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【連載】模造刀を買ったら薬研が顕現した話

「薬研がね、自由に動ける範囲を広げたいと思うの」

 私が不在の間、彼を家に縛り付ける意味はない。外を歩きたければそうしてほしいし、本を求めるなら図書館にも行ってほしい。戦場に出られない分、できる限り気晴らしはしてもらいたかった。薬研は頷いて、続きを促す。

「だいたいの交通ルールとか、乗り物のことは覚えたよね」
「普通の道にいるのはヒト、自転車、バイク、車。信号が青で進め、赤で止まれ。都度運賃を払う乗り合いが、バスとデンシャ」

 彼は淀みなくすらすらと、簡潔に回答した。私が数百年後の世界に飛ばされたとして、こういうことを覚えるのはもっと遅そうだな、となんとなく思う。
 薬研は勤勉で、日常的に見ているテレビで色々なことを学んでいった。車が走る街中の光景はニュースでもドラマでもお馴染みで、外で見て驚くようなものはかなり減っただろう。私が図書館で幼児向けの交通ルールの絵本を借りてきたときは、苦笑いで受け取ってしっかり読んでくれた。
 とにかく、彼が一人で出歩くことについての心配事は、交通事故と道に迷ったら連絡手段がないこと。交通ルールはもういいとして、身近なところから休日に道案内を始めることにした。


 薬研はそれこそ、「服を買いに行く服がない」状態だったので、とりあえず一揃え通販で済ませた。
 薬研が着たら絶対に似合う! と日頃からしてきた妄想をいざ叶えるとなると、私は悩みに悩んだ。着てもらいたいものなんて、たぶん星の数ほどある。
 着る本人は「よくわからんから、任せたい」「地味なので頼む」と言ったきり本当にしばらくだんまりだった。私があまりにも悩むので、側へ来て「その中で、安いやつ」と一言言った薬研は、なんともいえない顔をしていた。
 袖丈や肩幅、脚の長さを測った数値を、私は後生大事に覚えていようと思う。これは服を買うのに必要な情報だ。

 届いた服は通販相応の品物だが、着る本人が美人なので様になっていた。今回は黒のパンツにシンプルな白のインナー、紺色系のカーディガンを選んだ。
 部屋着のゆったり具合に慣れていた薬研は、脚にフィットするかたい素材にちょっと困惑していたようだった。二、三回膝を上げ、馴染もうと努力している様子が妙に可愛い。私の視線に気付くと「何か変か」と少しだけ口を尖らせていた。

 昼間外を出歩いても不自然でない服を手に入れたので、いよいよ今日は散歩と買い出しだ。
 着替え終わった薬研をにこにこ眺めていたが、私の準備がまだだった。最寄駅の圏内だけど、この美少年を連れ歩くのだ。見劣りは仕方ないとしても、入念に化粧をする。
 気を利かせたのか、「玄関のあたりに行ってる」と薬研の方から申し出て、彼は部屋を出た。私が最後に鞄の中身を詰めていると、追って「外に出てもいいか」と部屋のドア越しに声が掛かる。
 薬研は外出について何も言わなかったが、楽しみにしているのかもしれない。扉の側にいてくれるなら、と返すとすぐに、わかったと返事があった。重いドアの閉まる音を聞いて、私も玄関に向かう。


 靴を履いてノブに手をかけたとき、外から男性の声がした。

「この部屋の人を、待ってるの?」

 聞こえた声は、薬研のものではない。たぶん隣に住んでいる男性だった。──薬研を見られた。それがいけない事なのかはわからないけれど、なんだか慌ててしまう。押し開けると、扉のすぐ横に薬研、その奥に今スーパーから帰ったという様子の隣人が立っていた。

「大将」
「待たせてごめん。……どうも、こんにちは〜……」

 ぽそりと呟いた薬研に軽く頭を下げてから、その向こうにいる男性にも挨拶をする。彼は、私が越してきたときにはもう隣に住んでいた人だ。

「こんにちは。いや、見かけない子が立ってたから。……弟さんですか?」

 こんな綺麗な弟がいるだなんて、図々しすぎて頷けない。薬研の『大将』呼びを聞き取ったのか、くすりと笑って男性は続ける。

「最近よく隣から低い声がするから、彼氏さんかなって思ってたんですよ。ほら、うち壁薄いじゃないですか」
「あー、すみません。えっと、親戚の子を預かってまして……」
「そうなんですか」

 隣の人とは、すれ違えば挨拶する程度で、会話するのはこれが初めてだ。薬研は下手なことを言わないよう努めているのか、隣人を一度見て会釈し、私を見つめている。
 男性は薬研へ微笑むと「隣に住んでます。困ったらピンポンしていいから」と挨拶した。再度、会釈。私はその間に家の鍵を取り出し、施錠する。
 隣人とはお互いにてきとうなお辞儀をして、いそいそと薬研を連れ立った。


 住宅街の路地で、周りに人がいないのを確認する。少し後ろを歩いていた薬研を振り返れば、すぐに目が合った。陽の下で見る薬研の瞳はやはり不思議な色をしている。当然、コンタクトなんて入っていない。

「あの、二人のときは『大将』でもいいんだけど……その呼ばれ方好きだけど。誰か人がいるときは、別の呼び方お願いできないかな」
「なんて、呼んだらいい」

 薬研は動じずに、私をじっと見つめて尋ねた。
 ちなみに薬研は、私の名を知っている。
 よく二次創作では名前を教えれば神隠しの危険が、というネタを見かけるが、私達の立場はいろいろと特殊だ。たぶん私に不思議な力はないし、彼は市販の模造刀から顕現した。
 それに神隠し自体公式の情報ではないし、そもそもこの美少年を前にして、その心配はなんだか畏れ多い。最初の質問交換会のときに、言うことも少ないのでさっさと名乗っている。知ったうえで、どう呼ぶかは私が決めてくれというのだ。
 ……この薬研の声で、名前にさん付けとか、殺傷能力高すぎる気がする。だいたい、大将と呼ばれるのが一番自然だったから、今までそのままにしていたのだ。
 これからの薬研の設定は……親戚の子。絶対に遠縁だ。だったら呼び方は一択な気がするが、へんに背徳感があって言い出しづらい。

「えっと、じゃあ、お姉ちゃんとかそういうので……そういうのなら、傍から見て自然だからさ」
「……お姉ちゃん、な」

 薬研は一度確認して、わかったと呟いた。
 なんか、ごっこ遊びを強要しているようで居た堪れない。実家の家族にはもちろんこの同居生活は内緒だ。あまり人目に晒しても説明に困るので、お姉ちゃんと呼ばれる回数は少ないだろう。それがせめてもの救いだった。

「大将、ヒト用の信号だ」

 少し先を行った薬研が、こちらに手を差し伸べる。手を繋ごうと言わんばかりの行動に、私は止まって首を傾げた。

「大将が持ってきた本に書いてあった。道路は左右を確認してから、手を繋いで渡れって」

 納得がいって、思わずちょっと笑ってしまう。小さい子向けの本だから、そういう風に書いてあったのだろう。

「あれは、こどもが保護者と渡るときの注意かな。薬研はそこまで小さくないから、左右見たら渡っていいよ」
「ああ、そうなのか」

 そうしましょうと書いてあったのだ、それがルールだと思ったのも無理はない。
 素直にわかってくれた薬研が、一瞬なにか思案する。大きくはない骨張った素手が、信号が青になった途端私の手を取った。そのまま歩き始めて、私も遅れて足を踏み出す。

「え、ちょ、薬研、さん」

 驚いて、足元の歩道の横縞がちかちかするような錯覚を覚えた。道路をのろのろ渡っている間に信号が点滅して、歩みを速めた薬研に渡りきるまで手を引かれる。手を繋ぐ必要はないと、今説明したばかりだというのに。
 困惑半分、動揺半分、どきどきしていると、手を放した薬研が振り返る。

「一応、俺のがずっと年上だからな。安全に渡らせてやらないと」


 これを素で言っているのか、と天然たらし具合に圧倒された。
 と、思ったら、その口元は悪戯っぽくにぃっと笑みを作る。……からかわれた。

 彼が「親戚の子」扱いと「お姉ちゃん呼びの要望」に多少不満を抱いていたことは、後日知った。

   ◆


 三回ほど休日道案内を決行し、ついに薬研に合鍵を作って渡す日がきた。薬研の紫っぽいな、と思って衝動買いしてそのままにしていた和風の手鞠のキーホルダーをつけてある。薬研は鍵をぎゅっと握り締め「大事にする」と頷いた。

 とりあえず駅周辺の繁華街から家への道は完璧に覚えたはずだ。万一に備えて、近所の地図をネットで印刷して家の場所にシールを貼り、裏に私の携帯番号を書いた。
 簡単なお使いも何度かしてもらったので、買い物も問題なくできる。図書館はカードがないと借りられないが、読むことはできるだろう。家で読みたいものは、言ってもらえれば私の貸し出しカードで借りればいい。

 本来なら帯刀していたいはずの自分の本体を、置いていけと言うのも酷な話だ。結局、薬研が気軽に持ち歩けるように、ボディバッグを支給した。少年が斜めに掛けるバッグのあの中に、ずっしりとした模造刀が一振り入っているとは誰も思わないだろう。
 少しのお金とICカードも持たせた。薬研は、いよいよこの部屋以外の世界でも生きていく。



 それからは、会社から帰るたびに薬研に今日は出かけたかと尋ねる習慣ができた。散歩には必ず行っているらしい。あまりお金は使ってないみたいだけど、時々夕飯に使いたい特売の肉などを買ってきては、それと野菜を炒めて帰りを待っていてくれる。
 薬研の作るおかずレパートリーは、現在味付け違いの野菜炒めのみだ。しかし腕はたぶん上達していて、だんだん具材と味付けの加減が絶妙になってきたと思う。毎日野菜を食べることになるので、健康的な暮らしをさせてもらっていた。

 帰宅すると、薬研はちょうどフライパンと菜箸を手に、炒め物を作っているところだった。

「おかえり、大将。今できるからな」

 エプロン姿も板についてきた。ありがとう、と返して家にあがったら、視界の端になにか気にかかる物があった。
 袋いっぱいの野菜……丸ごとのキャベツや大根などが冷蔵庫の前に置かれていた。野菜室に入りきらなかったのだろう。多少豪快なところがあるとはいえ、彼がこんな買い方をするだろうか。明らかに二人で食べきるには時間がかかる量だ。

「これ、どうしたの?」

 尋ねながら野菜室を開ける。予想通り、昨日までの残りに加えて、トマトがごろごろ入っていた。これを潰さないために、キャベツなどは冷蔵庫にしまわなかったのだろう。
 調理しながら一度こちらを見た薬研は、機嫌がよさそうだった。

「大将がカイシャに行ってる間、八百屋で店番することになった。給金も出るし、野菜も分けてもらえるぞ」

 八百屋。店番。給金。……それはつまり、アルバイトするという意味に、聞こえる。
 スーパーより安いしおまけをしてもらえるからと、よく利用している八百屋だろう。薬研と一緒に行ったこともあるし、帰りが遅くなる予定の日にお使いを頼んだこともある。
 でもさすがに薬研は高校生には見えないし、バイトするための応募手順を知っているとは思えない。

「だって、薬研、履歴書とかどうしたの……」

 私の問いに薬研は、ん? と少し首を傾げている。やはり履歴書は、知らないようだ。
 コンロの火を止めて皿を出し、一段と山盛りの炒め物を盛り付けていく。今日は、味噌の匂いがした。

「世話になってて忍びねぇから、使いに行ったり一品作ってるって言ったら、八百屋の旦那のほうから言ってくれたんだ。
『こうこうせいになるまで、うちの店番で小遣いをやろうか』って」

 ……あー、なんか、個人経営ならではの、家の手伝いとお小遣い制みたいなグレーゾーンの仕事か……。それなら確かに、履歴書なんかは求められなさそうだ。
 夕方、混み始める四時頃に、手が空いてたら来てくれればいい。仕事に来た日は店のカレンダーにマルをつけて、日数に応じてお小遣いをくれるという。もらってきた野菜は、キズモノだとか、明日は店に出さないものを貰えたとのことだ。
 お給料は未知数だけど、かなり薬研の現状に寄り添った申し出だと思った。バイトが居なくても店はまわるが、本当に薬研の「世話になってて忍びない」という言葉のために出た話なんだろう。

 一緒に八百屋に行ったときのことを思い出す。私の顔は見慣れている店のおばさんは、薬研を見て「綺麗な子ね!」と声を掛けていたし、それに対する薬研の「奥さん、上手いなぁ。あいにく俺は財布の紐を握っちゃいないぜ」という返しで、ご主人の方は大笑いしていた。好感度は、たしかに高そうだった。

 夕方は仕入れの時間じゃないとはいえ、力仕事にはなりそうだ。薬研の細腕と白い手を見ていると、ちょっとだけ心配になる。

「……少しは貯金あるし、無理しなくていいからね?」

 私の声色のせいか、彼は振り向いて苦笑を見せた。そのまま流し台でフライパンを洗い始め、「着替えるなら早く着替えてくれ、もう飯できちまったぞ」と言って返事らしい返事はしない。
 彼の言う通り、玄関の近くで突っ立っていても仕方ない。部屋へ行って鞄を置き、会社用の服から着替えておく。薬研は半開きの部屋のドアを足で開け、たった今温めた残り物と野菜炒めを運んで来た。小さなテーブルにそれらを置くと、傍らの私を見上げて目を覗く。

「見ていてくれ。いつまでもあんたのお荷物ではいないつもりだ」

 さっさと台所に、恐らく白米をよそりに戻っていく少年の背中を見つめる。生身の薬研に言われると……本当にこう、幼さと男気のギャップに心臓をわし掴まれる。
 同じ部屋で暮らしているんだ、本気でときめいてはいけない! 密かに太ももをつねって、私は気合いを入れなおした。
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