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危険のない、簡単な仕事。

 襖を開けながら部屋の中を抜けていった審神者と違って、廊下を進んでいる三日月は速い。遠く見えた審神者はちょうど、目的の部屋へ入っていくところだった。
 中まで追っていくつもりでいれば、私を担いでいた三日月は足を止める。手を入り口にかざすと、薄い膜が引き伸ばされるように周囲が歪んで、彼の手を拒んでいた。

「刀剣男士に有効な、結界があるな」

 三日月は端的に説明をしてくれた。味方である刀剣男士相手に結界を張るような状況は、本来ない。これは五分くらいしかもたない、補助用の術だろう。審神者は、それだけの時間で充分逃亡が可能なのかもしれない。
 私が試しに部屋へ手を伸ばすと、抵抗なく普通に境界を越えられる。奥まで審神者を追えるのは、私だけだ。

「審神者を誘い出せないか、やってみます。もしくは結界が切れるまで時間稼ぎを。機会があり次第、拘束してもらえますか」
「なにか策でもあるのか?」
「相手は人間です。見たところ丸腰ですし、常に逃げられる態勢でいれば、殺されるほどの危険は少ないんじゃないでしょうか。策は……ないですけど、なにもしないよりは良いでしょう」
「……俺も、これを斬れないか試してみよう。無理はするなよ」

 頭をぽんと軽く叩かれる。頷いて奥へ進むと、背後では抜刀する音がした。
 この本丸は、出陣用の転送ゲートが屋内にある構造のようだ。大柄な刀剣男士たちが隊列で歩けそうな、幅広の畳の廊下が続いている。角をひとつ曲がると、奥の間は中途半端に襖が開かれていて、男の後姿が見えた。入り口まで足音を殺して寄れば、男は鞄を広げて何かを探している様子だった。

 言葉で誘い出すのは後でも出来る。気付かれていないうちにできること、と考え、なにか奇襲で動きを弱らせることができないかと手持ちの品を探った。
 玉鋼……は死んでしまうかもしれない。やりすぎだ。木炭の呼び出し札を引っつかんで、審神者の方へそうっと高く投げる。呼び出せば、大きなゴミ袋くらいの量の木炭がガラガラと男の頭上へ降り注いだ。いてっ、と声があがる。結構痛そうだった。
 服に黒い汚れをつけ、こちらを振り向いた男が、私をぎろりと睨む。

「……政府のやつか」

 さすがに、職員の女ひとりを怖がるような神経はしていないようだ。私は端末を取り出して、音声通信ができる状態にする。

「いつでも政府に連絡が取れます。投降してください。自首であれば、少しは罪が軽くなりますよ」

 毅然とした態度のつもりだが、緊張で声が震えている。それもあってか、男は私を馬鹿にしたように眺めて、鼻で笑った。

「お情けでもかけてるつもりか、のろま。さっさと助けを呼んでれば、俺を逃がすこともなかったのにな」
「私は、あなたのために言ってるんじゃありません。あなたの刀剣たちのために、穏便に済ませようとしてきたんです」
「あ? なんで刀剣のためになる。何言ってんだよお前」

 私をせせら笑うような口ぶりだけれど、男はゆらりと立ち上がると足元の木炭を一個拾って、私の方へ力任せに投げつけた。当たらなかったが、入り口の横に当たってかつんと高い音がした。審神者は怒りで顔がうっすらと赤黒くなっている。挑発としては、かなり効いたらしい。

「来てくれて助かったよ。その端末、よこせ」

 男がこっちに近付くのがわかって、咄嗟に資材札の冷却材を投げつけ、呼び出す。大量の水をばしゃりと浴びても、たいした足止めにはならなかった。私も踵を返して、畳の廊下を駆け戻る。
 曲がり角のところに戻るまでに、背中のところを思い切り押されて転んでしまった。音声通信の発信ボタンに添えていた親指が押し込まれたが、応答される前に男が私の手ごと電源ボタンを押す。それでも端末は両手ですがって離さない。
 後ろ髪を掴まれて、思わず声をあげる。その隙に審神者は端末を奪い、誇らしげに私に見せ付けた。
 五分なんて、短いはずだ。もう少し時間が稼げれば、きっと三日月が突入してくれる。話し、かけなくちゃ。頭がちゃんと回っているかもわからないけれど、焦るまま口を開く。

「なにに、使うつもりです」
「ここの本丸の通信設備の子機化するんだよ。大事な連絡が済んでなくてなぁ」

 端末を操作し始める男は、それができると確信している様子だった。作ったのは同じメーカーだろうけれど、そんな操作聞いたこともない。
 いぶかしむ顔を向ける私の背中を軽く踏みつけて、畳に押し戻される。苦しいけれど、逆に言えば、こうしている間は男は転送装置の操作はできない。敢えて抵抗すると、ぐり、と踏みにじるように圧をかけられる。男は足袋なので、そこまで痛くはなかった。

「最近ずっと通信機器をいじってたから、うちの本丸の同期コードも暗記した。あんたたちの邪魔は本当にひどかった」

 目は端末に向けたまま、男が指を動かしている。喋る言葉は、私に言っているのかもわからない、独り言みたいな調子だった。
 それから、あの部屋で響いていた耳障りなノイズが、私の端末からスピーカー状態で発生する。繋がって、しまった。
 サンロク、ゴ、ゴ、ゴ。ヒトサンキュウ、……キュウキュウロク。機械音声のようないびつな声が、数字を繰り返し読み上げていた。
 背中に乗っていた男の足が、すっとどけられる。伏せる私を思い切り見下して、審神者は笑った。

「いい端末だな、これ」

 転送装置の方へ戻ろうとする男の袴を掴んだが、私の体勢が悪くて力が入らない。体ごと少し引っ張られてしまった。
 振りほどかれて畳に手をついた私の横を、青い装束が通り抜ける。顔を上げれば、三日月の後姿が見えた。間に合ったのだ。


「主」

 三日月の呼び掛けで、転送装置の部屋数歩手前にいた審神者が足を止めた。人と刀剣男士の力の差は考えるまでもない。審神者にとってこれは恐らく、追いつかれたら終わりの鬼ごっこだった。
 審神者が私の端末を畳に放って捨てる。端末はまだ、さっきのノイズと数字を繰り返していた。不気味な音を背後に振り向いた男は、三日月の姿を下から上までゆっくり眺めている。怒るでも悲しむでもない顔をしていた。私もずきずきする体を起こして、近くに寄る。

「三日月まで来たのか……。薬研のやつ、最後の主命も守れないとはな」

 三日月は審神者の言葉に目を細めたけれど、そのまま刀を返して、峰で男の頭を横から打った。全力でないのは傍目にもわかるけれど、審神者は呻いてふらつく。その首を下から素手で殴ると、男はどさりと畳に落ちた。

「もう黙ってくれ、主」

 とっくに沈黙した男の後頭部に、三日月が言葉をかける。その色は、少しだけ憐れむようだった。




 気絶なんていうものは数分で回復する。三日月が審神者を縛って押さえるところを最後まで見届けずに、私はもと来た道を走り出した。担がれていたから景色も曖昧だし、端末は変なモードになってしまって操作が出来ない。それでも、少しの記憶と妙に信じられる直感が、私の行く先を決めていた。
 子機化とやらをされてしまった端末で内線通信をあの部屋へ試みた。「審神者を拘束しました。必要以上の斬りあいはやめてください」と。応答はなかったけれど、そういえば通信機器を扱えるのは、長く近侍をしていた者だけだと、聞いていた気がする。

 見覚えのある廊下、縁側が見える。もう銃声も刀の交わる音もしなかった。障子の外で、粟田口の短刀が寄り集まって、静かに部屋の中を見ている。
 その横を通してもらって部屋に入ると、刀傷やらで荒れた室内に、あちこち血痕がついていた。部屋の隅に立っている鶴丸国永の装束も派手に汚れている。奥では、一期一振が特に血で汚れた畳に正座をして、弟を見つめていた。

 この部屋で一番あたりを赤くしているのは、薬研だった。仰向けに寝ている彼のそばへ寄って、手に持った彼の本体を凝視する。
 薬研は、今にも折れかかっていた。正直、私なんかの手入れでどうにかなるかも怪しい。かといって、諦める気にはなれなかった。

 彼の本体に手を伸ばすけれど、こんなに弱っているのに柄を握る手はびくともしない。刀を、手渡してくれない。
 刀剣男士の顕現を一方的に解けるのは、その主だけだ。彼を刀に戻してしまおうにも、私にはその権利がなかった。

 前日に所有権の書き換えを断った彼はこの状況を見越していたんじゃないかと思えて、すごく嫌だった。
 ぐいぐいと柄を引っ張ろうとする私へ、彼の視線が向けられた。まだ辛うじて意識があるといった、儚い様子だ。権利を移すのは、そう時間がかかることではない。彼が心から合意して、誓いを口にしてくれればいいだけなのだ。
 汗や血で湿った前髪が彼の額にくしゃりと張り付いている。そこに額をあてて、私は彼に懇願した。

「お願いです。主はあの男ではなく歴史を守る政府だと言ってください! ……私に、所有権を移すって、言ってください!!」
「……熱心だなぁ、あんた。血の熱い、やつは、嫌いじゃないぜ」

 薬研はまるで覇気のない、掠れた言葉を笑い混じりに吐く。私のかけた言葉をかわすばかりだ。

「あの男は逃がしませんでした。……投降ではないぶん罪は増えますが、それでも、死んだりはしません。あなたが折れる必要がありますか!?」
「声が、でかい……」

 言葉通り、眉間にしわをきゅっと寄せて、つらそうにしている。
 変わらず彼の手から奪おうとしていた本体が、少しだけ揺らいだ。薬研が片方手を離したのだ。この隙に、と上体を起こして力を込めた私の頬に革の手袋が触れた。手は血でぬめりながら、下から体重を使うように首を引き寄せて、私の体勢が崩れる。

 薬研のつめたい唇は、ひどい味がした。……彼の口からのぼる、むせ返るほどの、血の味だ。
 私のうなじに添えられた手が滑る。薬研の意識が落ちたことがわかる。肺に残った空気が、間近で弱く吐き出される。
 そうして、鋼の折れる音がした。
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