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【連載】模造刀を買ったら薬研が顕現した話

『大将、居眠りか? ……体冷やすなよ』
「好き……」

 モニターから五分に一回、最高に優しくてかっこいい台詞が流れる。何百回と聞いてもときめきは色あせず、ときどきつい、こうして心の底から声に出したくなった。
 彼は薬研藤四郎。刀剣乱舞というブラウザゲームのキャラクターだ。かいつまむと、これはプレイヤーが審神者という立場になって刀の付喪神を顕現させ、歴史を守るための戦いに送り込むというゲームである。要は擬人化の類なので、大太刀は長身だったり、短刀は少年だったりする。薬研藤四郎は、その短刀の一人だ。
 そして、前述のように私は薬研藤四郎が好きで好きで仕方ない。

 見た目と台詞、および声のギャップに一閃。遠征隊長にすれば「あっ、帰りを待つ妻になりたい」と真顔になって、第一部隊に入れたら柄まで通った。近侍にしても怪我をしても内番をしても、隅々まで男前なのだ。今となっては薬研を構成する要素が全部好きで、第一印象でこだわりのなかった部分にも新たな性癖が芽生えた気がする。

 パソコンの前からでも見える場所に、真新しい黒い鞘に収められた短刀が飾ってある。そうだ。しまいには、非公式の模造刀まで購入してしまった。
 短刀だからか、模造刀はスケールフィギュア等のグッズよりもずっと安く手に入った。公式ではまだ発売されていないので、拵えや刃はゲームと異なるが、本家で出たらそちらも買えば良い。
 用途。コスプレをするつもりでもなく、ただ見つめて「これが薬研藤四郎か~!」と喜ぶだけだ。……更に言うと、これが目の前にあればよりリアルに薬研を妄想できて、夢小説などを読むときにはかどる。すみません、わりと深刻に薬研のことをそういう意味で好きなんです。

 ついさっき届いたばかりの薬研藤四郎を飾り、放置ボイスが聞けるように本丸画面を表示する。そしてお気に入り登録していた素晴らしい薬研の夢小説を読むという、この世の幸せを煮溶かして固めたようなことを、私は今やっている。

 ……最高。やっぱり買ってよかった模造刀。こういう有益な買い物のために、私は働いているんだ!
 嬉しすぎるので、今日は模造刀を枕元に置いて寝てみたりしようか。さらに薬研の声帯をやっている人のボイスアプリも起動して、これは薬研っぽいと厳選した台詞のリストを再生してしまおう。夢に薬研が出てくるかもしれない。
 薬研の夢を見たことは数度あるが、きちんと二次元から三次元への変換がうまくなされていて、最高の自前VR夢小説だった。数メートル先に、隣に薬研がいる体験は筆舌に尽くしがたい。語彙が飛び去る。最高。

 こうやって寝る前に薬研をしっかり摂取してから寝るのが、薬研の夢を見る第一のコツだ。部屋を暗くして、ヘッドフォンをつけ、枕元の鞘を撫でる。
 この晩私が薬研の夢を見られたかどうかは、覚えていない。でもたぶん、見たのだと思う。



 目覚ましのアラームが鳴っているのが聞こえた。ぼうっと、目を開けた体勢のままでいたが、早く止めないと隣人に迷惑だ。手探りしつつ身を起こす私の前に、にゅっとスマートフォンが現れる。
 ……黒い手袋をした手が、それを掴んでいる。私は、一人暮らしだ。

「わぁっ!!?」

 近所迷惑な声を出して、ベッドの奥、手が伸びてきた方の反対へ転がるように退く。ヘッドフォンががちゃんと落ちて、髪がぼさぼさになる。

 私のスマートフォンを持っているのは、少年だった。驚きすぎて、それ以上声が出ない。覚えのない子が部屋にいるということだけなら、きっと一拍置いて私は更に大声をあげただろう。
 彼は、あまりに私の大好きな薬研藤四郎らしい外見をしていた。

 まず服。どう見ても薬研藤四郎の衣装だ。本物の制服みたいにかっちりしている。長めの横髪と一房流れる前髪はきれいな直毛。肌は日焼けをしていない。
 瞳の色はゲームと全く同じとは言い難いが、多くの人はこげ茶色をしている虹彩が微かに紫がかって、神秘的な印象だ。

「驚かせて悪かった。他の部屋を勝手に開けるのも、どうかと思って」

 そして、その口から出る言葉は、紛れもなく薬研の声色をしている。

「あんたが、俺の主なんだよな?」


 私の部屋に、薬研藤四郎っぽい子がいて、私を主だなんて言う。

「あ、なんだ夢か……」

 納得がいった。夢だと自覚しているのは珍しいが、二次元じゃない薬研が出てくる夢なら何度か見ている。今日は幸先いいみたいだ。
 目の前の薬研は、きょとんとした様子で私の顔を見つめている。可愛い。

 スヌーズ設定になっているアラームが再度鳴り始めて、二人ともそちらを見た。これが聞こえるということは、そろそろ起きなくちゃいけない時間らしい。夢見がいいから寝坊します、なんてことが許される社会だったら、絶対この状況で起きたりなんてしないのに!
 アラームを止めて薬研の方を見ると、なにか言いたげな顔をしている。やっぱり可愛い。

「失礼します」

 両手を合わせて合掌、のちに有無を言わさずハグをする。せっかくなんだから、起きる前にこれくらいはやっておきたい。じゃないと後悔する。多少うろたえたような反応がまたリアルで、抱き心地もすごい生身感だ。薄くてかたい身体が、まさしくイメージそのままの薬研だった。
 ぽんぽんと背をたたいて堪能していると、抱きつかれている薬研が微かに身を捩る。くっついているので当たり前だが、私の頭のすぐそばで彼の呼吸まで感じた。

「……何か誤解してるみたいだが、大将、あんたさっき起きただろう」

 現実みたいなクオリティで、耳元に薬研が語りかけてくる。私の両肩に手が添えられ、優しく体が離される。窓からの朝日が彼の瞳を照らして、より色味が紫に見えた。顔が、近い。

「顔合わせが寝起きに当たっちまって悪かったよ。あらためて、挨拶させちゃくれないか」

 だんだん、胸がざわめいてきた。目の前の薬研は、起きたとか寝起きとか、ずいぶん状況に合ったことを言う。
 両目をぎゅっと瞑り、目を開く。薬研は変わらずそこにいる。首を傾げて、肩に置かれた手を触ってみる。革手袋ごしに、骨まで感じられる。夢の中だと言い切るには奇妙なほど、意識がさっきより鮮明になってきている。寝起きから大分経ったかのように。

「……えっ? なんで!?!」

 思わずのけぞって、少し離れてみる。大声を出してみても、自分の体を触ってみても、感覚は現実のそれだ。少年は、困ったように眉を寄せている。

「なんでって、あんたは審神者だろう。それで、俺をこの世に呼び出した」

 彼の口から、審神者という言葉が飛び出した。たしかに私は審神者だ。刀剣乱舞をプレイしている人たちは、みんな等しく一応審神者である。アカウントを持っているだけの一般人で、不思議な力なんて生まれてこのかた持った事がない。だから、まるで薬研本人みたいなことを言われても、混乱するだけだった。 
 リアルの友人で、私が薬研に夢中な夢女であることを知る人は少ない。そしてその友人が、こんなドッキリを画策するようには思えない。でもとりあえず、彼は生身の人間で、目の前にいる。


「えっと、あなたは」

 誰でしょう。仕掛け人?
 言いかけたところで、もう一度アラームが鳴り始めた。さっき鳴っていた音と違って、このアラームは本当に起きないとヤバいときの最後通告だ。画面を見たら、いつの間にかとんでもない時間になっている。

「電車まであと一時間ない!」
「は?」

 薬研(仮)を前にしてそんな場合なのかとも思うが、朝方のこの時刻表示は心臓に悪い。夢でも夢じゃなくても、一応身支度をする必要がある。
 突然ベッドから飛び出し化粧ポーチや着替えをひっつかんだ私を、少年が途方に暮れたように見ている。なかばやけくそになっている脳みそが、わぁ離れて見ても薬研だすごい、と気の抜けた感想を抱いた。
 薬研(仮)の前で化粧だの着替えだのが出来るはずはないから、洗面所へ駆け込み、それらを済ませる。部屋へ戻ると、まだ彼はさっきの場所に座っていた。とにかく今会社に行くために何が必要なのかと、焦っているながらに考える。
 引き出しを開け、ここを借りたときに大家さんから預かった予備の鍵を取り出し、それを机に置く。

「いい夢見させてくれてありがとう! わたし仕事行かなくちゃいけないから、出ます! 帰るときは、これで鍵閉めて郵便受けに入れておいてください! じゃあ!!」

 後ろで彼が大将、と声をあげたかもしれなかったが、あまりはっきり覚えていない。



 駅へと向かう途中、私はあのまま出てきて良かったんだろうかと後になって思った。でも会社に遅れたくはないし、だいたい今でも現実感がない。起きてから今までのことは、私のものすごい現実逃避だと言われたって納得がいく。
 なぜか家にコスプレ状態の少年が上がりこんでいたと仮定しても、なんか本当にいい思いをさせて頂いたので、通帳とか持って行かれても許せるかもしれない。あんなに素敵な薬研を体現できる人が、悪い人なはずがない。新手の泥棒だとしても、私が訴えないので無罪だ。
 結局夢だったのかわからない体験を反芻しながら、私はなんとか普段どおり、仕事にも取り組んだ。




 家の前まで帰ってきて、私は少しだけがっかりしていた。私の部屋には明かりがついておらず、誰もいないのだとわかったから。
 馬鹿みたいな話だが、万一まだ彼がいたらと思って、コンビニでお弁当まで買ってきてしまった。夢かもしれないし、買ったのは一つだけだけど。たしか一食分くらいは食材が冷蔵庫にあった。お味噌汁を作って、買っちゃったお弁当を食べよう。

 玄関を開け、真っ暗な部屋に踏み入る。ちょっと乱暴に脱いだパンプスがコンと音を立てた。
 ……なんだか無性に寂しくて、ため息をつく。こういう日は、やっぱり薬研のことでも考えよう。踏ん切りをつけるように、自分の部屋の電気をつける。


「うわ、明るい……。大将、こりゃなんだ?」

 今まさに考えていた、薬研の声がした。
 ラグの上で片膝を立てて、部屋の明かりから目を守るみたいに掌を差している。薬研の姿と声をした今朝の少年が、まだ私の部屋にいた。うっかり力が抜けて、鞄をどさっと手放してしまう。
 ほんの少しだけ胸にあった期待が叶えられて嬉しいような、全く事情がわからなくて不安なような、複雑な気持ちがわぁっと湧き出してくる。私にとって、薬研藤四郎はとても大事なキャラクターだ。日々の癒しとときめきを担う、最愛のキャラだ。だから、薬研の要素を持ったこの子を「知らない人がいる」と拒絶することができない。

「なんで……? あなた、誰なんですか……」
「お、やっと聞く気になったか」

 正体を知って落胆するのも怖かった。それでももうやり過ごせるわけがないから、意を決して訊ねたのだ。少年は何を思っているのか、平然としている。

「俺っちは薬研藤四郎。……といっても、これは模造刀だが。
 本来俺は戦場育ちでな。雅なことはわからんが、荒事じゃ頼りにしてくれていいぜ」

 これ、と言いながら彼が鞘ごと見せたのは、昨晩宅配で受け取った模造刀だった。言ってはなんだが、真新しい柄巻きがきれいで、付喪神のイメージはしづらい。
 ……うん、微妙に違うけど、めっちゃ聞いたことある。なんなら、「仲良くやろうや」は言ってくれないの? と思ったくらいだ。
 思わず真顔になる。私が模造刀を注文したことは、まだ誰にも話していない。

 無言でパソコンを起動しにいく。後ろで大将? と薬研(仮)が呼びかけてくれているが、無言を貫くと彼も黙って待った。
 ブラウザを開き、ゲームにログインする。私の薬研(極)はちゃんとディスプレイの中にいた。いや、それもファンタジーだけど、ゲームの薬研が出てきたんじゃないかと思って。そういえば私の部屋にいる薬研(仮)……もう薬研と呼ぶことにする。彼の服装は、通常の薬研藤四郎のものだった。極の衣装じゃない。

「……大将、その服……そりゃあ俺か? よく描けてるな」

 いや、よく描けてるというか、あなたがよく似ているというか。
 画面を見ているらしい薬研を振り返ったら、案外近くに来ていてぎょっとした。目が合う。

「薬研?」
「なんだ」
「やげんとうしろう?」
「そうだが」
「本気で言ってる? 本物?」
「模造刀だ」

 問いかけにぽんぽんと答えが返る。最後の質問はそういう意味じゃなかったけど、彼の表情は真面目そのものだった。私が確認を繰り返すものだから、彼も自分の存在が疑われていると察したのかもしれない。少し目を眇めて、あのな、と語りかけてくる。

「あんたは審神者だ。そして、ここに俺の名をした刀があって、明確に俺を呼んだ。心当たりが無いのか?」

 心の中でも肉声でも、呼んでないと言い切る自信が全く無い。一人暮らしの独り言なんて意識もしてないけど、昨日は浮かれていたから余計ありえた。


 妙な説得力でそこにいる薬研を見つめる。好きすぎて具現化した? 私は超能力者だったのか? あほらしい自問をしていたら、ふと自分がコンビニ袋を提げていたことを思い出す。
 もし家に少年がいたら食べさせようかと思って買ったものだったが、そういえば、この薬研は私が家を出てからずっとここに居たんだろうか。日中、何も食べずに。思い至ると、気になって仕方ない。

「薬研くん」
「……なんだ?」
「おなか、空いてない?」

 唐突な質問に、彼は思いっきり困惑でいっぱいの顔をした。でも直後、お腹に手をあてて黙り込む。

「よくわからなかったが、空いてるのかもしれない。……腹」

 ごくわずか、恥ずかしがっているようにも見えた。目を伏せて、口はきゅっと結ばれている。なんだか、たまらない気持ちがこみ上げてきてしまった。お弁当を取り出し、彼に差し出す。無難に王道かなと思って、幕の内弁当を選んだ。幕の内弁当を食べる薬研、という言イメージけで、イイと思ったから。薬研のことを考えて選んだ。

「これ、あなたにあげるつもりで買ったから、食べて」
「……有難いが、いいのか。俺がここに居ることに、納得いってないみたいだが」

 狭い一人暮らしだから、部屋を出てすぐのところに電子レンジがある。お弁当を入れて、加熱ボタンを押す。彼は私の手元と顔を交互に見て、ほんの少し不安そうにしていた。
 納得いったかと言われると、素直にはいとは言えない。でも、信じたい気持ちは十二分にあった。

「わたし、薬研藤四郎が好きなんだ。だから……今朝あなたに会えて嬉しかった。これくらいのことはさせて」

 薬研が目を見開く。肌が白いせいか、ちょっとした感情の機微がうっすらと頬を染める。
 こんなに薬研らしい子が、悪人のはずない。そして、私にとって彼の存在は嬉しい。それで、いいじゃないか。
 少し紫がかった虹彩の瞳を細めて、薬研はきれいに微笑んだ。

「……仲良くやろうや、大将」
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