第11話
さすがに深夜は人が少ない。派手に侵入したから皆慌てているのだろう。崩れた入口の方に人の気配が集まっていく。そんなに一箇所に集中しては侵入者を招き入れているようなものだ。社会から恐れられる東卍も、下の者たちは考えの足りない人間ばかりだ。
「そう思うと稀咲は優秀だな」
無意識に乾いた笑いが溢れてしまう。どんなに無能の集まりでも上手く使いこなすのだから大したものだ。無論、その有能さを棒に振るくらいのクズさを持ち合わせているから手放しに褒めるつもりは無いが。
隅々に仕掛けられた防犯カメラを壊しながら、地下の一室に辿り着いた私は静かにドアを開けた。真っ暗闇の中に微かに残る人の気配は、今日私がここに来た理由の人物のものに違いない。
「久しぶりだなマイキー」
後手に鍵をかけながら彼の名前を呼ぶ。半月ほど前、可能な限りの情報網を使って探し出した彼の身元に危険を承知で手紙を送った。今日この場所にこの時間に来るように、それだけを書いて賭けに出た。
「お前がいるということは、この賭け私の勝ちだな」
壁に手を伸ばし電気を点ければ、隅の段差に腰掛けてこちらを見つめるマイキーの姿が浮かび上がった。
「随分とヤツレたな。せっかくの美形がもったいない」
冗談混じりに笑いかけてみるが、彼は黙ったまま呆然と私を見つめるだけだ。
佐野万次郎という男は、総長でありながら決して表に顔を出さない。東卍幹部ですら、ここ数年彼には会っていなかったという。
「今までどこで何をしていた?」
「…お前の方こそ、何をしていた」
久々に聞いた彼の声はあの頃のままだった。私が東卍を抜けると打ち明けた時、必死に止めようとしてきた子どもの声と少しも変わってない。
犯罪集団の長に成り下がっても、彼の本質は変わらない。私を殺そうとしないのが何よりの証拠だ。
「お前の元に戻る準備をしてたんだよ」
「…最近俺たちの周りを嗅ぎ回ってんのはお前か」
「失礼な奴だな。お前たちをどうこうするつもりなんてない。というか、どうこうしてしまったら困るんだよ」
「…何が狙いだ」
彼の目つきが少しだけ鋭くなる。昔に比べて表情の起伏がなくなった彼だが、爛々と光る瞳だけは凄みを増したように思う。
私は肩をすくめると、ゆっくり彼に近付いた。跪いて彼を見上げれば、黒い瞳が微かに震えた。
「狙いなんてない。お前に戻ってきて欲しいだけだよ、万次郎」
「…置いてったくせに勝手なことを」
「悪かったよ。私も未熟だったんだ、分かってくれよ」
置いていくな、と力無く訴えてきた彼の顔を思い出す。できることなら側を離れずまともな道に引き戻したかったが、あの頃の私にそんな力はなかった。いつか絶対戻ってくる、そう約束するのがやっとだった。
暫くの沈黙の後、俯いていたマイキーがゆっくりと顔を上げた。よく見れば目の下にクマができていて、これまで彼がどれだけ苦しんできたかを思うと辛くなる。
「…俺はどうすれば良い」
「どうもしなくて良い。ちゃんと飯食って寝てくれてればそれで良い」
「はっ…何だよそれ」
呆れたように微笑んだ彼を見ると胸の痛みが和らいだ。まだ笑える力が残っているようでホッとする。
私は小さく息を吐くと、彼の目を真っ直ぐに見つめて手を取った。
「一つだけ約束して欲しい」
「…何だ?」
「これから先何があっても、東卍の古参を守ると誓ってくれ。…場地圭介が命をかけて守った、愛した奴らを守り抜くと誓ってくれ」
これは紛れもない本心だ。でも言葉にできない本心の本心は、巻き込んでしまった千冬の命を保証して欲しいというものだ。上手くやってくれているとは思うが、内部にいる以上嗅ぎ回っているのを勘付かれないなんてあり得ない。
だからこれは私の命を賭けた賭博で、私を忘れずにいてくれたマイキーは私の味方になることを選んでくれた。さすがの稀咲も、マイキーに言われれば手出しはできないだろう。
「…ああ。誓うよ、みーちゃん」
8年振りに聞いたその呼び名は心地良い。私のことをそんな洒落た名前で呼ぶ奴なんてマイキー以外にいない。
「ありがとう」と手の甲に口付ければ、彼の唇が私の額に軽く触れた。