好きなところを40個言わないと出られない部屋
この日私は「変更できる景趣もずいぶん増えたな〜」なんて考えながら、確定せずにいろんな景趣を執務室内でプレビューしていた。本当に変更を繰り返しちゃうと、外で洗濯物を干している生活当番の男士に叱られてしまう。
景趣変更は、主に本丸を覆う季節を変えるために用いられるものだ。だが、実際には変わるのは季節や気温だけではない。本丸の建物自体も変化する部分がある。勝手に各室内の模様替えがされているなんてことは起こらないが、部屋の障子が別のデザインになったりする。縮むことはないが、ちょっとした床の間が追加されたこともあるので、建物全体に作用すると思っていいだろう。
「薬研はどれが好き? 私は夏の夜かなぁ」
「夜闇は嫌いじゃないが、本丸がずっと暗いのは不便だろう」
「うーん。普通に夏の景趣で夜を待ってもいいんだけど、変えた瞬間蛍の光が見えるの、一番感動するんだよねぇ」
「俺は、春がいい」
「桜が好きなの?」
「いや、気温がちょうどいい」
近侍の薬研と喋るこの間にも、五回くらい別の景趣を試した。せわしない変化にも薬研は何も言わず、ただ背後の景色に染められている。夜の景趣は、すごく薬研に似合う。彼が短刀だからだろうか。鮮やかな瞳の赤みが輝くようで、きれいだと思った。
意気地のない私は、いろいろな景色を薬研に添えて、盗み見て満足している。毎日近侍を任せて、やたらと構って、誰が見ても明らかな好意をそっとしておいてもらっている。当の薬研もわかっているのかいないのか、拒否せずいつも微笑んでいるのだ。それに許されたような気持ちになって、居心地のいい距離を保ってきた。
自分でも、薬研と今以上どうにかなりたいのかわからない。ちょうど凪いでいる穏やかな関係に、あえて石を投げることもないと思っていた。
私が黙ったせいで生まれた間を、薬研の「大将」という呼びかけが遮る。
「そろそろ仕事に戻ろうぜ。夕餉の後まで事務がしたいのか?」
「はーい。消します」
パソコンから操作していた本丸景趣プレビューモードのウィンドウを閉じる。
目の前にあった、執務用のパソコンが消えた。それどころか、パソコンを置いていた机も、お尻の下の座椅子も無くなって、前につんのめる。変な声をあげてしまい、薬研に笑われていないかと振り返れば、彼は周囲を見渡していた。
部屋の四方を襖に囲まれている。さっきまで聞こえていた、非番の短刀たちの声もしない。薬研は警戒した様子でこちらを見ず、私に尋ねる。
「……大将、何した?」
「ウィンドウ閉じただけ! 消すって言ったけど、私家具まで消せないから!」
薬研が普通に襖へ手を掛けるが、かたりとも言わない。私も別の襖で試してみたけれど同じだった。あまり悩まず、彼はすぐに答えを出す。
「襖破ってもいいか」
「え!? うん、開かないなんて非常時だし……、お願い」
「応」
許可を待つだけだった手はとっくに柄に掛けられていた。薬研はすらりと自らの刀身を抜く。
確かに薬研の刃は紙の襖をぶっすり通した。でも、襖を裂くように薙げば、過ぎたところからたちまち塞がってしまう。その時に一瞬見える襖の向こうは真っ黒で、なんだかやばそうな気配がひしひしとする。その闇に薬研の刃を晒し続けるのがひどく不安で、思わず彼の腕を引いてしまった。刃にぴったり沿って修復された襖は、刀を抜けば元のきれいな姿になる。
連絡手段である端末もご丁寧に部屋から消えていて、私にも状況がわかった。閉じ込められているのだ。
部屋を見渡すと、天井がいつもより高いことに気がつく。付け足されたような壁には、文字が直接書き付けてあった。
『お互いの好きなところを四十個言わないと出られない部屋』
閉じ込めるというシチュエーションに不釣り合いな、妙な遊び心だ。文字の下には四〇と表示された、アナログな構造のカウンターが設置されている。
……私はこの手のものに聞き覚えがあった。審神者間でたまに聞く都市伝説だ。何かをしないと出られない部屋。真面目に読んだことがないので、どういうオチだったか思い出せない。
襖が破れない以上、今一番わかりやすい脱出への道標はあれだけだ。薬研の肩をとんとんと叩いて、上を指差す。
「薬研、あれ見て」
「お互いの、ってやつか」
「気付いてたの」
「信じるのもあほらしいと思って言わなかった」
襖のふちを足でへし折っていた薬研が、それも同様に直るのを確認して私に向き直る。壊れないし、壊したところでここの外は本丸ではなさそうだ。
「お互いの好きなところを言えって、例えば、私は薬研の頼りになるところが好きー……とかでいいのかな」
いいのかな、まで言うより先に反応があった。パチリと十の位、一の位が一枚ずつめくれてカウンターが『三九』の数字になる。それを見た薬研がふむと唸るのを聞いて、私は思わず前に出た。
「任せて薬研! すぐここから出してあげる!」
私には幸い、隠してもいない好意がある。それが薬研のために使えるとあれば、普段の恩返しをするしかないだろう。……薬研に言わせて、どこが好きか悩まれちゃったら、ショックだし……。
薬研が私の宣言に驚いている間に、息をすぅと吸い込む。
「いつも気遣ってくれる、優しいところが好き! 笑い方が好き。心配するなってすぐに言うところも、心配だけど好き! 出陣が好きなところ、遠征でお土産探してくれるところ、万屋で急かさないでくれるところ、いつも笑っててくれるところ!
馬にも鶏にもすごく好かれてるところ。舐められて嫌だっていうのに、たてがみ撫でてあげるところ。厚くんたちと思いっきり遊んでるときの楽しそうな顔。
えーと、いつもつけてる手袋がカッコいい! 白衣も好き! シャツ似合ってる! 腰が細い! 肌がきれい! 髪の毛さらさら!
真面目なところと…、勉強熱心なところ。でもわかりやすく砕いて言ってくれるところ! 看病してくれるときの雰囲気すごい好き! いい声してますね!!」
「……すげぇな」
薬研が唇の下に指をあてて、素で感心したような声……というか、呆気にとられているような声を出す。
始めて数秒でわかった。開き直ったつもりでも、これ結構恥ずかしい。好きなところを言うことそのものよりも、これだけの量を一度にまくし立てているところがだいぶ恥ずかしい。
私の言葉より数テンポ遅れて、ぱたたた……とカウンターが回っていく。ちゃんと別の部分を褒めているか、審議でもされているみたいだ。数字は『一八』で止まった。どうやら各自二十ずつというわけではないらしい。私ひとりの言葉でここまでカウンターを回すことができた。それなら尚更、薬研の答えを待つ必要もない。隣に立っている薬研は、カウンターとお題目の書かれた壁を見上げていた。
「まぁ、試してみてもいいか。大将。全部言い終えたら、一応側へいてくれ」
薬研がカウンターに向けてなにか言おうとする気配を感じて、慌てて一歩踏み出す。
薬研にとって私のどんなところが良いと思うのか、知ることができる機会だ。無理に悩ませた様子もない。……それでもなんだか聞く勇気がなくて、つい張り合ってしまったのだ。
「いいよ薬研、私まだ言える! あのね、私よりきれいな脚してるところも好き!」
「……脚?」
不意打ちに成功して、薬研は少し首を傾げた。見たことがないからぴんと来ない、とこぼすのが聞こえたけれど、その話題は掘り下げても仕方がない。この世の人間を薬研より美脚かそうでないかに分けたら、そうでない人間の方が多い。それだけの話だ。
「えっと、細いのに力はあるところ! 頭の形! 目の色きれい! 不思議な匂いするところ!」
「不思議なにおい」
「仕草が男前! 好物食べるとき可愛い! 腰細い! 白衣似合ってる! 眠い時に体冷やすなよって言われるとすぐあったまる!!」
「大将、さっき言ったのがちらほらと」
「えっ本当? 落ち着いてるところ……。寝巻の浴衣がかっこいい……。ときどき大雑把なところと、あと、顔……顔がかっこいい……これもう言った? えーと、意外と足のサイズ大きいところ……髪の毛さらさら……」
もう、薬研のほうを見るのもちょっと気まずい。かっこいいかっこいいって、これもうほぼ告白してない?
祈るような気持ちでめくれていくカウンターを見守るけれど、思ったより回らなかった。薬研の言う通り、同じようなことを言っていたらしい。褒めることより、何を言ったかわからなくなってくるのが一番困る。ここには筆記用具もない。
「ええ……あと何言ってないかな……? 発言履歴表示する機能とかないの?」
「あと五つか」
薬研が止まったカウンターの数を読みあげる。五個なんてすぐだとは思うけど、ここまでで結構疲れてしまった。でも、二人とも早く本丸に戻らなくちゃならない。
立っても座っても同じだからと、とりあえず座ろうとしたときだった。流れが、変わってしまった。
「──戦場に出た経験が無くても、将として務めを果たす気概のあるところ。人の身の脆さは自覚してて、肝心なときには、ちゃんと俺達に護られてくれるところ。帰って大将に出迎えられると、安心する。それもいい」
薬研が私にことわらずに、私の好きなところを挙げ始めた。今までおとなしく聞いていたのは、「私が言うから薬研は言わなくていい」という提案を受け入れていたからではなかったのだ。
「うわ、薬研、ちょっと待って……ストップ……」
「すとっぷ?」
止める隙もなく好きなところを指折り数える薬研に、手を彷徨わせて制止しようとする。薬研はなぜ待たねばならないのかと、当然の疑問できょとんとした顔をしていた。うん、早くここから出たいですよね。
……駄目だ。恥ずかしくて、薬研の顔を見ていられない。頭が回らない。薬研の口から言われると、一撃一撃が重い。こんなに照れさせられると、それらしい理屈で止めることが出来なくなってしまう。
俯いた私に構わず、薬研は自分のペースで、発言を続けた。
「あと、なんて言ったらいいんだあれ。こう、やわらけぇところ」
「やわっ……」
柔らかいってどこの話? おなか? 触られた事なんかあったっけ。そりゃ見るからに、無駄な肉の一切ない薬研よりは柔らかいだろうけど!
「俺と二人のときのあんたの顔、好きだな」
私の胸の内は大荒れなのに、薬研は心臓への手加減を知らない。さっきの「やわらかい」への動揺が続いて、口を引き結んでいたので、呻かずには済んだ。それでも、動揺の原因が増やされて、こころもちは瀕死状態だ。二人のときの顔ってなに? 違う? 私にやにやしたりしてた? このうえそれを確認する勇気は、もっとない。
「あと一つ」
「や、薬研、頑張らなくても、あと一つくらい私が言うから。もういいです……」
息の根止める気か。薬研相手にそこまで正直な言葉は言えず、とりあえずもう一度ジェスチャー付きで「もういい」と訴える。首を数度左右に振って、掌を向けて待ったのポーズだ。
さっきから比喩ではなく本当に顔を見ることができず、私は俯きっぱなしだった。だから次の薬研の行動も、全く予測できなかったんだろう。
「そうか? どっちにしろ、こっちに来な大将。わけのわからん場所の要求を満たして、何が起こるかわからない」
「ひぇ」
薬研は言うまま、私の手を引いた。それこそ、床が抜けても私を一人落とさないように。それくらいの力で抱え込まれて、距離が近すぎて挙動不審な声を出してしまった。顔をあげたら、薬研の肩と白い耳だけが見えた。
「大将。あんたに特別好かれるのは、嬉しい」
間近で聞こえた言葉で最後のカウンターがぱち、と回る。
いつもの景趣変更プレビューみたいに、ぱっと部屋の雰囲気が変わった。開いた障子戸の向こうにはきれいな庭があって、光が差し込んでいる。他の刀剣男士の声も聞こえてきた。いま私たちが部屋でくっついていること以外は、全ていつも通りだった。
「お、戻った」
薬研の腕から解放されて、私は思わず足元にへたりこんでしまう。部屋の外に顔を出して左右を確認してから、薬研も近侍の定位置に腰を下ろした。
サボりすぎたな、仕事するぞ。そう言われても、さっきの今で、それどころじゃ、ないんですけど……。
これで薬研の方は全然平気そうなのが、こう、ずるいっていうか、脈がないよなぁ。ため息を飲みこんで、俯いていた顔を机に向ける。信じてもらえるかわからないが、一応政府の方にこういうことがあったと報告書を書かなくてはならない。仕事が増えたし、時間は進んでいる。
いま薬研の顔を見れば、どうせいつも通り涼しげで、目を合わせたら少し微笑んでくれるだろう。付き合いが長いだけあって、概ね予想通りだった。この近侍は、もう休憩前の仕事を再開していた。視線には勘が良くすぐ気が付いて、薬研はこちらに首を向ける。
「真面目なところ、好きだって言ってただろ? 真面目にやらんとな」
そう言う薬研の口の端は、いつもより少し、上がっていた。
景趣変更は、主に本丸を覆う季節を変えるために用いられるものだ。だが、実際には変わるのは季節や気温だけではない。本丸の建物自体も変化する部分がある。勝手に各室内の模様替えがされているなんてことは起こらないが、部屋の障子が別のデザインになったりする。縮むことはないが、ちょっとした床の間が追加されたこともあるので、建物全体に作用すると思っていいだろう。
「薬研はどれが好き? 私は夏の夜かなぁ」
「夜闇は嫌いじゃないが、本丸がずっと暗いのは不便だろう」
「うーん。普通に夏の景趣で夜を待ってもいいんだけど、変えた瞬間蛍の光が見えるの、一番感動するんだよねぇ」
「俺は、春がいい」
「桜が好きなの?」
「いや、気温がちょうどいい」
近侍の薬研と喋るこの間にも、五回くらい別の景趣を試した。せわしない変化にも薬研は何も言わず、ただ背後の景色に染められている。夜の景趣は、すごく薬研に似合う。彼が短刀だからだろうか。鮮やかな瞳の赤みが輝くようで、きれいだと思った。
意気地のない私は、いろいろな景色を薬研に添えて、盗み見て満足している。毎日近侍を任せて、やたらと構って、誰が見ても明らかな好意をそっとしておいてもらっている。当の薬研もわかっているのかいないのか、拒否せずいつも微笑んでいるのだ。それに許されたような気持ちになって、居心地のいい距離を保ってきた。
自分でも、薬研と今以上どうにかなりたいのかわからない。ちょうど凪いでいる穏やかな関係に、あえて石を投げることもないと思っていた。
私が黙ったせいで生まれた間を、薬研の「大将」という呼びかけが遮る。
「そろそろ仕事に戻ろうぜ。夕餉の後まで事務がしたいのか?」
「はーい。消します」
パソコンから操作していた本丸景趣プレビューモードのウィンドウを閉じる。
目の前にあった、執務用のパソコンが消えた。それどころか、パソコンを置いていた机も、お尻の下の座椅子も無くなって、前につんのめる。変な声をあげてしまい、薬研に笑われていないかと振り返れば、彼は周囲を見渡していた。
部屋の四方を襖に囲まれている。さっきまで聞こえていた、非番の短刀たちの声もしない。薬研は警戒した様子でこちらを見ず、私に尋ねる。
「……大将、何した?」
「ウィンドウ閉じただけ! 消すって言ったけど、私家具まで消せないから!」
薬研が普通に襖へ手を掛けるが、かたりとも言わない。私も別の襖で試してみたけれど同じだった。あまり悩まず、彼はすぐに答えを出す。
「襖破ってもいいか」
「え!? うん、開かないなんて非常時だし……、お願い」
「応」
許可を待つだけだった手はとっくに柄に掛けられていた。薬研はすらりと自らの刀身を抜く。
確かに薬研の刃は紙の襖をぶっすり通した。でも、襖を裂くように薙げば、過ぎたところからたちまち塞がってしまう。その時に一瞬見える襖の向こうは真っ黒で、なんだかやばそうな気配がひしひしとする。その闇に薬研の刃を晒し続けるのがひどく不安で、思わず彼の腕を引いてしまった。刃にぴったり沿って修復された襖は、刀を抜けば元のきれいな姿になる。
連絡手段である端末もご丁寧に部屋から消えていて、私にも状況がわかった。閉じ込められているのだ。
部屋を見渡すと、天井がいつもより高いことに気がつく。付け足されたような壁には、文字が直接書き付けてあった。
『お互いの好きなところを四十個言わないと出られない部屋』
閉じ込めるというシチュエーションに不釣り合いな、妙な遊び心だ。文字の下には四〇と表示された、アナログな構造のカウンターが設置されている。
……私はこの手のものに聞き覚えがあった。審神者間でたまに聞く都市伝説だ。何かをしないと出られない部屋。真面目に読んだことがないので、どういうオチだったか思い出せない。
襖が破れない以上、今一番わかりやすい脱出への道標はあれだけだ。薬研の肩をとんとんと叩いて、上を指差す。
「薬研、あれ見て」
「お互いの、ってやつか」
「気付いてたの」
「信じるのもあほらしいと思って言わなかった」
襖のふちを足でへし折っていた薬研が、それも同様に直るのを確認して私に向き直る。壊れないし、壊したところでここの外は本丸ではなさそうだ。
「お互いの好きなところを言えって、例えば、私は薬研の頼りになるところが好きー……とかでいいのかな」
いいのかな、まで言うより先に反応があった。パチリと十の位、一の位が一枚ずつめくれてカウンターが『三九』の数字になる。それを見た薬研がふむと唸るのを聞いて、私は思わず前に出た。
「任せて薬研! すぐここから出してあげる!」
私には幸い、隠してもいない好意がある。それが薬研のために使えるとあれば、普段の恩返しをするしかないだろう。……薬研に言わせて、どこが好きか悩まれちゃったら、ショックだし……。
薬研が私の宣言に驚いている間に、息をすぅと吸い込む。
「いつも気遣ってくれる、優しいところが好き! 笑い方が好き。心配するなってすぐに言うところも、心配だけど好き! 出陣が好きなところ、遠征でお土産探してくれるところ、万屋で急かさないでくれるところ、いつも笑っててくれるところ!
馬にも鶏にもすごく好かれてるところ。舐められて嫌だっていうのに、たてがみ撫でてあげるところ。厚くんたちと思いっきり遊んでるときの楽しそうな顔。
えーと、いつもつけてる手袋がカッコいい! 白衣も好き! シャツ似合ってる! 腰が細い! 肌がきれい! 髪の毛さらさら!
真面目なところと…、勉強熱心なところ。でもわかりやすく砕いて言ってくれるところ! 看病してくれるときの雰囲気すごい好き! いい声してますね!!」
「……すげぇな」
薬研が唇の下に指をあてて、素で感心したような声……というか、呆気にとられているような声を出す。
始めて数秒でわかった。開き直ったつもりでも、これ結構恥ずかしい。好きなところを言うことそのものよりも、これだけの量を一度にまくし立てているところがだいぶ恥ずかしい。
私の言葉より数テンポ遅れて、ぱたたた……とカウンターが回っていく。ちゃんと別の部分を褒めているか、審議でもされているみたいだ。数字は『一八』で止まった。どうやら各自二十ずつというわけではないらしい。私ひとりの言葉でここまでカウンターを回すことができた。それなら尚更、薬研の答えを待つ必要もない。隣に立っている薬研は、カウンターとお題目の書かれた壁を見上げていた。
「まぁ、試してみてもいいか。大将。全部言い終えたら、一応側へいてくれ」
薬研がカウンターに向けてなにか言おうとする気配を感じて、慌てて一歩踏み出す。
薬研にとって私のどんなところが良いと思うのか、知ることができる機会だ。無理に悩ませた様子もない。……それでもなんだか聞く勇気がなくて、つい張り合ってしまったのだ。
「いいよ薬研、私まだ言える! あのね、私よりきれいな脚してるところも好き!」
「……脚?」
不意打ちに成功して、薬研は少し首を傾げた。見たことがないからぴんと来ない、とこぼすのが聞こえたけれど、その話題は掘り下げても仕方がない。この世の人間を薬研より美脚かそうでないかに分けたら、そうでない人間の方が多い。それだけの話だ。
「えっと、細いのに力はあるところ! 頭の形! 目の色きれい! 不思議な匂いするところ!」
「不思議なにおい」
「仕草が男前! 好物食べるとき可愛い! 腰細い! 白衣似合ってる! 眠い時に体冷やすなよって言われるとすぐあったまる!!」
「大将、さっき言ったのがちらほらと」
「えっ本当? 落ち着いてるところ……。寝巻の浴衣がかっこいい……。ときどき大雑把なところと、あと、顔……顔がかっこいい……これもう言った? えーと、意外と足のサイズ大きいところ……髪の毛さらさら……」
もう、薬研のほうを見るのもちょっと気まずい。かっこいいかっこいいって、これもうほぼ告白してない?
祈るような気持ちでめくれていくカウンターを見守るけれど、思ったより回らなかった。薬研の言う通り、同じようなことを言っていたらしい。褒めることより、何を言ったかわからなくなってくるのが一番困る。ここには筆記用具もない。
「ええ……あと何言ってないかな……? 発言履歴表示する機能とかないの?」
「あと五つか」
薬研が止まったカウンターの数を読みあげる。五個なんてすぐだとは思うけど、ここまでで結構疲れてしまった。でも、二人とも早く本丸に戻らなくちゃならない。
立っても座っても同じだからと、とりあえず座ろうとしたときだった。流れが、変わってしまった。
「──戦場に出た経験が無くても、将として務めを果たす気概のあるところ。人の身の脆さは自覚してて、肝心なときには、ちゃんと俺達に護られてくれるところ。帰って大将に出迎えられると、安心する。それもいい」
薬研が私にことわらずに、私の好きなところを挙げ始めた。今までおとなしく聞いていたのは、「私が言うから薬研は言わなくていい」という提案を受け入れていたからではなかったのだ。
「うわ、薬研、ちょっと待って……ストップ……」
「すとっぷ?」
止める隙もなく好きなところを指折り数える薬研に、手を彷徨わせて制止しようとする。薬研はなぜ待たねばならないのかと、当然の疑問できょとんとした顔をしていた。うん、早くここから出たいですよね。
……駄目だ。恥ずかしくて、薬研の顔を見ていられない。頭が回らない。薬研の口から言われると、一撃一撃が重い。こんなに照れさせられると、それらしい理屈で止めることが出来なくなってしまう。
俯いた私に構わず、薬研は自分のペースで、発言を続けた。
「あと、なんて言ったらいいんだあれ。こう、やわらけぇところ」
「やわっ……」
柔らかいってどこの話? おなか? 触られた事なんかあったっけ。そりゃ見るからに、無駄な肉の一切ない薬研よりは柔らかいだろうけど!
「俺と二人のときのあんたの顔、好きだな」
私の胸の内は大荒れなのに、薬研は心臓への手加減を知らない。さっきの「やわらかい」への動揺が続いて、口を引き結んでいたので、呻かずには済んだ。それでも、動揺の原因が増やされて、こころもちは瀕死状態だ。二人のときの顔ってなに? 違う? 私にやにやしたりしてた? このうえそれを確認する勇気は、もっとない。
「あと一つ」
「や、薬研、頑張らなくても、あと一つくらい私が言うから。もういいです……」
息の根止める気か。薬研相手にそこまで正直な言葉は言えず、とりあえずもう一度ジェスチャー付きで「もういい」と訴える。首を数度左右に振って、掌を向けて待ったのポーズだ。
さっきから比喩ではなく本当に顔を見ることができず、私は俯きっぱなしだった。だから次の薬研の行動も、全く予測できなかったんだろう。
「そうか? どっちにしろ、こっちに来な大将。わけのわからん場所の要求を満たして、何が起こるかわからない」
「ひぇ」
薬研は言うまま、私の手を引いた。それこそ、床が抜けても私を一人落とさないように。それくらいの力で抱え込まれて、距離が近すぎて挙動不審な声を出してしまった。顔をあげたら、薬研の肩と白い耳だけが見えた。
「大将。あんたに特別好かれるのは、嬉しい」
間近で聞こえた言葉で最後のカウンターがぱち、と回る。
いつもの景趣変更プレビューみたいに、ぱっと部屋の雰囲気が変わった。開いた障子戸の向こうにはきれいな庭があって、光が差し込んでいる。他の刀剣男士の声も聞こえてきた。いま私たちが部屋でくっついていること以外は、全ていつも通りだった。
「お、戻った」
薬研の腕から解放されて、私は思わず足元にへたりこんでしまう。部屋の外に顔を出して左右を確認してから、薬研も近侍の定位置に腰を下ろした。
サボりすぎたな、仕事するぞ。そう言われても、さっきの今で、それどころじゃ、ないんですけど……。
これで薬研の方は全然平気そうなのが、こう、ずるいっていうか、脈がないよなぁ。ため息を飲みこんで、俯いていた顔を机に向ける。信じてもらえるかわからないが、一応政府の方にこういうことがあったと報告書を書かなくてはならない。仕事が増えたし、時間は進んでいる。
いま薬研の顔を見れば、どうせいつも通り涼しげで、目を合わせたら少し微笑んでくれるだろう。付き合いが長いだけあって、概ね予想通りだった。この近侍は、もう休憩前の仕事を再開していた。視線には勘が良くすぐ気が付いて、薬研はこちらに首を向ける。
「真面目なところ、好きだって言ってただろ? 真面目にやらんとな」
そう言う薬研の口の端は、いつもより少し、上がっていた。
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