第一章

* * *



 月日が経つのはあっという間だ。楽しい日々は早く過ぎ去ってしまうと言うけれど、本当のことだった。この2年弱の時間は、私の人生で一番短く感じた。
 そんな幸せな日々が終わりを告げたのは、もう少しで二人が小学校を卒業してしまう、そんな季節のことだった。


「留学?」


  コーチから言われたことが飲み込めなくて思いっ切り眉間に皺を寄せれば、コーチは楽しそうに笑った。


「そう、留学だよ。…前の大会にドイツの有名なテニススクールの先生が来ていてね。君に興味を持ったそうだよ」


 なんとも光栄な話だ。受けない理由はないけど、まだ11歳なのに一人で外国に行くなんて不安しかない。そう思った時、私は思わず顔をしかめた。ここに来た時は一人でやって行くと意気込んでいたのに、今となってはこんなにも一人を恐れている。


「君は幸村真田コンビと仲が良いね…。彼らもこの4月からテニスの強豪立海に通うことが決まっている。…良い機会じゃないのかい?」


 ああ、コーチは気付いていた。私があの二人にしか心を許していないことに気付いていた。やっぱり大人は欺けない。あの二人がいなくなったら、私は今まで通りここでやっていけるだろうか。考えるまでもない、できないわ。


「その話、お願いします。もちろん、親に相談してからですけど」
「その必要はないよ。親御さんに話は通してあるから」
「え…」
「君は必ず頷くと思っていたよ」


 なんだろう、腹が立つ。全部見透かされていたからだろうか。勝手に話を進められていたからだろうか。それとも、この話を知っていながら両親は一つも私に声をかけてくれなかったからだろうか。


「…ありがとうございます」


 そうよ、コーチは悪くない。褒めてもらえるかもなんて、欲を出した私が悪いの。あの両親に少しでも期待した私が全部悪いのよ。


「精一杯頑張ってきなさい」


 喜ばしいことのはずなのに、こんなにも気が重いのは何故だろう。きっと、今まで忘れていた兄への劣等感を思い出したからだろう。二人のおかげで忘れられていたのに、今この瞬間に全てを思い出した。なんて皮肉な話だろう。


「このスクールは今日で最後にします。お世話になりました」


 本当は二人にきちんと報告したいけど、顔を見たら行きたくないと思ってしまう。見事に最初の目的を忘れて甘い蜜を吸っていた私は、いい加減目を覚まして現実に向き合わなければならない。
 私は兄に勝つために、もう一度全てを切り捨てて一人異国へと旅立つの。




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