このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

【連載】模造刀を買ったら薬研が顕現した話



 私が本来の自分を取り戻したのは、友人からの連絡を受けたときだった。

『最近忙しいの? 元気?』

 そしてとりあえず、文脈に関係なく薬研が親指を立てているスタンプ。これを押すと私の返信が早いという、謎のジンクスが周囲に広まっている。べつに、気付けばすぐに返してるんだけど。
 彼女はネットを介して知り合った友人だ。その交流をしていたSNSで、私が急に呟かなくなったことを心配しての連絡だった。

 タイムラインは暖かく、大量の薬研藤四郎で私を迎え入れてくれた。不在の間の注目ツイートやらハイライトやら、不要な機能だと思っていたが今は有難い。私は薬研と暮らし始めてから今日まで、全然ネットを楽しむ余裕がなかったのだ。
 大勢の絵描きさんが薬研をかっこよく、ときに可愛く、コミカルに描いていらっしゃる。私の見ていなかった間にも、万物は創造されていた。
 そのまま引っ張られるように小説の薬さにタグを開けば、新作の山である。楽しみにしていたシリーズも更新されているし、好きな作者さんの短編が数本上がっていた。はぁぁ、と熱いため息をついて頭を抱える。
 今すぐ全部味わいたい……!

「たいしょ、野菜炒めができたぞ」

 そこへ、ひょこりと台所の方から薬研が顔を覗かせた。私は迅速にブラウザを閉じ、夢女としての自分を黙らせる。

「ありがとう! 大丈夫だった!?」
「おう。そんなでかい声出さなくても、これくらい平気だ」

 声が大きくなったのは、その、別のやましい理由です。
 私のエプロンを脱ぎながら、薬研はにこにこと上機嫌だ。夕飯に俺が一品作ると言い出したのは薬研の方だった。一通りコンロや道具の説明はして、横で見ていようと思ったら、座って待っていてくれと言われた。メニューは、私も数日前に作った野菜炒めだ。
 いそいそと作り置きの煮物を電子レンジに入れ、白米を二人分よそる。小さなテーブルの上は、家庭の食事どきらしく満たされていった。
 薬研の作った野菜炒めは、大ぶりに切られたキャベツがこんもりと盛られている。もしかして、渡した半玉を全部入れたのかもしれない。葉の端は少し焦げているが、全体的にシャキシャキしていそうだ。強火で炒めたんだろうな、と想像がつく。玉ねぎ、にんじん、ピーマンも使っていたはずだが、奥の方に埋もれていた。

「たくさん作ったんだね。大変だったでしょ」
「なに、大将に作らせてばっかりじゃ悪いからな。火は通ってるし、食えると思うぜ」

 自信有り気な顔をしているわりに、味見してなさそうなコメントだ。
 二人でいただきますと言って、私は野菜炒めを。薬研は煮物へ箸をのばす。彼は味の染みたじゃがいもが好きみたいで、この間もそればかり食べていた。
 私は大きいキャベツを、数回に分けて口に入れる。味付けは胡椒と醤油だった。しゃくしゃくと噛んでいると、作り主と目が合う。早く飲み込んで「おいしい」と言おうと思ったら、彼はくすくすと笑いだした。

「次はもっと小さく切るか。あんたには大きかったな」

 この、優しい保護者じみた眼差しよ。口の中ほぼいっぱいにキャベツが入っていた私は、内心で悶えるあまり咀嚼を止める。薬研は華奢ながら、大きなキャベツの葉を一口で口に入れた。
 夕食後、放置していたSNSにはひとまず「近況:模造刀を買いました。やげんすき」と書き残した。ある意味では、ダイイングメッセージに近い。


 彼自身に対して、何も不満はない。急な二人暮らしだけど、私のことも気遣ってくれるし、困ることもあるはずだが彼は疲れた顔ひとつ見せない。家に薬研がいると思うと、帰りも気持ちが弾むようだ。
 ただ、私は今まで大事だったものを唐突に思い出してしまった。いろいろな薬研が見たくて、休日のほとんどを薬研藤四郎タグに捧げた幸せな日のこと。両片思いのすれ違いネタで号泣したこと……。
 いくら同居を始めた彼が薬研でも、満たされる部分が違うのだ。本丸ごとに薬研は違う。みんな違ってみんな最高。私は、審神者といい感じになっている薬研のカッコいい台詞が読みたい!! あの人や別のあの人が描く薬研のイラストが見たい! 大きい画面でとうらぶがしたい!
 つまり、彼の前で人畜無害な非オタ一般人の姿を保つのが、限界に近いのだ。

 インドア系の大人しい趣味だとは思う。ただ、家に女の子を呼んでいるのに、グラビア雑誌を眺める男がいるかという話である。しかも被写体は本人。セクハラもいいところだ。
 フィギュアや色紙、ぬいぐるみ等の薬研グッズはカラーボックスに飾り、日頃から埃防ぎ兼目隠しを垂らしているのでたぶん見つかっていない。勝手に部屋を探るような子ではないのが救いだった。


 ここで、私と部屋に現れた薬研の生活をおさらいする。
 寝泊りはあれこれ話し合った末、ベッドが私、ラグの上に布団を敷いて、そこが薬研。ベッドを譲る譲らない、部屋を出て廊下で寝るだの、お互いの提案は真反対で、なんとか双方納得したのが今の状態だった。一人暮らし用の間取りなので、お互いにプライバシーもなにもない。
 私は基本平日朝から夜まで仕事。この数日の昼間、薬研にはテレビを見て現代を学んでもらっていた。帰ったらご飯を用意して食べ、順番にお風呂へ入って、少し話をして就寝。
 今までだったら、このお風呂の後の時間が薬研成分摂取タイムだった。うっかり素敵な長編に出会えば夜更かしをしたりもした。オタク趣味以外にとくにしたいことはなかったので、最近は布団に入る時間も結構早い。


 自由時間があまりない今、通勤時間、スマフォ片手に夢小説へ指が向く。久しぶりに読んだ薬研夢は、魂を隅々まで潤してくれるようだった。感謝しかない。
 帰れば、薬研が今日も野菜を炒めてくれていた。

 さて、家に帰るまでに読み終われなかった連作がある。風呂などを済ませ、薬研が昼間テレビを見て抱いた疑問に答え、あとは寝るだけになった。それでも私の気持ちは、作品の世界観に浸りっぱなしだった。
 ……私は布団を頭までかぶって、体で画面の光を隠すようにスマフォをつける。うわ、視力落ちそう。でも続きが気になるし、今日だけ……。
 番外編までしっかり読み終え、夜中の二時過ぎ、私はとても幸せな眠りについた。

  ◆


「大将。朝飯が冷めるぞ」

 ほんの一、二秒アラームが聞こえた気がするが、あれは画面をスワイプすれば誰でも解除できる。閉じた瞼の向こうが明るくて、深く眠りなおせる気はしない。ご飯が炊けるいい匂いがして、薬研の声までする。

「おーい、起きてくれ」

 肩がとんとんと叩かれて、やっと目を開ける。こんな贅沢な目覚めが体験できるんだから、眠いなんて言っていたら罰が当たる。眠たい理由も、自業自得だ。しょぼしょぼする目を巡らせたら、麗しくて眩しい薬研がベッドの傍らで屈んで私を見ていた。最初の朝を思い出す。

「大将、メシ」

 微笑む顔を見ていると、こっちまでつられて頬が緩みそうだ。しかし、その言葉で我に返る。薬研はとっくに自分の布団を片してテーブルを出し、そこに朝食を並べてくれていた。

「……うそ! ごはん作ってくれたの!?」
「米を炊飯器に入れて、いんす……袋に味噌が入ってる味噌汁用意しただけだぜ。あと漬物」

 昨日セットしたわけではないから、炊飯器の早炊き機能を使ったとして、アラームの三十分前には起きて活動していたことになる。人が動く気配で全く起きないなんて、世が世なら暗殺されているだろう。慌ててベッドから降りる。

「うわぁ、お手伝いさんみたいなことさせてごめんね……!」
「今のところタダ飯食らいの俺っちに、あんたが謝ることなんか何もない」

 ……美少年主夫を抱えるキャリアウーマンみたいな気分になってきた。薬研のほうも今の状況を強いられているわけだから、彼の方こそ私に気を遣いすぎていないか心配になりそうだ。

「じゃあ、ありがとう……」
「さ、顔洗って食ってくれ。カイシャだろ」

 私は普段朝ごはんを抜くこともあれば、食べても残り物やトーストと卵くらいのものだった。こんな温かい気持ちをくれる彼に、なるべく気分良く過ごしてほしいなぁと思う。

 出勤のとき、鍵を閉めるため、玄関まで薬研がついてきてくれる。

「お腹すいたら」
「あるものを食べてもいい」
「チャイムが鳴ったら」
「居留守な。わかったから。遅れるぞ」

 行ってきます、おう頑張れ、のやり取りに背中を押され、私は寝不足でも気持ちよく働かせてもらっている。こんな生活が何日か続いた。



 今日もおやすみと言い合って彼に背を向け、しばらく静かにする。あとは薬研の気配を窺って、寝たらしいところでネット巡回を開始するだけだ。
 今夜は薬研が寝付くのが早く、すうすうと穏やかな呼吸が聞こえる。私が身じろいでも、その感覚は一定だ。布団をかぶり、スマフォのホームボタンを押す。

「……なぁ、大将。起きてるだろ」

 さぁこれからだというとき、突然私に向けられた言葉に思わずびくっと体を揺らす。もちろん薬研だ。
 しらを切るべきか迷って、動きも息も最小限に留める。それでも薬研の方は確信を得ているようで、かち、と部屋の電気がつく音がした。恐る恐る布団から頭を出して振り返る。不思議な色の瞳が、私を見下ろしていた。

「目の下に隈作ってまで、わざわざ夜中に何してるんだ?」

 言い方のニュアンスが、ちょっぴり怒っているように聞こえる。私はベッドの上で正座して、薬研のほうに向き直った。スマフォに視線が刺さるようで、枕も一緒に抱える。

「えっと、インターネットを少々……」
「いんたーねっと」

 こればかりは、薬研に伝わる表現がない。これ以上、詳細を語らずには補足もできない。私が黙っていると、薬研が小さく息を吐く。

「夜中に隠れてそれをするのは……俺がいるせいか?」

 彼の眉を寄せた表情に、気に病むような色を見出して、慌てて首を振る。

「薬研のせいなんてことはない! ただ、知らないほうがいいんじゃないかと思って……」
「ほう、そういう理屈なら聞かせてくれ」

 さっきの表情はすっと消え、とても冷静な目を向けられる。
 知らないほうがいいかどうかは、俺が決める。そう言い切る薬研に今更言えませんとは、言えそうにない。
 今日の夜更かしは、いつもと全く違うものになってしまいそうだった。



「私と同じく薬研を好きな人が描いた、薬研の姿絵とかをね、見るのが趣味なの……」

 この説明だけでも、薬研は私がこそこそしていた理由をなんとなく理解したようだ。驚いた顔はしたが、そのまま黙っている。
 夢小説のほうは、さすがに言えない。言われても、困るどころの話じゃないだろう。

「……あんた、言ってたもんな。『薬研藤四郎が好き』って」

 うなじに手を置く薬研は、なんとも気まずそうだ。その顔が引いてるのか照れているのか、見定める勇気はない。ベッドの上で正座で縮こまる私、床の布団で胡坐をかく薬研。お互いに数秒沈黙した。
 既にグッズもたくさん持っているし、これからも買うだろう。まだ頭身の高いフィギュアが発売されていないし、出たら絶対に買う。隠し通せるわけがなかった。

「一緒に暮らしてる女がこんなのでごめんね。見てるところを薬研に見せないようにするから、その、許していただけたら、嬉しい……」

 同居について、初めての真剣な頼みがこんなことになるとは思わなかった。見通しが甘かっただけで、真っ先に思い当たるべきポイントだったような気もするけど。
 そう間を置かず、声がかけられた。

「大将、顔上げな。そんなことに気ぃ遣って、夜更かしされる方がよっぽど心配だ」

 心……広い……。目の前の神様に手を合わせるような気持ちで、顔を上げる。見る限りは、嫌々許しているという感じはしなかった。でも、続いた言葉で彼との間の認識の違いに気がついた。

「俺とその『薬研藤四郎』はあんたにとって別なんだよな。わかったから、夜中まで待たずに好きにやってくれ」

 別ではあるけど、別じゃない。だから隠れて見ていたんだけど、これを否定すると薬研が身の危険を感じそうだ。生身の薬研に対して時折ときめきを覚えるのは、本能なのでどうしようもない。でも、彼に理想を押し付けることはしないつもりだ。
 薬研がその間俺も本でも読もうか、と思案する仕草をする。今度の休みには、彼を図書館に連れて行こうと思った。


「しかし、あんたがそんなに好きなら、俺もあの服着てた方がいいか?」

 彼が親指で示した方向には一着の服がある。薬研が最初に着ていた戦装束だ。カバーをかけて吊るしてある。その辺を歩くのには適さないから、着る機会もなくこうして保管しているのだ。
 そりゃ、家の中なら何を着ていてもいいけど、薬研のほうにメリットがない。ラフな格好の気楽さを知った今、ブレザーは肩がこるだろう。戦装束薬研の脚とか、見ずにはいられないし。見たら罪悪感がすごいし。でも見たい。

 抱えた枕を顔に押し付ける。
 私は、生身の薬研に自分の萌えを押し付けたりは、しない……!

「あの、私の誕生日だけ、お願いします」
「ん、そうか」

 意志が弱い。
3/10ページ
    スキ