第8話
去っていく半間の足音を聞きながら拳を握り締める。場地のことがあって以来、俺はかなり臆病になった。特にみーちゃんについては酷くて、彼女が弱くないことを知っていても心配で心配で堪らなかった。
だから今みたいな状況は耐えられない。みーちゃんの様子を見るにそこまで変な目に合ったわけではなさそうだが、それでも彼女に気安く触れた半間が許せなかった。
「みーちゃん大丈夫?何もされてない?」
「ああ、平気。タイミングよく来てくれて助かったよ」
彼女がヘラッと笑う。場地が死んで以来、みーちゃんは俺に優しくなった。まるで腫れ物に触るかのように優しくなった。
「それよりお前どうした?ドラケンと帰ったんじゃなかったっけ?」
「…みーちゃんと話したくて、ケンチンには先帰ってもらった」
「…そっか」
彼女の細い手が俺の髪をなでる。昔場地によくやっていたように、あやすかのように優しい手つきで触れてくる。
「話って何?」
今まで絶対俺には向けてくれなかった笑顔を向けられても、何故か素直に喜べない。ずっと彼女に好かれたいと思っていたけど、こんな風に扱って欲しいわけじゃなかった。
「…みーちゃん、俺に何かして欲しいことある?」
分かってる、みーちゃんも傷付いてるんだ。あんなに大事にしていた弟が死んだのだから無理もない。皆の前では泣かなかった彼女が俺の前だけで泣いたあの日、俺の中の何かが崩れた。ぽっかりと穴の空いた心を埋めるかのように、彼女を抱き締めて新たな誓いを立てた。
「みーちゃんの本音、聞かせてよ」
彼女までも失いたくない。真一郎に場地、俺の身近な人が次々に死んでいく。次はもしかしたら彼女かもしれない。
そんな未来は耐えられないから、せめて彼女がこれ以上苦しむことのないようにしたい。だから本音を語って欲しい。以前のように冷ややかな態度で良いから、心のうちを教えて欲しい。
「なら、稀咲を追い出してくれよ」
突然の言葉に息を呑んだ。それは以前タケミっちにも言われたことだが、まさかみーちゃんにまで言われるとは思ってもいなかった。
「…なんで?」
「圭介を殺したのはアイツだぞ」
薄い茶色と黄色の中間をした瞳が真っ直ぐに俺を見つめてくる。彼女が口にした言葉よりもその瞳が綺麗で心を奪われた。
「…証拠は?」
「本気で言ってるのか?」
彼女の目付きが更に険しくなる。静かな声音の中に含まれた怒りが、周りの空気を凍らせている。でも俺は彼女を怖いと思ったことなんて一度もない。初めて会った日からずっと、場地水都は守るべき一人の女の子だった。ずっと側にいて欲しい友人だった。
「嫌だと言ったら…お前も俺の元を去るのか?」
東卍を大きなチームにしたい。そのためには稀咲が必要だ。だから俺はタケミっちに交換条件を出したわけだし、それを訴えてきたのがみーちゃんでも変わらなかったと思う。彼女が何の根拠も無くそんなこと言うわけないのは知ってるけど、俺はどうしても稀咲を追い出すことに踏み込めない。
「な〜んてね!そんな深刻そうな顔すんなよ、冗談だ冗談」
「…みーちゃん」
彼女はいつもそうだ。雰囲気が悪くなったら全て冗談にして逃げてしまう。今のは完全に俺が悪いのに、自分の主張を通せば良いのに、面倒くさいのかすぐ背を向けてしまう。
「それじゃ、私帰るわ。…じゃあな」
「みーちゃん!!」
もっと俺とぶつかってよ。俺の考えが間違いだというのなら叱ってくれよ。お前は俺のことなんて少しも怖がってないだろ?お前が恐れていたものは場地の死だけだってこと、俺は知ってるんだよ。
心の中では思っていても、この本音を彼女にぶつけたことは一度もない。彼女が怖いからとかじゃなくて、互いに踏み込まないまま今まで育ってしまったからそういった関わり方が分からないんだ。
「送ってくよ、夜道は危ないから」
「いらねぇよ。ガキじゃあるまいし」
こんな風に軽口は言い合えるのに、どうして本気でぶつかり合えない?思えば彼女が牙を剥いたのは、あの日一虎を殴る俺を止めようとした時だけだった。
「じゃあ言い方変える」
それくらい、彼女にとって一虎は大切な存在だったんだ。この二人が仲良いのは知っていたし、彼女に俺と一虎どっちを選ぶか聞いたら間違いなく一虎を選ぶのも知っていた。この二人はちゃんとぶつかり合っていた。俺には本気にならないみーちゃんだが、一虎のことは本気で気にかけていたことに影ながら嫉妬していた。
「送ってって?ケンチン先帰っちまったからさ、帰れねぇんだ」
心底呆れたような表情で振り向くみーちゃんを見るとほんの少し嬉しくなった。彼女がこんな顔するのは俺と場地の前だけだったから、少なくとも俺は彼女の特別なんだと思える。例えそれが良い感情じゃなくても構わないから、俺から興味を失わないでいてくれたらそれで十分なんだ。
「みーちゃん…。俺さ、みーちゃんのこと大好きだった場地の気持ち誰よりも分かるんだ」
すっかり冷たくなった夜風を浴びながら、彼女の背中に顔を埋める。背中の辺りまで伸びた黒髪から漂う優しい香りに抱かれながら、俺は静かに目を閉じた。
「だからさ…いなくならないでよ。俺の側にいてくれよ。ずっとずっと、一緒にいて」
これは俺がお前に捧げる最高で最悪の呪いだ。こう言ってしまえばお前は逃げないから。お前が何やかんやでお人好しなのはとうの昔に気付いてるから。
「ああ…。約束するよ、万次郎」
こんな時だけ名前で呼ぶなんてずるい奴。俺の本心に気付いていながら知らない振りして笑ってくれる、そんな彼女が憎くて愛しくて仕方なかった。