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薬研の逸話と女審神者

 刀たちと親しくなったと思っても、触れてはいけない気がする部分は聖域のようにそこにあった。主に、彼らが顕現する前の逸話に関するものだ。

 今となっては心を持つ彼らが、過去の主、相棒たちとの出来事に揺すぶられないはずはない。濃密な時間を共に過ごした人間が、彼らをどう扱い、そして別れていったのか。そんなデリケートな部分を、やすやすと話題にはできなかった。


 しかし時には、会話の向くまま、彼らのほうから私へ語られることがある。逸話は、彼ら付喪神の力だ。彼らが名刀として継がれていったのは、刀匠、美しさ、切れ味、そして逸話の力が大きい。とくに現在の彼らが顕現した瞬間から持つ容姿や性格は、如実にその影響を受けている。ごくシンプルに、刀身の短いものは幼い姿で現れやすいし、持ち主の誰かを思わせる姿もとる。

 彼らを形作るなにか。その重要なものは、本来彼らの中だけに仕舞われているべきではない。他の存在に伝えて、知られてこそ意味を強めるものだった。


 こちらが容貌に引きずられ、短刀たちを子供のように扱えば、彼らは応えて甘えるように親しんでくれた。そうして時折こぼれる悲しげな過去の話を聞くたび、私はたまらない気持ちになって彼らを抱きしめた。

 女審神者のしょうもない感傷だと言われようが構わない。少なくとも私の本丸の彼らは、そんな私に聞かせようと思ってくれたのだから。




 近侍の薬研藤四郎が、ある日ふと戦績処理中に冗談めかしてそれに触れた。


「主の腹は切らねぇ。それが俺っち、薬研藤四郎だからな」


 薬研は短刀の中では見た目もやや大人びていて、胸に抱きとめるような小柄な子達とは少し違った。

 薬研の逸話もまた有名である。自刃の際に腹が切れず、放り投げれば傍にあった薬研を貫き通したというものだ。自分の本丸に顕現した刀たちの資料は目を通しているので、私もこれを当然知っていた。縁起が良い。そうしてその出来事を語り草にされているのだが、この話も薬研藤四郎本人を目の前にすると、口にするのは躊躇われた。

 この勇ましく忠義ある少年が、主に求められた自刃を刀の身で拒んだ。そうまでしたものを、主は他の刀で腹を割いた。

 意志の強さを感じさせる眼差しが、声が、当時の彼の選択の重さを伝えてくる。縁起が良いなどと、一言で言い切れそうにない。


 うまく笑顔を作れずに、妙に間が空いてしまった。薬研とも長い付き合いになるが、彼自身の逸話の話をするのは初めてだった。

 忠義の刀、薬研藤四郎。

 本の小題を呟いた私に、彼は少し苦笑いをする。


「忠義と言やぁ聞こえはいいがな」


 聞こえはいいが、何とは言わない。

 先を待ってはみたが、薬研は恐らく語らないだろうとわかっていた。遠く過ぎた過去であり、多くの本丸の薬研藤四郎がそれを共有している。そこへの過ぎた悔いは、彼の存在を揺るがすだけで、何も生まないのだから。

 白くなめらかな頬にかかった黒髪が揺れる。私と話していた薬研は、顔を正面に戻し呟いた。


「次はない。そう思ってる」



 私は、薬研のこういう凛とした佇まいや、熱さを含んだ冷静さがとても好きだ。自らの強さで、納得のいくかたちで道を進んでいく。そのなかに主として私の存在も含まれていることが、とても素敵なことだと思えた。

 次はない。そう決意する薬研の「次」とは、私のことであっているのだろうか。


「えっと、今の主…わたしが、最期の刀に薬研を望んだら、叶えてくれるってこと……?」


 敵と争うこの状態、審神者という部隊指揮官をしている以上、ありえない終わりなんてないと思っている。捕まることも、殺されることもあるだろう。なら、そうなる前に命を絶とうとすることだって、可能性としてある。

 そんな場面で、私というちっぽけな人間が死に向き合うとき、その手を引いてくれるのが彼だったなら──今思いついた架空の情景のなかでも、薬研の姿は私の心を落ち着かせてくれた。


 薬研は一度目を見張り、反射で何か言いそうになった口を結ぶ。それから、どう受け取っていいのかわからない表情をした。


「とんだ殺し文句だな、大将」


 でも、縁起でもないこと言うんじゃねぇぞ。ぺしっと軽い音を立てて、薬研が私の肩をはたいた。

 そうか、次は最期を看取ってくれると、そういう話ではなかったのか。それじゃあ次は、どうするというのか。ううん、と考え始めた私を、薬研は呆れたように笑った。そしてそのまま席を立つ。


「……ほら、終わった分あるだろ。管狐の旦那に渡してくるから貸してくれ。散らかりすぎてかなわん」


 机の上に次々増えていく未処理の書簡は、片付けという概念を解さないままひらひらと舞い込む。電子機器を用いず本丸まで届ける術は立派だが、真面目な誰かが手伝ってくれねばこうしてすぐに散らかった。

 薬研は私が処理し終えた書類をいくつかさらうと、分類して箱に積み上げる。薬研はマメだ。だがお上品かというとそうではなく、今のように両手のふさがった状態では、足で戸を開け閉めした。


 私の手が先ほどから止まったままなのを見とめて、彼は、なぁ大将と注意を引く。見つめ合って数秒、薬研の瞳からは色に見合わない暖かさを感じた。



「せっかく手足があるんだ。腹切るようなことになる前に、直接あんたを守ってやるさ」


 主が追い詰められ、自害を決意するようなとき。次はどうするのか。薬研の答えはそれだった。

 ……なんとまぁ、期待以上に勇ましく、頼りになることか。彼が少年の見た目をしていなかったら、私はこれがとどめとばかり、薬研に惚れてしまったかもしれない。

 不意打ちに一瞬言葉が詰まって、なんとかアリガトウと返す。

 

 部屋から去る間際、薬研が足を止めた。


「ああでも、二言はないよな」


 まださっきの言葉に赤面がおさまらないでいる私に、主語のはっきりしないことを言う。二言はない。撤回しない。……何を?
 座ったまま薬研を見上げていると、綺麗な少年の顔が、意地悪をするようににぃっと笑みを作る。


「あんたの最期は、俺が任された」


 上機嫌に去っていく薄い背中を、どくどくうるさい心臓を抱えて見送る。

 自分でもわけがわからないけれど、心乱されてどうしようもない。ただ何かあったとき、最後に付き添ってくれと私が頼んで、薬研がそれを請けてくれただけだというのに。

 ……それだけ? 私は自分自身の最期を、それだけなんて言うほど淡白に生きている人間だっただろうか。私は間違いなく、自分の一生の終わりに、薬研藤四郎をそばにと望んだのだ。しかも本人に。

 当分、まともに顔を合わせられそうになかった。
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