第一章

* * *



 あの日依頼、彼女はそれまでの態度が嘘のように僕たちに懐いてきた。懐くなんて言葉、同じ人間に使うのは失礼だと思うかもしれないが、それ以外に妥当な表現が見つからない。そして彼女の態度の変化は僕たちの間だけに留まらず、彼女はいつの間にかチームの人気者になっていた。


「手塚さん、私とペア組も!」 
「手塚さん、今日駅まで一緒に帰らない?」


 今まで僕たちが見ていた彼女は幻だったのだろうか。常に一人で行動していた彼女の周りは、いつの間にか人で溢れている。一切表情を緩めることなく近寄り難い雰囲気を放っていたはずなのに、今の彼女は花が咲いたようによく笑う。


「手塚さん、俺と付き合って下さい!」


 ある日の夕方、同じテニススクールの上級生に告白されている彼女を見かけた。元々奇麗な顔立ちをしていたから見た目だけなら彼女は人気があったのだ。今まで彼女がモテなかった理由は、確実に性格のせいだった。でもその気難しい性格が消えた今、彼女に欠点などあるはずがない。


「無理だよ。私ここではテニスしかする気ないから」
「なら、プライベートで…!」
「無理」


 本当に、気持ち良いくらいきっぱりと断る子だ。肩を落としてその場を去っていく男に見向きもしない彼女は冷たい子だ。でも、全く動じる様子を見せないあの子の姿はとても格好良くて眩しかった。


「覗きなんて良い趣味してるね」
「 ごめんごめん。すぐ行こうと思ってたんだけどね…つい」
「良いもん見れた?」
「いや、特には…」
「良かった」


 一体何が良かったんだろう。相手が大人しく引いてくれたからだろうか。それとも、見ていたのが僕だから言い振らされる心配はないと思ったのだろうか。


「単純だよね、男の子って。露骨過ぎて笑えるわ」
「正直、僕もそう思うよ」


 本当に滑稽だ。今まで彼女の悪口を言っていた人間が手のひらを返したように好きだと告白するのだ。彼女にも非があったとはいえ、さすがに都合が良過ぎる。こんな場面を見るのは初めてじゃないから余計にモヤモヤしてしまった。


「やっぱり私には精ちゃんと弦ちゃんしかいないね!」
「…君もたいがい、現金な子だよね」


 元々こういう性格だったのだろうか。明るく笑って腕を絡めてくる彼女はあざといけど可愛い。他の人たちにはやっていないからこそ、自分は彼女の特別なんだと錯覚して優越感に浸ってしまう。もちろん僕だけじゃなくて真田にもこんな感じなんだけど。


「本当の友達は二人だけ。…他は皆、ただの知り合い」
「そんな悲しいこと言うもんじゃないよ」
「悲しくないよ、素敵なこと」
「他の子が聞いたら悲しむよ」
「悲しまないよ。あの子たちは、そういう子だから」


 夕日が彼女の黒髪を赤く染めている。笑顔か仏頂面、どちらかの表情しか目立たない彼女だが、この日の彼女の表情は多分一生忘れない。こんなにも哀しそうに笑う人がいるのかと、僕はその時強く心を揺さぶられたのだ。




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