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【連載】模造刀を買ったら薬研が顕現した話

 この薬研、当たり前といえばそうなのかもしれないけど、現代のものに疎かった。私が帰ったときに部屋が暗かったのは、スイッチで明るくなると知らなかったからだし、風呂もドライヤーも説明が要った。全部一度に詰め込んでもしょうがないので、困ったら声をかけてと言っておいたけど。
 ドライヤーに関しては、少しつけて顔に思い切り温風を受け、ほっときゃ乾くと言ってやめてしまった。可愛い。

 私の部屋着の中で、比較的男の子が着ても問題ないものを彼に貸し与えた。黒のパーカーと、高校時代の膝丈ジャージだ。例の薬研の衣装を脱いでも、彼は驚くほど薬研だった。水気の残る前髪が横に分けられて、おでこが出ている。……密かに鑑賞してしまうのは、許してもらいたい。
 ゆるい格好をした薬研があぐらをかいて、私の話をふむふむと聞く。私からの申し出で、現状把握という名の質問交換会を始めたところだった。
 目下の議題は、これからどうしていくかだ。薬研は、刀の付喪を呼んだからには、戦の手助けを求められると踏んでいたようだった。私の立場を説明されて、「大将、ってわけじゃないんだな」とこぼしていた。うん。戦の大将でも城主でもない。一般人だ。

「つまりあんたは戦に関わってないし、命を狙われるようなこともない、と」
「そうだね。殺されるなんてこと、そうそうないよ。昔に比べて、ずっと平和だと思う」

 彼は傍に置いてある模造刀のほうへ顔を向け、左手で柄を撫でる。

「そのくらい平和で丁度よかったのかもしれないな。この刀じゃ、命の取り合いはできない」

 その横顔からは、何を思っているのかまでは窺えない。
 薬研が現実に現れたことばかりへ意識がいっていたが、そもそも刀剣乱舞の設定を思えば、彼は戦うために体を得たはずだ。敵のいないこの世の中で、彼は力を持て余すことになる。

「……刀の神様なのに、力がふるえないところに呼んじゃってごめんなさい……」

 薬研には好戦的なイメージがある。彼が本物なら、状況的に彼を呼び出した人間は私しかいない。呼ぼうと念じてこうなったわけじゃないけど、責任は感じた。
 私に謝られて初めて、淡々としていた薬研の表情が変わる。

「戦場を駆けるだけが誉じゃない。あんたのそばで身を守れたら、仕事は果たしてると思うぜ」

 こちらの罪悪感が予想外だったらしく、純粋に驚いた様子だった。
 そんなもの、だろうか。他の兄弟と違って戦場育ち、という刀帳の言葉を踏まえれば、他の藤四郎は護身用としての役割が多かったのかもしれない。それでも、薬研はそうではないと明言されているわけで──

「ほんとに、気にすんなって。少なくともこの時代なら、俺はあんたの腹を切らずに済む。だろ?」

 考え込む私へ、彼は言い聞かせるように微笑みかけてくれる。……励ますのがものすごく上手い。私が励まされてどうするんだって話だけど。
 これらの言葉をそのまま受け取るのであれば、彼の今後の予定は、私の身の回りで控え、守ること。私のほうの都合としては、彼が本当に薬研であるなら、それに異議をとなえる気はない。
 彼がただの家出少年だったら、こんなの誘拐になってしまうけど、ひとまず彼を信じると決めたのだ。疑う理由は「非現実的」以外、なにも見つかっていない。手狭な一人暮らしではあるけれど、大好きな薬研が現れたというのなら、生活の変化くらいいくらでも受け入れようと思った。
 深刻さはなく、薬研がううん、と少し唸る。

「問題は、何を以ってしてあんたの役に立つのかってことだな。戦以外で、思い当たることはないか」
「思い当たること」
「無意識に呼び出すくらい、困ってること」

 一応私たちの関係は、刀の付喪神と、その力を借りるため呼び出した人間という図になる。道具に宿る存在という性質上、役に立ちたい気持ちは強いのかもしれない。
 考えを巡らせてみるが、そこまで強く助けを求めた覚えはなかった。変に嘘をつくのも申し訳ない。恥を忍んで、正直に答える。

「えーっと、思い当たる『呼び出した理由』は……さっきも言ったけど、『薬研藤四郎』のことが好きすぎてですね……ずっと薬研のことを考えてたからかな……?」
「……そりゃどうも」

 彼は少しだけ眉を寄せて、納得いかない顔をしている。でも本当に何か使役したいという気持ちより、ただただ薬研への執着が今の状況を招いた気がする。ひとり気恥ずかしくなっていると、視線を感じた。薬研の瞳が私をじっと捉える。彼の表情はいつも真剣で、なにも含むところは感じさせない。

「何にせよ、この時代のこと、大将のこと、両方もっと知る必要がある。……かえって世話かけちまってるが、今しばらく勉強する時間をくれないか?」
「こちらこそ、よろしくお願いします。私も責任は取りたいから、困ったことがあったら言ってください」



 今朝初対面を果たした者同士で、こうしてこれから暮らしていく話をしている。普通じゃないんだろうけど、お互いこうするしかないことがわかっているような、落ち着いた空気だった。


「これも、悪いな。新品だろ?」

 見た目に汚くはないけれど、一年以上前に買ったパーカー。彼はそれをほんの少しめくって、ウエストからのぞくボクサーパンツのゴムをぱちんと鳴らした。服がめくられただけで随分ぎょっとしたし、赤面しそうになる。
 うちには当然男物の下着なんかない。さっき薬研を風呂場に連れて行って、彼がシャワーに四苦八苦しているであろう間にコンビニで買ってきたのだ。洋装の戦装束を着ているとはいえ、下着までは知らない。脱衣カゴから漁る気にもなれない。パッケージに男性の胴体の絵も入っていることだし、一目で下着とわかるよう、買った包装のまま脱衣所に置いておいたものだ。

「シンプルなやつ……えっと、好き嫌い分かれなさそうなやつ選んだつもりだけど、薬研の服はまた今度買い足そうね」
「……やっぱり、さっき買ったのか。こんな時間に、一人で外へ?」

 彼が気になったのは、そこのところだったようだ。ちなみに現在時刻は夜十一時、下着を買いに行ったのは十時くらいのことだ。薬研が現代の時計を読めるのかは知らないが、カーテンの向こうからは、ずっと夜の気配がしている。

「まぁ遅いけど、本当に近所だから」
「人殺しはそう起こらなくても、人の目は暗闇で使えないだろ。危ない」

 一人暮らしを始めてから、こんな風に面と向かって行いを心配されることはあまりなかった。なんというか、本気で言っているとわかるからこそ、むず痒い。私がちょっとにやけそうな、悪いと思っていなさそうな顔をしていたからか、薬研は言葉を続ける。

「俺の着替えなんかのために、あんたに何かあったら目もあてられない。どうしてもっていうなら、次から連れて行ってくれ」

 これは、正直感動した。一般論として、女性の夜の一人歩きは褒められたものじゃない。でも都心じゃ終電もまだだし、やってる人はたぶん大勢いる。私をわざわざここまで気にかけてくれる人がいるというのは、すごく心温まるものがあった。しかも薬研。美少年だ。
 不謹慎な喜びを感じる一方で、ひとつだけ気にかかったことがある。うちの前には外灯もそこそこあって、あまり不安を感じない道だということ。彼は恐らくそれを知らない。
 それに、彼を連れて行くという素敵な言葉は、ぜひ実現してみたかった。

「……じゃあ今、一緒に外に出てみない?」


 ややあって了承した薬研を連れて、二人で外へ出た。私はスニーカー、薬研はゴミ捨て用のつっかけサンダルをはいている。それくらいしか、誰でもはけるものがなかったから。
 玄関を開けてすぐに、彼は外が思っていたよりも明るかったことを認めた。外灯は等間隔に並び、近所の塀の模様も少しは確認できる。もっと足元も見えないような暗さを想定していたらしい。一人だけど、私たち以外の出歩く人ともすれ違った。
 横目に見た薬研は、薄暗がりで白い肌がより際立っている。私より薬研の一人歩きの方が変態を釣り上げそうだな、と一瞬思った。
 角を曲がると、広い道路の向こうに目当ての店が見える。

「見えてきた。あそこに買い物へ行ったんだよ。ね、すぐでしょ」

 コンビニを見て、薬研は眩しそうに目を細める。初めてコンビニを見るのって、どんな気持ちだろう。私にはもう思い出せないことを、薬研を通して想像する。
 前面がほぼガラス張りの店舗は、店内の明かりもあって駐車場の影が外側へ伸びていた。客数人の人影も見える。現代の夜は、どこも人の気配があって、滅多に一人だという気がしない。

「……こりゃまた、きらぎらしい建物だな……。目が潰れそうだ」

 ぼそりと聞こえた物騒な感想に、私は慌てて薬研の前へ出る。

「えっ大丈夫!? そっか、私とかより目がいいんだっけ?」

 一度きょとんとしてから、薬研はその顔を綻ばせた。初めて、微笑み以上の彼の笑顔を見た気がする。

「さすがに冗談だ。本当に潰れたりしないさ」

 早とちりして恥ずかしいやら、不意打ちの笑顔を直視したやらで、思わずうつむく。彼がその笑顔の後とは思えない険しい声で「大将!」と声を張ったのはその直後だった。
 咄嗟のことすぎて、彼の動作が全部終わってから意識がついてきた。今現在、薬研は私をかばうように抱きとめて、道の壁際まで寄っている。肩越しに振り返って睨みつけるのは、通り過ぎる一台の乗用車だった。
 全然危険を感じるような距離ではなかったけれど、初めて車を見た彼にとっては別なんだろう。後になって、どきどきしてくる。

「や、薬研。あれは人が乗ってる乗り物で、ちゃんと運転してれば、その線から内側には入って来ないんだよ……」
「そうなのか」

 身長の近い彼と私が密着したら、当然顔も近い。更に彼は会話するとききちんと相手の目を見るタイプで、つまり、体勢が私の心臓に悪い。私の部屋着を貸しているから、それを着ている人に抱きとめられるというのもまた、妙な感じだ。
 危険はないとわかって私を解放すると、薬研はきまりが悪そうに頬をかく。

「……早くここへ慣れて、あんたの役に立ちたい」

 耳に心地よい声色でそんなことを言われては、薬研オタクは息も絶え絶えだ。いま戦装束じゃなくて本当によかった。
 その場で精神統一を試みていると、彼がこちらへ手を差し出した。つられて、その手へ自分も手をのばす。白い手は見た目より温かく、ぎゅっと私の手を握る力はなかなか強い。

「驚かせたな。行こう」

 こ、この人絶対、自分の影響力知らずにやってる……。
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