第4話
❀ 場地水都 ❀
松野千冬は面白いほど真っ直ぐな少年だった。私は今までそういうタイプに会ったことがなくて、新しい出会に胸を弾ませた。圭介から彼の話を直接聞いたことはなかったし、学年が違うから同中と言えども校内で鉢合わせることは少ない。何の見返りも求めずひたすら圭介を慕う彼は眩しくて、一虎がいなくなってからというものどこか味気なかった日常が大きく変わり始めていた。
そんなある日、私はとある人物に会うため学校の屋上に足を運んだ。うちの屋上は意外にも人が少なくてゆっくりできるから気に入っていたのだが、いつの日か同じことを考える人間が現れて不本意にも屋上仲間ができてしまった。
「龍星」
ふざけたアイマスクを付けて寝ていた少年に声をかければ、その少年の頬がピクリと動いた。アイマスクを持ち上げて覗いた瞳はほんの少し見開かれており、思いがけない来客に驚いているようだった。
「水都ちゃんじゃん。何か久しぶりだね」
そう言って微笑んだ少年の名は佐藤龍星──東京卍會壱番隊副隊長で、元々は四谷怪談という別の族の幹部だった。とある抗争がきっかけで東卍に入った、どちらかといえば新米に近い隊員だが、持ち前のコミュ力と喧嘩の強さであっという間に壱番隊の信頼を得た天才だ。
左の首筋に龍の入れ墨を入れ、髪の毛も白く染めていかにもチャラ男な雰囲気を醸し出しているが、本当は仲間思いで恥ずかしがり屋な年相応の少年だ。
「夜行童子一人でシメたんだって?」
「え〜、何のこと?」
戯けたようにそう言って起き上がった彼は、数秒の間私の顔をまじまじと見つめていたが、無言で私の眼鏡を奪い取ってきた。
「なんだ、やっぱこれ度入ってないじゃん。かける意味なくない?」
「意味はあるよ。ほら、私顔怖いじゃん?フィルターみたいなモンだよ」
「え〜、別に怖くなくね?美人じゃん」
「美人過ぎて怖いだろ?」
「あ〜、それは確かに」
そう言っておかしそうにケラケラ笑う龍星は可愛い。彼は校内でも結構な有名人で、男女共に人気がある。それは掴みどころのない飄々とした性格と普通にカッコいい見た目のせいだろうが、私が彼に抱いているイメージは校内の生徒が抱いているものとは少し違う。
「そう思うなら返してくれ。結構気に入ってんだよそれ」
「え〜、やだ。俺は素顔の方が気に入ってんの」
返して貰うために差し出した私の手をギュッと握ると、龍星は私の後ろ髪に手を伸ばした。そのまま一つに束ねていた髪を器用に解くと、彼はジッと私の顔を見つめた。
「やっぱこっちのが良いよ。何でこんなカッコしてんの?美人なのにもったいねー」
「いつもの格好はブスとでも?」
「可愛いけど地味。水都ちゃんの顔には合わねぇよ」
人差し指でヘアゴムを回転させながらそう言う龍星に思わず苦笑いした。随分とはっきり言ってくれるものだが、彼が言ったことは私が圭介に思ってることまんまだから何だかおかしくなる。
「それ圭介にも言ってやれよ」
「ケースケ君は良いんだよ。あれは先生へのパフォーマンスでもあるから必要なんだよ」
「それは私もそう」
「水都ちゃんは必要ないじゃん、普通に成績良いんだから。私服でピアス着けて登校しても文句言われねぇよ」
「いやー、さすがに厳しいだろ」
またもや苦笑してしまう。インナーとはいえ髪を染めてる時点で教師から見た私は決してただの優等生ではない。物腰柔らかな態度で生活してるからそれなりの評価を得ているだけで、既に私は結構な地雷案件だろう。
「俺が先生なら秒で惚れるけどなぁ。一生着いていきます!!ってなるわ」
「うん、お前が私の顔好きなのはよく分かった。嬉しい限りだよありがとう」
埒が明かないと思った私は、彼の髪を乱暴に撫でると無理やり会話を終わらせた。今日私がここに来たのはこんな不毛な会話をするためじゃないのだから。
「千冬には会った?」
その瞬間、龍星の目が大きく見開かれた。まさか私の口からあの男の名前が出るとは思ってなかったらしく、化け物にでも会ったかのような表情で私を見たが、すぐに先ほどまでの調子に戻ると明るい笑顔を浮かべた。
「あ〜、松野千冬。おもしれぇよなアイツ、何かイジメたくなんの」
「ははっ、お前あれか。好きな子はイジメたくなるタイプ」
「好きってわけじゃねぇけど、カワイイ奴はイジメたいよね」
そう言いつつも彼の横顔からは好きという感情が溢れ出て隠しきれていないから愛おしい。私は龍星のこういうところを気に入っていて、可愛いと思っているのだ。
「千冬は良い奴だよ。きっとお前も好きになる」
もう既に好きなんだろうけど、認めたくないみたいだからそう言っておく。佐藤流星という男は言葉での愛情表現が苦手で、代わりに態度で示してくる、良い意味でタチの悪い人間だ。
「…え、意外。水都ちゃんああいうのがタイプ?」
私は彼の口から出る言葉を信用していない。コミュ力が高い奴にありがちなことだが、全てが薄っぺらく聞こえてしまう。だから私は最初彼を警戒していたが、圭介に対する純粋な好意が読み取れてからは仲間の一人として認めることができた。
でも千冬は違った。彼を初めて見た時、この男は絶対に信用できると本能が言った。彼の口から出る言葉には嘘がなくて、全てに重みが感じられた。
「神様みたいな奴だと思った」
「え?」
「圭介もさ、楽しそうなんだ何やかんや。…多分、ヒーローってああいう奴のこと言うんだよ」
誰かを眩しいと思ったのは生まれて初めてだと思う。私の生きる意味は小さい頃から一貫していて、とにかく弟を守らねばと思っていた。だから一虎の事件があって以来、私はマイキーに警戒心を抱くようになってしまった。マイキーは何も悪くない被害者なのに、以前のように接すのが難しくなってしまった。
そんな時に現れた松野千冬は太陽みたいで、私の半身を真っ直ぐに慕う彼を救いだと思わずにはいられなかった。
「…ふぅん。でも俺、水都ちゃんがアイツと付き合うのは認めねぇよ。ファン1号として絶対認めねぇ」
「残念ながらそういうのではないんだよなぁ」
「あ、ほんと?なら安心」
隣で胸を撫で下ろす龍星を横目に見ながら、あの日の千冬を思い出す。彼を異性として好きになる日は来ないだろうけど、息苦しい日々を終わらせてくれた松野千冬は私の人生で初めて出会ったヒーローだ。
何となく空を見上げた私は、雲一つない真っ青な美しさを目にして頬が緩むのを感じた。千冬みたい──そう思ってしまうのは重症だろうか。
静かな時間は暫く続いていたが、私に倣って空を見上げていた龍星の小さな声が静寂を終わらせた。
「俺のヒーローはケースケ君で、神様は水都ちゃんかな」
「ははっ、そりゃどうも」
恐らくその言葉に嘘はない。龍星が渋谷に引っ越してきたのは間違いなく圭介が原因で、人たらしな弟は色んな男に好かれてしまう。喜ばしいことだけど、いつか拗れはしないかと、私は密かに心配している。
「水都ちゃんは優しいけど、この世の全てが敵みたいな顔してるよね」
「そんなことはないだろ」
「いつも一人だけ遠くを見てる。今だってそう、俺のことなんて少しも見てない」
ドキッとした。まさか彼がそんなこと言うとは思っていなかった。私が彼を見極めている間、彼もまた私を見極めていたのだ。彼が賢いのは知っていたけど、私にさほど興味を持ってないと思ってたから油断していたが、もしかしたら彼はずっと前から、私が圭介と一虎しか見てないことに気付いていたのかもしれない。
私は微かに口角を上げると、空を見上げる龍星に視線を向けた。褐色肌の影響もあってか、エキゾチックな人形を連想させる横顔は素直に綺麗だと思った。そんな彼の頭に手を伸ばし、灰色の柔らかな髪を乱暴にかき乱せば、彼は少し驚いたような顔でこちらを見た。
「見てるじゃないか。やめろよ変なこと言うの、悲しくなるじゃん」
確かに圭介と一虎は特別だけど、龍星のことも大事に思っている。少しも見てないなんて、そんな冷たいこと言わないで欲しい。
龍星は暫くの間私の顔を見つめていたが、やがて優しく私の手を掴み、「図星でしょ」と寂しそうに微笑んだ。
松野千冬は面白いほど真っ直ぐな少年だった。私は今までそういうタイプに会ったことがなくて、新しい出会に胸を弾ませた。圭介から彼の話を直接聞いたことはなかったし、学年が違うから同中と言えども校内で鉢合わせることは少ない。何の見返りも求めずひたすら圭介を慕う彼は眩しくて、一虎がいなくなってからというものどこか味気なかった日常が大きく変わり始めていた。
そんなある日、私はとある人物に会うため学校の屋上に足を運んだ。うちの屋上は意外にも人が少なくてゆっくりできるから気に入っていたのだが、いつの日か同じことを考える人間が現れて不本意にも屋上仲間ができてしまった。
「龍星」
ふざけたアイマスクを付けて寝ていた少年に声をかければ、その少年の頬がピクリと動いた。アイマスクを持ち上げて覗いた瞳はほんの少し見開かれており、思いがけない来客に驚いているようだった。
「水都ちゃんじゃん。何か久しぶりだね」
そう言って微笑んだ少年の名は佐藤龍星──東京卍會壱番隊副隊長で、元々は四谷怪談という別の族の幹部だった。とある抗争がきっかけで東卍に入った、どちらかといえば新米に近い隊員だが、持ち前のコミュ力と喧嘩の強さであっという間に壱番隊の信頼を得た天才だ。
左の首筋に龍の入れ墨を入れ、髪の毛も白く染めていかにもチャラ男な雰囲気を醸し出しているが、本当は仲間思いで恥ずかしがり屋な年相応の少年だ。
「夜行童子一人でシメたんだって?」
「え〜、何のこと?」
戯けたようにそう言って起き上がった彼は、数秒の間私の顔をまじまじと見つめていたが、無言で私の眼鏡を奪い取ってきた。
「なんだ、やっぱこれ度入ってないじゃん。かける意味なくない?」
「意味はあるよ。ほら、私顔怖いじゃん?フィルターみたいなモンだよ」
「え〜、別に怖くなくね?美人じゃん」
「美人過ぎて怖いだろ?」
「あ〜、それは確かに」
そう言っておかしそうにケラケラ笑う龍星は可愛い。彼は校内でも結構な有名人で、男女共に人気がある。それは掴みどころのない飄々とした性格と普通にカッコいい見た目のせいだろうが、私が彼に抱いているイメージは校内の生徒が抱いているものとは少し違う。
「そう思うなら返してくれ。結構気に入ってんだよそれ」
「え〜、やだ。俺は素顔の方が気に入ってんの」
返して貰うために差し出した私の手をギュッと握ると、龍星は私の後ろ髪に手を伸ばした。そのまま一つに束ねていた髪を器用に解くと、彼はジッと私の顔を見つめた。
「やっぱこっちのが良いよ。何でこんなカッコしてんの?美人なのにもったいねー」
「いつもの格好はブスとでも?」
「可愛いけど地味。水都ちゃんの顔には合わねぇよ」
人差し指でヘアゴムを回転させながらそう言う龍星に思わず苦笑いした。随分とはっきり言ってくれるものだが、彼が言ったことは私が圭介に思ってることまんまだから何だかおかしくなる。
「それ圭介にも言ってやれよ」
「ケースケ君は良いんだよ。あれは先生へのパフォーマンスでもあるから必要なんだよ」
「それは私もそう」
「水都ちゃんは必要ないじゃん、普通に成績良いんだから。私服でピアス着けて登校しても文句言われねぇよ」
「いやー、さすがに厳しいだろ」
またもや苦笑してしまう。インナーとはいえ髪を染めてる時点で教師から見た私は決してただの優等生ではない。物腰柔らかな態度で生活してるからそれなりの評価を得ているだけで、既に私は結構な地雷案件だろう。
「俺が先生なら秒で惚れるけどなぁ。一生着いていきます!!ってなるわ」
「うん、お前が私の顔好きなのはよく分かった。嬉しい限りだよありがとう」
埒が明かないと思った私は、彼の髪を乱暴に撫でると無理やり会話を終わらせた。今日私がここに来たのはこんな不毛な会話をするためじゃないのだから。
「千冬には会った?」
その瞬間、龍星の目が大きく見開かれた。まさか私の口からあの男の名前が出るとは思ってなかったらしく、化け物にでも会ったかのような表情で私を見たが、すぐに先ほどまでの調子に戻ると明るい笑顔を浮かべた。
「あ〜、松野千冬。おもしれぇよなアイツ、何かイジメたくなんの」
「ははっ、お前あれか。好きな子はイジメたくなるタイプ」
「好きってわけじゃねぇけど、カワイイ奴はイジメたいよね」
そう言いつつも彼の横顔からは好きという感情が溢れ出て隠しきれていないから愛おしい。私は龍星のこういうところを気に入っていて、可愛いと思っているのだ。
「千冬は良い奴だよ。きっとお前も好きになる」
もう既に好きなんだろうけど、認めたくないみたいだからそう言っておく。佐藤流星という男は言葉での愛情表現が苦手で、代わりに態度で示してくる、良い意味でタチの悪い人間だ。
「…え、意外。水都ちゃんああいうのがタイプ?」
私は彼の口から出る言葉を信用していない。コミュ力が高い奴にありがちなことだが、全てが薄っぺらく聞こえてしまう。だから私は最初彼を警戒していたが、圭介に対する純粋な好意が読み取れてからは仲間の一人として認めることができた。
でも千冬は違った。彼を初めて見た時、この男は絶対に信用できると本能が言った。彼の口から出る言葉には嘘がなくて、全てに重みが感じられた。
「神様みたいな奴だと思った」
「え?」
「圭介もさ、楽しそうなんだ何やかんや。…多分、ヒーローってああいう奴のこと言うんだよ」
誰かを眩しいと思ったのは生まれて初めてだと思う。私の生きる意味は小さい頃から一貫していて、とにかく弟を守らねばと思っていた。だから一虎の事件があって以来、私はマイキーに警戒心を抱くようになってしまった。マイキーは何も悪くない被害者なのに、以前のように接すのが難しくなってしまった。
そんな時に現れた松野千冬は太陽みたいで、私の半身を真っ直ぐに慕う彼を救いだと思わずにはいられなかった。
「…ふぅん。でも俺、水都ちゃんがアイツと付き合うのは認めねぇよ。ファン1号として絶対認めねぇ」
「残念ながらそういうのではないんだよなぁ」
「あ、ほんと?なら安心」
隣で胸を撫で下ろす龍星を横目に見ながら、あの日の千冬を思い出す。彼を異性として好きになる日は来ないだろうけど、息苦しい日々を終わらせてくれた松野千冬は私の人生で初めて出会ったヒーローだ。
何となく空を見上げた私は、雲一つない真っ青な美しさを目にして頬が緩むのを感じた。千冬みたい──そう思ってしまうのは重症だろうか。
静かな時間は暫く続いていたが、私に倣って空を見上げていた龍星の小さな声が静寂を終わらせた。
「俺のヒーローはケースケ君で、神様は水都ちゃんかな」
「ははっ、そりゃどうも」
恐らくその言葉に嘘はない。龍星が渋谷に引っ越してきたのは間違いなく圭介が原因で、人たらしな弟は色んな男に好かれてしまう。喜ばしいことだけど、いつか拗れはしないかと、私は密かに心配している。
「水都ちゃんは優しいけど、この世の全てが敵みたいな顔してるよね」
「そんなことはないだろ」
「いつも一人だけ遠くを見てる。今だってそう、俺のことなんて少しも見てない」
ドキッとした。まさか彼がそんなこと言うとは思っていなかった。私が彼を見極めている間、彼もまた私を見極めていたのだ。彼が賢いのは知っていたけど、私にさほど興味を持ってないと思ってたから油断していたが、もしかしたら彼はずっと前から、私が圭介と一虎しか見てないことに気付いていたのかもしれない。
私は微かに口角を上げると、空を見上げる龍星に視線を向けた。褐色肌の影響もあってか、エキゾチックな人形を連想させる横顔は素直に綺麗だと思った。そんな彼の頭に手を伸ばし、灰色の柔らかな髪を乱暴にかき乱せば、彼は少し驚いたような顔でこちらを見た。
「見てるじゃないか。やめろよ変なこと言うの、悲しくなるじゃん」
確かに圭介と一虎は特別だけど、龍星のことも大事に思っている。少しも見てないなんて、そんな冷たいこと言わないで欲しい。
龍星は暫くの間私の顔を見つめていたが、やがて優しく私の手を掴み、「図星でしょ」と寂しそうに微笑んだ。