なり損ない
この本丸を運営している審神者は、少女の頃から十年以上務めを続けている。審神者への適性が疑いようのない血筋を理由に、義務教育と並行してでもと頼みこまれた。本丸の成績は優秀で、彼女は運営に関して大きな失敗や挫折を知らない。霊力を伴う大抵のことには苦労せず、誰かに教えを請う必要もなかった。ただ、人並みの少女としての心の内だけは、刀剣男士たちに支えられ、育てられ、今日までやってきた。
その審神者が日課の鍛刀に失敗した。
打たれた刀身は、刀装の出来損ないのように砕けて消え去った。こんな失敗は、どんなに乏しい才能の素人でもしない。設備の老朽化を危惧した管狐が、メンテナンスを手配した。上質で豊かな霊力を湛えている彼女に、ミスなど有り得ないだろうと誰もが考えた。
しかし、それだけで事は収まらなかった。次に、手入れにかかる時間が増え始め、今では従来の倍近く掛かる。その度、彼女はひどく憔悴していた。刀剣たちがそれを目の当たりにしたことを皮切りに、彼女の不調の噂は本丸中に広がっていった。審神者を案じる皆の眼差しには、明らかな異変が次々に捉えられた。
食欲が失せ、ろくにものを食べない日がほとんどだった。ときに嘔吐する姿を見た者もいる。具合が悪そうに、横になっている時間が増えた。何より、霊力が大量に消耗されて底がのぞくような感覚がある。その底へ混じるとある気配を、信じ難いながらも、誰もが感じ始めていた。
もうひとつの魂の気配が、常に彼女と共にある。審神者は悪霊悪鬼などには憑かれない、澄んだ力を持った人間だ。気配は、彼女の身の内にある。
彼女は身重なのではないか?
それが付喪神、刀剣男士たちが抱いている疑いであった。それもおよそ自然ではない、本来有り得ないはずのことが起きているかもしれない。
彼女に人間の恋人や伴侶はいない。彼女は学生の頃から、刀剣男士の薬研藤四郎と恋人関係にあった。幼い頃から見上げてきた凛々しい少年の姿へ恋をして、紆余曲折を経て思いを通じ合わせた。恋し合う心の流れに従い、成長にあわせて身体の関係も持つようになった。今でこそ彼女のほうが年上には見えるが、二人の関係性は今も変わらない。薬研の瞳は、幼い人間の娘を護り愛する神の端のそれだ。
ただ一つの名刀に宿る魂を、各本丸の依り代に降ろして顕現する。刀剣男士の性質上、彼らの肉体に人と子を生す機能は無い。受肉に伴う、人に近い生命維持欲求、排泄こそあれど、その精に遺伝情報はないとされている。唾液同様、その御身から生成された神気の満ちた何かだとしか、研究からはわかっていない。彼らには肉体的母も父もなく、赤子の時代というものも存在しない。初めからそうある姿に、動物の遺伝子はない。
しかし、彼女の腹からは、刀剣男士の気配がする。薬研と懇ろな関係になってから何年も経つというのに、今更何故、と感づいた者たちは皆眉をひそめた。
体の不調に耐える審神者の腹はまだ平たく、恐らく彼女もこの事態に気付いていない。もっとも、側にあることの多い薬研藤四郎は、彼女の気配の変化をいち早く察知しただろう。ありえないはずの事象だという事実が、彼の判断を迷わせていた。
刀剣の、薬研藤四郎の子を妊娠したから、審神者はその稀有な赤子に力を奪われつつあるのではないか。
本丸の刀剣男士たちの間では、いよいよこの仮説が噂で済ませられないものになる。幼い頃から見守ってきたからこそ、皆彼女が大事であり、見過ごすことのできない状況だった。審神者に隠れて幾人かで話し合い、皆の見解を擦り合わせた。
国に知られれば、彼女は審神者を続けられなくなるかもしれない。それどころか、人が付喪神の子を無事に産めるかもわからない。今の段階で力を吸われるように弱る彼女を見て、出産をやり遂げられるとは考え難かった。審神者が、彼女が失われるくらいなら、自分たちは彼女を説得して、危険を除こうと提言してみるべきだ。
その全ての話し合いには、薬研藤四郎が出席していた。彼を責めるつもりは誰にもなかったが、薬研は神妙な面持ちで、静かに皆の話を聞いていた。
彼女に今の状態をきちんと説明し、合意が得られれば、国に隠れて解決する方法はあった。胎には刀剣男士の気配が漂っている。魂や霊体といえる状態のそれを散らしてしまえば、刀剣破壊のとき同様に、亡骸も消え去ると考えられる。存在を確立する前であれば私が祓おう、と石切丸が物憂げに手を挙げた。
薬研は、珍しくこの数日何度か夢を見た。こちらへ微笑んだ審神者の腹から短刀が突き出てくる夢だ。下腹から服を破って、見慣れた刀身が血に濡れて出てくる。それが薬研通吉光の刃であるとわかった瞬間に、薬研はいつも冷や汗に濡れて目を覚ました。
審神者の胎に漂う刀剣男士の気配は、紛れもなく薬研藤四郎の気配だと、彼には確信があった。他の刀剣男士のなかには、あれを世にも珍しい刀剣の付喪神と人間の子だと信じている者もいる。だが、自分と全く同じだからこそ、薬研にはそうではないとわかっていた。
あれは混じり気のない、ただの、純粋な薬研藤四郎の気配だ。個体ごとに記憶の差はあれど、あらゆる本丸に在る全ての薬研藤四郎の還るところは、皆同じ。遺伝子を持たない薬研から命が生まれるとすれば、それは大元の薬研の複製でしかない。自分の子などではなく、自分そのものなのだと、悲しいほど理解できた。
腹の子が自分たちの子ではないこと、だからこそ尚更祓うべきであること。薬研は恋人として、刀剣の付喪神として彼女に残酷なことを言わなければならない。どうすれば彼女の心身をなるべく傷つけずに済むのか、薬研はずっとそのことばかりを考えていた。
審神者の命を脅かすことだ。彼女に話すのは早いほうがいい。それが刀剣男士たちの総意だ。薬研の中に最適解の見つからないまま、彼は使命を皆から預かり、審神者の私室へ向かった。
開け放された障子戸をくぐると、彼女は執務用の机に凭れるように身体を預け目を閉じていた。薬研の気配に気付いて、弱々しく微笑みかけてくる。
「薬研。ごめんね、今日もちょっと、体調が悪くて……」
顔色は青白く、血の気が足りないように見える。薬研の頭には自然と、この後なにか滋養のあるものを用意しよう、と巡った。だが、それより先にすべきことが彼の顔を曇らせた。大事な用がありそうだと、審神者が察して身を起こす。少しでも楽であってくれと、薬研は近くへ座り、その背中を撫でた。
「大将。あんたの、身体のことについて、大事な話がある」
小さく首を傾げられ、薬研の口が重く開いた。
「本来起こらないはずの事なんだ。……その胎に、刀剣男士が宿ろうとしてる」
言われた言葉を理解した彼女は、俯いてから、たちまち頬を赤らめた。自分たちの行為が、関係が実を結んだということを知った反応としては、ごく普通の範疇だ。その通り喜ばせていてやれないことが、薬研の胸を痛ませた。二人が人間の男女であったなら、こうはならずに済んだのだ。
「大将、おれは、あんたの血筋が絶えることを望まない。……あんたに子を身篭らせて、産んでもらえたら、どんなに良かったか」
「……身篭ったのに、喜んでくれないの?」
目を眇めた審神者から、せめて視線を逸らすまいと、薬研は瞳を覗きこむ。長年戦いの指揮を務めてきた彼女は、並大抵のことでは取り乱さない。今も、感情として明るくはないが、冷静な表情をしていた。薬研の話に耳を傾ける意思がある。
「人の子とは違う。あんたの胎にいるのは、厳密には俺と大将の血を継いだものじゃないんだ。ただの分霊に近い、刀剣男士のなり損ないが迷い込んだのかもしれない」
「……それで?」
「祓ってもらうべきだ。それは確かに、大将を蝕んでいる」
この本丸の薬研の個体から何かを汲んだわけでもない。審神者から何一つ受け継いでもいない、二人に無縁だった分霊のひとつ。そのために審神者を失うわけにはいかなかった。審神者は下腹を見つめてから、そっと掌を添える。中の気配を探るような所作だ。
「嫌」
はっきりとした口ぶりで拒否をした審神者の表情は、悲しむでも怒るでもない、読み取りづらい無の表情だった。薬研は、頭ごなしに押さえつけるつもりではない。根気よく説得するのだと、腹に決めていた。じっと見つめれば、彼女は自分の思いを述べはじめる。
「出たいって、きっと思ってる。私に出来るのは、それをこうして抱えること……」
腹も膨らまないうちから、彼女は母のような表情を覗かせていた。
「薬研、わかるでしょう。この中にいるのが薬研藤四郎だって。血を継げなくても、私と薬研で招いたんだとしたら、それは両親として充分な縁があると思わない?」
彼女は霊力の関わることで苦労をしたことがない。その才能は、驚くほどの精度で事態を捉えていた。審神者は、腹に薬研藤四郎の分霊が在ることに気付いていたのだ。そのうえで産むつもりでいる彼女を、どう説き伏せたものか。薬研が逡巡する間にも、むしろ落ち着いている様子の審神者は、胸の内を語り続けた。
「きっと人の子と同じように産んでみせる。だから、毎日しっかり抑えてるの」
審神者の言葉選びが、薬研に違和感を与える。その印象のままに微かに首を傾げると、彼女は薬研へ静かに微笑む。愛おしげに下腹を撫でる仕草は、慣れすら感じさせた。その手の指の先まで、彼女は霊力に満ちている。腹の皮膚の下で、薬研藤四郎の気配は、うごめいている。
「鍛刀だって、こちらで用意するのは鋼の刀身だけ。刀剣男士の肉体は、魂とともに現れる。なら、その場所に適した肉体を作れるはずでしょう?」
彼女は付喪神に囲まれて育った。彼女以外の人間がいない本丸で、ただ一人、姿や心を移ろわせてきた。人の中で生きていく術も満足に知らない、才能に溢れた審神者だ。
言い知れない不穏なものを感じた薬研が、恋人へ手を伸ばす。彼女はその手をとって、腹に導き、両手でぎゅうと握り込んだ。
「喚ぶのに用意した刀身が砕けちゃったからいけないのかな? はやく諦めて、私の子どもになればいいのに」
その審神者が日課の鍛刀に失敗した。
打たれた刀身は、刀装の出来損ないのように砕けて消え去った。こんな失敗は、どんなに乏しい才能の素人でもしない。設備の老朽化を危惧した管狐が、メンテナンスを手配した。上質で豊かな霊力を湛えている彼女に、ミスなど有り得ないだろうと誰もが考えた。
しかし、それだけで事は収まらなかった。次に、手入れにかかる時間が増え始め、今では従来の倍近く掛かる。その度、彼女はひどく憔悴していた。刀剣たちがそれを目の当たりにしたことを皮切りに、彼女の不調の噂は本丸中に広がっていった。審神者を案じる皆の眼差しには、明らかな異変が次々に捉えられた。
食欲が失せ、ろくにものを食べない日がほとんどだった。ときに嘔吐する姿を見た者もいる。具合が悪そうに、横になっている時間が増えた。何より、霊力が大量に消耗されて底がのぞくような感覚がある。その底へ混じるとある気配を、信じ難いながらも、誰もが感じ始めていた。
もうひとつの魂の気配が、常に彼女と共にある。審神者は悪霊悪鬼などには憑かれない、澄んだ力を持った人間だ。気配は、彼女の身の内にある。
彼女は身重なのではないか?
それが付喪神、刀剣男士たちが抱いている疑いであった。それもおよそ自然ではない、本来有り得ないはずのことが起きているかもしれない。
彼女に人間の恋人や伴侶はいない。彼女は学生の頃から、刀剣男士の薬研藤四郎と恋人関係にあった。幼い頃から見上げてきた凛々しい少年の姿へ恋をして、紆余曲折を経て思いを通じ合わせた。恋し合う心の流れに従い、成長にあわせて身体の関係も持つようになった。今でこそ彼女のほうが年上には見えるが、二人の関係性は今も変わらない。薬研の瞳は、幼い人間の娘を護り愛する神の端のそれだ。
ただ一つの名刀に宿る魂を、各本丸の依り代に降ろして顕現する。刀剣男士の性質上、彼らの肉体に人と子を生す機能は無い。受肉に伴う、人に近い生命維持欲求、排泄こそあれど、その精に遺伝情報はないとされている。唾液同様、その御身から生成された神気の満ちた何かだとしか、研究からはわかっていない。彼らには肉体的母も父もなく、赤子の時代というものも存在しない。初めからそうある姿に、動物の遺伝子はない。
しかし、彼女の腹からは、刀剣男士の気配がする。薬研と懇ろな関係になってから何年も経つというのに、今更何故、と感づいた者たちは皆眉をひそめた。
体の不調に耐える審神者の腹はまだ平たく、恐らく彼女もこの事態に気付いていない。もっとも、側にあることの多い薬研藤四郎は、彼女の気配の変化をいち早く察知しただろう。ありえないはずの事象だという事実が、彼の判断を迷わせていた。
刀剣の、薬研藤四郎の子を妊娠したから、審神者はその稀有な赤子に力を奪われつつあるのではないか。
本丸の刀剣男士たちの間では、いよいよこの仮説が噂で済ませられないものになる。幼い頃から見守ってきたからこそ、皆彼女が大事であり、見過ごすことのできない状況だった。審神者に隠れて幾人かで話し合い、皆の見解を擦り合わせた。
国に知られれば、彼女は審神者を続けられなくなるかもしれない。それどころか、人が付喪神の子を無事に産めるかもわからない。今の段階で力を吸われるように弱る彼女を見て、出産をやり遂げられるとは考え難かった。審神者が、彼女が失われるくらいなら、自分たちは彼女を説得して、危険を除こうと提言してみるべきだ。
その全ての話し合いには、薬研藤四郎が出席していた。彼を責めるつもりは誰にもなかったが、薬研は神妙な面持ちで、静かに皆の話を聞いていた。
彼女に今の状態をきちんと説明し、合意が得られれば、国に隠れて解決する方法はあった。胎には刀剣男士の気配が漂っている。魂や霊体といえる状態のそれを散らしてしまえば、刀剣破壊のとき同様に、亡骸も消え去ると考えられる。存在を確立する前であれば私が祓おう、と石切丸が物憂げに手を挙げた。
薬研は、珍しくこの数日何度か夢を見た。こちらへ微笑んだ審神者の腹から短刀が突き出てくる夢だ。下腹から服を破って、見慣れた刀身が血に濡れて出てくる。それが薬研通吉光の刃であるとわかった瞬間に、薬研はいつも冷や汗に濡れて目を覚ました。
審神者の胎に漂う刀剣男士の気配は、紛れもなく薬研藤四郎の気配だと、彼には確信があった。他の刀剣男士のなかには、あれを世にも珍しい刀剣の付喪神と人間の子だと信じている者もいる。だが、自分と全く同じだからこそ、薬研にはそうではないとわかっていた。
あれは混じり気のない、ただの、純粋な薬研藤四郎の気配だ。個体ごとに記憶の差はあれど、あらゆる本丸に在る全ての薬研藤四郎の還るところは、皆同じ。遺伝子を持たない薬研から命が生まれるとすれば、それは大元の薬研の複製でしかない。自分の子などではなく、自分そのものなのだと、悲しいほど理解できた。
腹の子が自分たちの子ではないこと、だからこそ尚更祓うべきであること。薬研は恋人として、刀剣の付喪神として彼女に残酷なことを言わなければならない。どうすれば彼女の心身をなるべく傷つけずに済むのか、薬研はずっとそのことばかりを考えていた。
審神者の命を脅かすことだ。彼女に話すのは早いほうがいい。それが刀剣男士たちの総意だ。薬研の中に最適解の見つからないまま、彼は使命を皆から預かり、審神者の私室へ向かった。
開け放された障子戸をくぐると、彼女は執務用の机に凭れるように身体を預け目を閉じていた。薬研の気配に気付いて、弱々しく微笑みかけてくる。
「薬研。ごめんね、今日もちょっと、体調が悪くて……」
顔色は青白く、血の気が足りないように見える。薬研の頭には自然と、この後なにか滋養のあるものを用意しよう、と巡った。だが、それより先にすべきことが彼の顔を曇らせた。大事な用がありそうだと、審神者が察して身を起こす。少しでも楽であってくれと、薬研は近くへ座り、その背中を撫でた。
「大将。あんたの、身体のことについて、大事な話がある」
小さく首を傾げられ、薬研の口が重く開いた。
「本来起こらないはずの事なんだ。……その胎に、刀剣男士が宿ろうとしてる」
言われた言葉を理解した彼女は、俯いてから、たちまち頬を赤らめた。自分たちの行為が、関係が実を結んだということを知った反応としては、ごく普通の範疇だ。その通り喜ばせていてやれないことが、薬研の胸を痛ませた。二人が人間の男女であったなら、こうはならずに済んだのだ。
「大将、おれは、あんたの血筋が絶えることを望まない。……あんたに子を身篭らせて、産んでもらえたら、どんなに良かったか」
「……身篭ったのに、喜んでくれないの?」
目を眇めた審神者から、せめて視線を逸らすまいと、薬研は瞳を覗きこむ。長年戦いの指揮を務めてきた彼女は、並大抵のことでは取り乱さない。今も、感情として明るくはないが、冷静な表情をしていた。薬研の話に耳を傾ける意思がある。
「人の子とは違う。あんたの胎にいるのは、厳密には俺と大将の血を継いだものじゃないんだ。ただの分霊に近い、刀剣男士のなり損ないが迷い込んだのかもしれない」
「……それで?」
「祓ってもらうべきだ。それは確かに、大将を蝕んでいる」
この本丸の薬研の個体から何かを汲んだわけでもない。審神者から何一つ受け継いでもいない、二人に無縁だった分霊のひとつ。そのために審神者を失うわけにはいかなかった。審神者は下腹を見つめてから、そっと掌を添える。中の気配を探るような所作だ。
「嫌」
はっきりとした口ぶりで拒否をした審神者の表情は、悲しむでも怒るでもない、読み取りづらい無の表情だった。薬研は、頭ごなしに押さえつけるつもりではない。根気よく説得するのだと、腹に決めていた。じっと見つめれば、彼女は自分の思いを述べはじめる。
「出たいって、きっと思ってる。私に出来るのは、それをこうして抱えること……」
腹も膨らまないうちから、彼女は母のような表情を覗かせていた。
「薬研、わかるでしょう。この中にいるのが薬研藤四郎だって。血を継げなくても、私と薬研で招いたんだとしたら、それは両親として充分な縁があると思わない?」
彼女は霊力の関わることで苦労をしたことがない。その才能は、驚くほどの精度で事態を捉えていた。審神者は、腹に薬研藤四郎の分霊が在ることに気付いていたのだ。そのうえで産むつもりでいる彼女を、どう説き伏せたものか。薬研が逡巡する間にも、むしろ落ち着いている様子の審神者は、胸の内を語り続けた。
「きっと人の子と同じように産んでみせる。だから、毎日しっかり抑えてるの」
審神者の言葉選びが、薬研に違和感を与える。その印象のままに微かに首を傾げると、彼女は薬研へ静かに微笑む。愛おしげに下腹を撫でる仕草は、慣れすら感じさせた。その手の指の先まで、彼女は霊力に満ちている。腹の皮膚の下で、薬研藤四郎の気配は、うごめいている。
「鍛刀だって、こちらで用意するのは鋼の刀身だけ。刀剣男士の肉体は、魂とともに現れる。なら、その場所に適した肉体を作れるはずでしょう?」
彼女は付喪神に囲まれて育った。彼女以外の人間がいない本丸で、ただ一人、姿や心を移ろわせてきた。人の中で生きていく術も満足に知らない、才能に溢れた審神者だ。
言い知れない不穏なものを感じた薬研が、恋人へ手を伸ばす。彼女はその手をとって、腹に導き、両手でぎゅうと握り込んだ。
「喚ぶのに用意した刀身が砕けちゃったからいけないのかな? はやく諦めて、私の子どもになればいいのに」
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