第6話




 拳を受け止めた腕に痛みを感じる。小柄の割には重い殴りを入れてくる奴だ。だてに壱番隊の副隊長やってないってところか。


「…お前、場地に踏み絵にされた奴じゃん」


 松野千冬──数日前、仲間だったはずの場地にボコられた奴。あの日、場地にどれだけ殴られてもやり返さなかった。
 当然水都ともそれなりの仲なんだろうが、この女が誰かを腹心に置くとは思えない。そもそもコイツ、誰かに守られたり助けられたりするのを好いていなかったはず。自分の力に絶対的な自信を持っていて、実際マイキーとドラケン以外でコイツに勝てる人間はいなかった。
 だから今だって俺を殴ろうと思えば殴れただろうが、身内に甘く情弱な部分のあるこの女は絶対俺に手を上げない。上げたとしても本気では殴れない。それを利用してやろうと思ったのにとんだ邪魔が入った。前のアジトでの様子を見るに、この千冬という男は水都に気に入られている。


「なんだ、裏切られたから今度はそいつに乗り換えたんだ?」
「おい…黙れよクズ野郎」


 やっぱり。さっきまでとは打って変わり、敵を見る目で睨み付けてくる水都に心底イラつく。
 俺よりそいつを選ぶのか。場地は俺を選んでくれたのに、お前はそいつを選ぶんだな。あの日のお前の言葉、密かに心の支えにしてたのに。お前は俺の元に来てくれると思ってたのに。


「一虎ぁ。…あんま調子乗ってっと無駄に綺麗なその顔に傷付けっぞ」
「 あ?やってみろよクソアマが」


 千冬を押し退けて前に出た水都を見下ろす。ニ年という月日は長かったようで、いつの間にか小さくなったものだ。喧嘩の腕は相変わらずのようだが、場地水都という人間をよく知らない連中からしてみれば恰好のカモだろう。


「このニ年間、お前を忘れたことは一度もない」


 不意に水都の表情が緩む。俺の好きだった表情じゃないが、どこか昔を懐かしむような穏やかで悲しそうな顔は素直に綺麗だと思った。


「会いたかったよ、会いたくて堪らなかった。…でも、こんな形の再会は望んでない」


 水都の整った顔がすぐ近くに迫る。昔と変わらない女子特有の優しい香りが鼻をかすめる。


「なぁ一虎…。お前誰にそそのかされた?」


 何を言い出すかと思えば。俺の行動が俺の意思に反しているとでも言いたいのか。俺は誰かに指図されて動くような人間じゃねぇ。
 白く滑らかな頬に触れて更に距離を縮めた俺は、猫のように鋭い光を放つ水都の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「何お前。犯されてぇの?」
「 話を逸らすんじゃねぇ。…答えろ」


 ああ、腹が立つ。コイツの凛とした綺麗な瞳が心底嫌いだ。昔からそうだ、こっちがどれだけ逃げようとしても絶対に逃げられない。根本の部分があまりにも俺と違い過ぎるから、端から勝てるわけなんてなかった。


「…俺がお前に手ぇ出さねぇとでも思ってんの?」


 本当にこの場でぶち犯してやろうか。自分がどれだけ男にとって魅力的な餌なのか、コイツはまだ理解してない。理解してたら野郎ばかりの巣窟にいつまでも居座ってるわけがない。
 水都の頬に置いていた手を首元に滑らす。浮いた鎖骨に吸い付いてあざの一つでも付けたなら、コイツはどんな反応をするだろう。殴るだろうか、それとも物凄い形相で罵倒するだろうか。
 そんなことを思っていると、水都の後ろから凄まじい殺気を感じてそちらに視線を向けた。




──その人に何かしてみろ、ぶっ殺す




 そう聞こえた気がした。水都のすぐ後ろで俺を睨み付ける男の声が、頭の中に直接聞こえてきた。
 そうか、コイツは水都のことも好きなんだ。心の底から水都を大事に思ってるから、力では劣ろうとも守ろうとしているんだ。
 そう思うと全てが馬鹿馬鹿しい。そもそも俺だって、水都を傷付けたいとは思ってないのだ。


「あ〜あ、なんか興冷めしたわ。…帰ろ」


 どうせ次の抗争で全てが終わる。マイキーを殺したなら、水都も俺の元に来ざるを得ない。そしたら全てが丸く収まるのだから焦る必要もない。


「一虎!!」


 背後から聞こえた水都の声に思わず立ち止まる。声を張り上げることなんて滅多にないアイツが、俺の名前を叫んだことに驚きとほんの少しの優越感を覚えた。


「…戻って来いよ」


 バカが、それは俺の台詞だ。そんな奴のために怒るなよ。俺の時間が止まっていた間、新しい人間関係を作って笑っていたお前が憎くて堪らない。俺と同じように立ち止まっていて欲しかっただけなのに。場地のように、俺の側に来て欲しかっただけなのに。




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