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【連載】模造刀を買ったら薬研が顕現した話

 夕食の後に台所へ立った私を、薬研はちらちらと気にしていた。それが好物の気配でついに釣れたようだ。側へやってきて、入れる予定の香辛料を見つけると、それはもう嬉しそうな声をあげた。

「お。カレーかぁ、大将」

 彼の大好物は、カレー、唐揚げ、ハンバーグ、ラーメンと小学生男子のラインナップのようで可愛い。どれも初めて食べさせたときは、煮物、天ぷら、肉団子、そばと呼ばれていたけれど、現代男子人気メニューの数々は彼も虜にしたようだ。普通の和食もおいしそうに食べるが、これらに出会った感動は大きかったらしい。食べられるとなれば声がはずむのだ。

「そう、明日の晩ごはん。鍋に入れたままにしておくから、一応昼くらいにあっためて、焦げないように弱い火で混ぜておいてね。腐るといけないから」

 鍋も大きくて、二人暮らしにしてはなかなか量が多い。薬研は育ち盛りみたいによく食べるし、何より彼はこれが大好物なのだ。だからたくさん作ったのだが、この量のカレーを冷蔵庫に移せるだけの容器はなかった。
 鍋を見つめて「わかった」と言う薬研は私のお願いを聞いていてくれただろうか。彼の「弱い火」は中火くらいなので、守ってくれないとたぶん焦げてしまう。

「明日カレーなら、米は炊飯器いっぱい炊いておかねぇとな」

 その笑顔ときたら、飛んでいる鳥がうっかり落ちそうなほど眩しい。これだけ楽しみにしてくれているなら、温め忘れることはなさそうだ。一人暮らしとはいえ、三合炊きの炊飯器にしていてよかったと思う。……さすがに三合ひとりで食べるほど大食らいじゃないよね、と気が付いて、後ろの薬研を振り返った。

「あ、それなんだけど、薬研の食べる分だけでいいよ」
「ん?」
「私明日、会社の人とご飯食べて帰るから。私の帰り待たないで食べていいよ」

 いつもより遅くなるし、お腹が空いたときにすぐ食べてほしい。それならいつもとは逆に、薬研に何か作ってあげたいと思ったのだ。時間もかからないし、これ一品でごはんになる。大好物を用意しておけば、留守番を頼んでも喜んでくれるんじゃないかと思った。そうか、と頷いて薬研は笑いかけてくれる。

「珍しいな。わかった。ゆっくり楽しんできな」
「……あんまり楽しい用じゃないんだよねぇ。数合わせで頼まれただけだし……」
「数合わせ?」

 なんと説明すればいいのか、端的に言えば四対四の合コンだった。社内に他に丁度いい年頃の女がいないので、「ご飯だけでいいから!」と頼まれ、家に預かってる子がいるしと言えば、「早く帰れるようにあなたの住んでる駅に近いお店にするから!」なんてことまで言われてしまった。会社から数駅、居酒屋に困らない微妙に栄えた駅に住んでいたのが仇となった。初めから、用事があります、と嘘をついておけば良かった……。
 実際その場に行けば楽しいかもしれないけれど、オタクとしては自宅と趣味に勝るものはそうそう無い。だから好んで合コンに行きたくはない。初対面の男性達に気を遣うのは疲れそうだ。
 明日のことを考えて小さくため息をつくと、薬研が質問の答えを待っていた。合コンとは何かに始まり、私が行く事になったいきさつまで事細かに説明する必要はないだろう。

「うーん……。男女の数をなるべく揃えたい飲み会があってね。女側が足りなくて」
「……ふぅん?」

 いまいちピンと来ていない顔で首を傾げる薬研に、気にしなくていいよと肩を叩く。義理というか、付き合いで断れなかった飲み会に行く。それだけの話だ。私だって、できれば薬研と家でカレーを食べたかった。

「遅くなるなら、駅まで迎えに行こうか」

 一瞬、夜道を歩き迎えに来る薬研を想像して「なんだそれ可愛い」と思ったけれど、私は大人で彼の見た目は少年だ。時間によっては警察に声をかけられてしまうかもしれない。それに薬研は、街で見かけたらついじっと見てしまうくらいきれいな顔をしている。前にも思ったことだが、私の一人歩きより彼の一人歩きのほうが危険な気がした。

「いつもよりは遅いだろうけど、お風呂入る前くらいの時間に帰れるんじゃないかな。何時に終わるかはっきりわからないから、いいよ」
「そうか」

 さっきのキラキラした嬉しそうなオーラは消えてしまったけれど、特に不満を抱いている感じではない。明日への仕込みを終えて、私は緊張でもやもやしながら就寝、起床、出勤をこなした。



 仕事を終えて、同僚と一緒に私の住んでいる駅に向かう。わざわざこの駅を指定する言い訳にちょうどいい、個人経営の良さそうな店が見つかった。薬研と二人で来るのもいいかもしれない、落ち着く店だ。駅前で男性陣と待ち合わせて、近いので徒歩で向かった。
 お店は良かった。料理もおいしい。でも肝心の飲み会は、楽しくないどころの騒ぎじゃなかった。
 男性陣の一人にノリが良すぎるというか、異様に馴れ馴れしくて浮いている人がいたのだ。私たちが引いていても下ネタをやめないし、男性陣も身内なのに気まずそうにするだけだった。声も大きくてお店の人に申し訳ないし、はらはらする。事前に聞いた情報によると、お互いの会社の人何人か呼んで合コンしましょうよ、という流れだったはずなのに、その人は男性のうち一人だけ私服だ。みんな何となくその人を気にしながら、おいしい料理に助けられてギリギリ場を保っていた。

「すみません、生追加で、お願いします! 何飲む? 空じゃん。何飲む? サングリアにする? すみませ~ん、サングリアもひとつ!」

 この台詞を抜粋しただけで、件のひとのノリが伝わるだろうか。いま絡まれた同僚は途中で「ちょっと休憩、お水かお茶……」と答えたが、勝手にお酒を注文された。
 チェーン店の居酒屋によくある二時間制みたいな決まりがなかったので、ゆっくり出てくる料理を食べながらお酒を追加注文していたら、案外長居してしまった。こっそり時計を見れば、九時を過ぎている。
 ……同僚は心配だけど、いざとなったら男性の幹事も助けてくれるだろう。なにより、私は九時くらいに帰るという約束で参加したのだ。たぶん、帰っても大丈夫なはずだ。
 同僚の肩をそっと叩いて、ごめんね、時間……と小声で伝えれば、ちょっと疲れた様子で「ああ、そうだよね。今日は無理言ってごめんね、ありがとう」と眉をハの字にした。帰れていいなぁ、と、こんな予定じゃなかった、ごめん、がない交ぜの雰囲気だ。
 会計諸々の話を済ませ、席を立つ。会話しているときより皆ワントーン弾んだ声で「また今度飲もうね」だとか色々声をかけてくれた。私も振り返り、会釈しながら店を出た。


 店の場所から家までどれくらいかな、と地図を確認する。駅を経由しなくても、毎日通る公園を突っ切れそうだ。薬研はもうお風呂に入っただろうか。私も急いでシャワーを浴びて、少しは話す時間がとれたらいいなぁ。帰りたいなと思うと、いつもより自然と歩くのが速くなる。
 街灯がぽつぽつと立っている公園に差し掛かり、舗装された道を進んでいたら、後ろから小走りの足音がした。おーい待って、と呼びかけてくる声は、聞き覚えがある。思わず心の中で「げ」と言いたくなった。飲み会にいた、なんだか強引なあの男性だ。走って逃げるのはさすがに大げさかな、という思いが足を止める。

「駅じゃない方行くから焦っちゃったよ。酔い冷まし?」
「……私のこと追いかけてきたんですか?」
「当たり」

 立ち話するくらいの距離ですら、鳥肌が立ちそうだ。好きでもない初対面の人に、帰路ついてこられるのは普通に怖い。後ずさりたい気持ちでいっぱいだけれど、変に逃げてもっと傍へ寄られたらいやだ。その前にきっぱり帰ると言ってみようと決めた。

「私、もう帰るところなんですけど」
「えっ? あのタイミングで帰るのって、二人で抜け出す定番のやつじゃない? さすがに飲み足りないでしょ。どっか行こうよ」

 合コンの間、特別二人で会話が弾んだ覚えはない。みんなと同じくらい、絡まれはしたけど。いや、なんで私とあなたが抜け出す必要があるんですか。そう言いたい気持ちをぐっと飲んで、愛想笑いなんて少しもせずに険しい声を出してみる。

「いや、私最初から早く帰るって言ってあったので……」
「金曜日だよ~!? 時間あるでしょ」

 手元で、スマートフォンがメッセージアプリの通知音を続けて鳴らす。そっとロック画面を見ると、同僚から「大丈夫?」だとか、いろいろと送られてきていた。全部目を通す余裕はない。

「私、もう帰るんです。飲みません」
「俺せっかく抜けてきたのに? 今から戻れないじゃん」

 そんなこと言われても、知らないし私のせいではない。でも責任を感じさせようと責めるみたいな言い方で、ちょっと怖かった。

「飲むくらいでそんなに警戒しないでよ。家近所なんでしょ? なら終電も気にしなくていいしさ」

 そう言いながら、腰に手を回されそうになって咄嗟に下がる。お酒臭い息がかかって、身構えた腕を掴まれた。

「いやです!」
「その言い方なに? 楽しい気分台無しになっちゃうんだけど」

 ときどきちらつく、こちらの事なんかどうでもいい感じ。それが一つ間違えれば暴力に繋がるんじゃないかと想像させて、これ以上騒ぐ勇気が出ない。
 ……いっそお店に入ってしまって、店員さんに事情を話して逃げる方が安全かもしれない。このひとけの無い公園で男を怒らせるのは、どう考えてもまずい。腕を撫でられて手首を掴まれ、諦めて一歩踏み出したときだった。
 ごく僅か地を蹴る音がして、私の目の前を何かが横切った。
 斜め前を歩いていた男が呻いて、ぐらりと倒れた。そのすぐ前には、身を低くした人影がある。公園の街灯がすぐ後ろにあるせいで一瞬顔が分からなかったけれど、背格好や気配が、それが誰なのかを私に教えた。

「……え? やげん……? どうして来てくれたの?」

 ふいと顔を上げた薬研の頬が白く照らされている。薄暗くても瞳は不思議な迫力を持っていて、数拍の無言が張りつめた空気を作っていた。姿勢を正した薬研の手には、鞘に入った模造刀の鍔のあたりが握られている。どうも、柄を腹に叩き込んだらしい。
 人体のツボでも心得ているのか、仰向けに転んだ男は意識がないようだった。一発で成人男性を沈めるこの子は、普通の少年とは違うのだ。

「俺も薬研藤四郎だ、刃がないくらいで主を守れん腑抜けじゃないぞ」
「だって、待ち合わせもしてないのに」
「……それは偶然だ。飯食ってから、通ると思ってこの近くで待ってた。そうしたら、あんたの声が」

 この静かな時間に男と押し問答をしていたので、声が届いたようだ。強引な誘いに物理で抵抗……殴って気絶させるのは、法的にはどうなんだろう。でも正直、何かあってからでは遅いので、どっと安心した。勉強料と思って、男にはアザを持ち帰ってもらいたい。
 薬研の方は少し不機嫌そうに、男を見下ろしている。帰ろう、と言おうとしたタイミングで薬研が先に口を開いた。

「しばらく女に悪さができないように、もう少し懲らしめておくか?」
「えっ。薬研! 正当防衛にしてもらえないかもしれないから、もう放っておこう! 薬研捕まっちゃうかも!」
「そうなのか」

 咄嗟に薬研の腕を引いて、公園から家の方向へ向かう。ぞっとしたのは、住宅街のあたりで薬研がぽつりと「あの男、最後伸びたふりしてただけだぞ」と言ったことだ。


   ◆


 帰宅後あらためて同僚からのメッセージを見た。
 私が店を出たあと、男がすぐに俺も帰ると言いだして行ってしまったので、あのこ大丈夫かな? と皆わたしを心配していたらしい。「そんなこと言うなら、あの男に連絡を取ってみて」同僚が男性幹事にそう言うと、幹事は気まずそうに「連絡先しらないんだ」と答えたという。
 男性側で急遽欠員、キャンセルした人の学生時代の友人が代理で来てくれると連絡を受けたが、残りの男性陣は顔を知らなかったのだという。待ち合わせ場所近辺にいた男に声をかけたらついてきたので、あの男が代理だと思ってしまったと。今しがた本来来るはずだった人から「会えなかったって聞いた ごめん」なんて連絡を受けて、あいつは誰なんだと顔を見合わせたところだと。
 メッセージはもっと短い、リアルタイムで心配するものがたくさん来ていた。ここまで細かく聞いたのは次に出社したときだ。とりあえず心配をかけた薬研には、聞いた日の食事中に雑談ついでに話をした。
 男性陣の方には、もっと連絡がちゃんとできなかったのかと不満があるが、女性幹事の同僚が私に謝る必要はないと思う。危ない人を紹介されそうになったわけじゃないんだと、誘った同僚は悪くないんだと説明したつもりだったのに、ことの顛末を聞いた薬研はますますおかんむりだった。

「ことはどうあれ、それを聞いて他人事みたいに話すあんたが心配だ」
「他人事……じゃないのはわかってるけど。薬研に荒っぽいことさせちゃったのは、ごめん」
「……それも的外れだよ」

 結果的に薬研に助けてもらったし解決した、と安心してしまっているのを見抜かれた気分だ。
 薬研が食後のお茶をいれてくれている。湯飲みをコン、と私の前に置いてから自分の場所にどかりと座る。じろりと音がしそうなくらい、険しい眼差しを送られた。美少年に睨まれるというのは、変にどきっとして姿勢を正してしまう。

「大将、嘘ついたろ」
「嘘……?」

 これといって嘘を言った覚えはない。あの男のことも聞いたまま言ったし、私が参加したものについても、「男女同数揃える飲み会」で説明は足りている。首を傾げると、なんのことなのか薬研のほうから説明してくれた。

「やっぱり、今の世も安全じゃなかった。悪人はどこにでもいるし、あんたは女だ」

 街灯があって夜も明るい。何もないわけじゃないけど、ほぼ安全。命の危険なんて滅多にない。
 私が、薬研が現れたばかりの頃に言ったことだ。実際夜道で危ない目に遭った経験は、この間までなかった。それでも、実際に自分の助けが必要だったと実感した薬研には、もう確かな言葉ではなくなってしまったのだ。

「昔に比べたら安全なんじゃないかって、今も思うよ。でも絶対じゃなかったのは……心配させてごめんなさい」

 薬研が目を伏せて、ふうと息をついてお茶を飲む。私も思い出したように、日本茶に口をつけた。淹れたばかりのはずだけど、すっかりちょうどいい温度になっている。

「俺もここにきてしばらく経つ。だからテレビで見て色々と知ってる。大将が行ったのは、合コンってやつだよな」
「……知らないと思って説明省いちゃったけど、そうだね……」

 薬研の口から聞くと思わなかった単語の登場で、むせそうになった。薬研は私が思った以上に、色々とわかっていたのだ。どんな番組でどういうニュアンスを受け取ったのかまでは私も知らない。ただ、恋人を作ったりする目的の出会いの場だということは、わかっているようだった。

「なぁ、身を固めたいとか、そういうつもりがあったのか」
「えっ、身を固める……? うーん……別にそこまで……今はいいかな」

 たぶん、そこまで覚悟して合コンに行く人はいない。たとえ婚活パーティーでも、出会いの一つくらいにしか思わない人がいるだろう。思わず復唱してしまったけれど、薬研は真面目に話している。一応真面目に考えてはみた。
 薬研という至高の男前美少年と暮らしていて、わざわざ出会いを求めてまで彼氏を作るのは気乗りしない。一生とまでは言えないけど、今はいい。
 私の答えを聞いて、それなら、と薬研は頷いた。

「じゃあ合コンは禁止。俺が駄々こねてるとでも言って、断ってくれ」

 言われた言葉を、よく噛んで飲む。すごい、なんか彼氏みたいなことを言われた……というか、その辺りまで踏み入ってくるんだな、としみじみ思ってしまった。

「禁止……」
「主旨からして、来る男全員下心しかないだろ。それで、大将にはその気がない。危ないだけだ」

 順序立てて禁止のわけを説明されると、なるほどとしか言いようがなかった。いや、今回の件はたまたまであって、普通合コンは危ない催しではないんだけど。

「私もすすんで行きたがったわけじゃないよ?」
「行きたくもない場所に連れてかれるような御人を、そんな所に送り出して待つのは気が気じゃない」

 行きたいわけじゃないから、今後禁止なのは別に構わない。ただなんとなく叱られているような気になって、今回は仕方なく行っただけなのに、とか弁解したくなってしまった。それにもすぐさま意見を示されて、さてはこのひと頭の回転がいいな? と思った。もしくは、はじめに「楽しくないけど合コンに行く」と私が言ったときから、そんな心配をしていたのかもしれない。小柄な少年の前で正座をして、軽く頭を下げる。

「わかった。彼氏ほしくもないのに合コンには行きません」
「うん、そうしてくれ。……男見繕いたいなら、話は別だからな」
「あ、その気があればいいんだ」
「俺が口を出すことじゃないだろ」

 あっけらかんとした様子で返す薬研は、純粋に私の身の安全を思って、こう言っているようだ。薬研らしくてほっとしたような、ちょっと寂しいような、半端な気分だった。曖昧に頷いた私へ、真面目な話は終わりだというように薬研が表情を崩す。テーブルに肘までついて、とにかくラフな状態だ。二人とも同じようなタイミングで湯飲みに手を伸ばすので、飲み終わるのも今ほぼ同時だった。


「まぁ、しばらく俺の大将に専念してくれるんだよな。ありがとよ」

 いたずらっぽくにぃっと笑って、覗き込むように首を傾げてくる。声色や表情に、親しみだとか少しの嬉しさみたいなものも感じてしまう。
 薬研、それを嬉しいって思ってくれてるの?
 訊く度胸もないことが胸にぶわりと湧いて、吹きこぼれているような感覚になった。とりあえず顔を少し逸らして、空の湯飲みをふたつ持って立ち上がってしまう。

「……それじゃ私、ちょっとお皿とこれ洗ってくるね」
「ん、俺がやるぞ」
「いいよ、今日は私がやる」

 お皿を洗うくらいならいつも開け放しているドアを、わざわざきっちり閉めた。そして湯飲みを置いて、思いっきり顔を覆った。
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