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パンツ

 その日の部隊長は厚藤四郎だった。執務室へ報告にきた彼は、隊員の傷の様子、戦場と遡行軍の様子、拾った資材などの決まった報告をすらすらと言い終える。後に清書するため簡単にメモを取りながら、審神者も形式だけの、お決まりの問いかけをした。

「なにか、変わったことはあった?」
「戦場や敵については、なにも。いつも通りだったぜ。……ただ、そういえば薬研がちょっと」
「え? 薬研?」

 常通りであればすぐに終わる報告の場で挙げられたのは、彼の兄弟刀の名前だった。
 薬研藤四郎。大人びたところのある短刀で、審神者としても扱いに困ることはほぼない少年だ。兄貴肌、戦場好き、理知的、時折いたずらもする。その面倒見のよさゆえに関わる機会は多く、声変わりを済ませた甘い低音と神性の美しい容貌で、審神者を動揺させることもある。
 何の理由もなく、戦場において振る舞いに揺らぎがある刀ではない。無茶でもしたのだろうかとまず考えたが、彼は今回無傷だったはずだ。審神者が顔を上げ、厚に続きを促す。彼は少し口を尖らせ、思い出すような素振りをした。

「なんか、やけに張り詰めたような気配させててさ。いやに慎重で、集中してて、ずっと眉間にシワ寄ってた」
「うーん……、なんだろう。出陣メンバーとなにかあったわけじゃないんだよね?」
「ああ、そういや、出陣してすぐはいつも通りだったな。何戦か交えてから、気がついたら変だった」
「ありがとう。私のほうでも、少し気に掛けてみるね」

 報告を終えた厚が部屋を出た後も、審神者は薬研のことを思い浮かべた。今回向かった戦場は、池田屋の記憶・京都市中だ。特に彼の歴代の主に縁のある場所ではない。それに、彼はそういうことにあまり影響されるタイプではないと、今までの出陣で知っている。……具合でも悪くなったのだろうか。怪我ではなく、内科的な方面で。
 本丸の医者代わりは彼だから、そうであれば今頃本人が適切な処置をしている頃かもしれない。しかし、刀剣男士に怪我以外の不調があるのならば、審神者も把握しておきたいと考えている。

「大将、今ちょっと、いいか」

 私室を訪ねてみようか。審神者が筆の端を顎にあて、考え事に集中していたところだった。まさに事の中心であった、薬研が執務室を訪ねてきた。
 驚いて振り向くと、出陣後の風呂を行水のように済ませたらしい、浴衣姿の薬研が入り口に立っていた。どうぞと審神者が促すと、神妙な面持ちで部屋へ入ってくる。たしかに、何らかの問題を抱えていそうな様子だった。
 審神者に少し距離をあけ、どかりと座った薬研は、和装のため胡坐がかけず、開き気味の正座をする。

「大将。頼みがある」

 改めて審神者へ呼びかけて、薬研の薄い唇は慎重に開かれた。審神者も思わず心構えをして、ごくりと唾を飲む。


「俺にボクサー…なんたらとかいう褌を、支給してほしい」
「へ?」

 ふんどし。繊細な美しさを持つ少年が、大真面目な顔で、コミカルにすら感じる下着の話をしたのだ。審神者はつい素っ頓狂な声をあげてしまう。
 薬研の体調不良を疑っていたために意表をつかれてしまったが、下着の話に照準を合わせれば、彼に見合わないものではない。薬研藤四郎の口調は古風で、彼らの活躍した時代を思えば、褌を好んでも不思議ではない。
 審神者が目の前の薬研の、腿のあたりへ視線を送る。今は浴衣を着ているが、彼の戦装束はなかなか丈の短いズボンだ。刀剣男士個人の下着の好みなど彼女は把握していないが、彼の裾から下着が見えたことはない。

「……俺は今までずっと、褌を締めて生活してきた。もちろん出陣もだ」
「はい……」

 私は何を聞かされているのだろう、と審神者の頬が少し赤らむが、薬研は今日の出来事を思って目を伏せている。彼の頭には、自らの下着の話で審神者が恥じ入るという想定は一切なかった。セクハラという概念が周知されたのは、ほんの二百年ほど前のことなのだから。
 薬研は話を続けた。

「今日、出陣中に褌が緩んだ。こんなことは初めてで、いっそ皆に言って締めなおすか迷ったんだが、あいにく戦況からして暇がなくてな。耐え忍ぶしかなかった」

 審神者は、黙って聞いていることしか出来ない。彼女には当然褌を締めた経験がない。それでも、その状況は想像の難しいものではなかった。命が掛かった戦いの最中、衣服が緩んで脱げる感覚がしたなら、少しも笑えないだろう。……聞いていて、どこか情けないような風情は感じてしまうが。
 厚からの報告と頭の中ですり合わせ、彼女は今日起きた事態を完全に理解した。その表情は、下着でも緩んだかのような居心地の悪さと、羞恥がにじんでいる。

「今後同じようなことの無いよう、兄弟が使っているあれを俺も使ってみたいと思う。注文してくれないか?」
「はい……えっと、胴回りを測らせてもらえたら、そのサイズで何枚か注文しておきます……」
「助かる」

 薬研は堂々とした所作で浴衣から両腕を抜き、上半身裸になる。審神者はますます縮こまる思いをして、巻尺を手に取った。



 必要物資の発注欄、彼女がとくに考えて眺めたことのない下着の項目から、一人分の褌が減った。顕現した瞬間から洋装をまとう者も多い刀剣男士たちは、下着も生まれにはとらわれていないのだとよくわかった。


 京都市中、人々があまり出歩かない暗がりを、付喪の神々が駆ける。短刀、脇差の化身と一振りの打刀だった。
 平屋の屋根の上には、人より二回りは大きい異形が何体も乗っている。その図体にあるべき重さがないようで、少年達が地を蹴る軽い音だけが微かに響いていた。こんな時刻に刃を交える音がしても、多くは巻き込まれまいと家に篭るだろう。騒ぎになる前に、彼らは異形を叩き場所を移る。

「厚! これは……すごいぞ!!」

 隊で一、二を争う特徴的な低音は、声の主を見ずとも誰だかわかる。部隊長の厚は、振り向かずに兄弟へ問いを返す。槍が彼の脇腹を皮一枚で掠めて、服が一瞬つれたような錯覚をした。

「なにがだ! 薬研」
「ボクサーぱんつだ!!」

 隊の誰もが、その言葉に何も返さなかった。しかし薬研は、高揚した声で一人思いを詳細に述べる。

「はき心地は肌に吸い付くようで、伸縮性があって動きに支障が出ない! ごわつきも無けりゃあ、薄くてズボンに突っかかる感じもない!」

 なるほど、薬研の動きはいつにもまして軽やかで、短い刀身が次々に冴えた一撃を放つ。今回の出陣で、一番誉を取るのは薬研になるだろう。
 皆が煩わされる、動きの速い槍の異形を薬研の刃が貫いた。柄まで通ったぞ、と空耳がしそうなほど、痛快な音が響く。

「緩んだり脱げることも無ければ、息子のおさまりも安定するなぁ!」
「うるさいぞ薬研!!」
「もういいから! 黙って戦ってくれ! 力が抜けそうだ!!」

 決め台詞すら省いて言うことがそれか、と厚は一言だけ薬研を一括した。藤四郎の兄弟に一人混ざっていた山姥切の悲痛な訴えは、夜の京都に消えていったという。



「……以上、今日の戦況の詳細だ。薬研はいま、風呂場でトランクス派のやつとかにボクサーパンツの良さを話してる……」

 執務室に来た厚は、精神面だけ疲労しているように見えた。報告を受けた審神者は、赤面して片目を覆っている。

「……そっか……」
「あいつ、一週間くらい遠征か内番に回しておいてくれよ。慣れりゃあ、もう騒がないと思うから」
「わかった……報告ありがとうね」

 厚を労うと、彼は一つため息をついて、風呂にまた気疲れをもらいにいく。彼は、トランクス派だった。

 薬研にとって、新しいものに対しての忌避感はなく、むしろ取り入れて良ければ嬉しそうにしている姿は、かねてから知っていた。探究心旺盛で合理的なものが好きな面もある。
 しかし戦闘中の彼の股間事情について、こうも詳細に聞きたくはなかったな、と審神者は深く嘆息した。
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