危険のない、簡単な仕事。
「失礼。入ります」
外から声をかけ、部屋へ入ってきたのは、一期一振、鶴丸国永、三日月宗近の三人だった。見事に稀少な刀ばかりで、揃って間近に対峙することはあまりない顔ぶれだ。煌びやかな衣服だけでも、私にはプレッシャーがすごい。用意された部屋にいるだけなのに、思わず「散らかっていてすみません……」なんて言ってしまった。三日月宗近が笑う。
大の男が三人も並べば、部屋は途端に狭く思えた。小柄な薬研一人とは比べようもない。
「俺たちは今回の作戦で、上手く事が運ばなかったときに前に出る。手入れを頼むよ」
脅かし役が傷を負ってちゃ、様にならないだろ。白い装束の鶴丸国永が、そう事情を説明してくれる。言われてよく見れば、彼の頬には細かい傷がうっすら、瘡蓋のように残っていた。大抵の本丸では帰還後にすぐ手入れをするから、珍しい状態だ。……嫌な予感がした。
「皆さんはいつから怪我を? もしかして、一昨日以降出陣があったんですか?」
連絡を拒絶された時点で、審神者たちに妖精さんと呼ばれているもの……鍛刀や手入れの補助システムも、反乱を警戒して落としてしまっている。手入れも全手動は結構手間だから、治してもらえなかったのかもしれない。それ以降の出陣が怪我の理由だとしたら、仕方ないとはいえ政府のせいでもあることになる。
鶴丸国永が、自らの脇腹を軽く押さえる。服でわからないが、そこにも傷があるのだろう。
「中傷だったから、治りが遅くてなぁ。俺は最近出陣してないから、一月くらい前だったかな」
「……普段から、傷の放置があったんですね」
彼らはなんでもないことのように言うが、資材があるのに手入れを怠るのは政府から見て注意対象だ。手元の端末で、簡単にその旨記録をつけておく。
三人とも順に話を聞くと、稀少度が高い分、自分たちは手入れをされている方だと言っていた。最近は夜戦の戦場が主な出陣先だったため、急がないからと手入れがなかったという。
鶴丸と一期一振は中傷、三日月は軽傷。皆怪我をしたのは一カ月以上前で、人の身体に薬を塗ったり、縫合をしていた。この本丸では、重傷以外は基本的にこれが普通だという。優良な運営とは言えそうにない。
でも、彼らからは審神者への強い悪感情を感じない。政府に裏切りを伝えはしたが、審神者も無傷で拘束したいと言う。
彼らには本当に審神者に背く覚悟があるのだろうか。どういう心持ちでいるのか、心配半分、純粋に気になった。
「手入れの前に、言葉で確認させて頂けますか。皆さん、審神者が歴史修正主義者に寝返るのを阻止するため、政府の管理下に入って頂けるんですよね?」
彼らのような存在は基本的には偽りの言葉を好まない。その口から「政府の味方をする」「審神者に従わない」という言葉を引き出すことには、意味があった。
ずっと微笑みを浮かべていた三日月宗近が、ふむと一声発する。視線や一挙一動になんともいえない迫力がある刀だ。
「そう計らったのは俺たちの方だ」
「審神者のことを、どう思っていらっしゃいますか」
「皆にそう問い質している時間はないぞ」
私の意図をわかっているのか、三日月は敢えてはっきりしない物言いをしてくる。明らかな格下が言質を取ろうとするのを、生意気だと思ったのかもしれない。または、私に知られたくない真意があるのかもしれない。不安を煽られて、唾を飲む。
空気を変えてくれたのは一期一振だった。彼が二人を一度流し見て、口を開く。
「あの男も主には変わりない。ですが、このまま従えば私や弟たち、皆の今までの主の生涯をも否定しかねない。ましてや私欲のためと知っていて、付き従うことは出来ません。私たちは、正史を守るためにここに居るのですから。
……そう、皆で話し合いました」
三日月が目を伏せ、小さく息をついた。それを諌めるように、一期一振は苦笑いを見せる。
「彼女はこの本丸に一人身を置いているのです。信頼に足る情報が欲しいのでしょう」
「先に所有権を移譲してしまえばいい。それで詮索は要らないだろう?」
疑いを見せてしまったから、三日月には悪い印象を与えてしまったようだ。作戦遂行の意思はあるみたいだけれど、優良でない審神者の元から去ることを喜ぶ様子もない。
なんとなく肌でわかったのは、彼らが審神者と道を分かれる理由は「歴史を変えようとしている」一点だけ、ということだった。
刀剣男士というのは、私が思った以上に主従を大事にするらしい。軽度ブラック運営の本丸でも、審神者は主人として認識されているのだ。重度のブラック本丸の状態が明るみになるとき、大抵長期化の末、取り返しのつかない被害が刀剣男士に出ている。その理由を垣間見た気がした。
「……手入れが先で大丈夫です。手伝い札もありますし、すぐ済みますよ」
部屋も広くないので、一人分の必要量の資材を呼び出す。三日月宗近から、手作業で手入れをした。
三振りの手入れを済ませ、いよいよ所有権の移譲だ。この本丸は食事などで集まることもないそうで、彼らはこの後自室で過ごし、審神者の前には出ないことになっている。目が合えば縁が切れたとわかる、と彼らは言った。
この術はほとんどの場合、審神者が何らかの理由で立場を退くときに使われる。まだ力を振るってくれる意志のある刀剣を、他の主人のものとして縁を結び直すものだ。必要なのは、移譲するための霊力がある人間と、刀剣男士本人の曇りない合意。
一人ずつ額を合わせて、言霊を持つ文言を唱える。刀剣男士がそれを復唱する。目を開ければ、初めて所有権を持った私でもさっきと関係が変わったことがわかった。
「これで安心しただろう。この後も、仕事をしてくれ」
手入れを経て少し空気が穏やかになった三日月が、私に言う。
ずっと昔、人間のために交わされた「主命に従う」「主を傷つけない」という、彼らの善意の誓いを、同じ魂を持つ存在が共有している。
意外と知らない審神者もいるのだが、彼らは自分の意思で、自らを喚んだものを「主」と呼んでいる。人に寄り添う付喪神の性質から、大抵の審神者が主として認められるだけで、その霊力で神を縛っているわけではない。
一時的に主になった私にも、その誓いは有効だ。この三人は、私に斬りつけるようなことはほぼ出来なくなった。
「作戦終了まで、よろしくお願いします。次の人達は……」
「合図を送っておくよ。君は、また謝らなくていいように、この辺片付けておいたらどうだ?」
鶴丸国永が、手入れ後の資材の残りや消耗品を見回して、私をからかうように笑う。私が最初にレア刀のプレッシャーに負けた件を、今更いじられた。私もなんだか落ち着かないから、少しは片付けるつもりだったけれど。
「この部屋、手入れ用具だけならまだしも、作戦で使わないものが多くありませんか……」
私が使うために用意したであろう物の他に、ひょうたんとかつづらとか、よくわからない置物まである。
「そりゃそうだ、この辺りは物置みたいなものだからな。こっちに向かう姿を見られても、まぁ行き帰りのどっちか、何か持っていれば誤魔化しようがある」
からりと笑って、鶴丸国永は懐からなんだか珍妙なサングラスを三つほど取り出した。パーティーグッズ売り場で売っていそうな、枠がうるさいやつだ。
「というわけで、これは職員さんに差し入れだ。初対面の政府のお役人がかけてたら、後から来た連中にウケると思うぜ」
「……いらないものを持ってきたんですね」
受け取ったサングラスはそのまま隣に置く。
最初の三振りが緊張と脱力を同時に与えてくれたおかげか、後の刀たちにはそれほど苦労しなかった。