束を着ているが、このひとはジャージ姿がとてつもなく格好いいのだ。きまっている。現代のスポーツ施設に放りこんだら、絶対に二分以内に逆ナンされる。

「燭台切さんのこと、初対面からイケメンスポーツインストラクター感あるなって思ってて……ジムの契約切られないように甘くモチベを高めながら、優しく綺麗にしてくれそうだなって……」
「ますますよくわからないね……。でも、いいよ。応援してあげる」

 顔がいいうえに心根も優しい。燭台切光忠をコーチに迎え、私の極修行の日々が始まった。



 昼過ぎに日課が一段落すると、燭台切とのトレーニングの時間だ。元々おやつ休憩だった時間を運動にあてるのだから、痩せないはずがない。最近の近侍には、トレーニングのため一時間休憩と伝えていた。
 薬研にはこの汗臭い生活を見せたくないので、しばらく近侍の順番がまわらないように手配してある。あとは、痩せさえすれば完璧だ。
 ジャージで執務をしていたので、そのまま部屋で柔軟ができる。身体がほぐれたら、軽いランニングだ。

「じゃあ、休憩が終わる五分前まで、本丸の外堀外周いこうか」
「え、あと、五十分走るってことですか……? 何周とかじゃなくて?」
「女性は有酸素運動が効果的だからね。ゆっくりでもいいから、走り続けるのが大事だよ。はい、スタート!」

 いつのまにか持っていた銀色のホイッスルがピッと吹かれる。慌てて姿勢を正して走り始めた私の横を、燭台切は終始余裕で並走し続けた。この日の晩、ふくらはぎはパンパンだった。
 翌日脚が痛いなぁ、なんて甘ったれたことを言った私を、燭台切は笑顔で許してくれた。そうして、彼が持ってきたマットの上で、地獄の筋トレ一時間の刑が執行された。

 仰向けに寝転がった私の顔を跨ぐように立った燭台切が、野球のミットを構えるようにして、脚の方を向いている。私が両脚を揃えて上げると、燭台切がそれを受け止めて、床に押し戻す。私はまた両脚を上げる。視界に映るのは長い脚と燭台切の股間、ずっと上に極上の顔面。「燭台切推しの審神者友達にも、この筋トレ勧めようかな」なんて思っていられたのは、五回目くらいまでだった。

「これ、思った以上に、しん、どい、んですが……っ!」
「筋肉に負荷をかけるのが目的だからね。昔軍隊でやってたやり方なんだって、さ!」
「うわっ、……無理~~! もう、脚、上がらない、です!」
「でも、キリが悪い回数だね。あと五回、いってみようか」

 ちょっと困った顔をして言う内容が鬼だ。きちっとしていないとか、燭台切はそういうのを気にする。

「うう~~……!!」
「脚が曲がってるよ。まっすぐ伸ばして」

 善意百パーセントの鬼である。



 連日あちこち筋肉痛を抱え、最初は楽だった柔軟運動にも痛みが伴うようになった。いててて、なんて言いながら執務室で開脚のち前屈をする。そのとき、背後から突然声をかけられた。

「……何してんだ? 大将」

 数日ぶりに話す、私の想い人が部屋を訪ねてきた。薬研だ。ジャージ姿もあまり見せたくなかったし、半端な角度で開脚する硬いからだを見られたくはなかった……。急には引っ込みがつかなくて、そのまま振り向いて、苦笑いをする。

「わ、薬研。……ちょっと、運動をね……」
「毎日疲れが残るほどやることか?」

 毎日運動していることは、筒抜けだった。薬研の手には、内番の報告書がある。長谷部とペアにしたから、長谷部が持ってくると思ったのに……。読みが甘かった。
 じとっとした視線で見下ろされると、変な性癖に目覚めそうになる。普段されない顔だから、新鮮でかっこいい。薬研の追及を避けるため、自分の表情を頑張って引き締める。

「こういうのはね、継続が大事なんだよ」
「……ふぅん」

 原文そのまま、燭台切の受け売りだ。筋繊維を壊して修復するということに意味があるという。だから、運動してスッキリした程度では身が引き締まらないのだ。
 一応納得してくれたらしい薬研が、私の机に報告書をひらりと置く。私はこの柔軟が終わったら、また本丸の外周ランニングだ。


 筋肉痛を抱えながらのランニングは、地獄の中の地獄だった。語彙をひねる余裕なんかない。痛いし身体が重いし、走るフォームも乱れる。

「しんどい……無理……、ジムの契約更新しません……」
「なに言ってるの。ここまで頑張ったんだから、できるよ。鍛えて格好良く痩せたいんでしょ」

 なんだろうこの、ひたすらに前向きな陽の励ましは。やっぱり筋肉は人をポジティブにするんだろうか。私が諦めそうになるのは、内なる筋肉の声が小さいからなのか……?
 隣の燭台切は、息も乱さず余裕で喋っている。筋肉があれば、いつでも余裕でいられるんだろうか……。

「うう、……はい! できます、燭台切コーチ!」
「次に門に着いたら、給水とストレッチだよ。頑張って」
「はい……!」

 できるできる、私にはできる! たぶん!
 無理やり心の中を前向きにして、どうにか私は脚を止めずに今日のノルマを終えた。



 よろよろと、本丸の廊下を歩く。急いでシャワーを浴びて、遠征部隊の出迎えと夕食だ。燃焼してる、という感じに熱くなった身体を、服をぱたぱたさせて冷ます。汗っぽい、誰にも会いたくない。そう思ったそばから、後ろから来た誰かに、がしっと肩を組まれた。
 左肩に置かれた手は細身の黒手袋、すぐ右に感じる気配は、直視するとときめきで死にそうな薬研様のものだ。いいにおいがする気がするし、振り向いたら顔が近すぎて気絶しそうなので、その場で固まることしかできない。それでも、自分が汗をかいていることだけは、すぐに思い出した。

「薬研! 今汗かいてるから離れて!」

 身体を離そうとしたところを、無言の拒否でぐっと掴まれる。つい顔を見てしまうと、きれいな紫と目があった。慌てて前を向く。薬研からは、なんとも言えない圧を感じる。

「聞いたぜ。大将あんた、痩せたいんだってな」
「う。誰から、聞いたの……」
「さぁ」

 いつまでも薬研のほうを見ようとしない私を、彼は肩を組んだまますぐ横の空き部屋へ連れ込む。電気をつけていない和室は薄暗いけれど、薬研が私を障子のほうへ押しやったので、薬研の顔は少し日の光で照らされた。つまり、今の体勢は、なぜか薬研に追い詰められている状態だ。女性の平均身長に満たない薬研がこうして迫ってくると、とにかく目が合う、顔が近い。
 ますます緊張してきて、そっと身体を出入り口のほうに動かすと、薬研がその辺りに手を添える。……このひと、こういうことするから、日本各地で審神者を落とすんだ! 恥ずかしすぎて逆恨みしそうになるけれど、薬研の方は有無を言わさず話を続けた。

「体重は健康そのものだろ。なんで痩せたい」

 なんでって、と視線を落とす。この白くて超なめらかな細い太ももを前にして、理由なんかない。私の太ももは、もっとたぷっとして太いんだ。お腹だって、薬研のはいている短パンは絶対ボタンが留められない。生まれながらにスレンダーな薬研には、この悔しさがわかるはずがない。

「お腹のお肉が、こう、掴めるので……」
「腹?」

 自己申告もしたくなかったし、視線をお腹に向けられるのも嫌だ。ちょっとへこませるように力を入れるけれど、それでも誤魔化せない部分はある。
 あろうことか、そこへ、薬研が手を近付けてきた。まさか、触る気か!
 近くにいるせいで、距離感が狂って薬研の腕しか掴めなかった。私が掴んだくらいでは、薬研は全然平気そうにしている。

「だ、だめ! まだ体仕上がってません!! ぷにってするから!」
「どれどれ」

 薬研は、まるで聞く耳をもたない。
 冷えた革手袋がおなかに触れて、硬直する。Tシャツなんていう防御力の低い服では、裾からあっさり侵入されてしまった。腰に手を当てるように脇からきゅっと掴まれて、親指でふにふにと押される。
 やげんに、おなかを、つかまれている……!

「これを鍛えて、薄っぺらくしちまうのか」
「あの、脚だって、太いし……ひっ」

 無駄に色っぽい声を出されて、背筋がぞくぞくする。目を逸らして、しどろもどろ返した言葉を受けて、薬研の手がするりと下へ向かう。ジャージの上からではあるが、太ももの前、横、後ろと、揉みながら移動していく。

「太いか?」
「触ってれば、わかると、思いますけど……!」

 心臓がどっ、どっ、と激しく脈打つ。本丸外周より負荷がかかって、破裂しそうだ。
 私の髪は汗でしっとりしているのに、すぐ目の前の薬研の髪はさらさらだ。顔が耳元に寄ってきて、思わず息を止めた。

「惜しいな。俺は、今のままが好きだぜ」



 たぶんあの時、私一度死んだと思う。
 その後顔が熱くなってへたり込んで、微笑む薬研に頭をぽんと触られたと思うのだが、その事実の方が恥ずかしいので死んだことにしてほしい。
 シャワーを浴びて蘇生した私は、そこにあった体重計に乗った。トレーニングを始めてまだ一週間。体重は変わっていなかったが、体脂肪率はけっこう下がっていた。脂肪がいくらか筋肉にかわったのは、間違いないだろう。

 燭台切は、思いのほかあっさりとダイエット中断を受け入れてくれた。そもそも私に頼まれたから付き合ってくれていたのであって、仕事に障るほど問題がある体型ではない。最後に、間食の制限と適度な運動は続けた方が健康的だよ、と言い残していったけれど。

 激しいダイエット活動をやめた私に振りかかったのは、やけにご機嫌な薬研から渡されるお菓子の差し入れを適度に断る、新しい苦行だった。
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