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【連載】模造刀を買ったら薬研が顕現した話

「大将。俺もスマートホンを持ちたい」

 ついに、薬研のほうからその申し出があった。電話ボックスなんて近年見かけないのだから、連絡手段としていつかは必要だと思っていた。それでも、なんだかんだで保留になっていたのだ。

 薬研は最初の頃、電気の照明も自動車も知らなかった。それなら当然、スマフォどころか電話も知らない。離れた所にいる人間が声で言葉を交わせないのは、彼にとって当たり前のことだった。
 他にも知るべきことがたくさんあった当時の彼に、優先して説明することではなかったと思う。スマートフォンとは何か、何が出来るかをわざわざ教えるところから始めることになる。仕事中ほぼ自分のスマフォを見られないから、彼をいつもサポートできるということにもならない。
 警察や病院絡みの緊急時なら、私の連絡先を持たせてあるので会社へ連絡がつく。それ以外となると、生活上の連絡だ。たとえば……お醤油を切らしたとか? そんなの家に帰ってから聞いても、どうにかなる。考えているうちに、べつに急ぐことはないかと思ってしまった。
 実際暮らしている中で、連絡が取れないせいで失敗したなぁということもあまりなかった。何時から何時の間に帰るよ、だいたいは何時だよ、と伝えるだけで充分だ。買ってきた箱ティッシュがかぶってしまっても、お互い笑って終わる。残業で少し帰宅が遅れても、薬研は野菜炒めを温めてくれた。

 そして今日初めて、薬研がスマートフォンを持ちたいと言った。私が使っているところやテレビの中のそれを見てきて、自分にも必要だと彼が思うようになったのだ。そうとあれば、買うべき時だ。


 水仕事を終えた薬研が振り向いて言ったのが、最初の言葉だ。エプロンを外して、彼がいつも座る場所へ戻ってくる。
 肌寒い時期でも、薬研は変わらずゆとりのあるハーフパンツを好んではいていた。丈の長いスウェットは滅多にはかれず、とうとう冬を越してしまった。
 そっと横目にそのおみ足を見る。膝は私より骨張っているし、ふくらはぎも細い。服装も手伝って、どこも華奢な少年の姿をしているのに、態度や話し方はいつも大人びている。さっきの言葉も、声色はおねだりというより、報告か相談だ。

「小遣いも貯まってきたし、買えると思うんだ。ただ普通の買い物と違うみたいだから、買い方を教えてほしい」

 あの店は店員と向かい合って、長い時間何か書いたりしてるだろう。この世にもまぁ慣れたが、尻尾が出るかもしれない。薬研はそう続けて、冗談っぽく目を細めた。
 言う通り、彼はかなり現代に馴染んできたが、さすがに完全ではない。見た目年齢のこともあって、彼の現代知識に関係なく保護者が必要になることも多い。今回の件は、まさに保護者がいた方が早く済むはずだ。

「そうだね。私の名義で契約した方がいいと思う」
「届け出をして、使用料を納めるんだよな」

 あってる。でも、年貢みたいな言い方だ。
 薬研が鞄から、「これで足りるか」と厚みのある茶封筒を出す。八百屋のご主人から現金で受け取っているお金を、そこに貯めているそうだ。……預金口座も作ってあげるべきかもしれない。刀剣男士の鞄の安全性はともかく、これじゃ見た人がぎょっとする。
 中身を数えたわけじゃないけど、仮に全て千円札だとしても結構貯まっていそうだった。高スペックなものを選ばないなら、薬研の貯金だけでも契約できるだろう。薬研にバレなければ、本体の代金くらい私が支払うつもりだ。

「じゃあ次の休みは、薬研のスマートフォン契約しにいこう」
「ああ、よろしく頼む」

 かなり楽しみにしているのが言外に伝わってくる。いつもほんのり微笑んでいるけれど、今日の表情は、漫画だったら後ろにお花が舞っていそうだ。
 話の内容から、彼が一人で店頭まで行ってきたこともわかる。……そんなに欲しかったなら、気付いてあげられれば良かったなぁと反省した。勝手なイメージで、こう、興味が無さそうな気がしたのだ。

 現代の薬研藤四郎といえば、以前は二次創作の現代遠征とか、転生パラレルで描かれるようなイメージだった。今想像しようとすると、一緒に暮らしてきた目の前の彼の、実際に見た姿が浮かぶ。その現実味が強い想像には、楽しげな創作にあったものが欠けている。それを思うと、少し胸が苦しくなった。
 彼のそばに、兄弟や仲間がいない。一人で下見に行って、薬研は端末や窓口を見ている。彼は真剣に買い物をしているだけかもしれないのに、口を結んでいる薬研の姿がぽつんと悲しげに思える。
 彼が現れる以前だったら、この寂しいような気持ちもオタク的なときめきの一種だと思っただろう。でも、彼は実際この世でひとりの刀剣男士だ。本当のこととなると、ただ胸が痛い。
 一人で行動するのが当たり前になっている彼に、少しでも楽しい気持ちになってほしい。独りよがりだろうと、この際私だっていい。想像の中の薬研の手に誰かとの繋がりを、隣に、誰かを立たせたくなった。



 さっそく次の休日に、薬研と駅付近の携帯キャリアショップに行った。修理や相談の窓口は混んでいるが、新規契約の席は空いている。整理券を取らずに、二人で棚を見てまわることにした。
 薬研は混雑が苦手だが、今日はどことなく嬉しそうだ。店内を目移りする横顔が、期待を秘めていてそれはもう可愛い。私もにやけそうになってしまった。

「薬研、一度見に来たんだよね。どれが欲しいの?」

 それでも、こういう聞き方をしたら、薬研は困った顔をする。視線がサンプル機の並ぶ棚を一巡滑って、どこにも留まらなかった。

「……下調べはしたが、買えるならどれでもいいんだ」
「色とか……」
「形は皆似たようなもんだし、色もなんでもいい。維持費は安い方が助かるな」

 服に続いて、実に硬派な回答だ。目的が達成できればなんでもいいのだろう。
 どれでもいいって言われると、私もちょっと困る。軽く見渡しただけでも、少し古い機種はほぼ本体価格ゼロ円だったりする。でもあまりに使い勝手が悪かったら可哀相だし、軽く眺めただけじゃ契約料込みでどれが安いのか分からない。

 二人でひとつずつ手にとっていると、店員さんが声をかけてくれた。今日は特に助かる。さっきの絞り込みづらい要望でも、いくつかお勧めをしてくれた。さすが店の人だ。おかげで三択くらいになった。

「なにか、この最新ゲームがしたい……ですとか、動画をたくさん見たいですとか、ご希望はありますか? そういう部分で求められるスペックもプランも変わってきますし。最近は昔に比べて、差は少ないですけどね」

 店員さんが腰を折って、薬研に話しかけるように提案する。そうか、もしかしたら、テレビでなにか便利なアプリの情報を見て、それを使いたかった可能性もある。
 怒涛の耳慣れない単語のせいか、薬研は男性店員をじっと見つめ返していた。私からも「なにか、スマートフォンでしたいことある?」と声をかける。きれいな瞳が、私のほうへ真っ直ぐ向いた。なんでそんなことを聞く? とでも言うみたいな、不思議そうな顔だった。

「……姉ちゃんと連絡が取れれば、なんでもいい。できればあの、電話が無料だっていうやつを使いたい」
「ああ、それでしたら──」

 店員さんがすぐにアプリ名を連想して、薬研に熱心に案内をしている。私だけ、生身の薬研からの数百度目の柄通しをされて、ちょっと機能停止していた。
 もちろんその手段で連絡を取れるようにするつもりだった。でも、本当にただ私と連絡を取ることだけが要望だと言われると、こう、落ち着かない。いや、彼の世界には今わたしと八百屋さんくらいしかいないのであって、連絡の相手としては当たり前だ。
 本当に連絡だけだともったいないから、色々な機能を教えてあげなくちゃ、と一人頷いた。

 その後は私の名義で契約をして、払込書を送ってもらうことにした。帰りに家電屋で保護ケースや保護フィルムを選んだが、こちらは薬研がさっと決めて自分で買った。
 こうして、薬研は黒いスマートフォンを持ち歩くようになった。


   ◆

 薬研は数日のうちに、スマフォを使いこなすようになった。
 平日の晩は時間がたりない。私はまだ文字入力くらいしかしっかり教えていないのに、アラーム設定をしたり、音声認識で天気を調べたりしている。突然薬研の声で「明日の天気が知りたい」なんて聞こえて、振り向いたら私に言ったわけではなかった。恥ずかしい。
 眉間にちょっとしわを寄せて画面を触っているときは、だいたいフリック入力をしている。文字入力はまだ慣れないようで、そういうギャップが可愛い。既読の文字がすぐについても、返事があるのは少し後だ。その時間はきっとあの顔をしているんだろうな、と鮮明に浮かぶ。薬研が相手だと、些細なことが物凄く楽しかった。


 最寄駅からの帰り道、住宅街に差し掛かったあたりでのことだ。駅から離れれば、さすがに前から来た人とぶつかることもない。スマートフォンを取り出して歩いていたら、画面がふと固まって、暗くなった。次いで表示が変わる。

『着信 薬研』

 着信……着信!? 薬研から!?
 アプリの応答・拒否の丸いボタンが現れ、メロディが流れる。動揺しすぎて、その夢みたいな画面のスマフォを取り落としそうになった。夢画像では、ない、はずだ。

 なにもおかしい事はない。一緒に暮らしている薬研とショップに行って、契約をしたのは私だ。目当てのアプリをダウンロードして、表示名を設定したのも私だ。友達登録も、端末を二人分持って私がやった。薬研から電話がかかってくるのは、全然、おかしいことじゃない。
 既に三回分ほどコールを見送ってしまっている。異常にドキドキしながら、応答のボタンにそっと触れる。耳に当てる。すぅ、と微かに息が聞こえた。


『……大将? 電話に出たのか? 聞こえてるか?』

 薬研の澄んだ美声が耳元でする。端末を思わずギュッと握りしめて、唾を飲んだ。今、ちょっと語彙力が著しく落ちている。
 これ、すごく、すごく嬉しい!! 帰り道に電話がかかってきて、それが薬研からで、もちろん薬研の言葉が聞こえる。そういう課金コンテンツか!? と普段は黙らせている夢女の部分が騒ぐ。薬研がもう一度「大将」と呼びかけた声で我に返って、やっと口が動かせた。

「…………うん。聞こえてます、薬研、さん……」
『さん?』

 声だけでも、充分な情報量がある。なぜ急に呼び方を変えたのかと、薬研は不思議そうにしている。ほんのり眉をひそめて笑っている気がする。うわ、だめだ最高。
 いつもの私、いつもの私、と念じて、どうにか声を落ち着かせる。顔は正直、落ち着けていない。だって、こんなの嬉しくないわけがない。

「どうしたの? 何かあった?」
『いや、別に何も。メシなら出来てるし、変わったことはないな』
「……そっか、ありがとう」

 あ、用がなくても電話かけてくれるんだ。
 そういうところを見逃さず、すぐ気が付いて喜んでしまうんだから重症だ。意識するよりも先に、自然にこう思ってしまう。

『今日もいつも通りなら、そろそろあのあたりか。ゴミ捨て場のある曲がり角』
「……うん、そうだよ。もうすぐその角」
『じゃあ、すぐだな』

 耳に集中していると、頬が緩みっぱなしだ。まだ帰宅もしてないのに、薬研と話せる。声が聞ける。なにも変わったことのない、いつもただ歩くだけの帰り道で、あれこれと尋ねてくれる。電話の向こうの薬研の声は微笑む顔が見えるようで、みるみる幸せになってしまう。通りの家から漏れる明かりも夜景に昇進して、素敵な道になった。

「お腹すいたね。早くごはん食べたいな」
『今日はな、鶏肉が入ってるぞ』
「やった」

 特に用事がないと言われた手前、私もなんでもないことを話してもいいよね。せっかくの電話を、少しでも長く続けたい。
 さっき話題に出た曲がり角を曲がる。家まであと少しだ。ゴミ捨ての向こうの電柱の影が、ゆらりと動く。


「……よぉ、おかえり」

 側に立っていたらしい、小さな黒い影が一歩踏み出した。少し歩いただけで街灯の光が当たって、白い肌が光るみたいだった。人を待つ風に立っていたのは、バイト用のTシャツに一枚パーカーを羽織った薬研だ。声以上に嬉しそうな顔をして、はにかみながら私の前まで歩いてくる。そして、立ち止まってしまった私の隣に立って、薬研は「行くぞ」と促す。
 本物だ。なんか、すごくにこにこしてるけど、本物の薬研だ!

「び、っくりした……!」
「家の近所だぞ。そんなに驚くことか?」

 肩の近くで構えたままのスマートフォンから、薬研の声がする。目の前の薬研の口が同じように動いて、まだ反対の手でスマフォを持っているのが見えた。
 いや、まさか外で待ってるなんて思わなかった。今までも、基本的には家で待っていてくれていた。薬研が通話を切って、ポケットにスマフォを突っ込む。そうか、連絡が取れれば、家を出てもすれ違う心配がないもんね。
 少し先を歩く薬研は、何度もこちらを振り返る。会社帰りの私同様、彼も少し歩くのが早い。

「せっかくコレ買ったんだ。駅に着く頃合いを教えてくれよ」
「じゃあ会社出るときに、何かメッセージ送ろうか」
「そうだな。駅に着いてからじゃ、あんたを待たせる」

 夕飯は、ほぼ毎日薬研が用意してくれる。私の帰宅時間は電車一、二本前後することがあって、たまに食事が出来る前に着く。彼は、それを待たせると言うんだろうか。そんなに家事へ力を入れてくれなくても、いてくれるだけで充分嬉しい。

「野菜炒め、出来たてじゃなくても美味しいよ」
「……ああ、いや。出来たてを食わせるって考え方もあったな。悪い、そっちは考えてなかった」

 私たちの住む建物が見える。そこで、甲の薄い手が、するりと私の手を握ってきた。薬研がこちらを見て少しだけ、笑い声をもらす。今日の初めての通話以後、本当にご機嫌だ。

「駅まで、迎えに行く」

 手の方に気をとられて、二、三秒、言われた言葉を考え込んでしまった。
 普通の通勤で? 毎日? 連絡して駅まで来てもらうの? 今までの暮らしで充分満足してるのに、毎日外で待ち合わせるの? 贅沢すぎて、おそれ多くなってくる。
 というか、手繋がれてる理由は謎のままだし、考えがまとまらない。緊張もあって、手汗をかきそうだ。

「え、べつに平気だよ。会社帰りは人通りも多くて安心だし」
「断る理由がそれだけなら、迎えに行く」
「いや、遅い時間だったら薬研が危ないよ」
「大将、さっきと言ってること違うぞ」

 喧嘩というほどでもない言い合いを続けて、扉の前まで早歩きをする。いつもの癖で鞄の中の鍵を探ろうとすると、薬研が先に扉を開けた。自然と手は離される。部屋の中から、炊けた白米のにおいがした。

「大将、鍵」
「あっ、はい」

 さっさと部屋に上がって手を洗った薬研が、まだ靴を脱いでいる私に施錠を促す。さっきの話の決着は、まだついていない。

「あの、薬研が大人でも、外見がね。未成年って話はしたと思うんだけど……暗くなってから出歩くのは……」
「嫌じゃないなら、おとなしく頷いてくれ」

 薬研の方も、ちょっとうんざりした様子だ。譲らないのはお互い様なのに、今日はなんで強引なんだろう。考え込んで少し唸った私に、薬研は何を渋るんだと言いたげだ。それもそのはず、彼には私が嫌がっているんじゃないという根拠があった。
 角曲がってきたとき、あんた、すごく嬉しそうだっただろ。そう言って、不思議そうに顔を覗いてくる。

 街灯の下に立っていた薬研は、私からは逆光でよく見えなかった。でも、薬研には、通話しながら歩いてくる私が、よく見えていて……。
 わたし、どんな顔を見られたんだ……!? 絶対! 嬉しそうとかじゃなくて、ニヤニヤって感じでしょ!?
 今更顔を覆ったって遅い。顔を見せない私をそのままに、薬研は「いいから靴脱ぎな」と言った。
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