第12話



 それからはあっという間だった。警察は過去に東卍が関わったとされる事件を片っ端から掘り起こし、東京卍會に起訴状を送ったのだ。特に今回の件では稀咲鉄太の名前が堂々と報道され、私が望んでいた展開に着々と近付いていた。
 だが、しばらくして報道は一気に止まり、もう一つ思い描いていた展開が始まりを告げたかと、私は静かに煙を吐いた。


「無念です。せっかく東卍を潰せるチャンスだったのに…」
「物騒だな。東卍に恨みでもあんの?」
「恨みも何も、社会の秩序を乱す集団は早々に潰すべきです」
「確かに、同感」


 今私の目の前に座っているのは橘直人だ。彼は今回の件を受けて警察内部で起こったことを私に教えに来てくれた。何もそこまでされる義理はないはずだが、生真面目そうな青年だから此度の上層部の対応に苛立ったのかもしれない。


「やっぱりサツの上層部は腐ってんなぁ」
「本当ですよ、心底軽蔑します」


 何でも、東卍は警察に示談を申し込んだらしい。示談といったら響きは良いが、要は賄賂だから褒められたものじゃない。ただ、私は元々警察に期待は寄せていなかったから今回の件に関してはそこまで絶望していない。


「まあ所詮は権力の犬だ、当然といえば当然。個人的には、東卍の動きの方が気になるな」


 東卍が示談に乗り出したということは、マイキーは稀咲を切り捨てられなかったということ。つまり、マイキーに稀咲は必要だったということだ。
 私はあの時、マイキーに稀咲を追い出せとは言わなかった。この先何があっても東卍の古参を守ってくれ、そう言っただけだ。だからマイキーが私よりも稀咲を選んだとかそういうわけではなくて、私のマイキーに対する理解が足りていなかったに過ぎない。


「…結局私は今も昔も、佐野万次郎という男を理解できないままだったな」


 彼が何を思って何を望んでいたのか未だに分からない。ただ、私やドラケンたちのことは変わらず好いてくれていた。あの日私を見つめる瞳が泣きそうだったこと、ちゃんと覚えている。


「場地水都さん、貴方は逃げた方が良い。上層部は間違いなく貴方の情報を東卍に渡す。襲撃を受ける前に逃げて下さい」
「…そうだな。そうすべきだろうな」


 横に流れていく煙草の煙を見つめながら静かに頷く。状況は一気に不利になって、すぐに行動を起こさなければ大変なことになるだろう。にも関わらず私の頭は冷静で、マイキーと過ごした日々を走馬灯のように思い返していた。
 彼は自己中で無神経で面倒くさかったけど、誰よりも仲間思いで寂しがり屋だった。謎にカッコつけなとこがあって、私を含め女には絶対手を上げなかった。そんな心優しい彼を変えたのは何だったか、思い出してみれば心当たりは山ほどある。
 私は意を決すると、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。ザラザラと微かな音を立てた残骸は、これからの私の行く末を物語っているようで面白い。


「感謝するよ、直人。お前はきっと良い警官になる。腐ることなく多くの人を救ってやれ。…悪を許すなよ、絶対だ」


 正義を語るなんてガラじゃないけど、悪人が笑って生きるこの世界が憎くて仕方なかった。そんな世界の象徴みたいな稀咲は、私の命より大事なものを奪ったあの男は、何としてでも地獄に落としたかった。
 でも結局本懐は遂げられず、地獄に落ちるのは私の方だということらしい。何とも皮肉なものだが、悪事を働けばいつか必ず報いが来ると身をもって証明できる、そう考えれば少しは報われる気がする。


「…貴方に会えて良かった。どうかご無事で」


 そう言って深々とお辞儀をする若い警官と会うことはもう二度とないだろう。でもいつか、私じゃない誰かが稀咲を追いつめた時、彼は間違いなく力になると歩み寄ってくれるだろう。
 私は立ち上がると、彼に深く頭を下げた。誰かにここまで敬意を示したのは久しぶりのことで、この世界もまだ捨てたもんじゃないと思える。


「お元気で」


 それだけ言って微笑めば、彼は一瞬泣きそうな顔をしたが、もう一度深々と頭を下げて部屋を後にした。
 私は窓辺に移動すると、煙草をくわえて火をつけた。口の中に広がる程よい苦みは、友の裏切りに密かに傷付く私の心を代弁しているようだった。


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