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【連載】模造刀を買ったら薬研が顕現した話



 私と薬研は、ときどき一緒に服を買いに行く。彼はもともと戦装束以外の服がなく、私が用意したものが手持ち服の全てだ。一枚一枚は高価なものじゃないし、少ない服を着回せば早く傷む。成長期の見た目をしている彼の背が伸びる可能性もゼロではない。気候が変わっていくたびに一緒に出掛けて、服を買い足していった。

 駅ビルに入った衣料品店は、休日で大変な混雑だ。試着室も人を整理する店員さんが控えているし、レジはいつも長蛇の列ができている。初めて行ったときなんて、薬研は一言「すげぇな」と呟くと、それきり黙ってしまったものだ。
 売り場に着くと、薬研は真っ先にチラシ掲載の特売コーナーに行く。そして、なるべく色柄のおとなしい服を選ぶ。その色合いには、なんとなく既視感があった。
 ゲームの薬研の内番衣装は、やはり本人の趣味なんだろうか。前に一度白衣に興味があるか訊いてみたところ「白い服は汚れが目立ちそうだな」という他人事のような回答だった。衣服を汚さないために着るんだと説明すれば「つまり前掛けか?」と首を傾げる。内番服を担いで現れてはくれなかったので、彼は自分に白衣のイメージがあることを知らない。視力についても、今のところ相談されていない。
 ……少しだけ、残念に思う私がいた。白衣に眼鏡。私は薬研の内番服が好きだ。

 たぶん、手に持っている服は土汚れや青菜の汁がつくバイト用だろう。格安のカットソー類を数枚持った薬研は、自分の稼いだお金でさっさと会計を済ませた。ここからが、私のお楽しみだ。
 下着やTシャツ以外は、たぶん薬研のお小遣いで揃えるには値が張る。そんなに必要ない、今あるものが着られなくなってからでいいと渋る彼に、私が選んだ服を着てほしいと言って見繕うのだ。これがもう、毎回楽しみで仕方ない。

 これは、と思うものを片っ端から手にとって、薬研に宛がってみる。口を結んで、彼はおとなしく私の顔を見ている。少し長めの横髪の間におさまった細い首と顎のライン、色白の肌が、清潔感の擬人化かよという感じだ。本気でなんでも似合う。
 薬研は細身で身長一五〇と少し。薄々そんな予感はしていたけれど、小学校高学年向けの服のほうが体格に合うものが多かった。
 売り場が露骨に子供用なのは彼にもわかる。もしかすると、無言で見つめてくるのはささやかな抵抗なのかもしれない。

 内番の面影を追って選んだ濃いグレーのシャツは、薬研も気に入ってくれた。日常生活で彼がネクタイをする場面はないけれど、いつか見てみたいなぁと思う。
 これからの季節にはけるボトムスをもう一本、薬研自身にも選ばせる。すると彼は、後藤藤四郎くんくらいのサイズ感のハーフパンツを選んだ。
 薬研がハーフパンツを選んだのはこれで二回目だった。通販で買った服を薬研に着せて一緒に出かけた日、まずは彼の服を数日分揃えたのだ。よくわからないから任せたいとの言葉を受けて、私が大半を決めた。それでも好みくらいあるんじゃないかと一つ持ってこさせた。それが、膝小僧の出る半ズボンだった。
 変か? と尋ねられれば、そんなはずがない。ただ薬研にハーフパンツを買い与えるのは、本人の要望だろうと、なんだかやましい事をしているような気になるのだ。それでつい黙ってしまったけれど、もちろんお似合いです。その時のベージュのハーフパンツは薬研のお気に入りらしく、彼は高頻度で脚を通している。
 色選びに引き続き、今度はズボンの丈で薬研っぽさを感じさせてくる。薬研藤四郎の短パンは、どの個体にも共通した本人の趣味なのか。薬研オタクとしてこの議題には興味がありすぎた。

「薬研、そういう膝上のズボン好きなの?」

 買うことに文句があるわけじゃありませんよ、のポーズでハンガーを受け取りながら、それとなく尋ねる。薬研はこくりと頷いた。

「ああ、なんていうか……足首から鼠蹊部まで布にぴったり張り付かれると、落ち着かないんだ」
「そけいぶ」
「脚の付け根」

 指先でちょいちょいと、脚と胴体の境目を指してくれる。
 実は以前、彼からマッサージを受けたことが一度だけある。そのときも私が漢字を思い浮かべられない筋肉だかツボの名前を教えながら、ぐりぐりやってくれた。効果は抜群、翌日すっきりしたのだが、うつ伏せ状態で上に乗られ、囁かれるというのがしんどすぎたので、もう頼む予定はない。薬研はどうもマッサージをしたがっているようだけど、不埒な大将でごめんなさいと内心頭を下げっぱなしだ。
 とにかく、圧迫感が気に入らないのだろう。薬研らしい感覚だった。

「暴れる予定はないんだが、動きづらいのはどうも好かん」
「すごく参考になった……」
「なにが」

 心のメモにしっかり残した。彼の問いには「薬研の、服の好み」と当たり障りない言い方をしておく。彼を刀剣乱舞の薬研藤四郎だと考えていいのか疑問が消えることはない。それでも私の妄想よりは説得力があるので、気になることはつい聞いてしまうのだ。

 それらとは別に、薬研が買ったTシャツに合わせた春物のジャケットと、丈は長いがフィットはしないデザインのパンツも持たせて、試着室に送り出す。カーテンを開けて出てきた薬研の姿を見た私の感想は、感無量の一言だ。勝手に頰が緩むのを感じる。

「すごくいいよ! 可愛い!」
「かわいい……?」
「かっこいいです」

 納得のいかない顔で返した薬研に、すぐさま訂正する。咄嗟に出る言葉は、「好き」以外だと「可愛い」が次にくる。悪意はないので許してほしい。
 そのセットも購入した。これで、梅雨の終わりまでは気温に合わせて暮らしていけそうだ。
 私がレジで受け取った大きな袋を、横から薬研が取る。本人が買った分と合わせて、二人で並んだ外側の手で持った。重くはなさそうだけれど、彼の細身の体格とあわせて、かさばって見える。それをくいと持ち上げてみせて、薬研は私をじろりと見た。

「あんたが楽しそうなのは良いんだが……買いすぎじゃないか?」
「そうでもないよ。私が薬研よりずっとたくさん服持ってるの、知ってるでしょ」
「そりゃそうかもしれないが、俺は洗いあがったのを着れりゃいい。余分だ」
「いえ、必要経費です」

 私が全然譲歩しないのを受け入れて、薬研は息を吐く。納得したわけではなさそうなものの、ただ私に買い与えられたという事実に「ありがとう」と会釈した。
 今に限らず、数年前から薬研のために働いていると言っても過言ではない。それに、必要経費と言い張ってソシャゲに課金する友人の報告額に比べたら可愛いものだ。薬研の服が数千円で確定で買える。コスパがいい。薬研がうちに来てから、社会人でよかったと思うことがすごく増えた。


 歩いていると、女性用のビジネスカジュアルの店舗が入ったフロアに差し掛かる。自分の服を最近買っていなかったことや、少し先に控えた予定を思い出して、足を止めた。薬研も歩みを合わせて、私を見る。

「私の服も見たいんだけど、少し付き合わせちゃってもいい? なるべく早く決めるから」
「お、いいね。ゆっくり選びな」

 この人混みの中での買い物が嫌いなのかと思っていたけれど、微笑むこともできるんじゃないか、と思った。店舗の向かいに見えるソファーを指さして「座って待ってる?」と訊いてみたが、薬研はついてきた。
 会社帰りにそのまま飲みに行けて、くたびれた感じのしないきれい目の服。できれば、春物っぽい感じのやつ。軽やかな色の服をラックからひとつひとつ手にとって、好きなデザインのものは肩にあててみる。買い物中ほとんど黙っていることの多い薬研が、口を挟みはじめた。

「肩のところの布、そんなに薄いと肌が透けるぞ」
「春っぽくていいんじゃないかな」
「そっちは穴だらけだ……」
「こういう布なんだよ……レースっていうの。下にもう一枚着るから、見えてもいいの」

 男物の服にはないデザインなので、気になる気持ちはわかる。でも、ニュースの女子アナや芸能人が着ていそうだし、初めて見るわけでもないでしょうに。あんまり取りあわず、説明だけしながら服を吟味する。透けると薬研は言うけれど、言うほどでもない。清潔感があっていい感じだ。買うつもりで腕に抱えていると、同じ服の色違いに、薬研が指を滑らせる。

「……やらしい」

 ぼそりと聞こえたシンプルな一言が、私に大打撃を与えた。
 やらしい。いやらしい。そういう風に、薬研には見える服なのだ。二、三秒静止して、薬研の横顔を盗み見る。さっきの一言はこの淡々とした表情で、私に意見するつもりでもなく、感じたまま言ったんだと思うと、あらゆる感情が渦巻いた。……買えない。
 結局その服をラックに戻し、無難なブラウスを手に取る。つい気にして薬研のほうを見れば「いいんじゃないか」と尊い笑顔を向けてくれた。

   ◆

 久しぶりに薬研と一緒に行ったスーパーは、最早薬研の庭だった。
 野菜は八百屋でもらってくる分でいつも足りているし、肉や卵は薬研が昼間買ってくる。私がスーパーに来ること自体久しぶりだった。

「大将。売り場が変わったんだ。カレーのルーはあっちの棚だ。酒みりんはその裏」
「おお……了解しました……」

 私がきょろきょろとしていると、薬研が何を探しているのかと訊いてくる。答えればこの調子だ。カートの下にさっき買った衣類の袋を入れて、薬研が先を行くのについていくだけだった。

「ん。鶏肉がこの間より安い。たい……姉ちゃん。今夜はから揚げにしないか?」

 お肉のコーナーで立ち止まり、隣にどこかの奥様が来ると咄嗟に私を姉ちゃんと呼ぶ。適応力が高いし反射神経もいい。思わずふふっと笑って、鶏もも肉の角切りを一パックかごに入れる。から揚げの提案が採用されたのだとわかって、薬研はにこにこと嬉しそうだ。

「から揚げ、旨いよな。酒が飲みたくなる」
「薬研、だめ! しー!」

 可愛い顔をして、人に聞かれたらまずいことをさらりと言うものだから焦ってしまった。人差し指を立てる「静かに」「言っちゃだめ」のジェスチャーは通じるのだろうか。薬研がきょとんとした顔で私を見つめる。
 刀剣乱舞的には、アルコールが含まれる甘酒を酔うほど飲む短刀もいる。神様だから、見た目に関係なく飲んでもいいのだろう。……うちの薬研にお酒を飲ませてもいいものか、熟考が必要だ。
 周囲の人に聞こえないよう、小さめの声でとつとつと説明をする。現在の日本では、酒類は年齢二十歳以上だけに許されていて、それ以下の年齢の子どもが飲むと保護者が罰せられること。薬研の見た目年齢が、十代前半であること……。
 子どもが飲むと、のくだりくらいから薬研はわずかに不服そうだった。それでも、私に迷惑がかかるとあって「了解」の一言で引き下がる。せっかくから揚げで見ることができた笑顔を曇らせてしまい、私としても惜しい気持ちになった。……とりあえず、レモンチューハイをかごに入れる。

 久しぶりの二人での買い出しに、ついテンションが上がって、切れそうなみりんや味噌、五キロのお米までカートに積んでしまった。一人だったらうんざりする重さだろうけど、幸い二人だ。

 薬研が慣れた様子でお財布からカードを出し、しっかりポイントをつけてもらう。こんなに所帯じみた美少年、よそではなかなか見られない。
 袋に品物をつめて、あとは帰って二人で夕飯を作るだけ。休日の昼間を全部買い物に使ったわりには、充実感に溢れていた。
 私が「よいしょ」と小声で言って掴んだ買い物袋を、すぐさま薬研がひったくる。どう見ても薬研ばっかり持ちすぎだ。その細腕に全部持たせたら、さすがに持ってくれて嬉しいなんて言えない。

「薬研、一人で持つことないよ。私にも持たせて」

 そう言って握る持ち手に指をもぐりこませようとするけれど、固く握られたこぶしを撫でるばかりだった。そのうえ、いつも隣を歩いてくれるのに、すたすたと先を行ってしまう。……渡す気がないな。

「重いでしょ。二人で持ったら、ちょうどいいのに」
「重くない。俺が楽にできることを、何でわざわざあんたにも負わせるんだ」

 薬研は少しだけ振り返ると、お米やみりんも含むスーパーの袋と衣類、全部の袋を左手にうつして、軽やかに上下させる。本当に、軽そうに持ってはいる。演技じゃないんだろうか。見定めるように半目でじいっと見つめる私へ、薬研は得意げに微笑んでみせる。

「ついでに大将も担げるぞ。おぶさるか?」

 言うやいなや、右腕で体をぐいと引きよせられた。両腕の下に回された腕に引っかけられて、つま先が浮いてしまう。バランスが崩れたこと、本当に持ち上げられてしまったことに驚いて、大きな声を出してしまった。

「わ、おろして! 見栄えがまずい! いじめてるようにしか見えないよ!」

 薬研は楽しそうに笑って、数歩先で私をおろす。周囲を見渡したけれど、誰もこっちを見ていなくて助かったと思った。
 それから、微笑んでいる薬研の顔がすぐ近くにあることに気づいて、心臓がギュッと絞りあげられた。一歩下がる間にも、持ち上げられたときの、身体が強く抱き寄せられていた感覚を思い出してしまう。すごいことを、されてしまった。
 文句を言わなくなった私を置いて、薬研がなにか口ずさみながら先を行く。最近テレビで流れている曲に似ていた。

 信じているつもりではあったけど、薬研は、本当に人間の少年ではないのかもしれない。薬研が今手も赤くせず持っている物は、本当にすごく重いはずだ。
 買ったレモンチューハイは、やっぱり分けてあげようかなぁ。薬研は、炭酸が飲めるかな。細い首筋を眺めながら、夕飯のことを考えた。
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