第4話
❆ 松野千冬 ❆
俺が水都さんと出会ったのは、場地さんに出会い場地さんに憧れた次の日のことだった。東卍に入って場地さんの右腕になると決めた翌日、本人にはあしらわれたが諦める気は少しもなくて教室まで会いに行った。その時、場地さんは廊下で一人の女子生徒と話していたのだが、その女子生徒こそが水都さんだった。
「なに、お前弟子でも取ったの?場地さんって、そんなタマじゃなくね?」
「アイツが勝手に言ってんだよ。好きで呼ばれてるわけじゃねえ」
「…へぇ」
そう言って気怠そうに俺を見た彼女は、絵に描いたような優等生の姿をしていた。髪を後ろで一つに縛り、フチのないシンプルな眼鏡をかけた女子生徒は、口を開かなければ完璧な委員長タイプの優等生だった。
「よく分かんないけど、こんなの慕っても良いことねぇからやめときな。バカが移るだけだ」
「おいテメェ喧嘩売ってんのかクソゴリラ」
「お前さ、ちゃんと自分のヤバさ説明してる?中学で留年するほどバカですって言ってる?」
「知ってますよ。虎の字が書けないってことくらい知ってます」
脊髄反射みたいなものだった。その時点では彼女が何者なのか知らなかったけど、どことなく漂う大物感のせいか自然と敬語を発していた。そして何より、場地さんに対してそんな失礼なことを言う奴なら有無を言わさず殴り飛ばす自信のあった俺だが、二人の間に流れる空気があまりにも親密だったからそんな気は全く起きなかった。
「へえ、知ってるんだ。そりゃそうか有名な話だもんな」
そう言ってハハっと軽く笑った彼女は、それまでの近寄り難い雰囲気が嘘のように親しみやすい笑顔を浮かべていた。その笑顔は、初めて会った日に場地さんが俺に向けてくれた笑顔そっくりで、俺は少しの間、口をポカンと開けたままアホ面を晒していた。
そして次の瞬間、固まった俺に構うことなく爽やかな声で驚愕の事実を吐いた彼女のせいで俺は更にアホ面を晒すことになった。
「まあでも、弟に友達ができるのは姉としても嬉しいよ」
「…へ?…姉?」
「そうそう。私コイツの姉ちゃんだから、私とも仲良くしてくれな千冬」
よく漫画で頭の上をひよこが回っている描写があるが、あれはまさにこのような状況を表しているのだろう。後々、彼女は校内でも有名なアイドル的存在ということを知らされるのだが、そんな人気者の貴重なウインクすらも何かの背景に見えてしまうほど、その時の俺は混乱していた。
「水都、お前もう帰れ。なんか面倒くせえことになりそうだから」
「もうなってんだろ。それに、面倒くさいってのは良いことだよ」
「訳わかんねぇこと言ってないで帰れバカ」
でも少し落ち着いてからは、あの二人の間に流れていた親密な空気の理由が分かってすっきりしたのと同時に、場地さんの新たな一面を知れたことへの喜びで頭が一杯になっていた。
でも縁というのは不思議なもので、俺はすぐに彼女と再会することになる。
土曜日、どうすれば場地さんに認めて貰えるか考えながら近所をフラフラしていた俺は、人一倍目を引く綺麗な女性と鉢合わせた。その女性はパーカーにGパンという至って普通の服装だったが、髪の内側に見える燃えるような赤と異次元級に整った顔立ちが存在感を引き立たせていた。
「よう千冬。また会ったね」
「…え、誰?」
「あれ、覚えてない?場地圭介の姉なんだけど」
「…え、あの眼鏡の?」
「そうそう、眼鏡の優等生」
驚きのあまり変な声が出そうになったが、寸でのところで飲み込んだ俺は数回深呼吸すると目の前に立つ女性をもう一度しっかり見据えた。
「…随分と印象が変わりますね」
「わざとだよ」
「…何か理由があるんスか?」
「ないよ、ただの趣味。敢えて言うならプライベート隠すためかな」
「…はあ」
そりゃあここまで変われば同一人物だと気付く奴はいないだろうが、いざ知ってしまうとどちらもそこまで変わらない気がしてくる。女子の割には長身でスタイルが良いというのもあるだろうが、学校で見た彼女もかなり美人で人目を引く容姿なことに違いはない。
「そういえば私、あんたに名乗ってなかったね」
「あ、でも知ってます。水都さんですよね」
「あ、圭介から聞いた?」
「はい、あの日の会話で場地さんが呼んでたの聞いてました」
「よく覚えてんなぁ」
「場地さんの言った言葉は一文字たりとも忘れませんから」
自信満々に言い切った俺を苦笑いのような表情で見ていた彼女だが、不意に真顔になるとやや低めのトーンでこう聞いてきた。
「あれにはそこまで惚れ込む魅力があったか?」
「あります!!この人に一生着いていきたい、そう思ったのは場地さんが初めてです」
「何でそう思った?」
「カッケェからです。対して仲良いわけじゃねぇ俺のこと、仲間だっつって助けてくれた。最高にカッケェ男だからです」
ただ喧嘩が強いってだけじゃここまで惚れ込んでいなかった。仲間のために命を張れる、そんな強い魂をあの人に感じたから一緒にいたいと思ったのだ。改めて口にすると俺の決心は更に固くなって、やっぱり何としてでも東卍に入りたいという思いが沸々湧いてくる。
「…そっか。そんなことがあったんだな」
熱く語った俺とは対照的、静かに頷いて空を見上げた彼女はどこか寂しそうだった。ついさっきまで眩しいくらいに放たれていた存在感はどこにもなくて、今にも消えてしまいそうな儚さすら感じさせる。
彼女の示した反応にどう返して良いか分からず固まっていた俺だが、彼女はすぐに元の強そうな雰囲気に戻るとこんなことを言ってきた。
「東卍に入りたいなら、私が顔を利かせてやろうか」
「え?」
「アイツはね、何やかんや私に頭が上がらないんだ。適当に言いくるめてやるよ」
何とも魅力的な話だったが、俺が場地さんに抱いている憧れは彼女が想像しているよりもずっと大きい。誰かの力を借りて側にいるのではなく、本人の意志で側に置いても良いと思われたい──そんな俺の重すぎる感情に彼女は気付いていない。
「いえ、必要ありません。あの人に認めて貰えないと意味ねぇから」
案の定、彼女は少し驚いたように目を見開いた。呆れたのか微かに首を傾けて眉をひそめる彼女からは形容し難い迫力を感じたが、場地さんへの思いを伝えるにはこの言葉だけで十分だと確信していた俺は真っ直ぐに彼女を見つめていた。
睨み合いとも言えるその時間は数秒続いたが、先に目をそらして口を開いたのは水都さんの方だった。
「ある事件のせいで、アイツはかなり臆病になった」
「…ある事件?」
思わず聞き返した俺を見ることはせず遠くに視線を投げる彼女の横顔は作り物みたいだ。長く濃いまつ毛といい、ツンと高い鼻といい高級な置物みたいで美しい。
「何かあったんスか?」
「聞きたい?」
何も答えない彼女に畳みかければ、彼女の瞳がこちらを向いた。固かった表情が少しだけ綻び、爽やかで聞きやすい声が耳にスッと入ってくる。まるで悪い誘惑のようだった。
「いえ、それは場地さんの口から直接聞きます。場地さんに認めて貰って、コイツになら話しても良いって思われるような人間になりますから」
彼女は決して人を試すような言動を取るタイプじゃないが、この時の俺は彼女に試されていると思った。場地さんの忠誠心が本物なのか見極められていると勘違いしていたから、この後彼女が発した言葉の意味が飲み込めなくてキョドってしまうことになる。
「かっこいいね」
「…あ、場地さんがッスね!」
「違うよ、千冬が」
途端に顔が熱くなった。今まで女子からカッコいいなど言われたことなくてどう反応したら良いのか分からなかった。
彼女はそんな俺を見て苦笑いすると、微かに首を横に振った。
「変な意味じゃなくってさ…バカみたいに真っ直ぐな所が最高にかっこいいなって」
弁明のつもりで言ったのかもしれないが、彼女の言葉は逆効果だった。何故カッコいいのか、その理由まで丁寧に説明されて照れないはずがない。そして何より、場地さんと同じ色の瞳が真っ直ぐ俺を見ていたから、自然と鼓動が速くなっていた。
「ま、せいぜい頑張れよ少年」
動かなくなった俺の肩にポンと手を置くと、彼女は俺の来た道を進んでいった。咄嗟に振り向いた俺は彼女の後ろ姿を見つめたが、その後ろ姿が場地さんによく似ていたせいか、はたまたさっきの言葉のせいか、胸の奥がポカポカと温かくなっていくのを感じていた。
俺が水都さんと出会ったのは、場地さんに出会い場地さんに憧れた次の日のことだった。東卍に入って場地さんの右腕になると決めた翌日、本人にはあしらわれたが諦める気は少しもなくて教室まで会いに行った。その時、場地さんは廊下で一人の女子生徒と話していたのだが、その女子生徒こそが水都さんだった。
「なに、お前弟子でも取ったの?場地さんって、そんなタマじゃなくね?」
「アイツが勝手に言ってんだよ。好きで呼ばれてるわけじゃねえ」
「…へぇ」
そう言って気怠そうに俺を見た彼女は、絵に描いたような優等生の姿をしていた。髪を後ろで一つに縛り、フチのないシンプルな眼鏡をかけた女子生徒は、口を開かなければ完璧な委員長タイプの優等生だった。
「よく分かんないけど、こんなの慕っても良いことねぇからやめときな。バカが移るだけだ」
「おいテメェ喧嘩売ってんのかクソゴリラ」
「お前さ、ちゃんと自分のヤバさ説明してる?中学で留年するほどバカですって言ってる?」
「知ってますよ。虎の字が書けないってことくらい知ってます」
脊髄反射みたいなものだった。その時点では彼女が何者なのか知らなかったけど、どことなく漂う大物感のせいか自然と敬語を発していた。そして何より、場地さんに対してそんな失礼なことを言う奴なら有無を言わさず殴り飛ばす自信のあった俺だが、二人の間に流れる空気があまりにも親密だったからそんな気は全く起きなかった。
「へえ、知ってるんだ。そりゃそうか有名な話だもんな」
そう言ってハハっと軽く笑った彼女は、それまでの近寄り難い雰囲気が嘘のように親しみやすい笑顔を浮かべていた。その笑顔は、初めて会った日に場地さんが俺に向けてくれた笑顔そっくりで、俺は少しの間、口をポカンと開けたままアホ面を晒していた。
そして次の瞬間、固まった俺に構うことなく爽やかな声で驚愕の事実を吐いた彼女のせいで俺は更にアホ面を晒すことになった。
「まあでも、弟に友達ができるのは姉としても嬉しいよ」
「…へ?…姉?」
「そうそう。私コイツの姉ちゃんだから、私とも仲良くしてくれな千冬」
よく漫画で頭の上をひよこが回っている描写があるが、あれはまさにこのような状況を表しているのだろう。後々、彼女は校内でも有名なアイドル的存在ということを知らされるのだが、そんな人気者の貴重なウインクすらも何かの背景に見えてしまうほど、その時の俺は混乱していた。
「水都、お前もう帰れ。なんか面倒くせえことになりそうだから」
「もうなってんだろ。それに、面倒くさいってのは良いことだよ」
「訳わかんねぇこと言ってないで帰れバカ」
でも少し落ち着いてからは、あの二人の間に流れていた親密な空気の理由が分かってすっきりしたのと同時に、場地さんの新たな一面を知れたことへの喜びで頭が一杯になっていた。
でも縁というのは不思議なもので、俺はすぐに彼女と再会することになる。
土曜日、どうすれば場地さんに認めて貰えるか考えながら近所をフラフラしていた俺は、人一倍目を引く綺麗な女性と鉢合わせた。その女性はパーカーにGパンという至って普通の服装だったが、髪の内側に見える燃えるような赤と異次元級に整った顔立ちが存在感を引き立たせていた。
「よう千冬。また会ったね」
「…え、誰?」
「あれ、覚えてない?場地圭介の姉なんだけど」
「…え、あの眼鏡の?」
「そうそう、眼鏡の優等生」
驚きのあまり変な声が出そうになったが、寸でのところで飲み込んだ俺は数回深呼吸すると目の前に立つ女性をもう一度しっかり見据えた。
「…随分と印象が変わりますね」
「わざとだよ」
「…何か理由があるんスか?」
「ないよ、ただの趣味。敢えて言うならプライベート隠すためかな」
「…はあ」
そりゃあここまで変われば同一人物だと気付く奴はいないだろうが、いざ知ってしまうとどちらもそこまで変わらない気がしてくる。女子の割には長身でスタイルが良いというのもあるだろうが、学校で見た彼女もかなり美人で人目を引く容姿なことに違いはない。
「そういえば私、あんたに名乗ってなかったね」
「あ、でも知ってます。水都さんですよね」
「あ、圭介から聞いた?」
「はい、あの日の会話で場地さんが呼んでたの聞いてました」
「よく覚えてんなぁ」
「場地さんの言った言葉は一文字たりとも忘れませんから」
自信満々に言い切った俺を苦笑いのような表情で見ていた彼女だが、不意に真顔になるとやや低めのトーンでこう聞いてきた。
「あれにはそこまで惚れ込む魅力があったか?」
「あります!!この人に一生着いていきたい、そう思ったのは場地さんが初めてです」
「何でそう思った?」
「カッケェからです。対して仲良いわけじゃねぇ俺のこと、仲間だっつって助けてくれた。最高にカッケェ男だからです」
ただ喧嘩が強いってだけじゃここまで惚れ込んでいなかった。仲間のために命を張れる、そんな強い魂をあの人に感じたから一緒にいたいと思ったのだ。改めて口にすると俺の決心は更に固くなって、やっぱり何としてでも東卍に入りたいという思いが沸々湧いてくる。
「…そっか。そんなことがあったんだな」
熱く語った俺とは対照的、静かに頷いて空を見上げた彼女はどこか寂しそうだった。ついさっきまで眩しいくらいに放たれていた存在感はどこにもなくて、今にも消えてしまいそうな儚さすら感じさせる。
彼女の示した反応にどう返して良いか分からず固まっていた俺だが、彼女はすぐに元の強そうな雰囲気に戻るとこんなことを言ってきた。
「東卍に入りたいなら、私が顔を利かせてやろうか」
「え?」
「アイツはね、何やかんや私に頭が上がらないんだ。適当に言いくるめてやるよ」
何とも魅力的な話だったが、俺が場地さんに抱いている憧れは彼女が想像しているよりもずっと大きい。誰かの力を借りて側にいるのではなく、本人の意志で側に置いても良いと思われたい──そんな俺の重すぎる感情に彼女は気付いていない。
「いえ、必要ありません。あの人に認めて貰えないと意味ねぇから」
案の定、彼女は少し驚いたように目を見開いた。呆れたのか微かに首を傾けて眉をひそめる彼女からは形容し難い迫力を感じたが、場地さんへの思いを伝えるにはこの言葉だけで十分だと確信していた俺は真っ直ぐに彼女を見つめていた。
睨み合いとも言えるその時間は数秒続いたが、先に目をそらして口を開いたのは水都さんの方だった。
「ある事件のせいで、アイツはかなり臆病になった」
「…ある事件?」
思わず聞き返した俺を見ることはせず遠くに視線を投げる彼女の横顔は作り物みたいだ。長く濃いまつ毛といい、ツンと高い鼻といい高級な置物みたいで美しい。
「何かあったんスか?」
「聞きたい?」
何も答えない彼女に畳みかければ、彼女の瞳がこちらを向いた。固かった表情が少しだけ綻び、爽やかで聞きやすい声が耳にスッと入ってくる。まるで悪い誘惑のようだった。
「いえ、それは場地さんの口から直接聞きます。場地さんに認めて貰って、コイツになら話しても良いって思われるような人間になりますから」
彼女は決して人を試すような言動を取るタイプじゃないが、この時の俺は彼女に試されていると思った。場地さんの忠誠心が本物なのか見極められていると勘違いしていたから、この後彼女が発した言葉の意味が飲み込めなくてキョドってしまうことになる。
「かっこいいね」
「…あ、場地さんがッスね!」
「違うよ、千冬が」
途端に顔が熱くなった。今まで女子からカッコいいなど言われたことなくてどう反応したら良いのか分からなかった。
彼女はそんな俺を見て苦笑いすると、微かに首を横に振った。
「変な意味じゃなくってさ…バカみたいに真っ直ぐな所が最高にかっこいいなって」
弁明のつもりで言ったのかもしれないが、彼女の言葉は逆効果だった。何故カッコいいのか、その理由まで丁寧に説明されて照れないはずがない。そして何より、場地さんと同じ色の瞳が真っ直ぐ俺を見ていたから、自然と鼓動が速くなっていた。
「ま、せいぜい頑張れよ少年」
動かなくなった俺の肩にポンと手を置くと、彼女は俺の来た道を進んでいった。咄嗟に振り向いた俺は彼女の後ろ姿を見つめたが、その後ろ姿が場地さんによく似ていたせいか、はたまたさっきの言葉のせいか、胸の奥がポカポカと温かくなっていくのを感じていた。